役に立つとはどういうことか

朝日新聞の声欄です。

微分積分ですか……

この気持ち、わからなくはありません。あたしも学生時代にそう思うことはありました。

ただ、勉強というか、知識というのは、100を知っておかなければならない場合、100だけ勉強すれば身につくものではありません。人によっては差はあるかと思いますが、恐らく、200や300くらいを学んでようやく100が身につくものなんだと思います。

つまり、微分積分も、そういう方面に進学する人を除けば直接的には必要のない知識かも知れませんが、本当に必要な数学の知識を定着させるために学ぶものなのだと思うのです。

ちなみに、あたしは、大学時代につまらない授業(←こういう言い方も先生に対して非常に失礼なのですが)を受けているとき、適当な方程式を作って、それがY軸に沿って回転して出来る立体の体積を求めよ、といった微分積分の問題を自分で作っては解いて、時間潰しをしていました。

今では全くできませんけど……(汗)

バック・トゥ・近代?

今朝の朝日新聞です。

あたしの勤務先でもお世話になっている柴山桂太さんが登場しています。

近代への揺り戻しが最近の社会の動きなのでしょうか?

では、それなら近代とは何なのか? 現在のどういった動きを指して近代と呼ぶのか、そういう点が気になってきます。

さて、その柴山桂太さんの訳書が『グローバリゼーション・パラドクス』と『エコノミクス・ルール 憂鬱な科学の功罪』です。どちらもハーバード大学ケネディ・スクールのダニ・ロドリック教授の著作です。

 

近代を考える上で参考になる文献ではないでしょうか?

残念だと思っていても……

今朝の朝日新聞「折々のことば」は『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』から。

もちろん同書は読みました。閉店の日は出張だったので伺うことはできませんでしたが、最後まであたしの勤務先の本も大事に並べてくれていました。みすず書房や岩波書店などもお客様が付いているのでしょうね、しっかり並んでいる本屋さんでした。

まだまだ余力を残しての閉店というのが残念でもあり、清々しくもあり。同書の末尾には、自宅のある池袋でブックカフェ的な店をオープンするということが書かれていましたので、それを楽しみに待ちたいと思います。

外国語をもっと楽しみませんか?

昨日の朝日新聞夕刊です。黒田龍之助さんが写真入りで登場しています。

記事にもありますように、黒田さんは外国語を学ぶことの楽しさを、さまざまな機会を通して伝え続けている方で、その一つとして多くの著作をものされています。あたしの勤務先からも、専門のロシア語の参考書以外に『もっとにぎやかな外国語の世界』『寄り道ふらふら外国語』『寝るまえ5分の外国語 語学書書評集』『ことばはフラフラ変わる』などが出ています。

   

別に大上段に構えた比較言語学などをやろうというのではありません。もっと気軽に、しなやかに、外国語に触れてみませんか、というのがあたしが理解する黒田さんのスタンスだと思います。

他社からは文庫や新書も出ていますので、この機会にいかがでしょうか?

ジャズって知っていますか?

今週末配本予定の『ジャズのことばかり考えてきた』はこんな本ですが、ジャズと言えばほとんどの人は音楽のジャンルとしてのジャズを思い出されるのでしょうか?

と言うよりも、「そもそも音楽のジャズ以外に他に何かある?」というのが大方の意見ではないでしょうか?

ですが、あたしの場合、もちろん真っ先に思い出すのは音楽ジャンルのジャズですが、それと同じくらいの比率で思い出してしまうのが、データ保存メディアとしてのジャズなんです。

えっ、それなに?

という方がばかりでしょうね。でも、例えばウィキペディアなどで「ジャズ」を検索しますとリムーバブルディスクとしてのジャズも出てくるんですよ。ちなみに綴りは「jaz」です。「z」が一つなのがミソです。

ウィキペディアのジャズの項目を見ていただければ写真も載っていますから、「ああ、これね、覚えているよ」という方もいらっしゃるでしょうが、あたしもそんな一人です。

フロッピーでは容量が足りなくなってきた時代、MOやzipなどいくつか規格やメディアが乱立していた時期がありまして、そんなメディアの一つがjazでした。あたしは使っていませんでしたが、ヨドバシカメラなどの店頭でディスクや、それを読み書きするハードを見た記憶があります。

MOもそうなんですが、zipやjazに残してあるデータって、今の時代、どうやって読み出したらよいのでしょうね?

アイヌ語の次はエスペラント?

コミック『ゴールデンカムイ』の影響で、あたしの勤務先の刊行物『ニューエクスプレス アイヌ語』、そして『カムイユカラを聞いてアイヌ語を学ぶ』が売れているということは既にこのダイアリーでもご紹介したと思います。

 

2匹目のドジョウというわけではありませんが、次に来そうなのは、もしかするとエスペラントかも知れません。なぜって? こんなゲームが流行っているらしいのです。

ゲームの世界にはまるっきり知識がないのですが、「ことのはアムリラート」というゲームがあるそうで、その製作に日本エスペラント協会が協力しているのだそうです。

なにやら、登場人物が使う言葉がエスペラントをベースにしているものなのだとか。

となると『ニューエクスプレス エスペラント語』も売れるのではないかとちょっぴり期待しているのです。

さて、どうでしょう?

夜中、わが家に泥棒が入りまして……

夜中、寝ていると窓を叩く音が。

窓の外に置いてある何かが風に揺れて窓ガラスにあたっているのかな、と思い気にも留めていなかったのですが、すると窓ガラスが横に滑りました。

「窓」と書きましたが、床からあるもので、いわゆる掃き出しの窓とでも言うのでしょうか、そんな窓です。

その窓が音も立てずにスーッと開いたのです。そして、誰かが入って来ます。

その時点であたしは夢を見ているのだと思っていたのですが、人影は二人、部屋に入ってきて、あたしが寝ているのに気づいているのかいないのか、抜き足差し足で部屋の中を歩き回り始めました。

えっ、もしかして泥棒?

と思ったあたしは「泥棒ー!」と声を挙げようとしたのですが、寝起きだからなのかわかりませんが、とにかく声がうまく出せません。「ど、ど、ど……」という音が漏れるばかりです。

辛うじて「泥棒」と叫んだ声も、とても叫んだとは言えない声量で、囁いたよりはちょっと大きい程度、声もかすれ、とにかく家族、といってもわが家には母しかいませんが、その母に泥棒がいることを伝えなければと必死でした。

しかし、必死になればなるほど声は出ず、とにかく母だけでなく、近所の家にも声が届いてくれないかと、あたしは精一杯の大声で「泥棒」と叫ぼうと奮闘しました。

次の瞬間、あたしの目が覚めたのと、「お前、どうしたの?」と母から声をかけられたのがほぼ同時でした。

今朝になって母に聞いたところ、あたしがとにかく大きな声を出していたとのこと。近所中に聞こえるくらいの声だったとそうです。母は、寝言ではなく、あたしが突然夜中に具合が悪くなって唸っている、苦しんでいるのではないかと思ったようです。

夢の中では声が出なかったのですが、実際にはとんでもなく大きな声が出ていたようです(汗)。

物語の枠を超えて……?

ある小説の続編が発売されるというのはよくあることです。続編はおろか遠大なシリーズになっているものすら珍しくはありません。あるいは、ある登場人物がその作家の別の作品にも登場するということもしばしばあることです。

しかし、別な作家の作品に同じ登場人物が出現することってあるのでしょうか? もちろん誰もが知っている歴史上の人物ならそういうこともあるでしょう。しかし、そうではなく、ある作家が作品の中で造型した人物が別の作家の作品の中に出てくるというパターンです。

もちろん、小説の数など数え切れないほどありますから、似たような登場人物なんていくらでも出てくるでしょうし、小説家だって人の子ですから、他の作家の作品に影響を受けることだって十二分にありえます。ですから、これは全くあたしが感じただけにすぎない感想なのですが……

さて、お陰様で新刊『十三の物語』が好調なミルハウザー。そのミルハウザーの『バーナム博物館』の中の一編「幻影師アイゼンハイム」が映画化されていたのを覚えていらっしゃるでしょうか? 書籍の方は残念ながら現在ほぼ品切れで、どうしてもお読みになりたい方は店頭で見かけた時に買っておかれることをオススメします。まだ在庫している書店は探せばあると思います。

 

それはさておき「幻影師アイゼンハイム」はその名の通り、手品師と言いますか、昨今ならマジシャンとかイリュージョニストなどと呼ばれる男の話で、舞台は19世紀末のウイーンです。

映画と小説とでは、ストーリーが多少異なっているようですが、なかなかミステリアスな作品で、果たしてアイゼンハイムは種も仕掛けもある手品を見せていただけなのか、それとも悪魔と契約し本当の超能力を操っていたのか。そこのところが作品の魅力の一つだと思います。

そして、アイゼンハイムは忽然と舞台から姿を消してしまいます。彼はどこへ行ってしまったのか。映画では牧歌的な結末になっているようですが、あたしは消えてしまったアイゼンハイムを、数十年後の台北で見かけました。

そうです、『歩道橋の魔術師』という作品の中にです。この作品の中では建物を繋ぐ歩道橋(日本で日常的に目にする歩道橋ではなく、やや貧弱なペデストリアンデッキをイメージしていただけるとよいかと思います)で道行く人に手品を見せている男が登場します。普段はごくごくありきたりな手品を見せているのですが、ありえないようなマジックを子どもたちに見せることが時々あります。

それが幼心ゆえの幻想なのか、本当に超能力を使ったものなのか、本作でも実ははっきりしません。そのあたりの加減が「幻影師アイゼンハイム」とよく似ているのです。台北の魔術師は正体がわからないままです。主人公が大人になってから当時の思い出を集めるというスタイルの作品ですが、その時点で幼いころに見た魔術師がどうなったのか、どうしているのか、知っている者は誰もいませんし、当時においてすら、そんな魔術師がいたことを記憶している人は多くはないようでした。

19世紀末のアイゼンハイムだとしたら、当然、生身の人間が生き続けられる時間の隔たりではありえません。だからこそ、幻影師、魔術師と呼ばれる所以なのだと思いますが……

ニトリとかアイリスオーヤマなら売っているのでしょうか?

この写真、何だかわかりますでしょうか?

いわゆる「汗ふきシート」と呼ばれているものです。左側がちょうど使い終わったもので、右側がその代わりに新たに買ったものです。

この手のシートは取り出し口が太いシールのようになっているのですが、使っているうちに吸着力が弱くなってきます。そうなると、中のシートが乾いてきてしまって、汗ふき効果がなくなってしまいます。

どうしたらよいかと思っていたら、百均で写真左に写っているようなキャップと言いますか、取り出し口カバーと言いますか、そういうものが売っていたので買いました。使い方は商品に付いている取り出し口のシールを剥がしてしまい、その部分に両面テープでこのカバーを装着するという具合です。最初に付いていた両面テープはシートを使い切った時にカバーを剥がしたらそれで終わりですので、両面シートを別途用意しておかないとなりませんが、とりあえずは使えています。

しかし、やはり問題が……

この汗ふきシートをカバンの中に入れておくと、だんだんとグチャグチャ、グシャグシャになってしまうのです。ポケットティッシュにケースがあるように、この汗ふきシートにも専用のケースってないものでしょうか? 出来れば布製やビニール製のようなつぶれてしまうものではなく、カバンの中でもつぶれないような材質のものがよいのですが、そういうものって売っていないのでしょうか?