児童虐待ホラー?

この夏にWOWOWで放送されていた「こどもつかい」を視聴。

公開時には「あのタッキーがホラーに挑戦」といった感じで、ずいぶんと宣伝をしていたなあ、という記憶があります。で、本作ですが、一言で言いますと「これはホラーなのでしょうか」という感じの作品でした。むしろホラーに仕立てず、児童虐待のトラウマを抱えた大人の心の葛藤といった社会派の作品にした方がよかったのではないか、という気もしました。ただ、そうなるとタッキーは要らなくなるかもしれませんが……

もちろん、タッキー演じる「こどもつかい」はトラウマの生みだした幻影だという解釈も成り立つでしょうし、小説版ですと、もう少し細かい設定がいろいろとあるようです。

しかし、何よりも、子供を虐待する母親の鬼気迫る表情が何よりも一番怖かったです。本当に怖いのは人間なんだというのをまざまざと見せつけられました。

エンディングは続きがありそうな、パート2が作られそうな余韻を残していましたが、本作があまりヒットしなかったのでしょうか。その後、続編製作というニュースは入ってきませんね。

紙の時代の人間です

今朝の朝日新聞に全面広告が出ていました。

中国学を学ぶ者にとって必須の工具書、『大漢和辞典』がとうとうデジタル化されるそうです。

デジタル化と言っても、単体の電子辞書もあれば、一昔前ならCD-ROMなんていう形もありましたね。最近はそういったモノではなく、ネット利用というのがトレンドではないかと思います。

ただ『大漢和辞典』ほどのものですから単純にネット利用と言っても無料というわけにはいかないでしょう。あたし個人としては既存の有料会員制サイト「ジャパンナレッジ」での提供というのが妥当かなと思っていたのですが……

この広告にもありますように、USBメモリーの形での販売のようです。うーん、そういう方法もあったか、というのが正直な感想です。

考えてみますと、『大漢和辞典』って5万字以上の漢字が収録されているので、ネット利用ではたとえユニコードでも表示しきれない漢字が多すぎますね。となると、今回のUSBメモリーというのはユニコード外の漢字まで一緒に提供されるということでしょうね。

この広告だけでははっきりしませんが、このメモリーをUSB端子に差し込んで使うのですよね? PC本体にインストールするわけではないのでしょうか? とはいえ、USBメモリーの中味をまるまるPCにコピーすることは可能なのではないか、という気もしますが……

って、ゴチャゴチャ言っているわけですが、そういうあたしはこの『大漢和辞典』USBメモリーを買うのかと聞かれたら考えてしまいます。いや、考えるまでもなく「買いません」と答える可能性が大です。

 

だって、上の写真のよに『大漢和辞典』そのものを持っていますから! ちょうど大学生時代にこの新装版の刊行がスタートしたので毎月一巻ずつ、刊行のたびに買って揃えました。そのまま「語彙索引」と「補巻」も刊行時に買いました。ちなみに同じく大修館書店の『中国学芸大事典』もその当時購入しています(上掲写真右)。

当時はまだパソコンが普及し始めて間もない頃、Windowsは3.1の時代です。ネット環境なんて、今から考えたらほとんど止まっているに等しい速度のモデムで、NIFTYサーブを利用するのが関の山の時代です。パソコン通信を始めてしまうと回線を占領するので電話が使えなくなる、なんていう時代だったのです。

当然のことながら、旧字体などをたくさん使う中国古典においてパソコンはまだまだ「使えない」道具でした。論文やレポートもそれぞれが外字を作るしかないような時代、外字を作っている時間があったら手書きした方が早い、そんな状況だったのです。

ですから、辞典に限らず、書籍が電子で提供されるなんて、予想や想像はしてもまるで実感の伴わないものでした。

そんな時代に購入した工具書の一つが上の写真、『漢語大字典』です。中国大陸で刊行された大型の単漢字の辞典(字典)です。

そして、ほぼ時を同じくして中国大陸で刊行されたのが左の写真、『漢語大詞典』です。

こちらは「字」ではなく「詞」なので単漢字ではなく熟語、単語を収めたものです。

どちらも印象としては漢字の祖国の威信をかけ、『大漢和辞典』を上回る漢字の辞典を作ろうという意欲が見られました。ただし、古代の写本などを漁っていけば異体字はゴロゴロしていて、その中には単純な書き間違いもあるだろうに、そんなものまで異体字として収録して収録字数を競うのはあまり意味のあることだとは思えませんね。

とはいえ、やはり中国学を学ぶ者の端くれとして、こういった工具書が出ると買ってしまっていたわけです。ちなみに、この『漢語大字典』『漢語大詞典』はとうの昔にCD-ROMだったかDVD-ROMの形での販売が始まっていたのではないかと思います。電子化に関しては『大漢和辞典』に買ったと言えるかも知れません(笑)。

こうしてみますと、やはりあたしは、今でこそこうして日常的にパソコンを利用していますが、基本は「紙の時代」の人間なのだと思います。

2018年9月9日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

メディアミックス?

朝日新聞夕刊の映画情報欄。

映画「寝ても覚めても」が紹介されていました。

原作はもちろん柴崎友香さん、河出文庫の『寝ても覚めても』です。いま、この文庫本を読み始めたところです。

恋愛小説ですよね? このところ、ガイブンばかり読んでいたので、日本人作家の作品は久しぶりで、やはりガイブンとはリズムが違うなあと感じます。

いや、ガイブンを「ガイブン」と一括りにしてはいけないのでしょうし、ラテンだとか英米だとか、アジア文学だという分け方も、多少なりともいくつか作品を読んでみれば作家によって書きぶりがかなり異なるのを感じますから、地域や国で一括りにできるほど単純なものではありません。更に言えば、同じ作家でも書いた時期や作品のテーマによってもガラリと作風が変わる人もいますので、これまた一筋縄ではいきません。

と、話がずれてしまいましたが、あまり映画になって話題になっているからといって、その原作本を読んだりはしないのですが、今回は原作が柴崎さんなので、それにどうもベタな恋愛もののようなのでちょっぴり惹かれるところがあって読み始めた次第。

たぶん、映画は見に行かずに終わってしまうのではないかと……

いや、WOWOWで放映されたら見ると思いますが、っていう言い種は、「本は買わない。図書館で借ります」と言っているのと同じことでしょうか?

しかし、あたしって、この歳になっても恋愛ができるのだろうかと、真剣に考えることがあります。いや、そもそも生まれてこの方一度も恋愛をしたことがないので、アプリオリに非恋愛体質なのではないかという気がするのです。

美味!

岡山の知人に送ってもらいました。

シャインマスカットです。

皮ごと食べられて種もなく、食べやすいのはもちろんですが、やはり本場のものは美味しいです。

それなりに粒が大きいので、一房でもかなり食べでがあります。

それにしても、あたしのレタッチ技術はだめですね(涙)。

この写真では空豆か枝豆のように見えてしまって、実際のシャインマスカットの瑞々しさ、美味しさが伝わらない感じがします。もちろんPCの機種や環境、そしてモニターによって見え方、色合いは変わるのでしょう。ただ少なくとも、あたしのPCでは思ったような色合いが出ていません。

とりあえず、スマホで撮ったままではダメで、レタッチソフトで修正をしなければいけないわけですが、そのあたりのスキル、あたしは全く不十分で、うまいことできません。

ただ、何度も言うように、ブドウはとても美味しいのです。

今日は『初代「君が代」』の日!

本日、9月8日は、初代「君が代」が初めて演奏された日なんだそうです。

えーっ、君が代って、オリンピックの時に金メダルを取ったら流れるあれじゃないの? という意見をお持ちの方も多いと思いますし、あたしもそれ以前に別の「君が代」があったなんて知りませんでした。

もちろん国歌ですから、政府に委託された作曲家が作ってそのまま採用ということはないでしょう。たぶん元老とか明治天皇とか、政府内のいろいろな人に試聴してもらい、ああでもない、こうでもないと侃々諤々の議論、修正に継ぐ修正を経て出来上がったものだろうと思っていました。

しかし、経緯はずいぶんと異なったようですね。とりあえず突貫工事で作られたような印象です。初代「君が代」については海上自衛隊東京音楽隊のサイトにも

明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン (John William Fenton, 1831-1890) の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。

書かれていますから、今日が初演の日というのは間違いのないところでしょう。

というわけで、本日は『初代「君が代」』をご案内いたします。

本書はウェブサイトによると

明治初期、来日した英国王子を前に演奏され、わずか数年で使命を終えた初の国歌。薩摩藩軍楽隊を中心に、その制定の経緯と謎に迫る。今の「君が代」の前に、もうひとつの「君が代」があった。そしてその初代「君が代」は、イギリス人フェントンが作曲した、今とはまったく異なるメロディーのものだった。…(中略)…明治3年9月8日、薩摩藩軍楽伝習生30余名は、豪雨のなか、越中島の調練場にいた。そしてこの日は、薩摩、長州、土佐3藩の兵に対する天覧調練、いわゆる「観兵式」が行われ、そこで明治天皇の御前で、この「君が代」が演奏された。この曲は、どういういきさつで作られたものだったのか。そもそも「国歌」という概念すらなかった時代、新政府は誰に命じ、誰が形を整えていったのか。横浜、鹿児島、函館、上越……薩摩藩軍楽隊や通史から国歌誕生の謎を探る、力作歴史秘話。

という内容の力作です。この機会に是非どうぞ。

あえて文庫を買うとき

日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した『台湾生まれ 日本語育ち』が白水Uブックスになります。写真は、左が単行本、右がUブックス版です。

単行本からUブックスへというのは、他の出版社でいうところの文庫化のようなものです。

ところで、単行本を買った人は文庫本も買うのでしょうか?

好きな作家の作品なら、単行本も文庫本も両方買う、というファンの方は多いようです。ファン心理としては装丁もきれいな単行本を買うというのが大前提のような印象を受けます。

それに対して廉価な文庫本は、その作家のファンではないけど評判になっているからちょっと読んでみようと思って、という方が買われるのではないでしょうか。ですから購買層の間口が広くなる傾向があります。時には本屋の店頭で装丁に惹かれてジャケ買いする人もいますが、装丁に惹かれるのは文庫本ではなく、圧倒的に単行本の方が多いと思いますので、単行本ではそういう売れ方もままあるでしょう。

その他、好きになったとき、気づいたときには単行本は品切れとなっていて、文庫本しか手に入らなかった、ということも昨今の出版事情では大いにありえます。昨日このダイアイーに書いた新潮社のクレストブックスも新潮文庫にならずに品切れのまま、という作品は意外と多かったです。

さて、あたしの場合ですが、上述したように好きな作家の場合は単行本を買います。専門書になると文庫化というのは滅多にないことなので単行本で買うしかありませんが、最近はかつての名著が講談社の学術文庫やちくま学芸文庫になったりして入手可能になる場合がありますので油断はできません。

で、単行本を既に持っているものが文庫化されたときに文庫も買うか否かです。

これには、一つ規準というか、ごくごく緩いルールみたいなものがあたしの中にありまして、単行本とまるまる同じ内容ならば買わないけれど、増補があったり、文庫本のみの解説が付いていたりすると購入率が格段に上がります。いや、中国関連のものであれば単行本を持っていても文庫のおまけ(増補や解説)があればまず間違いなく買います。(ただし、著者自身による1ページにも満たない「文庫版ためのあとがき」のようなものは論外です……汗)

というわけで『台湾生まれ 日本語育ち』ですが、今回のUブックス版に3編の追加があります。それだけあれば単行本を持っていても更にUブックス版を買おうという動機になると思うのですが如何でしょう?

中国とアフリカ

今朝の朝日新聞の社説です。

中国とアフリカに関する論評が載っていました。

このところ中国のアフリカ進出が日本のメディアでも取り上げられるようになり、「日本は出遅れている」とか、「中国のやっていることは新たな植民地主義だ」といった主張が目立ちます。

と言うよりも、中国とアフリカで話題になることはそればっか、と言った方が正確かもしれません。

しかし、国営企業と一緒にアフリカへ渡って働く中国人だけでなく、アフリカに住み着いている中国人が多数存在することをご存じでしょうか?

そんなアフリカで一旗揚げようと海を渡った中国人に迫ったのが『中国第二の大陸 アフリカ 一〇〇万の移民が築く新たな帝国』です。

本書は、カラオケバーを経営する売春宿の女将から銅山開発に成功した起業家に至るまで、中国移民が追い求める「アフリカン・ドリーム」の実像を、サハラ以南10カ国を巡って詳細に描いたルポである。著者は中ア双方で『ニューヨーク・タイムズ』の支局長を務めたベテラン・ジャーナリスト。両者に渦巻く野望、欲得ずくの協力・依存関係、蔓延する腐敗と偏見――「ビジネス」という視点だけでは見えてこない人びとの日常の姿を通して、アフリカで急速に存在感を増す中国の「人としての顔」を浮かび上がらせる。そこに新植民地主義の影を見ることもできるが、同時に、経済的、文化的相互交流が盛んな新世界を展望することも可能だ。本書は中国とアフリカの関係を新たな視点で見直し、歴史地図に位置づける試みである。『ニューヨーク・タイムズ』ほか有力紙誌が絶賛。

という内容紹介にもあるように、数多ある「中国アフリカ」本とは一線を画す内容です。彼らの生き様を見ていると、「親方五星紅旗」でアフリカを搾取する中国国営企業とは異なった一面が見えてきます。そして、あたしが感じたのは、中国大陸にいようがアフリカ大陸にいようが、庶民は生きることに懸命なんだということです。

中国大陸ではもう夢を描けなくなったらアフリカへ渡った彼らは、果たして夢をつかめるのでしょうか?

2018年9月7日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

海外でも大活躍!

朝日新聞、昨日の夕刊です。

北海道の地震のニュースが紙面の大半を占めるなか、芸術関係のニュースに見覚えのある名前が……

チェルフィッチュの岡田利規さんの記事です。

いまや海外でも大活躍の岡田さんですね。

というわけで、あたしの勤務先から出ている岡田さんの本ということで『エンジョイ・アワー・フリータイム』と『三月の5日間』をご紹介。

  

『三月の5日間』は、上の写真ではあえてオリジナル版を並べてみましたが、現在書店でお求めいただけるのは『三月の5日間[リクリエイテッド版]』になります。

アジアの上と下

たまたま同時に読んでいた本です。

左は寝しなに寝床で読んでいた『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』、右は通勤電車の中や営業回りの移動中に読んでいた『世界に広がる日本の職人 アジアでうけるサービス』です。

前者は中国・上海の出稼ぎ労働者のルポで、上海人をはじめとした昨今の富裕層には見向きもされない、中国社会の最底辺に近いところで生きる人々の生き様を追ったルポです。

後者は、バンコクやシンガポール、台北などで働く日本人の職人(寿司職人、美容師、バーテンダー、日本語教師など)をレポートしたものです。

後者を読んでいると、そういった日本の職人技が商売として成り立つほど、現地には富裕層が増えてきているということがわかります。そういう人たちが多くなったからこそ、平均からすればかなり高い金額になる日本人職人のサービスがビジネスとして成り立っているわけです。

前者の舞台は中国大陸で、後者のそれはアジア各国と、やや異なります。しかし、中国大陸でも富裕層が増えていることはアジア各国と変わりなく、こういった日本人職人の活躍の余地は大いにあると思いますし、本書で取り上げていないだけで既に多くの職人が活躍していることでしょう。

その一方で、前者に見られるような庶民たち。いや、上海人や富裕層から見れば庶民にもカウントされていない人々。この懸隔、絶望すら起こさせないほどの差ではないでしょうか? もはや格差という言葉では表現しきれないほどです。前者の中で、出稼ぎ労働者たちは富裕層を羨んでいないと書かれています。そもそも彼ら自身が比較しようとか、その格差を乗り越えようと思ってなくて、乗り越えられるとも思っていないようです。

両書をたまたま一緒の時期に読んでいて、そんなことをあれこれ思いました。

2018年9月6日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー