「どうしてこんなにぼくのこと知っているんですか?」って数え切れないほど聞かれたんだろうなあ

来年1月から全国公開予定の映画「ライ麦畑の反逆児」の試写会に行って来ました。

先に公開された「ライ麦畑で出会ったら」が、監督の若かりし頃の実話をベースとした作品であったのに対し、本作はサリンジャーの評伝を基にした映画です。つまり、サリンジャーが主人公の作品です。

物語は、自分の会社を継がせようと思っている父親、サリンジャーの文才を信じて応援してくれる母、そんな両親の元、大学で創作を学ぶサリンジャー。とにかく日々の不満、鬱憤を書きためて、文芸誌に持ち込んでは断わられ続けます。それでも諦めることなく、教授の叱咤激励を励みに書きつづけるのですが、第二世界大戦への参戦、ノルマンディー上陸作戦から続く激しい戦闘、生死の境を何度もくぐり抜け、次々に命を落とす戦友を間近で看取りながら、なんとか生き延びて帰還します。

「ニューヨーカー」との契約を結ぶものの、ようやく書き上げた『ライ麦畑でつかまえて』の大成功により、一躍時の人になります。しかし、世間の煩わしさを避けるための田舎に居を構えますが、それでも近所の高校生に裏切られ(高校の新聞の載せるためというインタビューが地元紙に掲載されてしまうと言う有名なエピソード)、ますます世間と距離をおくようになり、ついには書くものもなくなり、書きつづけはするものの出版はしなくなります。そんな若き日のサリンジャーの苦悩にスポットをあてた作品でした。

映画の公開の順序と内容的なことを考えると、個人的には「反逆児」を先に見て、その後に「出会ったら」を見た方が、時間の流れにも合うのでよいのではないかと感じました。

それにしても、自分の作品に対する自信、装丁や描き直しに対するこだわり。もし『ライ麦』がヒットしなかったら、単なる身の程知らずの若造で終わっていたかも知れませんよね。

ガサガサ、ゴソゴソ

週末のダイアリーで、最近のあたしの健康状態について書きましたが、もう一つ、このところ気になっていることがありました。

この二週間くらいのことなのですが、左耳の中でガサガサ、ゴソゴソと音がするのです。ずーっと音がしているのではないのですが、ちょっとした時にその音が響きます。

耳掃除しろよ、と言われそうですが、別に耳垢がたまっているわけではありませんし、傷か何かがあるような感じでもありません。だからこそ余計に気になります。

ネットで検索してみると、こういう症状の原因として、一つには耳垢が鼓膜にくっついてしまっている、というのがあるそうです。面貌などで耳掃除をした時に、却って耳垢を奥へ押し込んでしまって、そういう風になるそうです。

また、耳の穴ではなく、そこから延びている管に原因がある場合もあるそうで、いずれにせよ、あまりにもガサガサが続くようであれば耳鼻科に行った方がよさそうです。

ところで、先のダイアリーで首が痛むことについて書きましたが、似たような症状が大学生時代に起きました。ただ、その時は朝起きると首のところに瘤のようにポコンとした腫れが出来ていて、それが痛みました。そして夜にかけて腫れも治まり、また翌朝には腫れているという症状です。

この時は、首のところを通っている血管が詰まっていて流れが悪くなり、それで腫れているという診断で、手術をしてそのこんがらがっている血管を取ってもらいました。生まれて初めて、後にも先にもこれっきりの手術体験でした。

朝病院へ行き、うつぶせ寝の状態で首(後ろ側)のところだけの局部麻酔をされ、小一時間の手術でした。局部麻酔なので、医者がメスを入れる音などもしっかり聞こえますし、医者が学生(インターン?)や看護婦と話している声もバッチリ聞こえる中での手術でした。

術後の医者曰く、こんがらがった血管をすべて切除できてはいないかも知れないのでしばらく様子を見てください、とのこと。ただ幸いなことに、その後同じような腫れの症状は出ず、今に至っています。でも、今回のように首筋が痛むと、その時のことが思い出されます。

今日の配本(18/12/17)

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。