本当に食べたりはしないのだけれど~『性食考』と乃木坂46~

性食考』を断続的に読んでいます。

岩波書店のウェブサイトを見ると、本書については

「食べちゃいたいほど,可愛い.」このあられもない愛の言葉は,〈内なる野生〉の呼び声なのか.食べる/交わる/殺すことに埋もれた不可思議な繋がりとは何なのか.近代を超え,いのちの根源との遭遇をめざす,しなやかにして大胆な知の試み.神話や物語,祭りや儀礼等を読み解き,学問分野を越境してめぐる,魅惑的な思索の旅.

とあります。この「食べちゃいたいほど可愛い」というのが、表現としてはわかるものの、いまひとつピンと来ないと言いますか、あたしには共感できない感情でした。

そりゃ確かに、赤ちゃんとか小さい子などを見ると素直にカワイイとは思います。思わず頬ずりしたくなったり、ほっぺにチューしたくなったり、その程度の感情は覚えますが、食べてしまいたい、とまでは思いません。

と思っていたところ、数日前にオンエアされた「乃木坂工事中」で、先輩メンバーが後輩メンバーに対して、可愛くて食べられるんじゃないかと思った、と言っていたのです。その直前には赤ちゃんを食べたくなるとも発言していました。

ああ、この感覚、やはり特殊なものではなく、それなりに一般的なものなんだなあと実感したわけです(笑)。

味噌ラーメン、水ようかん、みかん

作曲家・平尾昌晃の葬儀、今朝の情報番組で比較的長い時間取り上げられていましたね。その中で、小柳ルミ子のヒット曲「瀬戸の花嫁」を皆で合唱しているシーンがありました。あたしが子供のころのヒット曲です。懐かしいです、思わず口ずさんでしまいます。

が、この曲、あたしくらいの年齢であれば、ほぼ全員が、

瀬戸ワンタン、日暮れ天丼、……

といった替え歌(?)で歌っていたのではないでしょうか?

この替え歌、上掲の出だしはほぼ「ワンタン」と「天丼」で多くの人の記憶が一致するのですが、その次の「夕波小波」の後が人によって異なるのです。

あたしが子供のころは「水ようかん」でした。これは年代と言うよりも地区によって異なるといった方がよいようで、中学に入ったころに多の小学校出身者は「味噌ラーメン」と歌っているのを知りました。

更に、もう少し成長し、高校の時だったか大学の時だったか忘れましたが、この話題が出たときに「みかん」と歌っていたと証言するクラスメートにも出逢いました。

「水ようかん」と「味噌ラーメン」はどちらも音の数がメロディーに合うと思いますが、「みかん」ではあまりにも字足らずではないかと思うのですが、そういう地域もあったのですね。

この「瀬戸の花嫁」の替え歌、どんなバリエーションがあるか調査した人っているのでしょうか?

 

たとえば、こういう方面から

昨日聞きに行った、陳光誠さんの講演会。NHKのサイトでも様子が紹介されています。

昨日のダイアリーで感想などは書きましたが、個人的にはもう少し異なる角度から考えていることがありました。

陳光誠さんの問題、中国共産党の問題などを考えるにあたっては、昨日も挙げた『不屈』や『中国 消し去られた記録』などを読んでもらえばよいとして、もう少し手軽にというのであれば、中国については掃いて捨てるほど文庫や新書が出版されていますので、気になったものから読んでみればよいと思います。

ただ、こういったノンフィクションはどうも苦手という人もいると思います。そんな方に、直接的に中国の抱える問題を訴えるものではありませんが、中国文学をお薦めします。

たとえば、陳光誠さんの活動の始まりは一人っ子政策に伴う強制中絶の問題でした。この問題に興味がある方なら、ノーベル賞作家・莫言の『蛙鳴』が面白いのではないでしょうか? よくもまあここまで書けた、書いたものだと思います。

 

あるいは閻連科の『愉楽』など、彼の多くの作品は中国政府批判の要素を含んでいます。人権活動家とは異なる立場で、中国を変えよう、現状をなんとかよいものにしようと、それぞれの立場で奮闘している人がいるのだと思います。そんなところにも、海外文学を読む楽しさ、読む意味があるのではないでしょうか。

そして、そこまであからさまに政府批判を訴える作品はちょっと苦手というのであれば、映画にもなった『ブラインド・マッサージ』は、盲人たちが経営するマッサージ店が舞台の群像劇です。そこには政府批判などは見えませんし、取り立てて盲人が社会の中で差別されているような描かれ方もしていません。素直な中国社会、都会で懸命に生きている人を描いた作品で、そんなのも紛れもなく中国の一面なんだと思います。

こんなふうに、中国のことを取り上げるにしても様々なアプローチ方法がありますし、出版社はそれに関わることができるわけですから、楽しい仕事だと思います。

不屈の人

台風が近づく中、会社まで出かけて行きました。

「わざわざ大雨の中、なんで?」と問われそうですが、それは陳光誠さんの講演会を聞きに行くためです。会場が駿河台の明治大学でしたから、いったん勤務先へ寄ったわけです。

陳光誠さんと聞いて、どれくらいの日本人がわかってくれるのでしょうか? 少し前から来日していて、各地で講演会を行なっています。その割に、朝日新聞など主要紙で記事になっているのを見ませんが、小さくても出ているのでしょうか。東京講演が今日までなかったからでしょうか?

で、その陳光誠さんですが、「盲目の人権活動家」として有名な方です。5年前、軟禁状態に置かれていた山東省の自宅から脱出し、支援者の助けを借りて北京のアメリカ大使館へ逃げ込み、悩んだ結果、アメリカへの亡命を決断した人、と言えば当時のニュースを思い出した方もいるのではないでしょうか?

いま「有名な方」と書きましたが、それは国際社会においての話であって、中国国内ではほとんど知られていないと思います。もちろん中国国内でも人権活動に従事している人や共産党に批判的な人なら当然知っている名前ですが、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波の名前ですら、北京の街中で若者に聞いても知らない人がいると言われるくらいですから、陳光誠さんの中国国内における知名度も推して知るべきでしょう。

 

その陳光誠さんの脱出劇を中心に、中国政府の人権弾圧については、今日の講演会で陳光誠さんの対談相手を務めた城山英巳さんの『中国 消し去られた記録』に詳しいですし、今日、陳光誠さんが話されたご自身の半生については『不屈 盲目の人権活動家 陳光誠の闘い』により詳しく書かれています。

どちらも、あたしの勤務先の刊行物で、どちらも読んでいますが、あの脱出劇の主人公である陳光誠さんが目の前にいるというのが信じられません。その当時、北京にいて脱出劇を間近で取材していた城山さんも、ここ日本でこうして陳光誠さんの隣に座る日が来るなんて夢のようだと話されていました。『不屈』を読んだ人であれば、あの本の中の人がここにいるというだけで感動ものだと思います。

陳光誠さんのお話は、大まかな原稿は作ってあったようで、話しぶりは穏やかで非常にハキハキとしたものでしたが、共産党批判のくだりになると俄然声量が大きくなり、早口でまくし立てるようになるのが印象的でした。あたしなど、若干は共産党自身が自己改革、自浄作用を見せるのではないかという期待を抱いているところがあるのですが、その点、陳光誠さんの立場ははっきりしていて、共産党がなくならない限り中国に未来はない、というものでした。

多くの人が指摘するように、5年前アメリカへ亡命したのは正しかったのか、中国に残って影響力を保つべきだったのではないか、という意見もありましたが、陳光誠さんは、あの判断は正しかったと述べていました。確かにアメリカにいても監視の目、中国共産党の魔の手は近くに見え隠れしているようですが、それでも家族揃って平和に暮らしていられるのは、『不屈』を読めばどれだけかけがえのないことか理解できます。

また陳光誠さんは、当時よりもインターネットが発達しているので、国外にいても中国国内に影響を与えることはできると自信を持っているようでした。ただ、城山さんなどは習近平政権以降、つまり陳光誠さんが中国を離れて以降、ますます弾圧や圧迫が強まっている中国政府に対して、非常に悲観的な意見を持っているようです。

とにかく、いろいろ考えることはありますし、まだちょっと自分自身が興奮冷めやらぬところがあるので、このあたりで留めておきますが、今日のは講演会、恐らく200名以上集まっていたのではないでしょうか。日本人以外の方もいたようですし、陳光誠さんが盲目ということもあって、視覚障害をお持ちの方も数名会場にいたようでした。メディア席は20席くらいありましたが、ほぼ埋まっていましたので、明日以降、新聞などにも記事が載るのではないでしょうか?

講演会後、あたしの勤務先のスタッフが会場販売をしていたのですが、本は飛ぶように売れていました。そして陳光誠さんはご自身の著書に快くサインをしてくださいました。上の写真は、あたしがしていただいたサインです。目が不自由ですから片手を添えて、一画一画丁寧にペンを運んでいました。非常に朗らかに「謝謝」と声をかけてくれました。

2017年10月29日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

レーニン問題、再び!

11月下旬にレーニンの評伝を刊行します。またもや上下本です(汗)。

今年はロシア革命百年ということで、各社から関連本が刊行されているようですが、ご多分に漏れず、あたしの勤務先もそれなりにロシア、ソ連ものは出しています。

売り上げの方はと言いますと、「まあ、ボチボチ」ですが、思いのほか売れたものもあるので、日本人もそれなりにロシアに関心は持っているのだなあと感じます。正直なところ、もっと売れないのではないかと、個人的には危惧していたので……

さて、そのレーニンですが、社内的にはいろいろと問題アリなんです。

別に本の内容とか翻訳の出来とか、そういった問題ではありません。著者にしろ訳者にしろ、そんなの知らないよ、と言いたくなると思いますが、「レーニン」ってあたしの勤務先の営業部としてはかなり面倒な案件なんです。

試しに、勤務先のウェブサイトの検索窓に「レーニン」と入力してみてください。あたしの勤務先で刊行しているレーニンやロシア関連書が出て来ます。それだけならよいのです、ロシア革命関係の書籍がヒットしているだけなら。

何が言いたいのかと言いますと、実際に検索してみた方ならすぐにお気づきだと思います。レーニンやロシア・ソ連以上に、語学書が検索結果に現われるのです。

その理由は簡単です。語学書でよく使われる「トレーニング」という言葉が、「レーニン」を検索すると一緒にヒットしてしまうからです。あたしの勤務先のウェブサイトはタイトルだけでなくないよう紹介の文面も検索対象になっているらしく、そこに「トレーニング」という単語があればヒットしてしまいます。

語学書なんて、タイトルに「トレーニング」が付くのはたくさんありますし、内容紹介の文面となれば、問題集やドリルなどにも「トレーニング」という言葉は使われがちです。こういった刊行物が軒並み検索結果に現われてくるので、肝心なロシア革命のレーニンだけが知りたいときには不便極まりないのです。

たぶん、語学書を刊行していない出版社であれば、こういう問題は起きないと思いますが、あたしの勤務先は語学書も柱の一つなので、こういうことが起きるのです。

ということは、ネット書店の検索や書店店頭の検索機で「レーニン」を検索したらどうなってしまうのでしょう? あたしの勤務先の刊行物だけでもこういう結果になるわけですから、他社の分が加わったらエラいことになりそうです。ネットの場合は、絞り込みとかジャンル指定とか、それなりにやりようがありますが、店頭の検索機は、そこまで遣いやすくはなっていないので厄介ですね。

もちろん、書店であれば、ロシアのレーニン、ソ連のレーニンの本を探すのであれば、素直に歴史の棚へ向かうのでしょうが……

ちょっとした写真集代わりに

ギター弾き語り 欅坂46 ベスト・セレクション』を買っちゃいました。

もちろん、あたしはギターなんて弾けませんし、だからギターも持っていません。なのに買ってしまうのは、この本、最初の数ページにライブの写真を掲載していて、ちょっとした写真集的な要素もあるからです。

 

さて、欅坂46でギターと言えば、フォークデュオ「ゆいちゃんず」です。だから同書には下の写真のように、二人のメッセージが表1と表4に入っています。

 

実は本書よりも先に乃木坂46が『ピアノソロ やさしく弾ける 乃木坂46 Selection for Piano』というのを出していて、欅坂46もそれに倣ったわけです。

 

ですから、欅坂46も『ピアノソロ やさしく弾ける 欅坂46 Selection for Piano』というのを出し、なおかつ欅坂46にはギターデュオもあるのから、ギター弾き語りの本も出たという次第です。

でも、乃木坂46にだって、特にギターデュオはないにも関わらず、『ギター弾き語り 乃木坂46 ベスト・セレクション』が出ていますので、ゆいちゃんずはあまり関係ないのでしょうか?

 

もちろん、ピアノの方も持っていますが、ピアノだって弾けません!

で、この二冊、装丁はほぼ同じ。最初の巣ページのライブ写真集も同じ写真が多いですが、判型がご覧のように異なります。これってギターとピアノの一般的な教本の大きさに揃えたのでしょうか?