『独り舞』の「ジーホイ」について

独り舞』の主人公の名は「趙紀恵」です。小説の中で本人は「ちょう・のりえ」と名乗っています。台湾で暮らしていた頃は「趙迎梅」という名だったのですが、すべてを捨てて日本へやって来て、人生をやり直そうとしたときに、自分で日本風の名前を付けたということになっています。

「紀恵」は中国で読むと「ジーホイ」、ピンインで書くと「jihui」です。台湾の人だから注音字母で表記したいところですが、あいにくあたしはピンインしか知らないので申し訳ない。

さて、本文中で主人公が改名をするシーンにも、そして本文中のどこにも書いてはいないのですが、あたしにはこの名前にいろいろな意味がこめられているのではないかと思えます。

「jihui」で中国語辞典を検索すればいくつか見つかりますが、「擊毀」は「破壊する」という意味ですから、「これまでの自分を破壊する」のか、「旧態依然とした社会を破壊する」のか、いずれかなのはわかりませんが、そんな意味がこめられているのではないかと思います。

主人公自身は、たぶんこんな意識を持って名前を変え、文字を選んだのではないかと思います。

しかし、その他にも「jihui」にはいくつかの漢字を当てることができます。

「機會」は「機会、チャンス」という意味。主人公の来日が「これまでの自分を変える機会」であるという含意だと思います。

「集會」ならば、そのまま「集会」です。ゲイやレズビアンなどのパーティーが作品中にはしばしば描かれています。そんなシーンが思い出されます。

「忌諱」だと「忌み憚る」となり、同性愛者である自分の存在に対する周囲の人間や社会からの視線、偏見が主人公にはこのように感じられたのではないでしょうか?

そして「際會」は「巡り会う」です。主人公は台湾で日本で、そして旅した土地でさまざまな出会いをします。その時には気づいていないようですが、主人公にとってその一つ一つが大切なものになっていたはずです。

中途半端に中国語を囓っただけですが、主人公の改名には上掲のような意味が託されていたのではないかと感じました。

いまだに引きずっている?

書店店頭に置いてありました。

 

地下鉄道』の小冊子と言いますか、チラシ、つまりは販促グッズ、拡材と呼ばれるものです。折り畳んだ一枚モノですので、広げると下のような感じになります。

本書につきましては、以前『ネバーホーム』『地図になかった世界』と一緒に並べてみませんかと書いたことがありますので言いたいことはそちらに譲りますが、3冊のうち2さつがピュリツァー賞を受賞している作品です。やはりアメリカでは奴隷問題というのは関心が高い証拠ではないでしょうか?

先日もキング牧師を称えるパレードが全米各地でありました。白人警官が黒人に暴力を振るって死に至らしめたというニュースも時々目にします。トランプ大統領がメキシコからの移民に対して厳しい措置を執ると明言していたりします。なんだかんだと言って人種差別問題、アメリカという国はいまだにそれを引きずっているのでしょう。