晶文社とふたたび、みたび?

晶文社の新刊『ギリシャ語の時間』、ほぼほぼ読み終わるところです。

タイトルだけですと、「語学エッセイ?」という感じの本ですがガイブンです、韓国文学です。晶文社がこのほどスタートさせた韓国文学のシリーズ《韓国文学のオクリモノ》の記念すべき第一冊目です。

主人公は、あることがきっかけで言葉を話せなくなった女性と、彼女が通う古典ギリシア語スクールの男性教師です。この教師は視力が徐々に失われていく病気を抱えていて、それがかなり進行していて失明寸前の状況です。

そんな二人の、これは大人のプラトニックラブなのでしょうか? あとちょっとで読み終わりますが、結末が楽しみです。

そんな本書には、ところどころギリシア語が引用されています。ギリシア語が読めなくてもストーリーに何ら問題はありませんが、読めた方がより味わえるのも確かです。そんな、本書をきっかけに古典ギリシア語に興味を持たれた方には『古典ギリシア語のしくみ』がお薦めです。

スラスラ読める、新書のような語学入門書《言葉のしくみ》シリーズの一冊です。本格的に古典ギリシア語を学ぼうというほどではないけれど、ちょっとはかじってみたいという方に、このシリーズは非常にピッタリです。

一見すると海外文芸らしくない文芸書と、語学書らしくない語学書の組み合わせ、なんかちょうどお似合いな気がします。

なお、『ギリシャ語の時間』には、主人公の女性と一緒に古典ギリシア語の授業を受けている生徒が何人か出て来ます。その中の一人、大学院生はギリシア語をマスターし、ギリシアへ留学して古代医学を勉強するのだそうです。

そのシーン(P.100-P.101)にガレノスの名が出てきます。ちょうど今月下旬に『ガレノス』という本が、あたしの勤務先から刊行されるところです。なにやら、妙なシンクロが晶文社と続いていますが、興味のある方はこちらも是非どうぞ!

からあげは、好きですけど、とても苦手です

昔から居酒屋でもお弁当のおかずでも人気のからあげ。ここ数年は特に人気が上がっているようで、都内でも専門店が続々とオープンし、『からあげWalker』なんて本も出てしまうくらいです。

 

さらには第二弾として『からあげウォーカー 2017』が出ているくらいですから、まだまだからあげ人気は衰えていないのでしょう。

かくいう、あたしもからあげは大好きです。別にこのブームに乗っかっていっているのではなく、昔から好きです。基本的に鳥肉が好き、というのがあって、からあげ以外にも、ケンタッキーのフライドチキン、チキン南蛮、そして焼き鳥、と肉の中では一番好きかも知れません。

歳をとると、こういう揚げ物は苦手になると言われますが、今のところあたしはそんなこともなく、とんかつだって大好きです。ただ、時に、スーパーの惣菜などでは揚げた油が悪かったのか、食べた後に胃もたれと言いますか、なんか胃の不快感を起こすこともありますが、それでもやはりやめようとは思いません。

なので、飲み会などで居酒屋へ行くと、誰ともなく、からあげは注文されるものですが、からあげがテーブルに並ぶと嬉しくなります。本も出るくらい流行っているのであれば、からあげ専門店へ食べに、買いに行きたいと思うものの、実は箸を伸ばすのが苦手な料理でもあるのです。

好きなのに苦手ってどういうことなのか?

実はあたし、生姜が苦手なんです。中華料理とか、いろいろなものに生姜は使われていますが、本当に気づかない程度に隠し味で使われているぶんには、気づかないわけですから大丈夫なのですが、あえて「生姜を利かせている」料理はダメです。口に入れた瞬間吐き出したくなります。

中華料理に限らず、肉料理ではしばしばかなり生姜を効かせた料理があります。生姜が好きな人は「生姜の味が利いていて美味しい」などと言うのでしょうが、あたしはもうそれだけで食べる気をなくします。生姜焼き、スタミナ定食なんて、もってのほかです。スタミナがつくどころか、もう切なくなってしまいます。

そうです。あたし、生姜の効いた料理を口に入れてしまうと、吐き出したくなるのと同時に切ない気分になってしまうのです。ですから、テーブルに並んだからあげ、とりあえず一つ皿に取って食べてみて、生姜が利いているかいないか確認してからでないと美味しくいただけないのです。

一番安心なのは自宅で、鳥肉を買ってきて自分で味付けをして揚げる空揚げです。「自分で」と書きましたが調理するのは母親ですから、母親に生姜を入れないように頼むだけのことです。市販のからあげ粉で作るからあげも比較的美味しくて好きなのですが、からあげ粉によっては生姜を利かせたタイプもあるので、買うときには注意が必要です。

とまあ、別にグルメでもなければ食通でもないくせに味にうるさい、それもこういうところにうるさいって、面倒なタイプではありますが、そうなんだから仕方ありません。

からあげブームが始まったころ、家のやや近所にからあげ専門の弁当屋ができたので買ってみました。自宅で食べるのでからあげのみ単品でしたが、やはり生姜が利いていて、一つ食べただけでもう要らない、という味付けでした。もちろんそのお店は二度と使っていません。どこかに、美味しいからあげ屋さん、ないでしょうか?

諦めて、ケンタッキーのフライドチキンを食べますかね? 個人的に最近のお気に入りはセブンイレブンの揚げ鶏です。

意外とイケるね!

寒くなってくると温かい物が食べたくなります。

シチューにでもしようかという母の意見に乗りつつ、最近CMなどでよく見る「シチューオンライス」にしてもらいました。

 

サイトを確認しますと、「チキンフリカッセ風」と「ビーフストロガノフ風」の二種類があるのですね。知りませんでした。しかし、「フリカッセ」って何でしょう? よく知りませんが、今宵いただいたのは、そのチキンフリカッセ風の方です。

感想は、つまりは鳥肉で作るクリームシチューですね。特にご飯に合うのかどうか、今回はCMどおりご飯にかけて食べてしまったので、これを別々に食べたらどうなのか、あるいはご飯ではなくパンで食べたらどうなのか、そのあたりはわかりませんが、まあ美味しかったです。

あえて言うならば、ご飯と食べるのであれば、もう少し味にパンチが欲しいかな、という気もしましたが、あまり味付けの濃いものばかり食べているのは健康によくないですね。なので、だったら、ご飯をただのご飯ではなく、ターメリックライスとか、バターライスとか、そんな風にしたらもうちょっとコクが出てのではないか、そう思いました。

いずれにせよ、また食べたいなあとは思います。

もう少し整理したいと思うのですが……

同じ本を2冊、時に3冊買ってしまうことがあります。

もちろん一時に買うのではなく、店頭で目にして「あっ、買っておかなきゃ」と思って買うのですが、いざ自宅へ持ち帰って書架に収める段になると同じ本がそこに置いてある、という具合です。

「どうして買った本を覚えていないの」と問われれば、「しょっちゅう本を買っているから」としか答えようがありません、いろいろ買っているので「これはまだ買っていないだろう」と思ったつもりが、既にちゃんと購入済みだったというわけです。

ふだんは手に取らないようなジャンルの本であればそういうことも少ないのですが、興味のあるジャンルの本だとこうした間違いを犯してしまいます。特に中国関係ですとその傾向が強いです。複数買ってしまうよりも、まだ買っていなかったことを恐れているのでしょう。

自覚があるので、最近はその場では買わずにタイトルをメモし、一度家に帰って自宅の書架を確認してから買うようにしていますが、それでも買ってみたら「やっぱり持ってた」ということがあります。なんでそうなるのか、さらに考えてみますと、本が多すぎるから全部を把握し切れていないためだとわかります。

上の写真は、廊下に置いてある書架です。もう自分の部屋は満杯なので、天井に達するほどの薄型の書架を置いていますが、ご覧のようにもういっぱいです。おわかりのように、薄型の書架ということもあって、文庫や新書が多いのですが、一応はレーベルごとに並べています。

しかし、これだけ増えてくるとレーベルごとに置けなくなってきます。端の方や上の方の棚はいろいろなレーベルがごっちゃに置かれていたりします。そうなると、既に買ってあった本なのか、まだ買っていない本なのかがわかりづらくなってしまうのです。

以前にもアップしたことありますが、あたしの部屋の書架は既にこんな状態です。写っているのは、ほぼ中国で発行された本です。中国で発行された書籍は、ここに写っている量の数倍もの分量があたしの部屋に置いてあります。

そして下の写真。これも以前に一度書きましたが、あたしの部屋の書架に置いてある文庫や新書です。写っているのは、昔懐かしい装丁の、講談社現代新書です。

このようにレーベルごとで並べていたのですが、足りなくなって新しい書架に置くようになり、それが積もり積もって、どのレーベルがどの書架にどれくらい置いてあるのか、把握しきれなくなっているのです。

上の写真は中公新書です。これも既にこの書架は満杯なので、一枚目の写真、廊下に置いてある書架にかなり並んでいます。こうして2か所くらいにまとめられればよい方で、岩波文庫などは4か所くらいに分かれてしまっているので……(汗)

上の写真は、中華書局の「二十四史」の棚。これも前にアップしたことがありますね。人名索引や地名索引なども数十冊はあります。最近は、こうした中国発行の書籍は買わなくなって久しいですが、これらをいつの時点で処分することになるのか……

こんな状況なので、どの本がどこに置いてあるか把握しきれなくなっているのです。中国発行のものは、だいたい経史子集でまとめるようにしているのと、最近買っていないのでまだましですが、それでも中国へ行くことがあったら、古い時代の北京や上海の写真集とか、買っちゃうんだと思います。

カズオ・イシグロはガイブンなのか?

今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロが売れています。昨日の営業回り、ようやく重版分が入荷したようで、お店の一等地に並んでいるのを見かけました。何人もの人が手に取っていました。

  

いろいろと翻訳は出ていますが、目立つのは『日の名残り』『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』の三作品。売れているのもこの三つに集中しているのでしょうか?

お店の方に話をうかがうと、売れているのは確かなのですが、昨日入荷した冊数がかなり少なかったとのこと。あたしが回っていたのが郊外の書店ばかりだったので、そんな結果だったのでしょうか? 都心の大型店ならば十二分な量の入荷があったのでしょうか?

ここ数年、日本であまり知られていない作家、だから翻訳もあるのかないのかわからないような作家の受賞が多かったので、今年は久々に「売れる」作家の受賞で書店も活気づいているのはわかりますし、業界人としては嬉しいことだと思います。ただ、疑問に思うことも。

カズオ・イシグロはガイブンなのか?

ということです。彼が日系人であることは間違いありません。両親の仕事の関係でイギリスへ渡り育っただけで、彼自身がハーフだとかクオーターだとかそういうことはなく、血筋で言えば紛うことなき日本人です。単に、日本が二重国籍を認めていないので、英日両方の国籍を持つことができず、仕方なくイギリス国籍を選んだ、ということらしいです。

ですから、彼を日本人作家と見做し、日本人が受賞したと喜びたくなる気持ちは十分に理解できます。しかし、それと作品とは別です。ハヤカワ文庫からでている彼の作品はすべて翻訳です。どれ一つとして日本語で書かれたものではありません。作者のことを知らなければ純然たるガイブン作品です。

内容に日本的なところが見受けられるとしても、それは彼に限ったことではなく、他の海外作家にも日本を題材に書いた作家や作品は多数ありますし、中には日本人以上に日本の本質を切り取ったような作品だってあります。なので、それを持って「日本人作家」「日本人の受賞」と言うのには、なんとも言えない違和感を感じています。

ただ、今年は理系分野で日本人のノーベル賞受賞がなかったので、メディアとしてはどうしてもここに飛びつきたくなる気持ちはわかります。それに長い出版不況にあえぐ業界としても、「日本人が受賞」と謳った方が本がよく売れることも事実でしょう。

問題はそこです。

過去のノーベル賞、等し並みに語ることはできませんが、受賞のニュース、そして書店からの注文殺到、という流れは同じですが、その後実際にどのくらい売れるのか、売れたのかと言いますと、実はそれほど芳しいとは言えません。もちろん、ノーベル賞がなかったらまるで売れていなかった作品が再び売れたという点では喜ばしいのですが、作りすぎて大量の在庫を抱える羽目になった、というのでは却ってマイナスです。

ノーベル文学賞の場合、作品ではなく作家に与えられるので、今回のカズオ・イシグロのように翻訳がいくつも出ているものでは、それをどのくらい増刷するか、早川書房は悩んだことでしょう。ガイブンだと、とりあえず一冊は読んでみようという読者はそれなりにいると思います。その点はさすがノーベル賞です。しかし、一冊読んだ後にもう一冊、と手が伸びるかどうか、というところが判断の難しいところです。

あたしからすると、作品が面白いか否かが肝心なのであって、日本人作家だからとかガイブンだからというのはほとんど判断材料にはなりませんが、実際の売れ行きを見ていると日本人のものと海外のものとでは、そのあたりに顕著な差ができるものです。ガイブンは一定のガイブン好きが手に取ったらパタリと止まる、というのが過去のデータから見えてきます。

いや、日本人作家のものでもさほど変わらないのではないかという意見もあるでしょうし、そこまで実証的なデータを持っているわけではないので断言はできませんが、あえて言うなら、翻訳権がない分、相対的に日本人作家の作品は安く、従って読者からすれば買いやすい、ということは言えます。

さて、カズオ・イシグロです。しばらくは売れ続けると思いますが、一か月か二か月、そうですね、正月休みに読もうという方も多いでしょうから、年末くらいまでで実売がどのくらい伸びるのか、業界的にも楽しみであります。しかし、文庫本なので、売っても売っても利益は薄いでしょうね(涙)。

死んだ!

この夏、クワガタをもらったと、以前書きました

小学生の時以来の昆虫飼育、この歳になっても、それなりに心躍るものですね。

が、悲しいことに、じきにオス、メスそれぞれ一匹が死んでしまいました。飼い方が悪かったのか、と言われても、小学生以来なので、それに小学生の時だって決して気を遣って飼っていたわけでもないので、ノウハウなんてありません。カブトムシ、クワガタムシ用のエサをホームセンターで買ってきて与えていただけです。

オスが一匹だけになってしまったクワガタ。

その後、妹のところの姪っ子が欲しがったので、夏にわが家へ遊びに来たときに持って帰らせました。そして、姪っ子たちは喜んで世話をしていたようです。

先日、姪っ子たちの運動会を見物に母と二人、妹の家へ行きましたが、その時もクワガタは健在で、元気に籠の中を歩き回っていました。

それが、昨日、妹から連絡があり、朝起きたら死んでいた、とのこと。クワガタの寿命がどのくらいなのか知りませんが、長生きと言えるのでしょうか、それとも越冬させることもできたのでしょうか?

ダイソンのような出版社になれるのか?

11日付けの朝日新聞経済面に載っていた記事に、こんな一節がありました。

イオンは8月下旬、自主企画商品(PB)114品目を平均1割程度値下げした。春も大規模な値下げをしたが、対象商品以外の売れ行きは伸び悩んだ。イオンリテールの岡崎双一社長は「お客に目を向ければ、今後も(値下げを)必ずしていかなければならない」とさらなる値下げを見据える。

安くしないと売れない、そういう循環が定着し、政府がいくら景気がよくなっていると言っても、国民は誰も信用していないのがわかります。

書籍の場合、そこまで値段に敏感ではないと思いますが、そのぶん業界全体がこの十年以上冷え込んだままです。それによって得られるものなどを考えると、書籍の値段は決して高いとは思いませんが、数百円はおろか数十円、数円単位でしのぎを削っているスーパーなどから見れば、薄っぺらいのに数千円もする本は、とても消費者に振り向いてもらえない商材なのかも知れません。

本の場合、安い方が売れるという傾向は確かにありますが、安くしたから売れるわけでもないですし、高いからと言って売れないわけでもありません。読者がその値段に見合うと判断してくれれば、それが適正な価格ということになります。もちろん読者の見做す適正価格というのあれば、諸経費などから割り出される出版社側の適正価格というのもあります。

「たくさん作れれば安くできる」というのはどの業界でも同じですが、たくさん作って安くしたからといって、そのぶん売り上げが伸びるとは限らないのが難しいところです。単純に価格が半分になったからといって売り上げが二倍になるかといえば、決してそんなことはなく、多少値段の差があっても、あるジャンルの書籍の売れる冊数というのは、ものすごく影響力のある紹介でもない限り、だいたい同じところに収束します。2200円の翻訳小説と2400円の翻訳小説で売り上げにそれほどの差がないのであれば、出版社としては2400円で売った方が利益が大きくなりますから、そちらを選択することになります。

繰り返しになりますが、つまりはその価格に見合う内容の本であるか否か、ということです。本が売れないのは業界全体の話ですから、となると文庫や新書のように安く大量にという路線もあるでしょうが、高価格で部数を絞り確実に利益を上げるという方法もあります。売れ残った大量の在庫を抱えるのはどの出版社も避けたいところですから、予想される読者プラスアルファ程度の初版部数に絞り込み、それでどれだけの高価格に耐えられる本なのか、ということになりますが、こう書いていると、なんとなく家電のダイソンを思い出します。

ダイソンは、中国や韓国のメーカは言うに及ばず、日本メーカーの製品よりもはるかに高価格の製品を作っています。とりあえず使えればよいという人だったら絶対に手を出さないような価格です。それでも売れています。それは価格に見合う性能だからです。

本も同じように、価格に見合う内容であれば、少しくらい高くても買ってもらえるというのは事実です。あたしの勤務先は中国や韓国のメーカーの路線を取ろうとしているのか、それともダイソンになろうとしているのか……

文庫本と図書館。たぶん新書も同じこと?

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

これまでも「無料貸本屋」と揶揄され、出版社から槍玉に挙げられることのあった図書館。確かに、数千部や数万部を売っている大手出版社からすれば、その何割かが図書館で済まされてしまうと大きな痛手でしょう。

でも学術書、専門書のように、なんとか頑張って1000部、1500部の初版部数で頑張っている出版社からすれば、そのうちの300部から500部前後を図書館が購入してくれるのであれば、非常にありがたいと考えるのも道理です。この議論は出版社の出版規模によって考え方の差が大きいと思います。

とはいえ、あたしも「文庫や新書くらいは本屋で買いなよ」と思う方です。この10年くらいでしょうか。不景気と言われるようになり、電車の中で本を読んでいる人が手にする文庫本、図書館のラベルが貼ってあるものが目立つようになりました。以前は、単行本などでは時々見かけることはありましたが、この10年、文庫や新書を図書館で借りて読んでいる人が増えたなあという印象です。

文庫、新書のように安く大量に作っている商品は、大量に売れてくれないと赤字になってしまうのは子どもでもわかる理屈です。その売れてくれるはずだった部数のかなりの部分が図書館で借りられていると考えたら、確かに見過ごすことはできないでしょう。

景気がよかったころは図書館で借りられている部数なんか気にならないくらい本屋で売れていたから問題が表面化しなかっただけでしょうが、昨今はそうは言ってられなくなったということですね。ただ、図書館よりもスマホの方が脅威ではないかと思うのですが。

ロシア革命百年、盛り上がってますか?

昨日の朝日新聞夕刊。

個人的には、あまりロシア革命をアピールするよりも、共産主義とは何であったのか、マルクスの理想は奈辺にあったのか、そういった視点で捉えていました。

だからこそ、ピケティや格差社会といったところにも射程が広がると思うからです。あまりロシアというかソ連を強調すると、スターリニズム的な強権主義、個人崇拝、共産党独裁というマイナスイメージばかりになるので、なぜそうなってしまったのかを考究する方が、いまロシア革命を取り上げる意味があると思うのです。来年はマルクス生誕二百年ですし。

で、朝日新聞の記事に載っていた写真。あれはジュンク堂書店池袋本店の棚でしょうか? あたしの勤務先の本がチラホラと見え隠れしていますね(汗)。

別に、あたしの勤務先は左寄りの出版社というわけではないのですが、なぜかこのところソ連ものが増えているような……。この後も刊行予定がありますし(汗)。

社内の流れとしては、第二次大戦を中心とした「近現代史もの」という刊行の中でのソ連、ロシア関連書なのです。ですから、決してロシアものばかりではなく、同じくらいドイツものも出しているんですよ!

とはいえ、上の写真のようにロシア、ソ連関連書だけを並べてもこれだけあるわけですから、書店でコーナーを作ったらそれなりに存在感を出してしまいますよね。