メディアミックス?

朝日新聞夕刊の映画情報欄。

映画「寝ても覚めても」が紹介されていました。

原作はもちろん柴崎友香さん、河出文庫の『寝ても覚めても』です。いま、この文庫本を読み始めたところです。

恋愛小説ですよね? このところ、ガイブンばかり読んでいたので、日本人作家の作品は久しぶりで、やはりガイブンとはリズムが違うなあと感じます。

いや、ガイブンを「ガイブン」と一括りにしてはいけないのでしょうし、ラテンだとか英米だとか、アジア文学だという分け方も、多少なりともいくつか作品を読んでみれば作家によって書きぶりがかなり異なるのを感じますから、地域や国で一括りにできるほど単純なものではありません。更に言えば、同じ作家でも書いた時期や作品のテーマによってもガラリと作風が変わる人もいますので、これまた一筋縄ではいきません。

と、話がずれてしまいましたが、あまり映画になって話題になっているからといって、その原作本を読んだりはしないのですが、今回は原作が柴崎さんなので、それにどうもベタな恋愛もののようなのでちょっぴり惹かれるところがあって読み始めた次第。

たぶん、映画は見に行かずに終わってしまうのではないかと……

いや、WOWOWで放映されたら見ると思いますが、っていう言い種は、「本は買わない。図書館で借ります」と言っているのと同じことでしょうか?

しかし、あたしって、この歳になっても恋愛ができるのだろうかと、真剣に考えることがあります。いや、そもそも生まれてこの方一度も恋愛をしたことがないので、アプリオリに非恋愛体質なのではないかという気がするのです。

美味!

岡山の知人に送ってもらいました。

シャインマスカットです。

皮ごと食べられて種もなく、食べやすいのはもちろんですが、やはり本場のものは美味しいです。

それなりに粒が大きいので、一房でもかなり食べでがあります。

それにしても、あたしのレタッチ技術はだめですね(涙)。

この写真では空豆か枝豆のように見えてしまって、実際のシャインマスカットの瑞々しさ、美味しさが伝わらない感じがします。もちろんPCの機種や環境、そしてモニターによって見え方、色合いは変わるのでしょう。ただ少なくとも、あたしのPCでは思ったような色合いが出ていません。

とりあえず、スマホで撮ったままではダメで、レタッチソフトで修正をしなければいけないわけですが、そのあたりのスキル、あたしは全く不十分で、うまいことできません。

ただ、何度も言うように、ブドウはとても美味しいのです。

今日は『初代「君が代」』の日!

本日、9月8日は、初代「君が代」が初めて演奏された日なんだそうです。

えーっ、君が代って、オリンピックの時に金メダルを取ったら流れるあれじゃないの? という意見をお持ちの方も多いと思いますし、あたしもそれ以前に別の「君が代」があったなんて知りませんでした。

もちろん国歌ですから、政府に委託された作曲家が作ってそのまま採用ということはないでしょう。たぶん元老とか明治天皇とか、政府内のいろいろな人に試聴してもらい、ああでもない、こうでもないと侃々諤々の議論、修正に継ぐ修正を経て出来上がったものだろうと思っていました。

しかし、経緯はずいぶんと異なったようですね。とりあえず突貫工事で作られたような印象です。初代「君が代」については海上自衛隊東京音楽隊のサイトにも

明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン (John William Fenton, 1831-1890) の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。

書かれていますから、今日が初演の日というのは間違いのないところでしょう。

というわけで、本日は『初代「君が代」』をご案内いたします。

本書はウェブサイトによると

明治初期、来日した英国王子を前に演奏され、わずか数年で使命を終えた初の国歌。薩摩藩軍楽隊を中心に、その制定の経緯と謎に迫る。今の「君が代」の前に、もうひとつの「君が代」があった。そしてその初代「君が代」は、イギリス人フェントンが作曲した、今とはまったく異なるメロディーのものだった。…(中略)…明治3年9月8日、薩摩藩軍楽伝習生30余名は、豪雨のなか、越中島の調練場にいた。そしてこの日は、薩摩、長州、土佐3藩の兵に対する天覧調練、いわゆる「観兵式」が行われ、そこで明治天皇の御前で、この「君が代」が演奏された。この曲は、どういういきさつで作られたものだったのか。そもそも「国歌」という概念すらなかった時代、新政府は誰に命じ、誰が形を整えていったのか。横浜、鹿児島、函館、上越……薩摩藩軍楽隊や通史から国歌誕生の謎を探る、力作歴史秘話。

という内容の力作です。この機会に是非どうぞ。