色彩のセンス

承前。

本の装丁に関して、しばしば社内の同僚と意見が異なるわけですが、それって子供のころからの育った環境のせいなのでしょうか?

と考えていたら思い出したことがあります。

小学校の何年生だったか忘れましたが、授業参観があったときのことです。たぶん二学期に入ってからのことだと思いますが、先生があたしたち生徒に「夏と言えば何色をイメージしますか?」という質問をしました。最終的にアンケートを取ったのかは覚えていません。あたしの他に何名くらいの生徒が答えたのかも記憶にはありません。

覚えているのはただ一つ、あたしも先生に指名されて答えたのですが、その答えは「茶色」というものでした。

夏と言えば茶色。

これって小学生の答えとして正解なのでしょうか? 今にして思うと、先生は太陽の赤、海の青、ひまわりの黄色、といった色を答えることを期待していたのかも知れません。しかし、あたしの答えは茶色です。

そのことをよく覚えているのは、家に戻ってから授業参観に来ていた母親に「なんだってお前は茶色なんて答えたんだ」と言われたからです。あたしとして、何のおかしなところもない、至極まっとうな答えのつもりだったのですが……

あたしの頭の中では、夏休みに林の中でカブトムシやクワガタムシを捕った思い出が残っていて、その虫の色が、黒光りと言うよりは茶色、焦げ茶だったこと、林の中の地面は土なのでやはり茶色、カブトムシなどを留まらせるための木も茶色、という風にとにかく茶色のオンパレードだったのです。

夏と言えば茶色に何の疑いを挟む余地はありません。

この夏の思い出、色彩センス、やはり他の児童とは異なっていたのでしょうか?

あたしのセンス

とある本の装丁。

あたしはそんなに悪い装丁ではないと思っていたのですが、ある書店で、書店員の人(一応付言しますと女性です)と話していたら、「ダサいよね」と言われました。

ああ、そうか。あの装丁はダサいのか、とちょっと驚き。

ところが、そんな記憶も覚めやらぬうちに、こんどは勤務先の同僚(こちらも女性)と、やはりその本の話をしていたら、装丁がダサいとの意見。

うーん、どうしたことでしょう。

センスというのは十人十色、人それぞれ感じ方があるわけですから、他人に合わせる必要なんてなく、自分が好きなものを好きだと思っていればよいのだと思います。

しかし、あたしの知り合いという共通項はあるものの、全く面識、接点のない女性二人が口を揃えて「ダサい」と評した本の装丁、これはやはり多くの人に聞いても「ダサい」という評価になるのでしょうか?

だとすると、それはつまり、あたしの感覚がおかしいということですか?

考えてみますと、勤務先で新刊の装丁を検討するとき、担当編集者がいくつかラフを持ってきます。数名でああだこうだ言い合うわけですが、多くの場合、あたしの意見はみなの賛同を得られません。ですから、あたしの意見は片っ端から却下されるわけです。

あたしは別にそれほど特殊な生まれでも育ちでもありません。ごくごく普通に育てられたと思うのですが、どうしてこんなにも他の人と感覚が異なるのでしょう?

あたしはフツーだと自分では思っているのですが……

行ってから読むか、読んでから行くか?

ライティングクラブ』読了。もう少し、本にまつわる物語なのかと思ったら、母と娘の葛藤の物語でした。

 

前半の舞台はソウルの桂洞で、その周辺、北村とか苑西洞といったあたりもしばしば登場しました。そのあたりがどんなところなのか、ソウルには、ほんの短期の旅行で二度ほど行っただけなので、街の雰囲気とか様子がわからず、想像するだけですが、だからこそこのあたりを主人公のようにあてもなく歩いてみたいなあと思いました。

が、ネットで調べてみると、このあたりは冬ソナの撮影場所であったり、伝統的な韓国家屋が建ち並んでいる地区ということで、昨今は観光客にも人気の、とてもおしゃれなエリアなんだそうです。作品では、現在よりもう少し前の時代が設定されているので、そんなおしゃれな雰囲気は感じられず(コーヒーショップなどがところどころにあるくらい)、むしろ寂れた下町、あまり収入の高い人は住んでいない地区、という印象を受けました。

そんなギャップがあるからこそ、やはり実際にその血に行って見たいと思わせるのが、海外小説を読む醍醐味ではないでしょうか?

一方、少し前に読んだ『真ん中の子どもたち』では舞台が上海です。上海がソウルとは異なり何度か行っていますし、街もずいぶんとぶらぶら歩きました。ここ数年の、万博以降の発展した上海こそ知りませんが、やはり作品の時代設定が万博前なので、「あたしの知っている上海」という親しさを持って読むことができました。

こういう風に、知っている町の風景が描かれることを楽しむのも、海外諸説の楽しみだと思います。知っている町だから楽しく読める、知らない町だから行ってみたくなる、どちらも海外小説を読む楽しさだと思います。どっちの方がよいとか正しいとか、そういう問題ではないと思います。

もちろん、こういう感覚は海外小説だけではなく、日本の小説だって同じですので、知らない町を舞台にした小説を読めば、行ってみたいなあと思います。が、やはり海外の方が「行ってみたい感」は若干強い気がします(笑)。それはなぜなんでしょう?