待ってました!

月末に『メルロ=ポンティ哲学者事典 第一巻』が配本になります。

 

第三巻』『第二巻』と刊行し、ようやく最初の巻である『第一巻』にたどりつきました。これでメルロ=ポンティが編纂した哲学者事典は完結、『別巻』はメルロ=ポンティ以降を、その体裁に倣って日本の訳者の方々が補ったものになります。

なぜ第一巻からではなく第三巻から刊行したかと言えば、十九世紀、二十世紀の思想家を中心とした第三巻が一番読み応えもあるのではないかという判断でしたが、読者や書店からは「第一巻と第二巻が入荷していないのですが……」という問い合わせが何件かあり、やはり多少の混乱を招いてしまったところはあるようです。それもこの『第一巻』が刊行されればほぼ解消するでしょう。

とはいえ、あたし個人としてはこの『第一巻』が一番楽しみな巻でした。なにせ東洋哲学が収録されている巻ですから。

目次の一部、あたしの専門とする中国哲学の部分をご覧いただくと上の写真のような具合です。最初にインドの哲学が来て、その次が中国、そして古代ギリシアと続きます。

中国哲学で大きく取り上げられているのは、孔子でも老子でもなく、荀子と荘子というところにセンスを感じます。その他にもどういう人物を立項しているか、非常に興味深いです。やはりフランスの学者だから西洋哲学に紙幅を割いていて、東洋はこの第一巻にコンパクトにまとめられてしまっているのが残念ですが、致し方ないでしょう。

他にも見どころがいっぱい

では、「アルチンボルド展」などの感想を。

まずはその「アルチンボルド展」ですが、アルチンボルドの名前は知らなくても、この絵だったら見たことある、という日本人は多いのではないでしょうか? あたしもアルチンボルドの名前をしっかり記憶したのはそんなに前ではありませんが、それよりも、こんなにたくさんの種類があるとは思いませんでした。それが最大の驚きであり、この展覧会の面白さでした。

いわゆるだまし絵なんでしょうが、遠目に見ると人の顔に見えているものが、ひとたびそこに動物とか魚とか植物を見つけてしまうと、途端にグロテスクなものに変わってしまい、すぐには人の顔に戻せません。ただ、展示を見ていて思ったのは、個々の動物などのデッサン力があって初めて成立する絵なんだなあということです。「Ⅱ.07j」の飾り馬具のような緻密なデッサンがベースにあるんだなというのが興味深かったです。

絵画以外では「Ⅱ.11 碧玉製の貝形の鉢」「Ⅱ.12 水晶製の平皿」などが美しかったです。どれも緻密なものばかり、本展覧会のテーマはそんなところなのでしょうか?

続いては「タイ展」。

前にも書きましたが、こんな面白い展覧会が空いているというのは実にもったいないです。もっと見に来て欲しいところです。

まず仏像。眉毛が繋がっている、唇が厚いなど、我々がイメージする、スッとした、すましているような表情の仏像とはひと味もふた味も違います。むしろ人間味あふれる、とても愛らしい感じがします。仏教だけでなく、他の宗教も混淆しているからこそ、こういう表情や姿態の仏像が作られたのでしょう。

仏像以外では82、83の「三界経」や131、132の「従三十三天降下図」などが非常に興味深いものでした。こういう絵解きは庶民に対して教化する目的があるからでしょう、かなり怖い感じを与えるものが多く、そのグロテスクさがたまりません。

さて、最後の「ボストン美術館展」。

日本や中国の美術品もあればヨーロッパのものもありで、壮観でした。絵画ではルーラン夫妻の肖像画夫婦揃って並んでいるのが話題のようですが、個人的には「37 ボーヴェ近郊の朝」「54 ニューヨーク港」のような絵が好みです。また「60 フィスク・ウォレン夫人と娘レイチェル」もよかったですね。

「70 機関車」は、どう見ても、このまま走ったら機関車はトンネルの頭にぶつかりそうな構図なのですが、大丈夫なのでしょうか、と心配になりながら鑑賞しました。