平凡社と仲良く!

ネットでバズっているということで、Uブックスの『黄泥街』と平凡社ライブラリーの『チェコSF短編小説集』を併せ買いしている人が多いようです。お互いにとって予期せぬ僥倖。中国の作品とチェコの作品なので、普通なら何の共通項も感じられないのですが、海外文学ファンの嗅覚には同じ匂いが感じられるのでしょうか?

 

そんな平凡社とはもう一つ、こんな併せ買いもお薦めです。

 

英語原典で読む経済学史』と『経済学者はこう考えてきた』の二冊です。どちらも著者は根井雅弘さん。

先日の日本経済新聞「活字の海で」で取り上げていただきましたので、既に両方とも買いました、という方もいらっしゃるかと思いますが、単行本と新書なので大きな本屋さんだと近くに並んでいることはあまりない二冊です。

前者の内容は

本書は、英語力を鍛えながら、経済学を学ぶという、大学の「原典講読」を書籍化したものである。アダム・スミスからリカード、ミル、そして限界革命とケインズ革命。英語原典で触れることで、読者は奥深い社会科学の森に足を踏み入れる。知的刺激を覚醒させる一冊。

という感じ、一方の後者は

マルクスの『資本論』は、資本主義崩壊の論理を解明し、ケインズの『雇用、利子および貨幣の一般理論』は、マクロの経済安定を図る「有効需要の原理」を確立した。制度化された現代の経済学教育では、こうした古典的な考えは重視されない。しかし今でも、経済危機が訪れるたびに過去に解を求めるのは、時代を画した優れた経済理論の根底には必ず、確たる思想があるからだろう。経済学の古典的名著から学ぶ意義は、現代においても、決して色あせることはない!

という内容。併読してみたくなる両書ではないでしょうか?

そして、この二組以外にも、まだまだいろいろ出来るのではないかと思案している今日この頃。

フランスの20年?

先のダイアリーで「坐忘を思い出す」と書きましたが、「坐忘というのは忘れることだから、思い出していけないのではなかったか」と、今さらながら思っています。

さて、近々、岩波新書から『フランス現代史』という新刊が出るそうです。岩波新書では、かつて同名の本が出ていたはずですが、著者を変え新しいものが刊行されるようです。同書は

1944年の解放から、「栄光の30年」、五月危機、石油危機、「ミッテランの実験」の挫折、新自由主義、そしてマクロン政権成立──フランスの戦後を通観すると、そこには「分裂と統合の弁証法」というダイナミックなメカニズムがみえてくる。欧州統合の動きにも着目しながら現代フランスの歩みをとらえる通史。

というのが内容紹介です。

フランスの現代史と言えば、昨年、ちくま新書から『フランス現代史 隠された記憶』というのが出ていますが、こちらは第一次世界大戦から残る戦争の記憶と言いますか、フランスの暗部を描いたもので、通史的なものではありませんでした。

 

今回の岩波新書は、いわゆる通史のようですから、基本的な知識を得るにはちょうどよいのではないかと期待しています。通史的なフランス現代史と言えば、中公新書で『フランス現代史』が出ていました。1998年刊行の書籍です。

パリ解放とドゴールの凱旋によって出発したフランスの戦後には疲弊した経済の立て直し、植民地解放運動への対処等課題が山積していた。とりわけアルジェリア紛争は国内分裂を招きかねない危機であった。これを乗り切ったドゴールの指導力も、五八年五月の学生反乱を契機とする変革の波には抗し切れなかった。高度産業社会は伝統的価値観も転換させたのである。英雄の時代からコアビタシオン(保革共存)へ向かうフランスの試行の足跡。

という内容のようです。ちょうど20年後の今年、岩波新書版は中公新書版に対し、どういう内容の追加があるのでしょうか? フランスのこの20年には何があったでしょう?

サッカーW杯におけるジダンの頭突き事件に端を発する移民問題、シャルリエブド事件やパリ同時テロ事件など、解決が難しい問題が山積のような気がします。

 

あたしの勤務先も『シャルリ・エブド事件を考える』『パリ同時テロ事件を考える』なんて本を出していますので、《フランス現代史を考える》なんてフェアが出来るかも知れませんね。

坐忘を思い出す

先日の、高橋源一郎さんと辻信一さんのトークイベント。

その中で「unlearn」という言葉が出て来ました。

ちょっとネットを検索してみると、「unlearn」という考え方、実践がそれなりに浸透しているようです。だるからこそ、トークの中でお二人が言及されたと思うのです。

で、その「unlearn」って何かということになると、一言では説明しにくい感じなのですが、トークを聞いていて思ったのは、中国古典に出てくる「坐忘」と同じなのではないか、同じとは言わないまでもかなり近いものではないか、という気がしました。『荘子』に出てくる、孔子と顔回とのエピソードです。

「unlearn」と「坐忘」を絡めて論じているものは寡聞にして知りませんが、非常に通じるものがあると感じるのはあたしだけでしょうか?

2018年11月29日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

ナンシー、裸体です

左の写真、モナリザはわかるけれど、いったい何の写真かわからないですよね?

正解は、あたしです。

と言われてみると、上の方には襟元が見えるし、下の方にはベルトも見える。つまり上半身というわけ。

しかし、このブラウンス、遠目には一体どんな柄なのかさっぱりわからないかも知れませんね。色合いも派手なのか、地味なのか……

こうしてみると、和柄っぽくも見えてきます。

というわけで正解は右の写真です。

これでわかりますか?

まだわからないでしょうか?

どうも西洋絵画のひとこまを繰り返しているだけのようです。

誰の、何という題の絵なのかはわかりません。裸体がやたらと目立ちます。ちょっと見覚えのあるようなところもありますね。

いったい何枚の絵が使われているのでしょう?

歴史を遡って考える

クリミア半島情勢がまたしても怪しくなってきました。

 

多くの日本人には「クリミア半島ってどこ?」という感じかも知れませんし、ましてやロシアがどうしてそこに拘るのか、理解できないところが多いのではないでしょうか?

そんな時、やはり歴史的経緯を振り返るのが一番の早道です。お薦めするのは『クリミア戦争(上)』『クリミア戦争(下)』の上下本です。

更に知りたい方には、『エカチェリーナ大帝(上)』『エカチェリーナ大帝(下)』などもあります。

ロシアとオスマン帝国の角逐については『オスマン帝国の崩壊』も参考になるかと思います。

ありえない?

今日になり、まだ痛みは残っているのですが、歩くのも辛かった昨日よりはかなりマシになりましたので、何があったのかをご報告。

日曜日の晩のこと、夕食も終え、居間に座ってテレビを見ておりました。椅子とかソファーではなく、カーペットの敷いてある床に正座だか胡座だか横座りだか、そんな風に座っていました。

ずっと座っていると足が痺れますし体勢も疲れてくるので、座ったまま足を組み替えようとした時に、変な風に足を動かしたのでしょうか、足首を捻挫してしまいました。

座ったまま足首を捻挫するなんて、ありえるのでしょうか?

と言われても、現にあたしは足首を痛めてしまったわけですから……

別に、それほど無茶な動きをしたわけではありません。横座りっぽい正座の足を少し動かした程度なのですが、足首をグキッとやってしまいました。

日曜の晩は、寝るには寝られましたが、足がジンジン痛んでたまらなかったです。ちょっと動かすと痛みましたし、足自身の重みが足首に負担をかけます。

昨日の月曜日、サロンパスを貼って、とりあえず数歩歩くのは問題ないのですが、それ以上歩くとやはりジワジワ痛みましたし、階段は辛かったです。

それでも午後からの外回りのころには、足首もだいぶよくなってきました。最初から腫れてはいなかったので、骨折をしたわけでもアキレス腱が切れたわけでもないので、とにかく安静が一番だったのだと思います。無理をせず、様子を見ながら歩いたのが幸いだったと思います。

で、今朝もまだ痛いことは痛いです。でも、昨日よりははるかに楽です。明日にはほぼ本復しているのではないかと勝手に期待しています。

今日の配本(18/11/27)

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向学のため? 営業のため? 販促のため?

販促と言いますか、営業活動に資するのではないかと思って、最近読んだ本をちょっとご紹介。

最近読んだ、ちくま新書の『「身体を売る彼女たち」の事情』の中に、なんと『ライ麦畑でつかまえて』が引かれているところがあります。

来年はサリンジャーの生誕百年なので、いつも以上に力を入れて販促をしていまして、書店によっては《サリンジャー》フェアなどを企画しているところもあります。そんなフェアの書目に、こちらを加えてみるのはどんなものでしょうか、などと思ってしまいました。

フェアの選書としてはおかしいかも知れませんが、『ライ麦』がどれほど後世に影響を与えたか、アメリカのみならず世界の社会と青少年に影響を与えたかという視点でフェアの選書を考えた時には、入っていてもよいのかな、なんて思います。

もう一点は中公新書の『美の構成学』です。ずいぶん前に出版されたものですが、来年、サリンジャーと同じく百周年を迎えるバウハウスの本を刊行予定なので、副題にバウハウスとある本書は必読ではないかと思ったわけです。

バウハウスがどうだということも一章割いていますが、バウハウスの位置づけ、後世への影響といった点に興味があって選んだ本です。

バウハウス以前にもそういった視点はあったようですが、体系的に位置づけたという意味でバウハウスの影響は計り知れないものがあるようです。

ところで、バウハウスについて読むと、どうしてもフランクフルト学派について思い出されます。ものすごくたどった運命が似ていると思うのですよね。同じヴァイマール時代ですし、「フランクフルト学派とバウハウス」で誰か書いていないものでしょうか?

今日の配本(18/11/26)

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1/2+1/2=2/4

TBSチャンネルで放送された「半神」を視聴。

萩尾望都原作なんですね。ということでコミック版と言いますか、原作の『半神』を読んでみましたが、これが非常に短い作品でした。これが約2時間の舞台になってしまうなんて……

舞台の出来などは、そういう方面はサッパリなので論評できませんが、とても引き込まれ、あっという間の2時間でした。

原作からしていろいろと考えさせる、一筋縄ではいかない作品でしたけど、舞台も同じように深く考えさせられます。ところどころ笑わせるポイントも含まれていましたが。

そして主役の二人、非常によかったです。あたしが乃木坂ファンということもありますが、桜井玲香が醜い役を見事に演じていましたし、前半の動きとセリフは圧巻でした。一方の藤間爽子の前半はセリフがなく、とにかくニコニコと誰からも愛される愛くるしさ全開で、こちらも非常に魅力的でした。この二人の鮮やかな対比が、後半の入れ替わりや運命の選択をより劇的にさせていたのではないかと思います。

ところで、そもそもの設定として、現在の医学なら二人を共に生かす方法というのは確立しているのでしょうか?