子供がいたから孤独になったのか?

下北沢のB&Bでのイベントの感想をメモ的に。

川本三郎さんが対談相手でしたので、昨日とは打って変わり、いろいろと王聡威さんから聞き出してくださるような展開。

もしこの事件をノンフィクション作品としていたら、死んでいった主人公と子供の声を聞くことはできなかったわけで、小説というかたちを選んだからこそ、母親と娘(大阪の事件では母親と息子)の声を聞くことができたのかもしれない。

主人公は家庭を持ったがために、そして子供ができたから、余計に孤独を感じしてしまったのだろうか? 確かに、産後の鬱というのは最近よく聞く言葉でもあり、昼間子供と二人っきりで、ストレスなどの発散場所のない母親が悶々として、結局育児放棄になったり虐待に走ったりというニュースもしばしば耳にします。

後味の悪い作品と思ってもらえれば、作者としては作品が成功した証だとのこと。

特別快速に乗りたいという気持ちは理解できますが……

東京の大動脈、中央線の話です。でも、たぶん、他の路線でも同じようなことはあると思います。

何が言いたいかと言いますと、特別快速の話です。

中央線は並行して走る総武線が各駅停車なので、基本は「快速」という位置付けになっています。しかし、中央線を利用している人なら誰もが思っているように、快速運転をしているのは東京から中野までの区間で、中野以西は各駅停車になります。

中野から先、終点の高尾まではまだまだかなりの距離があります。これを各駅運転するのに「快速」を名乗るのはどうなのよ、と沿線住民は多くの人が思っているはずです。いや、各駅停車もないと困るのはわかります。あたしが言いたいのは、そして多くの方に同意していただけると思うのは、中野から各駅停車になるのではなく、せめて三鷹までは快速運転にならないか、ということです。なぜなから三鷹までは総武線が並行して走っているので、中央線を各駅停車させる必要がないからです。

いや、朝のラッシュ時は中央線と総武線の両方で捌かないと混雑は緩和されない、という意見があるかもしれませんが、中野・三鷹間の乗客は意外と多くの人が中央線に乗ろうとするのです。新宿や御茶の水方面に少しでも早く着きたいからなのでしょう。だからこそ、朝のラッシュ時だけでも三鷹から新宿まですべて通過にしたら、総武線に乗客が分散され、中央線の混雑が緩和されるのと思うのです。

で、話がそれました。特別快速の話です。

そんな快速とは名ばかりの中央線快速に対し、特別快速は、上りの場合、立川を出ると国分寺、三鷹、中野にしか停まらず、あとは快速と同じく新宿、四ッ谷、御茶の水、神田、東京と停車します。立川から東京までですと快速とは所要時間に多少の差ができます。ですから、皆さん、特別快速に乗ろうとするのはわかります。

でもですね、この季節、旅行に行くために東京駅まで向かう家族連れ、特に小さい子供やお年寄りと一緒の家族の方々、わざわざ混雑している特別快速に乗らなくてもいいじゃないですか! 子どもや赤ん坊が混雑して苦しい車内で可愛そうですし、お年寄りだって席に座れません。

無理は言いません、快速に乗って行けばいいじゃないですか。そりゃ、快速だって中央線のことですからガラガラってほど空いているわけではありません。それでも特別快速よりは空いていますし、座れる可能性も高まります。東京駅へ着く時間が遅くなるって言ったって、家を出るのを少し早くすれば済む話です。どうして、快速に乗らないのでしょう?

あたしなど、先日も姪っ子たちを連れて出かける時、国分寺や三鷹で特別快速に乗れたとしても、空いている快速で行くことが多いです。特に座席に座れた時などはあえて立ってまで特快に乗る必要を感じません。着くのが少し遅くなると言っても、何十分も違うわけではなく、せいぜい数分ですから。

そんなことをこの季節は考え、思いながら中央線に乗っています。

やはり不可解

昨日は、虎ノ門の台湾文化センターで『ここにいる』の原作者・王聡威さんのトークイベントでした。書籍の会場販売に行って来ました。ちなみに本日午後にも、下北沢のB&B川本三郎さんとのトークイベントがありますので、お時間がある方はどうぞ。午後3時からです。

さて、昨日のイベントは訳者の倉本さんが最初に王聡威さんと『ここにいる』を中心とした王聡威さんの作品の解説をされ、その後約1時間、王聡威さんがお話をされるという流れでした。

まず王聡威さんについては、作品ごとに作風を変え、『聯合文学』の編集長として雑誌を刷新するなど、常に新しいことに取り組んでいる方でした。今回の『ここにいる』も全編、主人公とその周辺人物の独白(証言?)のみで成り立っている作品で、納得できるような客観的事実は提示されません。すべて発言者の思い(思い込み? 偏見?)であって、真相は藪の中という印象です。

ただ、考えてみますと、王聡威さんが着想を得たという大阪の母子餓死事件もネットで検索する限り、結局親子が餓死しなければならなかった状況にどうして至ってしまったのか、わからずじまいです。続報も見つかりません。SNSの発達した現代社会は、他人から縁を切られるのではなく自分から縁を絶ってしまうことも多いようで、そうなると第三者からは接触のしようもなくなるのかもしれません。

  

大阪の事件、現在の台湾も他人事ではないようです。王聡威さんが講演の中でNHKの番組に触れていました。どうもNHKスペシャルの「無縁社会」シリーズを指しているようです。台湾でもこういう問題が増えているのでしょう。台湾は昔からのしがらみが一方で日本以上に残っていそうなので、孤独もより深刻なものになってしまうのでしょうか。

で、結論と言いますか、感想としては、王聡威さんの他の作品も読んでみたい、ということです。あと、日本ではまだ刊行されて間もないですが、台湾では本作の感想、男性読者と女性読者とでは異なる傾向があるのか、そんなところが気になりました。