少女期というのは何歳くらいから何歳くらいまでを指す言葉なのでしょうか?

自宅の書架で本を探していたら、こんな本が目に留まりました。

沢田聖子って誰って?

まあ、たいていの人はそうでしょうね。知らなくても当然です。でも、あたしくらいの年代の方ですと、名前くらいは知っている、という人も多いかも知れません。

簡単に言ってしまえば、歌手です。あたしが中学生、高校生のころによく聴いていました。もちろんアイドル歌手というカテゴリーではないです。

一昔前ならフォーク、当時の言葉ではニューミュージックと言われるジャンルの歌手でした。今の方には「ニューミュージックって何よ?」という感じなのでしょうが、これまたあたしくらいの年代の人なら、ニューミュージックと聞けば何人かの歌手の名前がサッと挙がるのではないでしょうか。

で、沢田聖子です。

このダイアリーをしばしば読んでいただいている方であれば、あたしが時々出す名前なのでご存じの方も多いかも知れません。ちなみに「さわだせいこ」ではなく「さわだしょうこ」と読みます。

ちなみに、今も現役です。ブログを読んでいただければ精力的に活動されていることがわかっていただけると思います。どうしても、いわゆる青春時代の思い出になってしまうので、最近の曲はあまり聞き込んでいませんが、かつての曲、あたしが夢中になっていたころの曲は今でも時々聞いたりします。CDも何枚も持っていますし。

で、どの曲が好きかと言われると、たくさんあるのですが、とりあえずは代表曲の「シオン」を挙げておきます。

最初に好きになった曲は「星空のメッセージ」なのですが、とにかくこの2曲に負けず劣らず好きな曲はたくさんあります。それこそ語り出したらきりがないくらいです。

が、YouTubeを漁っていたら、こんなのを見つけました。

沢田聖子ちゃん、いま豪雨被害で大変な真備町の歌を歌っていたのですね。彼女は東京出身ですので、特に岡山との関わりはコンサートで訪れたことがあるくらいなんだと思いますが……

で、『少女期』です。

これは1982年11月初版で、あたしが所持しているのは83年7月の第8版です。本が売れていた時代なのか、沢田聖子がそれだけ人気があったのか、どうなのでしょう? ただ、ワニブックスからはこの当時、こういったアイドルの本がよく出ていました。

下の写真が『少女期』の奥付裏広告です。1ページだけの広告なのでこれだけしか載っていませんが、当時出ていたのはこんなものではなかったはずです。

ご覧いただければわかるように、当時を知っている年代であれば、懐かしい名前のオンパレードです。

現在もそれなりに芸能界でやっている人もいますが、「これ誰?」という名前もチラホラ……

となると、決して派手ではないですが、今も活動を継続している沢田聖子ちゃんはそれなりに立派と言ってもよいのではないでしょうか?

で、話はまたまた戻りますが、この『少女期』というエッセイ集は、ちょうど同じ頃に初のベストアルバム「少女期」がリリースされた時期に重なっていまして、本のタイトルもアルバムのタイトルをそのまま流用したようです。

サブタイトルの「同じ季節を走って下さい」も、沢田聖子ファンなら当然「走って下さい」という彼女の曲を思い出すはずです。これも疾走感のある青春ソングですね。

10日足りない!

盛んに番線をやっている映画「青夏」、いや、番宣というのは番組宣伝の略ですから、映画の場合は単にプロモーションと言えばよいのでしょうか? それはともかく、この映画や出演者に取り立てて興味があるわけではありません。あたしが気になったのはサブタイトルです。

田舎で出会った一夏の恋を描いた作品なんですよね? そのサブタイトルが「きみに恋した30日」って、あたしの世代からするとちょっとおかしな気がします。

夏休みって40日じゃないの?

ということです。少なくとも、あたし世代であれば、常識とまでは言わなくとも、そういう共通理解があるのではないかと思います。

もちろん夏休みに入ってすぐに田舎へ行ったわけではなく、しばらく東京(都会?)で過ごした後、田舎へ行ったというのであれば納得できますが、それでも象徴的なタイトルに「40日」ではなく「30日」を使うというのは、昨今の夏休みが30日だからなのでしょうか?

そう、確かにこの数年、8月末では夏休み、という常識が崩れ、8月25日くらいから2学期が始まっている学校が増えていますよね。その影響なのでしょうか?

実はもう一つ気になるタイトルがありまして、TBSドラマの「義母と娘のブルース」です。

この作品は、竹野内豊の後妻として綾瀬はるかが奮闘するドラマなわけですが、どうやら竹野内豊は余命がそれほど長くはない病気のようで、そのために娘を真に託せる人を母親として残しておきたいと考えて綾瀬はるかと結婚したらしいのです。

それはともかく、そういう場合の綾瀬はるかの役割は「継母」ではないだろうか、というのが素朴な疑問です。いや「義母」にも継母という意味があるようなのですが、ふつうに「義母」と聞いたら男性から見た「嫁のお母さん」、女性から見た「夫のお母さん」というのが一般的ではないでしょうか?

 

本作は原作があるようなのですが、原作も「義母」となっています。となると原作者なりの意図があるってことだと思います。まあ、「継母」だと「けいぼ」と読むか「ままはは」と読むかルビを振らないといけないのが面倒、「継母」と聞くと昔話でも意地悪なイメージが強すぎるので避けたかった、というところなのではないかと思います。確かに「継母と娘のブルース」ではギスギスした感じが先行してしまい、最後がハッピーエンドになるようには思えませんからね。

この二作、直接の関係はありませんが……

新書と単行本、ノンフィクションとフィクションでは書店店頭でも、フェアでもない限り一緒に並べることはないと思いますが、この両者は近くにおいていただけるとよいかなあ~などと思ったりします。

  

一つは平凡社新書の新刊『日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊』で、それと並べて欲しいのは台湾の作家・甘耀明の『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』です。

前者は

植民地台湾の支配・差別構造の下、最底辺に位置づけられた台湾原住民(高砂族)は、太平洋戦争時、南洋戦場へと送り出される。はじめは軍属として、戦況が悪化するにつれますます兵士として動員された彼らは、やがて、陸軍中野学校出身者の指揮下で過酷なゲリラ戦を展開する。闇にまぎれての敵軍施設爆破、グライダーでの特攻など、生還困難な作戦に従事し、補給の絶えたジャングルを逃げ回るその闘いを、生存者の聞き取りを交えて綴る。

という内容。後者は

1941年12月、日本軍を乗せた汽車が客家の村にやってきた。祖父に育てられた怪力の少年・劉興帕は、日本軍中佐の養子となって入隊し、日本人になることを夢見て戦う。だが敗戦を迎えると、今度は国民党軍が乗り込んできた。祖父は帕の片腕を切断してともに台北に逃れ、帕が日本兵だった過去を消すために偽の死亡証明書を手に入れる。帕は台湾人として再生を果たすべく、故郷へ帰っていく。日本への抵抗心を持ち続ける「鬼」としてさまよう帕の大叔父・呉湯興は、「鬼王」と呼ばれる客家の抗日英雄だった。二・二八事件まで続く台湾の混乱を目撃した鬼王は、村で帕と再会し、ついに自分を殺してくれと帕に頼むが……。常にアイデンティティの揺らぎの中で格闘する帕。台湾には孤児のようなイメージがつきまとう。歴史に翻弄され変貌する村を舞台に、いくつもの物語を紡ぐことで、人間本来の姿の再生を描ききった大河巨篇。

といったストーリーです。確かに直接の関わりがある両者ではありませんが、それぞれを読むことでお互いの作品の理解が深まるのではないかと思うのですが……