そこに何があるのか?

御巣鷹山の事故から今年で32年だそうです。当時のことはよく覚えています。

夜、テレビを見ていると、日航機の消息が途絶えたというニュース速報が流れました。「ふーん、どうしたんだろう」というくらいの気持ちで、あたしの記憶が正しければ、「水戸黄門」を見ていました。ちなみに、水戸黄門一行がちょうどその時旅していたのが群馬県の事故のあったあたりだったはずです。だからこそ、よく覚えているのだと思います。

その後も水戸黄門の中でニュース速報のテロップが数回流れたと思います。徐々に事故だ、墜落か、という感じの雰囲気になってきました。その晩のうちに墜落の一報を聞いたか、事故を知ったのは翌日だったのか、それは覚えていませんが、直後は凄惨な墜落現場の映像が入ってこないので、死亡者こそ多いものの、これほどの重大事故だという認識はありませんでした。

さて、三十数年経って、毎年のように慰霊に訪れる遺族がいます。その行為や気持ちをとやかくいう立場でもなければ、そんな資格もありませんが、ふと思うのは、あそこへ行って何がしたいのか、ということです。

大切な家族が命を落とした場所というのはわかります。ただ、遺骨なり遺体なりを自分のところの墓に埋葬したのであれば、御巣鷹山には何があるのでしょうか? 遺体が発見できなかった人であれば、亡くなった家族の霊がまだあの場所にいると考えたくなるのはわかりますが、ただ、それでも葬儀を行ない供養もし、自宅に仏壇なりがあるのであれば、御巣鷹には何が残っているのだろうか、という気がするのです。

こういう気持ち、疑問とは全く別な理由でしょうけど、事故の現場に足を運べない遺族もやはりいると思います。辛い気持ちになるからでしょう。もし自分の家族があの事故で亡くなっていたとしたら、あたしは毎年現場へ足を運ぶだろうか、と考えてしまいます。

家族が無念の死を遂げたところではありますが、怖い思い、辛い思いをした場所でもあります。死の間際どれだけの恐怖が家族に襲いかかったのかと思うと、その場所へ足を運ぶのを躊躇ってしまうかも知れません。だから、あたひは毎年足を運ぶ遺族に対して「もう無駄だからやめれば」という気はさらさらないですが、足を運ばない(運べない?)遺族に対しても「行くべきだ」という気にはなりません。

こんな風に事故を思って、いろいろ考えることが、風化させないということなのかとも思います。

知らないことだらけで興味深い

物語ポーランドの歴史』読了。

ポーランドという国を知らないという日本人はいないと思いますが、具体的に白地図上でどこか指し示せと言われると自信のない方も多いのでは? とはいえドイツやソ連のポーランド侵攻などという言葉もあるので、ドイツやソ連の隣だという知識くらいは持っている日本人も多いと思います。英仏独ほどには知られていなくても、まるっきり知られていないわけではないポーランド、そのポーランドの歴史を新書という形でまとめてくれている本書は非常に興味深いものでした。

参考文献には、あたしの勤務先の刊行物もいくつか挙げられていたので、それをご紹介しますと以下の通りです。

 

アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』『ワルシャワ蜂起1944(上)』『ワルシャワ蜂起1944(下)』です。文庫クセジュの『ポーランド史』も挙げていただいていますが、これは現在品切れになります。

私はホロコーストを見た(上)』『私はホロコーストを見た(下)』も、巻末の文献リストには挙がっていませんが、本文中のコラムで紙幅を割いて取り上げられています。

また書名としては挙がっていませんが、本書の後半、社会主義体制後のポーランドについては『東欧革命1989』なども参考になるのではないかと思います。

 

最後に、本書とは直接の関係はありませんが、ポーランドの文学作品『昼の家、夜の家』『逃亡派』なんていうのも刊行しています。