勝手に「終戦の日」特集?

毎年やってくるこの日。

中学の時の教師だったか、高校の時の教師だったかが授業の時につぶやいた「8月15日を敗戦の日と言わず終戦の日と呼ぶのはどうなのか」という問い。いまも時々考えることがあります。

それはともかく、そんな日なので、先の大戦のきっかけとなった歴史を題材とした書籍をご紹介。

  

満州某重大事件を扱った『張作霖 爆殺への軌跡一八七五‐一九二八』、真珠湾攻撃を扱った『パール・ハーバー(上)』『パール・ハーバー(下)』の3冊です。

  

そして大戦のすべてを網羅した大著『第二次世界大戦1939-45(上)』『第二次世界大戦1939-45(中)』『第二次世界大戦1939-45(下)』の3冊です。

冬将軍がまだ来ていませんでしたね

先程のダイアリーですが、「リサとガスパール」に紙幅を割きすぎてしまい、本来書くはずだった『冬将軍が来た夏』について触れていませんでした。

本作は台湾の作家・甘耀明の作品で、、甘耀明と言えば、あたしの勤務先から『神秘列車』や『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』が刊行されている台湾の注目作家の一人です。

  

そんな『冬将軍が来た夏』ですが、ウェブサイトの内容紹介には

レイプ事件で深く傷ついた私のもとに、突然あらわれた終活中の祖母と5人の老女。台中を舞台に繰り広げられる、ひと夏の愛と再生の物語。

とあります。書籍のオビには高樹のぶ子さんが

虐げられたり権力の犠牲になったり、あるいは性的マイノリティとして差別されたりしながら、けれど激しく生き生きと生きて死んでいく女たちの鮮やかさは、淡々としていながら圧倒的だ。

という言葉を寄せてくれています。ここだけを読むと、傷ついた女性が祖母たちの助けで立ち直って、再び希望を抱いて未来へ向かって生きていくようになるまでの過程を描いた感動作のような印象を受けます。

いえ、確かに大きなストーリーはそれで合っていますが、読み終わった印象はまるで違います。確かに前半で主人公の女性が勤務先の男性にレイプされて仕事も辞め、深く傷つきます。そこへ長いこと離れて暮らしていた祖母が現われるのも確かです。しかし、ここから先の展開は内容紹介などに書いてある文章から想像されるような感動もの、お涙頂戴ものとはちょっと異なります。

もしかして、あたしが内容紹介からそんなストーリーを勝手にイメージしていただけだったのでしょうか? 確かに主人公は傷つきますし、レイプ犯に対する復讐というのもこの作品のストーリーの軸ではあるのですが、作品自体に漂う雰囲気と言いますか空気感は『鬼殺し』のスペクタクル感に近いものを感じました。涙を流している暇などないほどの、祖母を始めとした老女グループの活躍が光ります。老女グループよりも、むしろ老女一味、老女一派と呼んだ方がよいくらいのバイタリティあふれる一団です。

「冬将軍」には辞書的にはいくつかの解釈があるのでしょうが、本作ではドイツ軍の侵攻を受けたモスクワで、孫のために薬草を採りに出かけた祖父がドイツ兵に捕まり、雪の中三日間立ちっぱなしで微動だにしなかったためドイツ兵が「こいつは噂の冬将軍だ」と恐れて撤退したという故事によっています。つまり、レイプされ傷ついた孫娘を助けるために現われて体を張った祖母が「冬将軍」であり、この物語はそんな祖母と過ごしたひと夏の物語なわけです。

しかし、祖母の助け方、体の張り方は尋常ではありません。確かに雪の中で三日間も立ち尽くすのも尋常ではありませんが、この祖母の行動も負けず劣らずです。本書の装丁や惹句などを見ていると、そういった冒険活劇的な部分、血湧き肉躍る躍動感といった要素がやや足りないんじゃないか、という気もします。

上掲のように、中国書籍専門店・東方書店のTwitterに原書の書影が紹介されていますが、原書も静かなイメージに仕上がっているのですね。あたしの勤務先の装丁などはそれを踏襲しているようです。

あたしは上述のように感じましたが、これもどちらが正しいのだという問題ではないと思います。ただ、こういうイメージもあるということを知っていただければ、「お涙頂戴の感動作なら読む気はしないけど、躍動感あふれる作品なら読んでみようかな」という人もいるのではないかと思って書いた次第です。

あたしの書いたこんな一文がミスリードにならないことを願っています。

タイトルは重要、オビの惹句だって大切!

日本でも有名な絵本「リサとガスパール」、あたしは読んだことはありません(汗)。あたしが幼少の頃にはまだ日本に紹介されていなかったのかも知れません。なので、どっちがリサで、どっちがガスパールなのかもわかりません(爆)。いや、わからないと言えば、ガチャピンとムックも、ほとんど見ていないのでどっちがガチャピンでどっちがムックなのか、実は理解できていなかったりします。

それはさておき、この「リサとガスパール」はオリジナルだと「Gaspard et Lisa」、つまり、「ガスパールとリサ」というタイトルだったそうです。勤務先の同僚に教えてもらいました。

いやー、そうなると、どうして日本に紹介したときに「ガスパールとリサ」ではなく、「リサとガスパール」というタイトルにしたのでしょう?

確かに、いま改めて耳にすると、慣れの問題も大きいとは思いますが、「ガスパールとリサ」よりも「リサとガスパール」の方が語呂がよいと感じます。もし最初から「ガスパールとリサ」で発売していたらここまで有名になっていたでしょうか? そんなことも考えてしまうと、ネーミングって大事だなと思います。

で、9月に刊行予定の『ヒトラーとドラッグ 第三帝国における薬物依存』です。

これは原書のタイトルが「ヒトラーとドラッグ」だというのではありませんが、ふと思ったのです、「ヒトラーとドラッグというタイトルで受ける印象と、ドラッグとヒトラーというタイトルで受ける印象に違いはあるか」と。もちろん、どちらも同じだよ、と感じる人も大勢いるでしょう。しかし、あたしはかなり印象が異なるのではないかなあと感じたのです。

どちらが正解なのかはわかりません。同じ本に二つのタイトルをつけて、いかにも別の本のように刊行するなんてできませんので実験してみることも無理です。ただ考えてみますと、単行本が数年後に文庫化されるときに改題することってしばしばありますが、あれってもしかすると「単行本の時にこっちのタイトルをつけていればもっと売れたのに」という後悔や反省が少しだけ混じっているのでしょうか?