紀伊國屋書店で本を買うこと

じんぶん大賞などの授賞式だからというのもありますが、作家の方の講演などでは、学生時代から新宿の紀伊國屋書店に本を買いに来ていたという話を聞くことがよくあります。このような学生時代の本屋体験を東京(関東?)で話題にすると必ず上がるのが、新宿の紀伊國屋と池袋のリブロではないでしょうか? 特に一定世代以上にとってはもう間違いないと言ってよいくらいの体験率です。

かくいうあたしはと言いますと、これがまるっきり接点がありませんでした。

いえ、別に本屋に行かない子供だったわけではありません。なかなか自分の小遣いでは買うことができませんでしたが、高校の頃から神保町の古本屋街には行っていました。なんと現在の三省堂書店神保町本店の新装オープンした当日にも三省堂へ行ったくらいですから、本屋にはよく行く子供でした。

しかし、新宿の紀伊國屋も池袋のリブロも社会人になって仕事上行くようになるまでは、ほぼ行ったことがない学生でした。自分なりに理由はわかっています。はっきり言って、行くのが面倒だったからです。

神保町の古本屋街に行っていた人間がリブロや紀伊國屋に行くのが面倒というのもおかしな話ですが、気持ちとしては間違いなくその通りです。

学生時代、あたしが住んでいたのは井の頭線の高井戸でした。ですから明大前で京王線に乗り換えれば新宿など30分もかからずに行ける街でした。だったら紀伊國屋なんて行くのは訳ないと思うところですが、新宿のような大きな駅になりますと、京王線など主に西口を利用している人はよほどのことがない限り、紀伊國屋がある東口には行きません。これは京王線だけでなく小田急線を使っている人にも共感してもらえる感覚だと思います。ですから、新宿に行っても、本屋でよく行っていたのは小田急百貨店の上にあった三省堂書店でした。

大学時代は、東洋大学ですが、当時は一年生、二年生は朝霞校舎です。通学経路は上述のように新宿へ出て、山手線か埼京線で池袋へ出て東上線というルートでした。ドアトゥドアで片道一時間半くらいでした。となると、帰心矢の如し、途中で紀伊國屋に寄ろうなどという気はまず起きません。

ちなみに、今から考えますと、あたしが朝霞に通っていたころって、池袋のリブロが一世を風靡していた時代に重なります。ただ、当時のあたしは、まずは上述の紀伊国屋と同じで、池袋あたりで寄り道をしているなどという発想はなかったです。そして、特に現代思想に強い興味を持っていたわけではないので、リブロが話題になっていることすら知りませんでした。

大学時代、あたしの専攻は思想は思想でも中国思想でしたので、クラスメートからもリブロの人文書コーナーの話題が出ることはありませんでした。毎日のように池袋を通っていたのに、その当時のリブロにたぶん一回も立ち寄ることなく時が流れていったのです。三年生、四年生になると白山校舎ですから、京王線直通の都営新宿線で神保町へ、そこで三田線に乗り換えて白山へ、という通学ルートです。池袋は通りませんし、新宿も通りすぎるだけ、下車することはほとんどなく過ごしました。

その代わりと言ってはなんですが、乗換駅である神保町はしょっちゅう歩いていました。神保町には東方書店や内山書店といった中国専門書店が数件あり、週に一度はそれらを見えて回るのが日課ならぬ週課でした。そして、そのついでに三省堂書店、東京堂書店、書泉グランデなどの新刊書店に立ち寄っていました。これらの新刊書店に寄っていれば、リブロや紀伊國屋にわざわざ行く必要性は感じなかったというのが現実です。

ちなみに社会人になって以後も、渋谷のブックファースト(東急本店の前にあった店舗)は数えるほどしか行ったことありません。渋谷が営業担当ではなかったから、というのがそのはっきりとした理由です。片手で数えるほどの回数しか行かないうちにブックファーストは閉店になりましたし、リブロも数年前になくなりました。池袋のリブロ、渋谷のブックファーストは新宿の紀伊國屋と並んで東京を代表する書店だったと思いますが、そのうち3分の2が既にないとは……

で、上に書いたような書店体験って、この業界にいたとしてもそれほど珍しいことではないようです。やはり営業などで意識的に回らない限り、たいていの人は通勤経路以外の町へ行くことは稀です。大阪でも梅田界隈の書店の方と話していると、「まだあべのハルカスへ行ったことがない」という人がそれなりにいましたし、逆に難波や天王寺地区の書店ですと「グランフロントに行ったことがない」という人がいます。「梅田の伊勢丹、行かないうちに潰れてしまった」というのも冗談ではなくフツーにある話です。

ちなみに、大きな書店に関してはそんな感じですが、日常的な本屋体験で言いますと、上述のように高井戸在住でしたから、ふだん使うのは駅にあった書原(広和書店を名乗っています)でした。小さいころから書原を利用していたということの方がよほど特殊だったかも知れませんが、あとは家族での買い物は吉祥寺が多かったので東急百貨店にあった紀伊國屋もよく利用していました。家族での買い物でしたからパルコに行くことはほとんどなかったです。

多くの人が、こんな感じではないでしょうか?

名前はまだない

上野の子パンダの話題が連日報じられていますが、パンダといったら和歌山ではないか、あたしはそう思います。確かに、日本に初めてやってきたパンダは上野動物園だったし、パンダと上野の結びつきは日本人に強くインプットされているのはわかります。でも、現実に飼育されている頭数や繁殖実績など、すべてに置いて和歌山の方が上ではないかと思うのです。こういう話題でも東京一極集中なんだなあ、とちょっと嫌悪感を覚える自分がいます。

閑話休題。

それでもテレビに映る愛らしいパンダはカワイイです。で、見ていて思い出したのはわが家のパンダ。

ちょうど同じくらいの大きさだと思います。

このパンダ、もちろん見てのとおりぬいぐるみですが、中国で買ったものです。初めて行ったときだったか、社会人になってから一人で行ったときだったか、いつの訪中で買ったものかは忘れましたが、北京で買いました。記憶が正しければ王府井です。新東安市場の中にあったおもちゃ屋だったかしら? だとすると、買ったのは社会人になってからの訪中ですね。だって、初めて行った北京には、まだ新東安市場はなくて、闇市のような東風市場がありましたから!

中国で買ったぬいぐるみ、品質はどうなの? と聞かれそうですが、これが実に肌触りが心地よいぬいぐるみです。実際のパンダを触ったことはありませんが、このぬいぐるみは触っていてとても気持ちよいです。もちろん縫い目のおかしなところとか、不良品っぽいところもなく、既に購入から20年近くになろうとしていますが、壊れもせず、白いところが少し汚れてきましたが、いまだこのように愛くるしさを保っています。

中国製といえば粗悪品というイメージがかつてはありましたが、この頃からTシャツなども非常にしっかりしたものが売られるようになってきた、という印象もありますね。