わが家の韓流コーナー

わが家の書棚のほんの一部です。

ご覧のように、韓国文学の翻訳作品を並べています。

この一、二年、書店店頭でも韓国の作品の翻訳が増え、それなりのボリューム、存在感を発揮していますが、見事にはまっています。

韓国文学と言えば、クオンの始めたシリーズ《新しい韓国の文学》かもしれませんが、あたしはその流れにはちょっと出遅れ、同シリーズでは『殺人者の記憶法』しか読んでいません(汗)。『菜食主義者』とか、読みたいのがいくつもあるのですが、まだ手が回っておりません。

その一方、晶文社の《韓国文学のオクリモノ》はすべて制覇しております。棚に『ギリシャ語の時間』が見当たらず、ちょうどすき間ができていますが、同僚に貸しているところです。最後の『』も、あと三分の一くらいで読み終わります。

先頃スタートした亜紀書房の《となりの国のものがたり》も既刊2冊、既に所持しております。『鯨』を読み終わったら取りかかるつもりです。

クリスマスプレゼント

ご覧の通り、時計です。

左はコンパクトなトラベルクロック、右は懐中時計です。

左の時計は電波時計で、あたしがふだん持ち歩いているものです。腕時計をするのが嫌いで、高校の頃は腕時計を腰のベルトに付けていて、大学生の頃からはずっと懐中時計を使っていました。

何代目かの懐中時計が壊れてしまった数年前、既に掛け時計や腕時計は電波時計が主流になりつつあり、あたしも電波時計の懐中時計を探したのですが種類がなく、家電量販店の時計売り場を見ていたら、コンパクトなトラベルクロックが目に留まり、ここ数年は愛用していました。写真のクロックは三代目です。

あたしは別にこれで構わないのですが、何を勘違いしたのか、母が先日、クリスマスプレゼントだと言って、右の懐中時計を買ってくれました。

しかし、案の定、電波時計ではありません。

あたしとしては使いたくないのですが、せっかく母が買ってくれたので、この一、二週間はこの懐中時計を付けて出勤しています。まだ違和感があって、使い慣れてなくて、戸惑っていますが、どうして懐中時計には電波時計がないのでしょうね?

と言っても、世の中は、スマホ全盛で懐中時計も腕時計もしない若者が増えていると聞きます。たぶん、何年待っても懐中時計の電波時計の種類が増えることはないのでしょう。

大掃除ならぬ……

もう暮れも押し迫ってきたわけで、毎年、大掃除らしきことなどほとんどしないのですが、これくらいはやらないと罰が当たりそうなので……

はい、お仏壇です。もちろん、わが家の仏壇です。

今日の午前中に掃除をしました。

仏壇の中にある位牌などをすべて出し、きれいに拭いて、もちろん仏壇自体のほこりも拭き取って、再び中に並べ直すというだけのことですが……

この仏壇には、父とその両親、幼くして亡くなった父の兄(父が生まれる何年も前に亡くなっています)、全部で四人の仏様がいらっしゃいます。

ご先祖様も、これで気持ちよく新年を迎えてくれることと思います。

辛うじて想像はできるけど、理解はできない

82年生まれ、キム・ジヨン』読了。

印象的な装丁です。一見すると、河出書房新社から出ているミュリエル・スパーク作品の装丁を思わせるようなカバー装画ですが、あちらがマグリットを明るくアレンジしているような雰囲気があるのに対し、こちらは非常に寒々としています。この装画が本書の内容をよく表わしていると思います。

本書を読んで、韓国の女性は大変だなあという他人事のような感想を抱きそうになりますが、訳者あとがきなどにもあるように、日本でも大学の医学部入試であからさまな女性差別が発覚した直後とあって、日本も変わらないのだと改めて実感しました。いや、たぶん世界中、ほとんどの国でいまだに多くの女性が似たような状況に置かれているのではないでしょうか。

それにしても経済発展という裏付けがあってこそですが、韓国の女性を取り巻く状況が祖母・母・娘と三代を経ただけでこうも劇的に変わってしまうとは。そこへ持ってきての経済危機。女性が自立していくのと男性が自信を喪失するのとが好対照です。

で、あたしの感想なのですが、不幸にしてか幸いにしてなのか、あたしは結婚していませんので、妻の葛藤というものを知りませんし、理解のしようがありません。それでもチョン・デヒョン氏はかなり頑張っている、妻を理解しようと努力していると思います。にもかかわらず、妻があんなことになってしまうわけで、なんともいたたまれません。

いや、女性から見たら、デヒョン氏だってまだまだ努力が足りない、女性の気持ちが何もわかっていない、ということなのかも知れません。しかし、これまた幸か不幸か、あたしには妻どころか、これまでの人生で女性とお付き合いしたことがないので、恋人と呼べる存在すらいなかったので、男性が女性を思いやる、女性の身になって考える、思いを致すという経験がありません。これまであたしの理解を超えることです。

キム・ジヨンよりももっと苛酷な運命を生きた、生きている女性は大勢いるでしょうし、だからといって全員がジヨンのようになってしまうわけではありません。もっと快活な性格であればこうはならなかったのではないか、という気もしますが、そんな性格に育てられてしまう時代だったのでしょうか。そんな風に個人の性格、傾向に問題を矮小化してしまうのが一番よくないのでしょうが、一方で『』(晶文社)に出てくる力強く運命を切り開く女性を見ていると、同じ韓国女性でもずいぶんと違うものだと思います。

また、経済危機で弱ってしまう男性側については、同じく晶文社の『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』を併せて読むとよいのかも知れません。で、気づいたのですが、このダイアリーで取り上げた韓国文学3作品、翻訳はすべて齋藤真理子さんなんですね。