「暗黒女子」というか「妄想女子」?

WOWOWで放送された「暗黒女子」を録画しておいたので視聴。原作小説は未読ですが、映画化にあたって多少の改編はあったようですね。結末は変わっているのでしょうか?

 

いきなり驚いて、そして思い出したのはこの作品、千眼美子となる前の女優・清水富美加が主役だったのですね。そしてW主演として西野七瀬のドラマにも登場していた飯豊まりえ。

とりあえず、主要キャストの生年月日を出しておきますと、清水富美加(1994年12月2日)、飯豊まりえ(1998年1月5日)、清野菜名(1994年10月14日)、玉城ティナ(1997年10月8日)、小島梨里杏(1993年12月18日)、平祐奈(1998年11月12日)です。作品中では清水と飯豊が高校3年生、平が1年生、それ以外は2年生という設定ですが、清野菜名がどう見たって飯豊まりえよりも年上に見えてしまう! まあ、仕方ないですね、実際に四つも年上なんですから。

それはともかく、ストーリーはなかなかよくできていたと思います。金持ちだけが通う超セレブな女子高で、その経営者の娘・飯豊まりえが主宰する文学サークル。しかし、学園の太陽、女神と呼ばれる飯豊が謎の自殺を遂げてしまい、学園内では文学サークルのメンバーによる他殺説が流れています。文学サークルを引き継いだ飯豊の親友・清水がサークルの定例会として闇鍋パーティーを開き、そこでメンバーに飯豊の死をテーマとした作品を作らせ朗読をさせます。それぞれがそれぞれを犯人だと思い込んだ作品を次々に朗読していき、最後の最後に清水が、飯豊から届いたという作品を朗読して……

結末はなんとなく予想できます。メンバーがそれぞれを犯人だと思い込む作品を書いてきたわけですが、AがBを、BがCを、CがDを、DがAを犯人だと推理していて、都合よく四者四様の作品が出来てくると清水はあらかじめ予想できたのでしょうか? そこが非常に都合よく出来ているなあと感じた部分です。ある一人に犯人予想が集中したらどうなっていたのでしょう?

さて最後に、飯豊の裏の顔が暴かれますが、これが暴かれた時点で、清水だけがいい子ちゃんキャラで終わるなんてありえません。最後の最後に清水がどんでん返しを見せてくれるはずというのは予想でき、その予想はほぼそのまま当たりました。

飯豊が実は死んでいなくて、病院に運ばれて一命を取り留めたけれど、そこを抜け出して男性教師の許へ奔ったということらしいですが、飯豊の自殺は屋上からの飛び降りです。これで死なずに済むかどうかは、かなり危険な賭けではなかったでしょうか? そしてこの一件も、学園経営者の父は世間体を憚り、学園には飯豊はそのまま亡くなったとして処理してしまいます。経営者だとそんなことができてしまうのか、という感じです。

最後、清水がどう振る舞ったか、何をしたのかは、クライマックスに入るとおおよそ予想できます。皆を支配し、いつまでも主人公で居続けようとする飯豊と、その無二の親友であり参謀役でもある清水。しかし、最後に自分も主役になりたい、なれると思った清水の思考回路はわかりますし予想ができます。つまり清水の裏切りです。

できることなら、そこでもうひとひねり、つまり、そんな清水の腹の内まで読み切った飯豊が、清水の裏をかき、やはり最終的な勝利を収める、そんなストーリーでもよかったのではないかな、とも思います。

で、結局のところ、こういうことを書くとファンの方に叱られそうですが、飯豊まりえが学園の女神と言われるほど魅力的な美人なのかという疑問があります。でも、ここが一番肝心なのではないかと思います。

あたし、飯豊まりえって決して嫌いではありませんし、可愛いなあと思います。でも、彼女って圧倒的な美人という感じではないですし、映り方というか撮り方では非常に平凡な顔立ちにも見えます。もちろん、時々ハッとするほど可愛いのですが。

つまり彼女の魅力って、そういう身近さといいますか、高嶺の花的な美しさではなく、親しみの持てるかわいらしさだと思うのです。映画の中では、お金持ちのお嬢様であるのに誰にでも優しく気さくな存在と描かれていますが、学園を支配する圧倒的なオーラが感じられなかったのが残念です。あの役は飯豊まりえが演じるべきではなかったのではないか、そんな気がします。

余談ですが、映画の予告編のキャプチャを見て、乃木坂46の「バレッタ」noMVを思い出したのはあたしだけでしょうか?

文化欄で取り上げられないのでしょうか?

先日も取り上げた明治書院の「新釈漢文大系」完結の件、本日の朝日新聞サンヤツに広告が載っていましたね。

広告は出版社の判断で出すものですからよいとして、これだけの事業、朝日新聞であれば文化欄などで取り上げてくれないものでしょうか? この数年、出版業界がニュースになることと言えば、不況とか、本屋が消えたとか、そんな記事ばかり。やや明るいニュースとしては他業態とのコラボで売り上げを伸ばしているといったセレクト型書店ばかり。

もっと至極まっとうな、ごくごくフツーの出版活動や本屋のことがニュースにならないかと思うのです。そういった点で、この出版不況の中、数十年にわたる事業を完結させたことはニュースに値すると思います。

同じ業界人として言えば、前回も書きましたが、完結した時に全巻が揃っているということがどれだけスゴいことか、たかだか全数巻、2年程度の完結するシリーズ、全集ですら、最終巻が出た時に最初の方の巻が品切れなどというのはよくある話です。100巻を超え、数十年かけたシリーズが全巻揃っているというのは本当に素晴らしいことです。

いや、もちろんこの間品切れになっていた巻も多々あったということは承知しています。しかし、完結を期して全巻揃えるという判断、出版社としてはなかなかできるものではありません。特にこの手の、専門家や図書館しか買わないであろう専門書、重版したってどれだけ売れるのか現実的に計算したら、全巻揃えることを諦める出版社がほとんどだと思います。

しかも、内容見本で全巻のラインナップを見てみると、最終刊ですら1万円を少し超える程度の価格です。一番最初の巻がいくらくらいで売り出されたのか知りませんが、函入りのこれだけのものがこんなに安くてよいのだろうか、という気もします。

人生初の「肩たたき券」を作ってみた!

今日は母の日だそうで……

わが家では昔から母の日も父の日も特に何かをするという習慣はありません。母の誕生日が4月、父の誕生日が6月だったので、あまりにも誕生日と近いということが理由の一つですが、だからといって誕生日に何かをしたという記憶や思い出もなく、子供のころから花の日も父の日もスルーしていました。

バレンタインデーと同じく、どこぞの大企業が自社製品を売らんがために仕掛けた策略に乗ったりはしないのです! 少しでも金を使わせようという、国を挙げてのキャンペーンが、バレンタインデー、ホワイトデー、クリスマス、桃の節供に端午の節句、とにかくこの国は多すぎる気がします。

とはいえ、親孝行したい時に親はなし、と言いますし、現に父はとっくの昔に亡くなっていて、母だって70代半ば。親孝行をしたいと意識したことはないのですが、ここらで何かしてみるかと、上のように人生初、母の日の定番「肩たたき券」をこさえてみました。

これを裏が白の広告チラシにでも印刷して切った渡すとしますかね?