ガンバレ中学生!

今朝の朝日新聞の「声」欄です。

三国志にはまっている中学生の投書です。世の中、漢文の授業など要らない、という風潮が強くなっているというのに、この中学生は白文を読みたいと書いています。嬉しいじゃないですか! まだ12歳ですよ!

それにしても、こういう熱い気持ち、せめて大学へ入るまでは持続してほしいものです。ただ、あまり熱くなりすぎると周囲から浮いてしまうかも知れません。浮いてしまうと情熱も冷めてしまいがちです。ですから、静かに、熱いというよりは温かく、ずっと心に持っていてもらいたいと思います。

もし本当にその道を志すのであれば、一時の熱さよりも、何十年と根気よく向かい合える気持ちの方が大事になってくるはずです。あたしが学生の頃にも、NHKの「シルクロード」や人形劇「三国志」などの影響で、必要以上に熱いテンションで入ってきた同級生がたくさんいました。が、そのほとんどはテンションが一学期と持たず脱落していきました。

たぶん、テレビやゲームの影響で入学すると、ひたすら白文を読むような地味な授業についていけなかったのでしょう。でも、この投書の中学生は白文が読みたいと書いているくらいですから、たぶん大丈夫。大学受験の頃、この投書を読み直してどんなことを思うのでしょうか?

2017年7月14日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

日本は戦争をするのかな、って心の片隅でちょこっとだけ考えておいた方がよい時代なのかも

ブックファースト新宿店の人文書コーナーで、加藤陽子さんの選書によるフェア、やっていました。

上の写真は、そのフェアで配布されている小冊子なのですが、これ、ちゃんと印刷屋さんで刷ってもらったものみたいな紙質です。ただ、どこが作ったものが書いていないので、版元作なのか、ブックファースト作なのか不明です。特に加藤さんの新刊『歴史を学び、今を考える 戦争そして戦後』をフィーチャーしているようなフェアにも見えませんでしたが……

で、上の写真は小冊子の表紙だけですが、頁をめくって選ばれている20点の書籍に対する加藤さんのコメントが熱いです。本当に現在の日本を憂いているんだなと感じます。書目だけ挙げておきますと如下:

小松左京セレクション1 日本(河出文庫)
ヒトラーとナチ・ドイツ(講談社現代新書)
戦争は女の顔をしていない(岩波文庫)
ボタン穴から見た戦争(岩波文庫)
決定の本質(日経BPクラシックス)
日本陸軍と中国(ちくま学芸文庫)
憲法9条の思想水脈(朝日新聞出版)
失われた兵士たち(文春学藝ライブラリー)
日本人はなぜ戦争へと向かったのか(新潮文庫)
海の志願兵(偕成社)
言論統制(中公新書)
対談 戦争と文学と(文春学藝ライブラリー)
日本浪漫派批判序説(講談社文芸文庫)
平和憲法の深層(ちくま新書)
世界史の中の日本国憲法(左右社)
大本営発表(幻冬舎新書)
幕僚たちの真珠湾(吉川弘文館)
戦争中の暮しの記録(暮しの手帖社)
大政翼賛会への道(講談社学術文庫)
インテリジェンス(ちくま学芸文庫)
クーデターの技術(中公選書)

文庫の手軽さは理解できますが……

朝日新聞の岩波文庫記事の最終回。

文庫は手軽であるということのようです。確かにその通り。気が向いたら手に取って、なんなら買って読んでみる、それが文庫本の醍醐味だと思います。

だからこそ、そういう文庫まで図書館で借りて読んでいる人が増えている昨今の状況、つまり不景気ってことですが、そんな状況なんとかならないものか、と思ってしまいます。

文庫(や新書)くらい、借りずに買ってよ、というのが本音ではありますが、本を買う金はないけれど、それでも本を読みたいんだ、という気持ちもわかりますし、そういう気持ちは大事にしたいところです。でも、やっぱり、ちょっと高い単行本ならいざ知らず、文庫なんだから……。いや、最近は文庫もかなり高額になりましたね(汗)。

それとは別に、古典などが文庫になるのも悪いことではないものの、書店における棚作りとして見たときにはどうなのかな、という気もします。

本屋の場合、基本的にはジャンルごと日本が並んでいるわけですが、文庫や新書はジャンルではなく、「○○文庫」「△△新書」という括りで並んでいます。その方が店員も管理しやすい、というメリットはわかります。

でも、そうなると岩波文庫の西洋哲学の古典が人文書の棚にはなくて、岩波文庫のコーナーで探さないとならなくなります。書店によっては文庫もその内容に従ってジャンルごとの棚に置いている店舗も散見されますが、単行本の中に文庫本を混ぜて置くと埋もれてしまったり、棚の高さが無駄になったり、なにかと不都合も出てきます。

いま「不都合」と書きましたが、あくまで書店の棚管理上の不都合であって、そのジャンルの本を捜しているお客さんからすれば、単行本も文庫も新書も関係なくて、そのジャンルの本は同じところに置いて欲しいと思うものではないでしょうか?

本屋に慣れていない人が、例えば夏目漱石の『坊っちゃん』を買おうと思って本屋に来たとします。夏目漱石なんだから「文芸」とか「文学」のコーナーに置いてあるだろうと予想をつけて行ってみたけれど、いくら探しても見つからない、「夏目漱石の…」といった周縁の本は「評論」という棚に置いてあるけれど、いくら探しても『坊っちゃん』は見つからない。そんな状況がいまの本屋です。

もちろん店員に聞いたり、店内の検索機を使えば、適当な文庫に収録されている『坊っちゃん』がヒットするでしょう。仮に存在するとしても、最低でも1000円以上はする単行本よりも文庫本があるなら、このお客さんにとってはその方がありがたかったと思います。でも、やはり「文芸」の棚で見つからないということに関しては忸怩たるものがあるのではないでしょうか?

落としまくり?

昨日の午後、書店回りの途次、物をよく落としました。幸いにも無くし物にはならなかったのですが……

まずはちょっとおやつ代わりにコンビニで買ったバームクーヘン。ショッピングモールのベンチに座って食べていたら、半分くらい食べたところで手からポロッと……。見事に床に転がってしまいました。

ああ、まだ半分しか食べていなかったのに(涙)。

その後、日差しも強く、ベトついた体を拭こうと鞄から出した汗ふきシート。一枚取り出して首筋をサッと拭いたと思ったら、これまた手から離れてヒラヒラと地面に落下。

ああ、まだ拭きたいところがあったのに(涙)。

汗ふきシートはまだ持っていましたが、こんな日はきっとまた落とすに決まっていると思い、諦めて帰宅までさっぱりするのは我慢しました。

本当に物を落とす日でした。

若者を振り向かせる?

今日も朝日新聞に岩波文庫の記事が載っていました。

今回のテーマは、若者をどう取り込むか、ということでしょうか? ただ、記事を読む限り、岩波文庫はそんなことを意識して何かをしたわけではないようですね。むしろ愚直に、最初の方針のまま刊行を続けていた、という感じです。

結果的に、それが長く愛された理由、廃れない寂れない秘訣なのかもしれません。そういえば、これは以前に書いたかもしれませんが、ずいぶん前のことですが、中央線にいかにもイマドキの若者という風体の青年が乗ってきたことがありました。刺青はしていなかったと思いますが、耳にピアスくらいはしていたのではなかったかと記憶しています。服装も大人の目から見ると「だらしない」と言われそうな格好でした。

そんな若者が乗ってきて、電車が走り始めたと思ったらカバンだったかポケットだったか覚えていませんが、とにかくおもむろに本を取り出して読み始めたのです。その本というのが岩波文庫でした。青か白だったはずです。

あたしはその光景を見て格好いいと感じると共に、見かけで判断した自分の不明を恥じました。岩波文庫というと、あたしはこの体験を思い出します。

三期生Wセンターについてちょこっとだけ考える

たぶん世間はほとんど関心を持っていないでしょうけど、乃木坂46ファンの間では賛否両論、一部SNSは相当荒れ狂っている今回のシングル選抜メンバー発表。あたし自身は一ファンとして、どんなメンバーが選ばれようと応援するだけです。たぶんこの点に関しては多くのファンも同じ思いだと思っています。

もちろん、あたしだって、「あの子が選ばれたのに、なんでこの子が選ばれないの?」という疑問が全くないわけではありません。ただ、選抜メンバー発表って、毎回期待はするけど予想はしないので、結果を淡々と受け入れております。こういうのを「年の功」と呼ぶのでしょうか?

それはさておき、では今回の選抜メンバーについてどう思うのか。以下、興味のない方はもう読んでいただかなくて結構です。あたしが御託を並べるだけですので……

まず、ここまで人気が出てきた乃木坂46ではありますが、世間的に認知されているメンバーがどれほどいるかと言われると、まだまだ「国民的アイドル」と呼ぶにはほど遠い状況です。それでも、このところソロでの外仕事も増えてきて、「へえー、こんな子が乃木坂にいるんだ」と少しずつ認知もされてきているとは思います。

このあたりを加味すると、今回の福神メンバー、大抜擢の三期生を除くと至極順当な人選です。白石麻衣、西野七瀬、齋藤飛鳥が現時点で福神から外れる可能性は限りなくゼロでしょうし、舞台などの仕事の都合で今回のシングル期間は活動休止ということにでもならない限り、生田絵梨花も福神を外れることはないはずです。

衛藤美彩、秋元真夏、高山一実あたりも福神が確実とは言わなくて選抜を外れることはまずなさそう。生駒里奈、桜井玲香、堀未央奈、若月佑美も副神には入れるかはわからないですが、選抜落ちは考えられないメンバーです。結局、今の乃木坂46はレギュラーメンバーの安定感が抜群で、両A面のシングルを出すとか、3か月連続リリースといった方法でも採らない限り、この分厚い選抜レギュラー陣の壁を崩すのは至難の業だということです。

この状態で世代交代をどう図っていくのか。そしてアンダーメンバーのモチベーションをどう維持するのか。そこが最大の関心事でもあったわけです。ただ、いきなり三期生のセンターとは予想外でした。今回のセンターは二期生の寺田蘭世を密かに期待していました。早くから自分はセンターに立つと公言し、着実に実力を付け選抜にも上がってきたわけで、いまの蘭世ならセンターに据えても全く遜色ないと思っています。むしろ前回のように選抜に入ったのに後列に置いておいたのでは輝かないと感じていました。この子はセンターにおいてこそ輝く、そう思います。

その蘭世が今回はアンダーに落ちました。自作で、いきなり選抜センターでの復活をもう一度期待します。蘭世の場合はWセンターではなく、ソロのセンターで置いて欲しい。そう期待しています。

それにしても秋のドームを境にごっそり卒業するのかしら? まいやんやみさ先輩、万年アンダーの一期生、それに真夏や高山あたりが一気に卒業したら、実力を付けてきた二期生と三期生の新しい乃木坂に生まれ変わるでしょうね。一期生で残っているのは飛鳥、みなみとか、生駒から下の世代くらいかな……

こだわりは、どの本にもあるとは思いますが……

今朝の朝日新聞。

岩波文庫の記事です。文庫のレーベルは数あれど、やはり岩波文庫は別格な感じがします。本屋でも岩波文庫、岩波新書がしっかり並んでいる本屋はちょっと違う、そんな感覚を持っているのは古い人間だからでしょうか?

岩波文庫には岩波文庫なりのこだわりがあるそうですが、どんな本、どんなシリーズにだって、始めたときにはそれなりのこだわりがあったはずです。ただ、それがどれだけ多くの人に受け入れられるか、という点で長く刊行し続けられるか否かが決まるのでしょう。

それにしても、現在の文庫界はどうなのでしょう?

単行本は高いから買わない、という読者が増えているのは実感としてわかりますが、一部の文庫は火なり高くなっていて、単行本と変わらないような価格のものも増えてきました。また、字が小さいから単行本の方がよい、という年配の読者もいますし。

これだけ文庫が出ているのに、地方の小さな書店には本が入ってこないという問題はますます深刻になっていて、実のところ、大手でも文庫の初版部数はかなり減っている(絞っている)ようです。そうなると、都市部の大型書店偏重の配本になるのは致し方ないところ。出版社だけでなく、取次の配本システムも含めて考え方を変えないとダメでしょうね。

字幕派? 吹替派?

昨日の朝日新聞に映画字幕についての記事がありました。

確かに、吹き替えは読まなくてよい分、映画を見やすくなりますが、実際の俳優の声を聞きたいという気持ちもわかります。もうずいぶん前になりますが、テレビで放映されていた映画の二か国語放送で、あえて吹き替えでなく、実際の俳優の声を選んでみたところ、こちらのイメージしていた声との差に非常にショックを受けたことがありました。

まあ、賛否両論あるのでしょうが、翻訳とか通訳とは違って、映画字幕には映画字幕のやり方、作法というのがあるのでしょう。特殊な能力だと思います。それに、かつては文字(書体)も視認性を高めるために独自のものだったという話をテレビで見たことがあります。

なお、あたしの勤務先では、既に品切れではありますが、『字幕の中に人生』『字幕の名工』という、字幕に関する本を出していました。

ドリームハウス

ずいぶん前に録っておいた「ドリームハウス」を視聴。

かつて一家惨殺事件のあった家に越してきた幸せそうな一家。という設定からして、家に悪魔が取り憑いているのか、はたまた殺された家族の霊がこの家族を襲うのか、そんなストーリーを予感させます。

主人公は007シリーズのダニエル・クレイグですが、彼が長年勤めた会社を退社し、家族と一緒に執筆生活に入るところからスタートします。なんとなくよそよそしい隣人の様子。怪しい人影に怯える幼い娘たち。そこで彼はようやくこの家が、かつて一家惨殺事件があった曰く付きの家だということを知ります。

そして、その事件の顛末を調べていくと、娘と奥さんを殺した夫は精神病院に入院中とのこと。その病院を訪ねるも犯人は既に退院(治療施設なので退所?)していたという事実を知ります。主人公は、わが家の周りをうろついているのは退所した犯人で、自分たち一家を殺そうと狙っているのだと見当を付けます。

ところが、更に犯人付いて調べていくと、なんとその犯人とは主人公のことだということがわかります。つまり、会社を辞めたのは施設を退所したことを自分なりに解釈していたというわけ。かつての家は実際には人が住めるような状態ではなく放置されたボロボロですが、主人公には明かりが灯り愛する家族の住むわが家に見えるのです。このあたり、主人公は完全に精神を病んだままです。死んだはずの家族が見えるわけですから。

そんな主人公を見張るような、見守るような向かいの女性、ナオミ・ワッツ。彼女は娘と二人暮らしで、別れた夫とは娘の親権を巡って調停中のようです。そんなナオミ・ワッツの助力もあって、主人公は少しずつ記憶を取り戻していきます。本当に自分は家族を殺したのか、と。あの夜、わが家で一体に何が起きたのか。

とまあ、奥さんや娘は死んでいて、主人公にしか見えないという夢オチ的なネタバレは、実は映画の半分くらいのところで明かされます。となると、残りは一家惨殺の真実を主人公が突き止めるストーリーになるわけですが、これが意外と単純な結末です。

ナオミ・ワッツは主人公一家とは仲良しだったのですが、密かに主人公に思いを寄せていました。そんな元妻の気持ち(この時点で元妻だったのか、まだ妻だったのかは不明)に嫉妬した夫が見ず知らずの男を雇って妻(ナオミ・ワッツ)を殺そうとします。しかし、似たような家が多かったからでしょうか、雇われた男はナオミ・ワッツの家ではなく、主人公の家に忍び込んでしまい、見つかって家族を殺したというのが一家惨殺事件の真実です。瀕死の妻が落ちていた拳銃で、犯人と格闘する夫(ダニエル・クレイグ)を誤って撃ってしまい、そこから夫が娘と妻を殺したものの、土壇場で妻に打たれて瀕死の重傷を負った、という一家惨殺事件のストーリーが出来上がったようです。

九死に一生を得た主人公はなんとか社会復帰したものの、記憶は戻らず自分を別な人間だと思い込んでいる始末。ナオミ・ワッツの力を借りて記憶を取り戻し真実を知ったところに、主人公が記憶を取り戻しては困る真犯人(ナオミ・ワッツの元夫)と実行犯が二人を亡き者にしようとします。二人が相撃ちになって、家から出火して二人とも死亡という筋書きを書いたのですが、主人公の亡き妻の霊が加勢して、主人公は間一髪でナオミ・ワッツともども助かり、逆に新班にと実行犯が燃えさかる家の中で焼け死ぬことになります。

完全に記憶と真実を取り戻した主人公は、燃えさかる家の中で、妻と娘たちの霊たちに、こんどこそ最後の別れを告げ、焼け落ちようとする家から脱出し、ジ・エンド。うーん、ナオミ・ワッツと結ばれたのでしょうか? それに主人公の娘たちが愛らしくて、そして切ないです。

ホラーでもミステリーでもなく、どちらかというとお涙頂戴の家族もの映画ではないでしょうか?