人間牧場?

奇妙な夢を見ました。

あたしは広大な牧場にいます。幼稚園だか保育園の子供たちとペアになって牧場を散策するという活動のようなものに参加していて、あたしも女の子と一緒に牧場を散歩していました。もしかしたら姪っ子だったのかも知れませんが、今年度から一番下の姪っ子も小学生になりましたので、このあたり夢というのはいい加減です。

で、その牧場ですが、牛がいたり、作物が植わっていたりして、のどかです。

歩いていたら牛がいたのですが、よくいるようなホルスタインでもなければ、松阪牛のような、スルッとした感じの牛ではありませんでした。種類はわかりませんが毛むくじゃらで、大きさもかなりの巨体でした。もちろん牛ですからゾウほどの大きさはないにせよ、子象くらいはありそうな、ふつうの牛よりははるかに大きなもので、だから顔だってものすごく大きく、一緒にいた女の子は泣き出してしまったくらいです。

女の子が怖がるので、あたしはその子を抱っこして牧場を散歩していました。何が植わっていたかは覚えていませんが、野菜とか果物などの畑が広がっていた記憶があります。そんな牧場の中、抱っこしていた女の子が「ヒトがいる」と言いました。その牧場には他にも何組も大人と幼稚園児のペアで来ていましたが、牧場が広いのであたしたちの周囲、目の届く範囲には他のペアはいなかったはず、いるのは鎖に繋がれた牧羊犬が数匹です。

女の子が指さすのはその犬のことで、なんと気づいたら、それは犬ではなく、人間だったのです。浮浪者のように髪も髭も伸び放題、半裸というか全裸に近い男性だったと思いますが、とにかく人間です。人間が何人か鎖に繋がれているのです。

近づいても唸ることはなかったですが不気味です。目をギロギロさせて睨んでくるわけでもなく、焦点の定まらない視線はどこを見ているのやら……。そのうちの一匹、否、一人が我々に気づくと、いきなり話しかけてきました。

自分たちは季節労働者のようにこの牧場に雇われて、牧羊犬ならぬ牧羊人として家畜の番をしたり、畑を荒らされないように見張っているのだとのこと。確かに、米や果物が盗まれる事件が続いているというニュースもありますが、なんで人間がこんな畜生のようなことをさせられているのでしょう?

どうも、差別というか階級といいますか、そんなものが厳然としてある世界に迷い込んでしまったような夢でした。大牧場を経営する富裕層とその牧場で犬のように働かされる貧民層。そんな牧場に、遠足のように見学に来ているあたしたちはいったいどちらの側の人間なのでしょう?

いろいろ考えさせられる夢でした。さすがに、人間自体を家畜のように飼うところまでは行っていませんが、この世界が進んだら、いずれそういう事態も起こるのではないか、そんな気もします。

まだまだ改善の余地はありますが……

今朝の朝日新聞の声欄に載っていた投書です。

本屋に欲しい本を注文してから届くまで時間がかかりすぎるというご指摘。

昔からよく聞く意見です。投書主はかつて書店で働いていたことがあるような書きぶりですから、書籍の流通事情はよくご存じだと思いますが、それがこの十数年一向に改善されていないことへの不満のようです。本屋で注文したら「1週間から10日かかる」と言われたけれど、自宅からネット書店に注文したら2、3日で届いた、とも書いてあります。

ここで誤解のないように書いておきますし、多くの方も勘違いされていると思うのですが、「ネット書店だと2、3日」というのは「たまたまネット書店に在庫があった」からの話です。ネット書店をリアル書店に喩えるなら、「ネット書店の(倉庫に)在庫があった」というのは「書店店頭に本があった」ということと同じです。だったら、2、3日かかるネット書店よりも、その場で買って持ち帰れるリアル書店の方が早く手に入ることは自明です。

ネット書店の倉庫は、都会の大型書店などもかなわないくらいの広さです。だからありとあらゆる本を揃えておけます。ネットだからお客は全国(全世界?)からやってきますので、どんな本にだって買い手がいるでしょう。しかし、街の書店はそんなスペースはありません。お客も近所の方ばかりです。そうなると、その近所で売れそうな本だけを置いておくようになるのは当たり前のことです。

もちろん品揃えで新しい客を生むという効果もありますが、それで成功するのはかなり難しいですし、ハードルは高いです。都会ならまだしも、周囲の人口が絶対的に少ない地方では客を生むにも限界があると思われます。

書店に限らず、ネット商店は基本的に小売店です。どんな業界でも原則としてメーカー、問屋、小売店という流通になっていますが、その業界の商品を小売店がすべて在庫しているなんて無理ではないでしょうか。例えば、家電量販店。ビックカメラとかヨドバシカメラとかは品揃えの豊富さ(と安さやサービス)を競っていますが、テレビなどは海外ブランドを含めてもメーカーの数は数えられるほど、各メーカーが販売している製品だって季節ごとに10種類あるかないかでしょう。となると、大型店であれば、それらをすべて在庫するのは可能かも知れません。

しかし、本屋はどうでしょう? 出版社の数はそれこそ数え切れないくらいあります。出版物の数は毎日毎日山のように出ています。家電のようにある季節に新製品がまとめて出るわけではありません。そんな業界の商品を全部用意しておくなんてできるわけがありません。なので、ネット書店、たとえばアマゾンだって倉庫に在庫していない本はたくさんあります。全出版物で考えると、むしろ在庫していない本の方が多いでしょう。

ネット書店だって在庫していない本は(原則として)問屋経由で出版社から取り寄せますので、リアル書店とかかる日数に差はありません。ネット書店の倉庫に在庫がなければ、アマゾンだって1週間から10日はかかります。もし出版社が在庫を切らしていたら、10日待っても届きません。むしろ街の書店の店頭に在庫があるときに買った方が早いし確実です。

ネット書店は、倉庫に在庫があるものに関しては確かに早いです。もちろん街の本屋でその場で買っていくよりは遅いのは当たり前ですし、上述のように倉庫に在庫がなければ街の本屋と変わりません。しかし、そういうところは巧みにオブラートに包み「ネット書店は早い」というイメージを消費者に植えつけることに成功したアマゾンはやはり後者だと言わざるを得ません。だからあたしは、声を大にして「アマゾンは決して早くない」と言いたいし、言っているのですが……

上述のように、出版業界の特徴として多品種があるわけですから、アマゾンをはじめとしたネット書店がどんなに大きな倉庫を作ったとしても対応することは不可能でしょう。いや、東京ドーム何百個分の倉庫を作ればできるのでしょうか? それこそ業界を挙げて、「どこかに巨大な倉庫を作り、そこにすべての出版社のすべての本を在庫しておくようにして、すべての書店はそこから仕入れるようにする」となれば解決するかも知れませんが、さまざまなてんで現実的ではありませんね。

しかし、十数年経っても改善されない流通に関しては、何とかする余地はあると思います。実際には少しずつ改善はされていて、都内などでは月曜日に(書店が)発注した本が金曜日に(書店に)届く、というケースも出て来ています。これなどは流通の改善によって可能になったことです。

もう一段階進めば、全国的にこの程度の短縮は可能になるのではないかと思いますし、それを目標に業界なりに努力はしているということは知ってもらいたいところです。遅々としていはいますが。

言って、否、書いてみるものですね!

先程書いた乃木坂46のWEBショップの件。こんな画面に切り替わりました。

メンテナンスしているのですね。これまでになかったほどのアクセス集中があったのでしょうか? いきなりファンの数が増えるとも思えませんので、たまたまなのだと思いますけど。

それにしても、あたしがあんな記事を書いたのをスタッフが読んでくれたのでしょうか?

なんてことはあるわけないか(汗)。

でも、こういう草の根の声が広がって、運営側に届いたのではないかと思います。やはり、蟷螂の斧でも振るってみるものですね。

って、なんとなく中国の民主化を求める知識人の主張みたいな気がします(笑)。

ひとまず復旧を待つといたしましょう。

システムエラー

恐らく、否、間違いなく、90パーセント以上に人にとってはどうでもよいことだと思いますが、乃木坂46のWEBショップが繋がりません。

昨晩から、東京ドームでのライブ関連グッズの売り出しが始まったわけで、毎度新商品が売り出されるとアクセスが殺到し、繋がりにくくなったり、ほぼ繋がらなくなったりしていました。

が、今回はいつも以上にひどいです。

ネットの情報を見ても、多くの人が繋がらない、という苦情を言っていますし、半日以上たった今もって繋がりません。

いや、繋がってはいるのですが「システムエラー」という表示が出るだけで、サイトの中へ入っていけるわけではないのです。サーバーがダウンしているのか、なにかトラブルが起きているのか、まるっきりわかりませんし、公式サイトにも何ら情報はアップされていません。

とまあ、繰り返しになりますが、ほとんどの人にとってはどうでもよいことではありますが、ファンにとってはやきもきした気持ちのやり場に困ります。なおかつ、サイト側、運営側はこの異常事態に気づいているのでしょうか?

例えば、あたしの勤務先のウェブサイトも、時々ダウンしていることがあります。写真が常に誰かしら自社のウェブサイトを見ているわけではないので、誰かに指摘されるまでサーバーダウンに気づかないことがあります。乃木坂46のような人気芸能人のサイトであれば四六時中大勢の人がアクセスしているので、サーバーダウンとかシステム異常などの事態はすぐに気づかれますが、あたしの勤務先程度のウェブサイトですと、今日からの三連休のようなときですと数日にわたってダウンしたままということも考えられます。

ダウンしていてアクセスできないと、メールフォームを開くこともできませんから、見つけた人がサーバー管理者に連絡することもできません。それでも、あたしの勤務先であれば電話番号も公開されていますから、休みなので電話に出る人が誰もいませんが、連絡の取りようはあります。

しかし、昨今のIT系企業などは、一切の連絡手段はメールだけ、電話やファクスの番号を公開していないところもザラにあります。そうなると、どうやって連絡を取ればよいのでしょう、ということになります。

あたしもこうしてポスティングではありますが自前のサイトを運営しています。時々サーバーダウンしていることがあるようです。こうしてダイアリーを書こうと思ってアクセスしたらつながらない、ということで気づくことが多く、そういう場合はポスティングサービスの会社にメールで連絡するわけです。

ダウンの理由は過度なアクセス集中と言われることがほとんどで、誰かがアクセスしてきたわけではなく、自動で他人のサーバーにアクセスするウイルスというかプログラムのせいだったりするようです。こういったものに攻撃されやすいプログラム(CGIとか?)は設置しないようにするのが一番だそうですが、いくらやってもウイルスは日々新しいものが開発されているのでイタチごっこです。

幸い、あたしのこのサーバー、最近は調子よく動いてくれていますが……

さて、乃木坂ちゃんのWEBショップ、いつになったら復活するのでしょうか? 今日の午前中は辛うじてアクセスできていたのですけどね。

学問の府

大都会・東京の中でも若者に特に人気のある街・渋谷。そこからほど近い場所に位置する青山学院大学。「アオガク」の愛称、おしゃれな雰囲気は以前からとても人気でした。特に女子人気は高く、テレビ局のアナウンサーにもアオガク出身者は多いはずです。

そして、ここ数年は箱根駅伝での活躍によって、スポーツでも強豪校と呼ばれるようになってきました。正月には、毎年のように苦汁を嘗めさせられている東洋大学出身のあたしとしては、なんとも小憎らしい学校でもあります(笑)。

そんな青山学院大学の書籍売り場がこのほどリニューアルいたしました。

そのオープニングセレモニーが昨日行なわれたので行ってきました。正門横の校舎の一階、書籍売り場も広くなりましたが、カフェも併設した明るい店内です。これまでの売り場は、青山学院大学の規模からするとやや狭かった印象を持っていましたが、今回は学問の府にふさわしい書籍売り場を作るという大学側の意向もあって、このようなリニューアルされたそうです。

あたしの印象では、昨今の大学学内の書籍売り場は縮小傾向が続いてたと思います。書籍売り場がなくなったところまでは聞きませんが、行くたびに書籍の棚が減って、文具や「頭脳パン」の売り場が広がっているところが多々ありました。そんな中、アオガクのように書籍売り場を少しでも充実させようというのは出版社としてはありがたいことです。

これまでの経験に照らしますと、大学内の書店(大学生協とかブックセンターとか)って大きな大学だから広い、小さな大学だから狭い、と一概に言えるわけではありません。かなり大きな総合大学でも、「えっ、これしかないのですか?」と言いたくなるようなところはたくさんあります。もちろん大きさだけではなく品揃えも大事ですが、何より肝心なのは立地だと思います。

学内で、やはり学生の日常的な動線上にあると書店も賑わいます。それに対して敷地の片隅にぽつねんと立っているような書籍売り場は誰も行こうとしないものです。外れの方にあっても、事務棟のそば、食道と同じ建物、といったプラスの要素があればまだマシですが、そういった利点がないと、本当に誰も行かなくなるものです。

また、学生がどれだけ書籍売り場を利用するかという点に関しては、教科書販売を除くと、その学校の先生方がどれだけ書籍売り場で本を買っているかに左右されると思います。先生がよく利用している書籍売り場は学生もよく来るようですが、先生がほとんど来ないお店は学生も来ません。そういう相関関係は感じられます。

都心にあって、人気も高い、全国区の有名大学が、今回のような攻めの取り組みをしていると、他の大学にも影響を及ぼすのではないでしょうか? もちろん、これを成功させるというのが前提条件でしょうが、そのためには出版社にもやるべきことがあるのだろうと思います。

色彩のセンス

承前。

本の装丁に関して、しばしば社内の同僚と意見が異なるわけですが、それって子供のころからの育った環境のせいなのでしょうか?

と考えていたら思い出したことがあります。

小学校の何年生だったか忘れましたが、授業参観があったときのことです。たぶん二学期に入ってからのことだと思いますが、先生があたしたち生徒に「夏と言えば何色をイメージしますか?」という質問をしました。最終的にアンケートを取ったのかは覚えていません。あたしの他に何名くらいの生徒が答えたのかも記憶にはありません。

覚えているのはただ一つ、あたしも先生に指名されて答えたのですが、その答えは「茶色」というものでした。

夏と言えば茶色。

これって小学生の答えとして正解なのでしょうか? 今にして思うと、先生は太陽の赤、海の青、ひまわりの黄色、といった色を答えることを期待していたのかも知れません。しかし、あたしの答えは茶色です。

そのことをよく覚えているのは、家に戻ってから授業参観に来ていた母親に「なんだってお前は茶色なんて答えたんだ」と言われたからです。あたしとして、何のおかしなところもない、至極まっとうな答えのつもりだったのですが……

あたしの頭の中では、夏休みに林の中でカブトムシやクワガタムシを捕った思い出が残っていて、その虫の色が、黒光りと言うよりは茶色、焦げ茶だったこと、林の中の地面は土なのでやはり茶色、カブトムシなどを留まらせるための木も茶色、という風にとにかく茶色のオンパレードだったのです。

夏と言えば茶色に何の疑いを挟む余地はありません。

この夏の思い出、色彩センス、やはり他の児童とは異なっていたのでしょうか?

あたしのセンス

とある本の装丁。

あたしはそんなに悪い装丁ではないと思っていたのですが、ある書店で、書店員の人(一応付言しますと女性です)と話していたら、「ダサいよね」と言われました。

ああ、そうか。あの装丁はダサいのか、とちょっと驚き。

ところが、そんな記憶も覚めやらぬうちに、こんどは勤務先の同僚(こちらも女性)と、やはりその本の話をしていたら、装丁がダサいとの意見。

うーん、どうしたことでしょう。

センスというのは十人十色、人それぞれ感じ方があるわけですから、他人に合わせる必要なんてなく、自分が好きなものを好きだと思っていればよいのだと思います。

しかし、あたしの知り合いという共通項はあるものの、全く面識、接点のない女性二人が口を揃えて「ダサい」と評した本の装丁、これはやはり多くの人に聞いても「ダサい」という評価になるのでしょうか?

だとすると、それはつまり、あたしの感覚がおかしいということですか?

考えてみますと、勤務先で新刊の装丁を検討するとき、担当編集者がいくつかラフを持ってきます。数名でああだこうだ言い合うわけですが、多くの場合、あたしの意見はみなの賛同を得られません。ですから、あたしの意見は片っ端から却下されるわけです。

あたしは別にそれほど特殊な生まれでも育ちでもありません。ごくごく普通に育てられたと思うのですが、どうしてこんなにも他の人と感覚が異なるのでしょう?

あたしはフツーだと自分では思っているのですが……

行ってから読むか、読んでから行くか?

ライティングクラブ』読了。もう少し、本にまつわる物語なのかと思ったら、母と娘の葛藤の物語でした。

 

前半の舞台はソウルの桂洞で、その周辺、北村とか苑西洞といったあたりもしばしば登場しました。そのあたりがどんなところなのか、ソウルには、ほんの短期の旅行で二度ほど行っただけなので、街の雰囲気とか様子がわからず、想像するだけですが、だからこそこのあたりを主人公のようにあてもなく歩いてみたいなあと思いました。

が、ネットで調べてみると、このあたりは冬ソナの撮影場所であったり、伝統的な韓国家屋が建ち並んでいる地区ということで、昨今は観光客にも人気の、とてもおしゃれなエリアなんだそうです。作品では、現在よりもう少し前の時代が設定されているので、そんなおしゃれな雰囲気は感じられず(コーヒーショップなどがところどころにあるくらい)、むしろ寂れた下町、あまり収入の高い人は住んでいない地区、という印象を受けました。

そんなギャップがあるからこそ、やはり実際にその血に行って見たいと思わせるのが、海外小説を読む醍醐味ではないでしょうか?

一方、少し前に読んだ『真ん中の子どもたち』では舞台が上海です。上海がソウルとは異なり何度か行っていますし、街もずいぶんとぶらぶら歩きました。ここ数年の、万博以降の発展した上海こそ知りませんが、やはり作品の時代設定が万博前なので、「あたしの知っている上海」という親しさを持って読むことができました。

こういう風に、知っている町の風景が描かれることを楽しむのも、海外諸説の楽しみだと思います。知っている町だから楽しく読める、知らない町だから行ってみたくなる、どちらも海外小説を読む楽しさだと思います。どっちの方がよいとか正しいとか、そういう問題ではないと思います。

もちろん、こういう感覚は海外小説だけではなく、日本の小説だって同じですので、知らない町を舞台にした小説を読めば、行ってみたいなあと思います。が、やはり海外の方が「行ってみたい感」は若干強い気がします(笑)。それはなぜなんでしょう?

新宿での戦利品、鹵獲品?

新宿の紀伊國屋書店の店頭で配布されていました。

左は人文書コーナーにあった、ハンナ・アーレントおペーパー。右は文芸書コーナーで開催中の筑摩書房と河出書房新社の文庫フェアの小冊子です。

二社の文庫コラボフェアでは、紀伊國屋書店のみの限定復刊を行なっている模様です。うーん、こういうことが出来るのは、大手出版社だからでしょうか? それとも紀伊國屋書店という大型ナショナルチェーンだからでしょうか?

小さな出版社が街の本屋さんと、こういうフェアをやったとしても「限定復刊」なんて出来ないですよね? とはいえ、最低限どのくらいであれば可能なのでしょうか? 制作部数とか販売できる店舗数とか、という意味です。

上の写真はアーレントのペーパー。広げると関連書籍の書影をカラーで掲載しています。書影も紹介文も各社のサイトからコピペすれば簡単にできそうですが、こういうものを作るのって、意外と手間がかかるものです。なかなかの力作です。

で、アーレントのチラシの表をよく見ると、隅っこにこんな文字がありました。「日本出版販売株式会社」とあります。出版界の二大取次の一つ、日販ですね。そこの人文書担当者が作ったペーパーのようです。日販の方、なかなかやるじゃないですか!

しかし、その上には紀伊國屋書店のウェブサイトでも展開しているようなことが書いてありますので、このペーパーもあくまで紀伊國屋書店向けに作ったものなのでしょうか? あるいはこの部分だけ消して、他の書店にも配布されているのでしょうか?