実際に動くと印象はずいぶんと変わるのでしょうから、これだけで判断するのはできないと思います!

けやき坂46(「欅坂46」ではありません)のメンバーが人気ゲーム(?)である「マギアレコード」の舞台化に挑むという件、各メンバーの舞台衣装姿が公開になりました。ゲーム、アニメなど原作のファンからはさまざまな意見が寄せられているようです。

とはいえ、その意見、アイドルファンとアニメファン、ゲームファンはファン層が重なっていないようなので、非難や批判、あるいは罵詈雑言めいたものが多いようです。そもそもが二次元のキャラを生身の人間が演じるわけですから、誰がやったとしてある程度の非難がついて回るのは致し方ないところだと思います。まあ、非難と言うよりは、ガッカリ感と言った方が正しいのかも知れませんが。

と言うわけで、ネットで公開されている画像を並べ、それぞれのキャラを比べてみました。

 

 

 

 

 

いかがでしょう? まず気づくのは、アニメは顔の輪郭がほぼ丸に近いですが、たいていの人間の顔は縦長です。ですから、ヘアスタイルをどういじったって違和感はアリアリなのです。もっと丸顔、あるいはハンバーグ顔の子が演じれば違和感も多少は緩和されるのかもしれませんが。

しかし舞台は実際には動きがあります。表情もあります。演技によっていつの間にか作品世界に引き込まれ、気づいたら違和感なんか感じずに楽しんでしまっている可能性も大です。それが舞台の魅力だと思います。

ちなみに、けやき坂46の各メンバーの通常の写真は、公式ウェブサイトへのリンクを以下に貼っておきますので、この舞台衣装、メイクの写真と見比べてみるのも楽しいと思います。えっ、こんな子だったのという驚きがあると思います。

柿崎芽実佐々木美玲富田鈴花潮紗理菜渡邉美穂丹生明里河田陽菜齊藤京子金村美玖加藤史帆

あたしに言わせれば、これらのアー写ですら、テレビ番組で見る、動きのある彼女たちとはずいぶんと印象が違っていたりしますし、ブログなどに載っているキメ顔や素の表情とも異なります。そうなると、どれが正解なのかわからなくなります。ちなみに、原作ファンの間でも齊藤京子だけは再現度が高いと評価が高いそうです。

とりあえず、あたしの場合、この原作マギアレコードをほぼ全く知らないので非難したりする気はまるで起きませんが、どうせ舞台をやるのであれば、先日CSでも放送されていた「あゆみ」のようなものをもっとやればよいのにと思うくらいです。

さて、舞台の初日も迫っているようで、どんな評価、評判が得られるのでしょう。

もうすぐ防災の日

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都市で農業をすること

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

都市農地、シェアで生かす 「自分の手で野菜を」ニーズ高く

日本でもようやく都市で農業をやることの重要性に対する認識が高まってきたのでしょうか?

あたしの勤務先が『シティ・ファーマー 世界の都市で始まる食料自給革命』を刊行したのは2014年ですから、日本はかなり遅れているのか、それともそこそこよい位置にいるのか、どうなのでしょう?

いずれにせよ、都市で農業ということであれば本書は必読文献の一冊だと思いますので、興味のある方は是非お手に取ってみてください。

朝日新聞の夕刊には岸田賞受賞作家さんの記事が載ることが多いです。

昨日の朝日新聞夕刊です。

ヨーロッパ企画の記事が載っていました。

ヨーロッパ企画と言えば、あたしの勤務先では第61回の岸田戯曲賞を受賞した『来てけつかるべき新世界』です。

戯曲ではありますが、最近の戯曲作品って、ふつうに小説として読んでも読めるような面白い作品が多いです。開いてみて「あっ、戯曲か」と思わずに、ちょっと読んでみてはいかがでしょうか?

ハードボイルドな?

 

上の写真左は新刊『風の演劇 評伝別役実』です。

別役さん、いつごろの写真でしょう? タバコを咥えてたたずむ、昨今はタバコへの規制が厳しく、テレビでのタバコのCMはほとんど放送できませんが、書籍に関してはそういった規制もなく、こんな風な装丁も可能です。

そして、カバーをめくると右側の写真、やはりタバコを咥えた別役さんです。なかなかカバーを外して表紙まで見る方は少ないと思いますが、本書の場合は是非こちらもご覧いただきたいものです。

ところで蜷川幸雄さんもそうでしたが、演劇人にはタバコが好きな方が特に多いのでしょうか? それともそういう時代だったのでしょうかね? 考えてみれば、高度成長期の頃はどこででもタバコを吸えましたし、大人の男性なら誰だって吸っていたような印象があります。

やはり時代なのでしょう。

そういえば、Uブックスの『電信柱のある宇宙』って、現在品切れなんでしたね。

勝手に「終戦の日」特集?

毎年やってくるこの日。

中学の時の教師だったか、高校の時の教師だったかが授業の時につぶやいた「8月15日を敗戦の日と言わず終戦の日と呼ぶのはどうなのか」という問い。いまも時々考えることがあります。

それはともかく、そんな日なので、先の大戦のきっかけとなった歴史を題材とした書籍をご紹介。

  

満州某重大事件を扱った『張作霖 爆殺への軌跡一八七五‐一九二八』、真珠湾攻撃を扱った『パール・ハーバー(上)』『パール・ハーバー(下)』の3冊です。

  

そして大戦のすべてを網羅した大著『第二次世界大戦1939-45(上)』『第二次世界大戦1939-45(中)』『第二次世界大戦1939-45(下)』の3冊です。

冬将軍がまだ来ていませんでしたね

先程のダイアリーですが、「リサとガスパール」に紙幅を割きすぎてしまい、本来書くはずだった『冬将軍が来た夏』について触れていませんでした。

本作は台湾の作家・甘耀明の作品で、、甘耀明と言えば、あたしの勤務先から『神秘列車』や『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』が刊行されている台湾の注目作家の一人です。

  

そんな『冬将軍が来た夏』ですが、ウェブサイトの内容紹介には

レイプ事件で深く傷ついた私のもとに、突然あらわれた終活中の祖母と5人の老女。台中を舞台に繰り広げられる、ひと夏の愛と再生の物語。

とあります。書籍のオビには高樹のぶ子さんが

虐げられたり権力の犠牲になったり、あるいは性的マイノリティとして差別されたりしながら、けれど激しく生き生きと生きて死んでいく女たちの鮮やかさは、淡々としていながら圧倒的だ。

という言葉を寄せてくれています。ここだけを読むと、傷ついた女性が祖母たちの助けで立ち直って、再び希望を抱いて未来へ向かって生きていくようになるまでの過程を描いた感動作のような印象を受けます。

いえ、確かに大きなストーリーはそれで合っていますが、読み終わった印象はまるで違います。確かに前半で主人公の女性が勤務先の男性にレイプされて仕事も辞め、深く傷つきます。そこへ長いこと離れて暮らしていた祖母が現われるのも確かです。しかし、ここから先の展開は内容紹介などに書いてある文章から想像されるような感動もの、お涙頂戴ものとはちょっと異なります。

もしかして、あたしが内容紹介からそんなストーリーを勝手にイメージしていただけだったのでしょうか? 確かに主人公は傷つきますし、レイプ犯に対する復讐というのもこの作品のストーリーの軸ではあるのですが、作品自体に漂う雰囲気と言いますか空気感は『鬼殺し』のスペクタクル感に近いものを感じました。涙を流している暇などないほどの、祖母を始めとした老女グループの活躍が光ります。老女グループよりも、むしろ老女一味、老女一派と呼んだ方がよいくらいのバイタリティあふれる一団です。

「冬将軍」には辞書的にはいくつかの解釈があるのでしょうが、本作ではドイツ軍の侵攻を受けたモスクワで、孫のために薬草を採りに出かけた祖父がドイツ兵に捕まり、雪の中三日間立ちっぱなしで微動だにしなかったためドイツ兵が「こいつは噂の冬将軍だ」と恐れて撤退したという故事によっています。つまり、レイプされ傷ついた孫娘を助けるために現われて体を張った祖母が「冬将軍」であり、この物語はそんな祖母と過ごしたひと夏の物語なわけです。

しかし、祖母の助け方、体の張り方は尋常ではありません。確かに雪の中で三日間も立ち尽くすのも尋常ではありませんが、この祖母の行動も負けず劣らずです。本書の装丁や惹句などを見ていると、そういった冒険活劇的な部分、血湧き肉躍る躍動感といった要素がやや足りないんじゃないか、という気もします。

上掲のように、中国書籍専門店・東方書店のTwitterに原書の書影が紹介されていますが、原書も静かなイメージに仕上がっているのですね。あたしの勤務先の装丁などはそれを踏襲しているようです。

あたしは上述のように感じましたが、これもどちらが正しいのだという問題ではないと思います。ただ、こういうイメージもあるということを知っていただければ、「お涙頂戴の感動作なら読む気はしないけど、躍動感あふれる作品なら読んでみようかな」という人もいるのではないかと思って書いた次第です。

あたしの書いたこんな一文がミスリードにならないことを願っています。

タイトルは重要、オビの惹句だって大切!

日本でも有名な絵本「リサとガスパール」、あたしは読んだことはありません(汗)。あたしが幼少の頃にはまだ日本に紹介されていなかったのかも知れません。なので、どっちがリサで、どっちがガスパールなのかもわかりません(爆)。いや、わからないと言えば、ガチャピンとムックも、ほとんど見ていないのでどっちがガチャピンでどっちがムックなのか、実は理解できていなかったりします。

それはさておき、この「リサとガスパール」はオリジナルだと「Gaspard et Lisa」、つまり、「ガスパールとリサ」というタイトルだったそうです。勤務先の同僚に教えてもらいました。

いやー、そうなると、どうして日本に紹介したときに「ガスパールとリサ」ではなく、「リサとガスパール」というタイトルにしたのでしょう?

確かに、いま改めて耳にすると、慣れの問題も大きいとは思いますが、「ガスパールとリサ」よりも「リサとガスパール」の方が語呂がよいと感じます。もし最初から「ガスパールとリサ」で発売していたらここまで有名になっていたでしょうか? そんなことも考えてしまうと、ネーミングって大事だなと思います。

で、9月に刊行予定の『ヒトラーとドラッグ 第三帝国における薬物依存』です。

これは原書のタイトルが「ヒトラーとドラッグ」だというのではありませんが、ふと思ったのです、「ヒトラーとドラッグというタイトルで受ける印象と、ドラッグとヒトラーというタイトルで受ける印象に違いはあるか」と。もちろん、どちらも同じだよ、と感じる人も大勢いるでしょう。しかし、あたしはかなり印象が異なるのではないかなあと感じたのです。

どちらが正解なのかはわかりません。同じ本に二つのタイトルをつけて、いかにも別の本のように刊行するなんてできませんので実験してみることも無理です。ただ考えてみますと、単行本が数年後に文庫化されるときに改題することってしばしばありますが、あれってもしかすると「単行本の時にこっちのタイトルをつけていればもっと売れたのに」という後悔や反省が少しだけ混じっているのでしょうか?

《ニューエクスプレス》の出番です?

朝日新聞の夕刊です。

観光客ではない外国人が周囲に増えていることは実感します。誰もが感じるのは日々利用するコンビニではないでしょうか?

ほとんどが外国人ですよね。それも最近は、名札を見る限り、中国人ではなく、ベトナムやタイなどの人っぽいカタカナが書かれているのに気づきます。

それはともかく、そんな風に今の日本はふつうに暮らしている外国の方がとにかく増えているわけで、留学生だけでなく家族で暮らしている人たちも多いようです。

となると、その子供は当たり前のように地元の小中学校に通っていたりします。両親が外国の方ですと、やはり子供も日本語に難があるのは仕方ないところです。いずれ、あっという間にネイティブのような日本語を喋るようになるのでしょうけど……

で、最近聞かれるのは、小学校や中学校の現場で英語以外の語学の需要が高まっているということです。別にカリキュラムとして中国語やベトナム語の授業が行なわれるというのではないようです。自分の暮らすにベトナムの子がいるので、せめて挨拶など簡単な会話くらいはそのこの母語で話したい、という先生側のニーズです。

もちろん、そのこの両親が学校に来たときにも、ちょっとした会話くらいできた方が意思疎通もよくなるし、お互いの交流という意味でも重要だと思います。

で、手頃な語学の入門書として《ニューエクスプレス》はいかがでしょう? CDも付いていますから音声も学べますし、一通りの初級文法は網羅するような構成になっています。40か国語以上刊行されていますので、日本で暮らす外国の方の母語の過半はカバーできているのではないかと思います。

小中学校の図書館や職員室で、学校の現状に応じて言語を選んで導入していただいたら、十分お役に立てると思うのですが。