持っていたり、いなかったり……

中公新書ラクレの『中国の世界遺産を旅する』を読みました。ほとんどの世界遺産へ行ったことがないので、紙上で旅行気分を味わいました。

あえて、故宮などすぐに行けそうなところは省いていましたが、孔子の故郷を扱ったところで取り上げていた『聖蹟図』、あたし、持っていたと思っていたのですが、わが家の書架を漁ってみましたが、見つかったのはこれだけでした。

『孔子画伝』です。1991年に集英社から刊行されたものです。主要な図柄はすべて収録されていますから、まずはこれでよいのでしょうが、現在は品切れの本ですよね?

また始皇帝陵の章では、西安郊外の陽陵について触れていましたが、実はあたし、2002年に家族(母と妹と三人)で北京・西安・上海と巡った時に、咸陽空港から西安市街へ行く途中で寄りました。まだオープン間もないのか、まだまだこれからという感じの博物館で、マイクロバス似同乗していた他の日本人旅行客は退屈そうにしていました。

が、あたしからすれば、漢の景帝の陵墓というだけで若干の興奮は抑えられない状態でした。というわけでその博物館の売店で買ったのが下の写真の図録です。

そこそこ厚い図録です。カラー図版も豊富で300元でした。当時のレートでもそれなりに高価ですが、今となっては買っておいてよかったと思います。とにかく中国へ行った時は本をよく買っていたわけですが、それは日本でも変わりないですね。

2018年6月12日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

そうだ、やっぱり金なんだ!

角川文庫の『そうだ、やっぱり愛なんだ』を読みました。最初は、いくつになっても人を好きにならずにはいられない的なエッセイかと思ったのですが、副題に「50歳からの幸福論」あるように、この「愛」って家族愛とか、そういった心の充実のことを言っているのです。

さて、柴門流の幸福とは如何なものか?

確かに、ものすごい贅沢ではなく、日常生活にあるささやかな幸せ、といったものを言っているようなのですが、あたしなどから見れば、やはりそれなりに経済的な裏付けがあるからこそ出来るようなことばかりです。

友達と美術鑑賞やお食事、小旅行、どれもお金がかかります。先立つものがなければ実行に移せません。最終的にいまの柴門さんは犬に熱を上げているようですが、犬を飼うのも(もちろん買うのも)お金のかかることです。やはり貧乏人には縁のない幸せです。

私が五十歳になった時まず思ったことは、
「もう、子供のことは放っておいていいだろう」
だ。(P.189)

とあります。あたしの場合、五十歳になって思ったことは

「もう、子供のことは諦めよう」

でした。いや、その前に

「結婚を諦めよう」

であり、

「彼女を作ることすら諦めるべきだろう」

ということでした。

柴門さんのような、それなりのセレブに書かれると、自分の惨めさ、経済的な不如意がますますイヤになってきます。