受け取られ方?

昨日は、下北沢の本屋B&Bでイベントでした。白水Uブックスで復活した『マンゴー通り、ときどきさよなら』の刊行記念として、訳者のくぼたのぞみさん、解説を書いてくださった温又柔さん、そして帯文を寄せてくださった金原瑞人さん三人による鼎談でした。

既に感想などは参加された方がネットにいろいろと挙げているでしょうから、あたしが聞きながら感じたことを少々。

作者サンドラ・シスネロスはメキシコ移民の二世です。本作はそういう源流を濃厚に持った作品です。アメリカでは今も多くの人々に読まれていると言われる作品ですが、それは移民社会アメリカならではあり、ご自身も台湾に源流を持つ温又柔さんが本作に強く惹かれるのも理解できます。

だからこそ、日常的に移民を身近に感じることのない日本で本作はどのように受け止められるのか興味がありました。しかし、本作もアメリカでは主に西海岸の方で読まれていて、東海岸の方ではそれほどでもないとの話を聞き、やはり移民が身近なのかどうか、移民にルーツを持つ人がどのくらい暮らしているのかということが本作の需要に少なからぬ影響を与えているのだとわかりました。

となると、日本では本作はあまり受け入れられないのでは、という気がしないでもないです。しかし、これからは日本も移民を受け入れないと国が成り立たないとか、トランプが移民排斥政策を取ろうとしているとか、ヨーロッパでも移民(難民?)が社会問題となっていて右派の台頭が起こっているとか、そういう問題をしばしば耳にするようになったので、日本人にとってもいまや他人事ではすまされない問題になりつつあると思います。

そういう問題を意識する上で、もちろん専門的な書物、特にルポを始めとしたノンフィクションを読むのもよいでしょうが、こういった小説を読むことでも知ること、学ぶことはできると思います。そういう点で本書は格好の一冊なんだと思います。

と言いながら、実はあたし自身は本作を読んで、アメリカ社会で暮らす移民というテーマをあまり感じませんでした。それは本作の主人公がまだ移民たちが暮らすマンゴー通りで成長している時期を描いているからだと思います。これからマンゴー通りを出ると、きっと主人公は移民にルーツを持つからこその辛い思いや違和感を感じることになるのでしょう。本作ではそこまでは描かれていないと感じました。

それよりも、本作は多感な主人公が周囲の大人たちからいろいろなこと吸収しながら成長していく過程を楽しむべき作品なのではないかな、そんな気がしました。こういう受け取り方がよいのかどうかは別として。

石川県かほく市へは行ったことがあります!

昨日の朝日新聞夕刊です。

西田幾多郎の記事なんて珍しいと読んでみると、その中に石川県かほく市にある西田幾多郎記念哲学館の名前が出てくるではないですか!

そんな記念館があるなんて知らなかった、という人も多いと思います。あたしもそうでした。そもそも西田幾多郎というと京都の人、という印象があまりにも強くて、てっきり京都生まれだと思い込んでいた日という人がほとんどではないでしょうか? あっ、そこまでは言いすぎですか?

ちなみに、この記念哲学館、過日、人文会研修旅行で訪れたことがあります。また、その縁で、哲学館の方に、哲学館の紹介文を「人文会ニュース」に書いていただいたこともあります。非常に意欲的な取り組みをされている施設です。

北陸新幹線も開通して観光客で賑わう金沢市から遠いのが難ですが、哲学好き、幾太郎好きであれば、一度は訪れて損はないと思います。鈴木大拙もほぼ同郷で、同じ石川県には鈴木大拙館という施設もあり、西田幾多郎記念哲学館と鈴木大拙館は入館相互優待があるようです。

別にあたしの勤務先の書籍の宣伝番組だったというわけでは決してないのですが、でもここまでドンピシャでハマってしまうと、そんな気がしてきてしまうのです!

NHK-BSで放送されている「映像の世紀」、昨晩は第9集「独裁者3人の“狂気”」でした。「3人」とは、言わずもがな、ムッソリーニ、ヒトラー、スターリンです。となりますと……

 

まずは、ムッソリーニの評伝『ムッソリーニ(上)』『ムッソリーニ(下)』の上下本。

 

ヒトラーの評伝なら『ヒトラー(上) 1889-1936 傲慢』『ヒトラー(下) 1936-1945 天罰』の巨冊。

  

そしてスターリンの評伝は『スターリン 青春と革命の時代』『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち(上)』『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち(下)』の三部作。

どうでしょう、NHK「映像の世紀」フェアなど如何でしょうか?