存在感が足りない? なら、どうする?

下の写真はご存じ、諸外国語の入門書シリーズ、《ニューエクスプレス》です。

数十年前に《エクスプレス》を刊行したころは四六判、音源は別売りのカセットテープでした。その後、別売りのCDが発売されるようになりましたが、あっという間に、はじめからCDが付属の《CDエクスプレス》シリーズに取って代わられました。

《CDエクスプレス》はCD付きになったので、《エクスプレス》の四六判からA5判に少し大きくなりました。《エクスプレス》が順次《CDエクスプレス》に切り替わっていく中で、そろそろシリーズ自体もリニューアルしようということになり、数年前、いや、もう十年は経つでしょうか、とにかくリニューアルされて刊行をスタートしたのが、この《ニューエクスプレス》です。

お陰様でこんなに揃いました、最近も「インドネシア語」が刊行になり、年内には「アイスランド語」も刊行予定です。CD付きの語学入門書シリーズとして、その歴史、ラインナップしている言語の幅広さから、語学学習者のみならず、語学マニアの方にまで広く支持をいただいているシリーズです。

一応、フランス語やドイツ語、中国語といったメジャーな言語もラインナップされてはいますが、マイナーになればなるほどコアな読者、学習者の支持が高いのもこのシリーズの特徴です。「●●語はまだですか?」といった問い合わせや、読者カードに「●●語の刊行希望」といったリクエストまで、正直なところ「いったい地球上のどこで話されている言葉なんだろう?」という言葉の需要、希望が寄せられます。

ところで刊行している言語でははるかに負けていますが、《ニューエクスプレス》には、こんな姉妹シリーズがあるのをご存じでしょうか?

《ニューエクスプレス単語集》です。辞書を作るのはこの時代なかなか大変ですが、やはりちょっとしたものは欲しい、という声に応え、ミニ辞典的な要素を持たせた単語集のシリーズです。《ニューエクスプレス》には、どれも巻末に単語集が付いていますが、それをもう少し拡充し、なおかつ新書サイズのコンパクトな判型にしたものです。

ご覧のようにと言っても背だけではわかりにくいかも知れませんが、《ニューエクスプレス》と装丁も揃えてあります。ですから、書店語の語学の棚で《ニューエクスプレス》の近くに並んでいるはずなのですが、判型が小さいためかあまり目立っていないようです。

目立たなければ売れません。せっかく《ニューエクスプレス》というヒットシリーズの名を冠しているのに、これはもったいない限りです。目立たないだけではなく、あまりその存在が知られていないようでもあります。知られていなければ売れませんし、書店の方も置いてみようと思いつくはずがありません。

うーん、これはやはりわれわれの営業力の問題でしょうか? 《ニューエクスプレス》並にラインナップが増えてくればよいのでしょうか? 確かにそうなれば、書店の棚でも一定の存在感を示せますよね。ただ、それだけの問題なのかどうか……

個人的には書名を「単語集」ではなく「ミニ辞典」とした方がよかったかな、という気もしています。やはり語学の世界では単語集は辞典よりも一段低く見られがちです。「単語集なら買わないけど、辞典なら買っておくか」という方も一定数はいると思います。

とはいえ、こればっかりはやってみないとわかりませんし、いまさら書名を変えて出し直すというわけにもいきませんし、とにかくこれを売っていくしかない、否、それ以前に世間に存在をアピールして浸透させなければ!

出荷間違いではなく受注間違いだった、かもしれない?

ちょっと前のことです。

書店から客注品の、こんな電話がありました。

えーっと、ローズベルなんとかって本、出てませんか?

あっ、『ローズ・ベルタン』ですね。はい、弊社で出しております。

では、それを一冊お願いします。

ありがとうございます。では番線をお願いします。

というようなやりとりをし、無事に受注して、もうとっくに出荷されているはず。あるいは今ごろ、お店に入荷しているのかも知れません。

が、最近になって、ハタと思ったのです。

あの電話でお客さんが欲しかったのは『ローズ・ベルタン』ではなく、新刊の『ローズヴェルトとスターリン(上)』『ローズヴェルトとスターリン(下)』ではなかったのか、と。

お店の人もお客さんから聞いた書名を正確に覚えて電話をくれたのかわかりません。最初の電話の言い方からすると「ローズなんとか」くらいの記憶だったのかも知れません。

となると、少し前の本である『ローズ・ベルタン』を注文したのではなく、最近出たばかりの『ローズヴェルトとスターリン』を注文した可能性が高いなあと思うのです。前者が、メディアで最近になって改めて紹介されたという情報は入ってきていませんが、後者なら新聞などの広告で見た、という可能性が高いからです。

うーん、どっちだったのでしょう? 今のところ、書店から「間違った商品が入荷しました」という連絡は来ていないようですが……

高校図書館という違和感

最近『高校図書館デイズ』という本を読みました。

本自体は面白いです。いま高校に通っている人はもとより、高校を卒業した人、特に大学生なんかは読むと懐かしさがこみ上げてくるのではないでしょうか? そう思います。

ただ、一つだけ違和感を感じるのです。

それはタイトル。

高校の図書館を舞台にした本だからそれでいいじゃない、何か問題でも?

と言われると返す言葉に困りつつ、その「高校の図書館」というのが気になるんです、と言い返したくなります。

そもそも高校に図書館ってありました?

あるに決まってるだろ、当然じゃないか、と答える方がほとんどだと思うのですが、皆さんがおっしゃっているのは本当に図書館でしたでしょうか?

ここからは完全な揚げ足取りなんですけど、高校にあったのって図書室であって図書館ではなかったのではないでしょうか? 少なくともあたしの場合、小中高にあったのは図書室であって、図書館というのは市立や区立の施設、そして学校併設のは大学に入って初めて見た、体験した、使ってみたものでした。

図書室も図書館も同じじゃない、と言われれば、ほぼそうなんですが、図書室だと校舎の一角、やや広い一部屋を使っているもの、図書館だと別の建物、というイメージがあります。家庭科室、音楽室、理科室、職員室はあっても、家庭科館、音楽館、理科館、職員館なんてないですよね。

それと同じで、高校にあったのも図書館ではなく図書室だったのではないか、というわけです。本書の舞台となっている札幌南高校も、図書館ではなく図書室があるようですが、生徒は「図書館」と呼んでいる(いた)のでしょうか?

と、揚げ足取りをしてきたわけですが、本のタイトルとしては、「高校図書室デイズ」ではやはりしっくりきませんね。世間的にも「図書館」の方がはるかに人口に膾炙していますし、あえて「図書室」というタイトルにしたら、なんだか変な感じがします。筑摩書房が「図書館」というタイトルにしたのは正解なんでしょう。

で、そのついでに札幌南高校のウェブサイトで校内案内図を見ましたら、同校の図書室って校舎のほぼ中心にあるのですね。実際に生徒の校内における動線がどうなっているのはわかりませんが、生徒が行きやすいところにあるというのは素晴らしいことではないでしょうか?

あたしなど、小学校は辛うじて覚えているのですが、中学と高校の図書室が学校内のどこにあったのか思い出せないんですから! それだけふだんの学校生活の動線上になかったということです。もちろん少し離れている方が静かに本を読めるという理由もあるのでしょうが……