放射能汚染と狼男

引き続きまして、こんどは「ウェア 破滅」を視聴。

タイトルの意味がよくわかりませんが、フランスを舞台にした「狼男」映画です。簡単なあらすじを紹介しますと、フランスで休暇を過ごしていたアメリカ人一家が何者かに惨殺され、フランスの警察は近所に住む毛むくじゃらの大男・タランを容疑者として逮捕します。辛うじて生き残った(その後死亡)妻の証言に基づくものですが、あくまで「毛むくじゃらの大きな獣」程度の証言しか得られていないため弁護士のケイトはタランの弁護を引き受け独自に調べ始めます。

ケイトの回りにはちょっと胡散臭いフランス人の助手とアメリカから来た動物学者の元カレがいて、この二人のケイトをめぐるさや当ても伏線になるのかと思いきや、それほどのことはなく物語は進行。肝心なタランの容疑ですが、その一族に時々現われる多毛症なのだという母親の証言もあり、病院で検査を受けることになりますが、そこで検査の最中に発作を起こしたタランは医者や警官数名を殺して逃亡。

はい、この時点で、タランが犯人だということははっきりします。問題は彼が何者かということ。タランの住んでいる土地を政府が放射性廃棄物の処理場として買収しようとしていたけれどタラン一家は首を縦に振らなかったという因縁が語られます。担当警視が賄賂でも貰っていたのではないかという疑惑を持たせつつ話は進みますが、そんなことよりもタランの超人的な身体能力。人軽々と投げ飛ばし、腕などをもぎ取るのは朝飯前。ビルの7階あたりから飛び降りてもネコのような柔軟性で無事に着地してそのまま逃げてしまいます。自宅のある森へ逃げ込み、更には森の中の洞窟に逃げ込みますが、拳銃で撃たれても結局は死にません。やはり狼男には銀の銃弾でないとダメなのでしょうか、と思いながら見ていました。

ところで物語の途中、タランが暴れたときに元カレの動物学者が腕を咬まれ、その後調子が悪くなってきます。本人はタランに咬まれたせいで、自分も狼男に感染してしまったと自覚しているようです。このあたり、一族の遺伝的なものを匂わせておいて、咬まれただけでも感染してしまうって、ちょっと展開が安易な気もします。結局、タランの母親も最初からすべて知っていたのですね。そして、なんとか息子を助けようとしていたようです。

さて、最後、拳銃で撃たれて死んだと思われたタランを護送していく途中、タランが生き返ります。そして更に警察官を殺しまくり、ケイトの助手も遂にやられてしまい、ケイトは絶体絶命のピンチです。このときタランはケイトを殺すのではなく、どちらかというとレイプしようとしていた感じがします。つまり自分の子孫を残そうとしたわけです。まあ、間一髪、こちらも狼男に変身した(しかし毛をすべて剃ってしまっているのでツルツルです)の元カレが現われケイトを助けます。ここからがオオカミ男同士の肉弾戦です。

最後、元カレが何とかタランを倒し、タランは沼の底へ沈んでいきます。元カレはケイトに自分を殺すよう銃を向けさせますが、それを躊躇っている刹那、警察官の撃った銃弾がケイトの腹に名中。怒った元カレが残る警察官を皆殺しにし、この場はエンド。

しばらく後、一命を取り留めたケイトはまだ入院中のようです。タランの死体も見つからなければ行方もわからず、フランス各地で大型の獣による殺人事件が頻発し、人々は原題の狼男・タランの仕業ではないかと恐れます。そんな中、ごくごくフツーの人間の姿に戻った元カレがテレビのインタビューにしれっと答えてエンディング。髪を剃っていたし、体も筋骨隆々だったので、たらんと闘ったもう一匹が元カレだとは誰も気づいていないのでしょう。でも、ケイトが意識を取り戻したらどうなるのでしょう? それとも動物学者ですから感染を食い止めるワクチンでも見つけられたのでしょうか? どちらかというと、タランはやはりあの時、元カレにやられてしまい、その後の殺人事件は元カレの犯行なのではないかという気もしますが……

結局、タランたちが住んでいた土地の放射能汚染って何だったのでしょう? アメリカ映画が中途半端にフランスの原子力政策をディスっていたのでしょうか? 放射能汚染のせいで突然変異的に怪物が生まれた、という方がリアルな気もしますが、そうなると単なるモンスター映画になってしまっていたでしょう。それと、主人公がいざという時にダメですね。

懐かしいなあと感じるほど昔のことではないと思うのですが、何年前のことでしょう?

PCのフォルダのなかを整理していたらこんな写真が出てきました。

Uブックスフェアの模様です。チラッと写っているのでおわかりのように、東京の立川にあるオリオン書房ノルテ店で開催していただいたフェアの模様です。ノルテ店もその後改装と棚移動などがあったりして、たぶんこのフェアをやっていただいた場所は全く変わってしまっているのではないかと思われます。

あたしとしては、下の方にちょこっとだけ見えているイタリア国旗をあしらったフェアがどんなものだったのかが気になります。お店独自のフェアではないかと思いますので、まるっきり思い出せませんが……(汗)

同じく出てきた写真も同じUブックスフェアです。こちらは啓文堂書店の吉祥寺店です。ただし、これは現在の前の前の吉祥寺店ですね。長らく幽霊ビルと呼ばれていた井の頭線吉祥寺駅直結のビルがユザワヤになり、その地下に500坪くらいだったでしょうか、かなり広い書店として啓文堂書店がオープンしました。

正直なところ、吉祥寺を利用していた人は「あんな幽霊ビル、何が入ってもすぐにダメになるさ」という思いを抱いていた人が多かったと思います。が、予想に反してユザワヤはかなり繁盛していましたし、地下の啓文堂書店は駅直結の地の利を生かし、瞬く間に東京西郊のトップ書店はおろか、全国でもトップクラスの書店に成長しました。当時はパルコブックセンターと品揃えを競って、なかなか吉祥寺の書店事情は華やかでした。

その後、吉祥寺駅の耐震工事と、それに伴うビルの建て替えがあり、啓文堂書店は南口にある丸井の中に、ユザワヤともども縮小再オープンしました。さらに駅ビルがリニューアルされ、再び駅ビルの、こんどは地下ではなく上層階に戻ってきて現在に至る、というわけです。同じ吉祥寺の中で何回引っ越しをしているので、啓文堂吉祥寺店と言っても、どの時代を指すかでお店の印象ががらりと変わると思います。

  

で、この写真のフェア、いつごろだったのでしょう? 啓文堂書店のフェア写真に『1Q84』のポスターが写っていますので、そこから考えますと、2009年秋頃の写真でしょうか? となると、もう8年前ですね。『1Q84』もいまや既に文庫本になっているのですから、時の経つのは早いものです。

「それ」はいったい何だったのか?

イット・フォローズ」を視聴。

何なのか正体不明ではあるものの、人の形をして現われる何者かがひたすら付けてくる、そして捕まったら殺されてしまう、ということのようです。その何かは感染した人にしか見えず、なおかつセックスによって感染するのだとか。誰かと性行為を行なえば、何かはその相手を追うようになる、そしてその相手が殺されると感染させた本人に戻ってくる、ということらしいです。

それってつまり何? という疑問が頭から離れません。そもそもいつから、誰から始まったのか? 始原が全く解き明かされないので、恨みなのか悪霊なのか、まるで理解できません。何かに殺されたら戻ってくるとなると、永遠に誰かにうつし続け、うつされた方は逃げ続けていけば、とりあえずは無事のようですが、そんなに都合よく行くのでしょうか? 特にアメリカのようにセックスが蔓延している社会では、むしろその何かが見えるようになってしまう(何かに追われる)人が無限に増えていくだけのような……

さて、本編に対する感想が書かれているブログのいくつかを見ていますと、この何かとはエイズなどの性病を表わしているとか、乱れたセックス社会への警鐘だとか、そういった意味を読み込もうとする解釈があるようです。うーん、そんな高尚なことが隠されているようには感じませんでしたけど、どうなのでしょう? 原作者や監督はどう思っているのか? 聞いたところで、「見る方の想像にお任せします」といった答えしか返ってこないでしょうね。

ラストシーンも、後ろからそれが付いてきているように見えますが、果たしてそれなのか、たまたま後方を歩いていただけの人なのか、明かされることなくエンドロールに入ってしまいます。それにしても、冒頭に浜辺で殺された女性は惨殺と言っていいような殺され方でしたが、その後に現われる「それ」はそこまでの凶暴性を感じませんでしたけどね。

ちなみに、うつされた人が「それ」に殺されるのではなく、みずから命を絶ったらどうなるのでしょう? それでこの連鎖は終わりになるのでしょうか?

モービーディック

引き続き、こんどは「白鯨との闘い」を視聴。かの名作「白鯨」が小説として出来上がる過程、その真実の物語という触れ込みだったと記憶していますが……

 

確かに、ストーリーの大枠は作家メルヴィルが白鯨との闘いから生還した男性を訪ね、その本当はどうであったのかを聞き出すという話で、その男性が語った内容が映画のメインとなっています。あたし、そもそも原作の『白鯨』は読んだことがなく、グレゴリー・ペックの「白鯨」をテレビで見たことがあるくらいです。なので原作と映画がどのくらい異なるのかは知りません。

 

そういう前提で二つの映画を比べますと、「白鯨」は完全にエイハブ船長と白鯨の死闘に焦点が合っている感じですが、「白鯨との闘い」は白鯨と出逢ったのは偶然で、特に船長と白鯨とに因縁があったわけではありません。

むしろ後者の主眼は極限状態のサバイバル劇、そこには人肉食も描かれ、それが生き延びた者たちの原罪のように重くのしかかっています。またメルヴィルに語り終えた男が語る石油の発見のエピソードは、鯨油を求めて血眼になっていた彼らの時代が遠い過去のものになっていることを示していて寂しい感じもします。

この映画が反捕鯨映画なんだとか、そういう話もあるようですが、映画を見た限りではそんな印象を受けませんでした。すべてをきれいに利用して捨てるところのほとんどない日本の捕鯨に比べ、油を取りたいだけの欧米の捕鯨という見方も、日本人なら可能かも知れませんが、一般の西洋人にそういう視点があるのか否か……。むしろ当時においては捕鯨は大切かつ重要な産業であり、男たちはそれに命を懸けていたということが熱く描かれていたと感じました。そしてそんな命を懸けて海に出て行く男たちの後ろには、自分たちは危険な立場に身をさらすことなく濡れ手に粟で儲けているイヤな連中が、いつの時代にも存在するのだというがわかります。

ライト/オフ

録画しておいた「ライト/オフ」を視聴。

原題は「Lights out」と言うようですね。日本語読みで「ライツアウト」だとわかりにくいでしょうか? 一言で言ってしまうと、電気を消すと化け物が現われて襲ってくる、というお話です。

 

まずはお父さんが職場でやられてしまい、お母さんと幼い息子が残ります。お父さんは生前、何かを調べているようでした。次に、この残されたお母さんの様子がおかしい、どうも精神を病んでいる感じが描かれます。そして怯える息子。そんな弟を助けようとする家出中(とはいえ、それなりに大人?)の姉。この姉は前夫との間の娘で、弟は映画冒頭で亡くなった夫との間の子供らしいです。

姉が継父の遺品を整理していると精神病院の資料などが入った箱を見つけます。そこには自分の母親がかつて精神病院に入院していたこと、そこで出逢った奇病を患う少女と親しくしていたものの、その少女はある実験で亡くなってしまったことがわかりました。どうやらその亡くなった少女の悪霊が母親に取り憑いている、というのが一連の事件の真相のようです。

さて、この手のディテールの映画はこれまでにもあったような気がします。最終的には本当に少女の悪霊だった、少女になりすました悪霊だった、実はすべて母親の妄想だった、といった結末が考えられますが、これがよくわかりません。肝心な精神病院のシーンが少なく、そのあたりをストーリー的にも掘り下げていないので、解釈によっては上の三つどれも正解のような気がしますし、それ以外の解釈もありえそうです。

で、弟と母親を守るため恋人と一緒に実家へ戻った姉が悪霊と闘う後半、どうやって助かるのだろうという興味が沸いてきます。精神病院で亡くなった少女は暗い地下室で発見されたためなのか明かりを極度に怖がるという設定です。怖がるから地下室にいたのか、地下室にいたから怖がるようになったのかは不明ですが、とにかく明かりに照らされると姿が消えます。なので姉たちは懐中電灯などで身を守ろうとしますが、こういった映画のお約束、肝心なところで電気が付かなくなります。

となると、闘っているのは夜だから夜が明けてきて太陽の光が差し込んで悪霊は消えてしまうのかな、という往年のドラキュラ映画のような結末を予想しましたが、事態は朝まで待ってくれませんでした。母親が子供たちを守るためにピストルで自殺し、それと共に母親に取り憑いていた少女の悪霊も消えてしまうというエンディングでした。結局、悪霊に支配されている自覚はあった母親が最後は母性に目覚め、必死で悪霊を振り払おうとして、みずからの命を投げ出したという、なんともハートウォーミングな結末でした。

ちなみに、本作はネットで発表されたショートフィルムをベースに長篇劇場映画に仕立てたもののようで、オリジナルが上の動画だそうです。

最近流行っているのでしょうか、「board」というサービス。こういう使い方は本来の意図とは異なるのかも知れませんが……

boardというSNSをご存じでしょうか? SNSという括りでよいのかわかりませんが、写真をアルバムに仕立て、テキストを加えたりして公開する、というサービスのようです。

Instagramみたいなもの? と問われると、基本的には同じかな、としか答えられません。ただボードという一種のアルバムのような形式はInstagramにはなかったような気もします。あたしも使いこなせているわけではないので詳しいことはわかりませんが。

で、あたしも作ってみました、boardを。こちらです。

えーと、最初に断わっておきますが、撮った写真のアルバムではありません。書籍のカバーを使った一種の書棚、それもフェア棚的な使い方をしています。こんな使い方、boardの開発元も想定していなかったのではないかと思いますが、撮った写真だろうと書籍の書影だろうと画像ファイルに変わりはありません。PCの世界では扱いは同じですから、こんな使い方をしてみたまでです。

で、書影を登録し、そこにその本の説明をテキストとして加えていくのですが、これがどうもうまくいきません。とりあえず三つほどボードを作ってあるので適当に見てください。

「永遠の本棚」はたぶん大丈夫、問題なしだと思うのですが、「エクス・リブリス」と「ロベルト・ボラーニョ」はページによってはおかしなことになっていませんか? あたしも自分のPCやタブレットで確認していますが、書影がなくなっていたり、テキストの書式がおかしかったり、あるいはテキストが重なっていたり……

どうしてこんなことになっているのかわかりません。もちろん上に書いたように、書影を登録しテキスト加え、という手順で作って保存しています。さすがに保存するときにあんな状態になっていれば気づきます。それなのに、いったん保存してボードを閉じ、再びボードを開くと表示が崩れおかしな状態になっているのです。

このSNSの使い方として、開発元はAndroidやiPhoneなどのスマホからの投稿、作成を念頭に置いていると思われます。しかし、あたしのような使い方をする場合、スマホやタブレットからでは面倒臭すぎます。やはり主たる作成方法はPCからになると思います。Windows版アプリはないので、PCでboardのサイトに行き、そこからログインして自分のボードを修正するわけですが、これがまだまだ実用段階に達していないのでは、と思われます。

まあ、サポートにメールで問い合わせ中なので、GW明けには何かしら回答が来るのではないかと思っていますが、だからといってすぐに解決するとも思えません。そもそも「永遠の本棚」は見たところ問題なさそうですが、なぜこれだけきちんと出来ているのかもわかりません。

拡散力?

世間一般で情報が拡散される手段として現在はTwitterの影響力が強いようですが、実際のところどの程度の影響力があるのでしょうか? もちろん、かの「PPAP」をジャスティン・ビーバーがツイートしたらたちまち全世界に広まった、なんていう例も知ってはいますが、そこまでの有名人でない場合の影響力です。

あたしの勤務先はウェブサイトの他にTwitterをやっています。あたしがこのダイアリーを書いている時点でフォロワーが36611人となっています。日々、随時、いろいろな情報を発信しているようですが、これが瞬時に36000人からの人に拡散されるということなのでしょうか?

と、推量形式で書いているのは理由がありまして、まず第一に、あたしはこの勤務先のTwitterには一切関知していないので、そして、あたし自身もTwitterをやっていないので、本当のところ、詳しいところがわからないからであります。あらかじめ弁明しておきますと、あたしもTwitterアカウントは持っていますが、このダイアリーやFacebookの投稿が自動的に反映されるように設定しているだけで、Twitterに直接ツイートするということはしていません。なので、誰一人フォローしていないのですが、こんなあたしのTwitterをフォローしている人が87名もいるということに驚きを禁じ得ません。

さて、その勤務先のTwitterですが、「こんな新刊が出ます」とか、「こんなイベントがあります」「書評が出ました」といった発信が主でして、リツイートやイイネが数件付いているものがほとんどで、時々10件以上のリツイートやイイネが付いていたりします。フォロワーが36000人ほどいるのに、リツイートやイイネがこの程度の数というのは多い方なのか、あるいは少ないのか、あたしには判断しかねます。一つ一つのツイートを36000人の人が全員見ているのか、それすらもわかりません。

その一方、あたしの勤務先はFacebookはやっていません。今の時代、FaceboolとTwitter、どちらの方が発信力、影響力が強いのか、あたしにはわかりませんが、大手企業などは両方ともやっているところが多いようですね。そしてFacebookとTwitterをうまく使い分けているところが多いのではないでしょうか。あたしみたいにFacebookの記事をそのまま垂れ流しというのは、実は一番よくない例なのかも知れません。

それはさておき、Facebookには日常的な投稿とは別に「Facebookページ」というのがありまして、あたしはそこで勤務先に関係する情報を発信しています。あくまで「私家版」ですので、公式なものではありません。なので情報が間違っていたとしても責めないでください(汗)。それに内容に関しては勤務先は一切関係ありません。

前口上はこのくらいにして、そのあたしのFacebookページですが、下の写真のようは情報を発信しています。まあ、書評とか刊行した書籍に関することがほとんどで、それほど目新しいものとか、裏情報といったものを発信しているわけではありません。

上の写真は最近の二つの記事ですが、よく見ていただくとわかるように、「リーチ」として100人を超える人に届いているようなのです。この「リーチ」というのが実は何なのか、よくわかっていませんが、とりあえずこの記事をわざわざ見に来てくれた人の数のようです。100を超えることはしばしばありますが、だいたい数十人というのが平均値だと思います。ちなみに、このあたしのFacebookページのフォロワーが259人なので、だいたい半分から3分の1くらいの人が見に来てくれているのかな、と予想していますが、必ずしもフォロワーだけが見ているとも限らないので……

で、更に下の写真です。

これも同じくFacebookページの記事二つですが、古い方(下に行くほど古い記事)はリーチが173人とふだんよりも大分多い人数ですが、新しい方はなんと1280人となっています。こんな数、あたしも初めて見ましたが、それだけ多くの人が見に来てくれたということですよね? とてもじゃないですが信じられません。

で、最終的な疑問としては、TwitterとFacebook、どちらの方が拡散力、影響力があるのかな、ということです。もちろん有名人がやっているかどうか、大企業なのか零細企業なのか、人気タレントが話題にしているかどうか、いろいろな要因が影響するのでしょうが、普通に一般的な企業がTwitterをやるのとFacebookをやるのとでは、どちらの方がより宣伝効果が上がるのでしょうか? やはり、多少は気になります。

好好学習!

昨日の午後、中国語の発音の授業を受けました。大学時代に中国を初めて学んで以来、実に何年ぶり、否、何十年ぶりの学習でしょう。

なんでそんなことをしたのかと言いますと、あたしの勤務先に新刊『チャイ語入門』の李軼倫さんが見えて、同書の副題「李先生の中国語ライブ授業」そのままに中国語の授業をしてくださったのです。

改めて初心に戻って「マー、マー、マー、マー」と発音練習をするのは実に新鮮でした。社員数名でこの授業を受けたのですが、やはり一緒に勉強する仲間がいるというのはよいものです。

本書は、李先生と三人の生徒が会話をしながら授業を進めていくというスタイルです。大学や中国語学校で学んでいる人はいいですが、NHKのラジオやテレビで中国語を勉強している人はどうしても孤独な学習になりがちです。しかし本書なら、クラスメートと一緒に学んでいる気分を味わえるので、中国語学習も楽しくなるのではないでしょうか?

さて、昨日のライブ授業は録画してあります。近日中にあたしの勤務先のウェブサイトで公開されると思いますのでお楽しみに!