3月 2017のアーカイブ
人と語り合う?
昨晩のトークイベント。
「大人の読書会」というのも話題の一つでした。
読んだ本について、好きな本について人と語り合うというのは自分にはない視点、着眼点が発見でき、とても愉しい場だと言います。果たして本当なのでしょうか?
あたしは昔から本が好きでしたけど、人と話しても意見が合いません。
いや、意見が合わないのは「自分にはない視点」として歓迎すべきことなのでしょうが、あたしの場合、ほぼ全員から「それはおかしい」とか、「そう思うのはおまえだけだ」と指摘され、愉しい思いを経験したことがありません。
所詮、他人に語っても理解してもらえない、だったら言うだけムダ、だと思います。
そんなことはない。おまえの伝え方はよくないのではないか、という考え方もあるでしょう。でも、一生懸命他人に伝えるための努力をする時間があるくらいなら、そんな手間をかけているのなら、一人で本を読んでいた方がよっぽどマシです。
そんな人、多いのではないでしょうか?
昨夜のように、人の話を聞いて面白く感じることはあります。でも、自分の考えを理解してもらえる自信もなければ、そんなことに時間をかけたいとも思いません。一方的に聞いているだけで、聴衆の一人で十分です。まさにネット世界のROMですね。
でも読書って、ある意味、著者の意見を一方的に聞くだけです。もちろんそこから自分でいろいろ考えることはあっても、それを著者にぶつける機会などほとんどありません。トークイベントや講演会を聞きに行くのも、行為としては同種なのではないか、そんな風に思います。
だから、あたしには読書会は無理です。
幸せな勘違い?
昨晩は神保町のチェッコリでトークイベントがありましたので行って来ました。イベントは《小さな本屋の先輩、大井実さんに聞く「小さな本屋だからできること」》で、福岡の書店、ブックスキューブリックの大井実さんを迎えて、最近上梓された『ローカルブックストアである』(晶文社)を中心としたお話でした。以下は、あたしなりのまとめです。
まずは枕として、聞き手であるチェッコリの佐々木さんが簡単にチェッコリというお店の紹介。
韓国専門の本屋としてオープンして一年半、イベントも精力的に開催してきて既に150本もこなしてきたそうです。韓国関連のイベントが中心ではあるものの、本に関するイベントも今回のようにやってきたし、やっていきたいとのこと。韓国では「本、本屋に関する本」への関心が高く、大井さんの著書も既に韓国版の出版オファーが数社から来ているとのこと。
韓国は日本以上の受験戦争、競争社会であり、そこからドロップアウトしてしまう若者が多く、彼らが独立系の小さな商売を起業することが多いそうで、そんな業種の一つとして本屋も増えていて、そういうことから「本、本屋に関する本」の需要があるのだとか。既に何冊も日本のそういった本が韓国語訳されて出版されているそうです。
続いて大井さんの簡単な自己紹介と経歴を紹介。親が転勤族で各地を転々としたことが、人とコミュニケーションを取る能力とか、初めてのところにも怯むことなく飛び込んでいける性格を培ったのではないかとの自己分析。奥様との出会いをきっかけに多感な時期を過ごした福岡に戻って本屋を始めることになったそうです。ちなみに、奥様はインテリアデザイナーで、本屋の内装を担当されたとか。その大井さん曰く、
結婚は勘違い、それも幸せな勘違い
なんだそうです。
店作りのこだわりとして、聞き手の佐々木さんが3点ほど挙げていましたが、その一つめが奥様の職業とも関連する内装だったそうです。居心地のよい店を作りたい、蛍光とは使わない(白熱灯にする)、床は木、棚もスチールはイヤ、といった点にこだわって業者とさまざまなやりとりをして作り上げたそうです。
こだわりの二つめは選書。
開店まで4年くらいの準備期間があったので、本を特集した雑誌を読みあさって、いろいろな人のいろいろな事例を頭にたたき込んだそうです。お店の場所という土地の制約、つまりどんなお客さんがいるのか、ということを考えないと独りよがりの店になってしまう、かといって、お店としての提案がないと他にもあるようなつまらない書店になってしまう、というジレンマの中、ちょこちょことプレゼン(提案)をし、客の反応があったらそこを掘り下げるということをしながら品揃えを作っていったそうです。
仕入は命、新刊の仕入と売れた本の補充は必ず自分でやる
ということだけは譲らないそうです。棚詰めはスタッフに任せているそうですが、そこまで手が回らないというやむを得ぬ事情もあるものの、あまりきっちりと理詰めで並べるよりも、少しアバウトな方がよい、という考えだそうです。
三つめのこだわりはイベントの開催。
2006年からスタートしたブックオカや自店の二階にブックカフェを作ってイベントを開催しているのは、お客さんと強くつながれる場になるから、やはり体験することが大事というお考えからだそうです。ただし、書店と違ってカフェの運営は大変だそうです。
さて、今回イベントが行なわれたチェッコリは最初にも書いたように韓国がメインの書店です。韓国とも近い福岡は団体と言うよりも日常的な買い物で訪れる韓国の方も多いそうです。(そういえば、何年も前に、福岡の主婦がキムチを買いにフェリーで釜山へ買い物に行っているとテレビで報じているのを見たのを思い出しました。)
最後に、ブックオカなどイベントについて。
古本市からスタートしたイベントで、福岡のメディアが好意的に取り上げてくれたという幸先のよいスタートだったそうです。福岡は各種メディアの西日本支社とか西部支社などが集まっているところでもあり、それらの多くが地元発のイベントとして積極的に取り上げたそうです。
このイベントを通じ街にコミュニケーションを生みだし、本は人をつなぐ力を持っていることが示せたのではないか、とのこと。出版業界は不況だとか、スマホなどのメディアに喰われているとか言わているけれど、本自身がダメになっているわけではないとのこと。大井さんが学生のころは本を読むってカッコイイ、読まなくても持っているだけでもカッコイイと思われる風潮があったが、最近の若者にはそういう感覚はない。しかし、地方都市なら東京のような大都市とは違って「本を読むってカッコイイ」というブームを作り出せるのではないか、と信じて続けているそうです。この気持ちが伝わったのか、ブックオカは各地に飛び火して、各地で似たようなイベントが行なわれるようになっています。
書店員ナイトについては、書店で働いていても同僚はいるけど、同じジャンルを担当する人と話す機会が意外と少ないという現実を受け、そのような場を作ったとのこと。ふだんはおとなしめの書店員がそこでは生き生きと話をするそうです。大井さんご自身が大手チェーンの書店員ではないので、どこの本屋、書店員に対してもしがらみがない、そういう立場がよかったのではないかとも。こういうイベントは敷居を低くすること、入りやすさが大切だとのこと。
また大井さんご自身が最近、ビブリオバトルの審査員をやり、若者もかなり本を読んでいるし、本好きから勧められると読みたくなるもので、世代を超えてよいものはよいと勧めたいとも。そんな街作りに本屋は貢献できるし、場を作ることができる。そこに住む人が街を愛する共通アイコンとして劇場とかサッカー場とか、あるいは郷土料理とかいろいろある中に本屋があってもよいのでは、という思いのようです。
以上、雑駁かつ主観の混じったまとめでした。たぶん聞き間違いや理解不足が多々あると思いますので、必ずしも大井さんの発言やお考えとは限りませんことご承知ください。
願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月の頃、なんてメランコリックな気持ちになりがち?
このところ華やかな衣裳をまとった女性を見かるようになりました。
はい、卒業式の着物です。振り袖の女性もいれば、袴姿の女性もいます。振り袖だと成人式っぽくもありますので、やはり袴姿が多いでしょうか?
で、そういう華やいだ女性に見とれるということもなくはないのですが、今年の場合、なぜか一緒にいる父母に目がいってしまいます。
少し前まで、大学を卒業するような子供を持つ人は明らかにあたしよりも年上でした。しかし、今年気づいたのは、そんな卒業生と一緒にいる父母がどうもあたしと同じような年齢になっているということです。
つまり、あたしが人並みの人生を送っていたとして、ごくごくフツーに恋愛をし、しかるべき伴侶を見つけていたとしたら、今ごろはあんな風に娘なり息子なりの卒業式、それも大学の卒業式に参加していたのかなあ、ということに改めて思い至ったというわけです。
もちろん晩婚化が進む昨今、どの親もあたしと同年輩とは言いません。やはりあたしより年上とおぼしき人の方が多いように感じられます。でも、明らかにあたしと同じくらい、いやもしかしたら若いかな、という人もチラホラ見受けられるのが今年の大きな特徴なのです。
これはちょっとショックです。どこであたしの人生狂ってしまったのでしょう?
ここまで来るにはいろいろあったかもしれないけれど、そんなことを乗り越えて、とりあえずは幸せそうな親子の図、というのを目にしてしまうと、少なくともあたしの人生にはそういう類の幸せはありえないんだなあとという現実を突きつけられている感じです。
そういう幸せが欲しかったのか、と問われると、あたしは昔から子供好きでしたので、子供は欲しいとずーっと思っていましたので、欲しかったという気持ちが少なからずあります。もちろん、ある程度大きく育った子供を可愛がれるのか、持ったことがないので自身はありませんが……
今月のおすすめ本[17年3月]
期待したような広告効果は果たして出るのでしょうか?
あたしの勤務先で出している諸外国語のシリーズ《エクスプレス》をご存じでしょうか? 四六判の《エクスプレス》というシリーズでスタートし、当時は別売りカセットがすべての言語に用意されていました。点数が増えるにつれ、世の中も移り変わり、カセットからCDへと音源が変化していきました。しかし、CDは頭出しのトラック番号が99までしか設定できず、実は語学学習にはカセットテープよりも使い勝手が悪く、あたしの勤務先でも別売りCDを発売するまで多少の逡巡がありました。
しかし時代の流れに逆らうこともできず、いつのころからか別売りのカセットの他に別売りCDも用意するようになりました。しかし、時代の進み方は更に早く、別売りCDを用意したのは数点で、その後は本にCDを貼り付けた語学書が主流となり、《エクスプレス》もそれに伴って《CDエクスプレス》となり、判型も四六判からA5判になりました。判型の変更は見やすさと、CDを貼り付けなければならないという事情もありました。
この《CDエクスプレス》が浸透し、刊行点数も40点を超えたころ、いまから十年くらい前でしょうか、そろそろシリーズ時代をリニューアルしようと言うことになり、カバーデザインも新たにし、中味も一から書き直した《ニューエクスプレス》の刊行が始まりました。現在では《CDエクスプレス》のほとんどの言語が《ニューエクスプレス》にバージョンアップし、なおかつ《ニューエクスプレス》で初めてラインナップに加わった言語もいくつかあります。
ところで、外国語マニアや書店の諸外国語担当の方には慣れ親しんでいただいている《エクスプレス》シリーズですが、《ニューエクスプレス》になってから、新たに《ニューエクスプレス単語集》というのが発売されているのをご存じでしょうか? 新書判と言いますかポケット版と言いますか、とにかくハンディな、でもちょっとしたミニ辞典としても使えるをコンセプトにスタートしました。が、いま述べたように、本家である《ニューエクスプレス》の知名度に比べ、《ニューエクスプレス単語集》の知名度は必ずしも高いとは言えません。
「どうしたらいいだろうか?」と個人的に考えてみました。しかし、お金はかけられません。で、思いついたのが《ニューエクスプレス》を利用する手です。ご覧ください。これは最近刊行された『ニューエクスプレス チベット語』の裏表紙です。
オビには《ニューエクスプレス》のラインナップがずらりと並んでいます。ここのデザインをちょっと工夫して《ニューエクスプレス単語集》も載せるようにしたらどうでしょう? 下の写真は同書の奥付裏広告のページです。ここも《ニューエクスプレス》のラインナップだけで、《単語集》は載っていません。これはもったいないのではないかと思うのです。
読者カードなどを見ていますと、《エクスプレス》の読者は複数の言語を学んでいる、勉強している方が多いようです。趣味で外国語を勉強していらっしゃるようです。ですから、興味のある言葉が目に留まれば、次はそれに手を伸ばすという方が多いと思います。そんなコアな読者に《単語集》も知らしめることができれば、と思うのです。
もちろん、そういう方の多くは既に《単語集》の存在を知っていらっしゃるでしょう。が、案外知らないという方も多いのではないかと思います。なにせ、書店では《ニューエクスプレス》はそれなりに置いていても、《単語集》は置いていないというところが多いですから。
広告を載せないよりは載せた方がよいというのは誰が考えても理解できることだと思います。特に、載せるに当たってお金がかかるわけではありませんから、費用対効果も悪くないはずです。このアイデア、どうでしょう?
読まないといけないわけではないけど……
今朝の朝日新聞の「声」欄にこんな投稿が載っていました。
この質問(?)に対して、出版社や書店の人間はなんと答えるのでしょうか、否、なんと答えるべきなのでしょうか?
時に言われることですが、学校の読書感想文の宿題が読書嫌いを作っている、という意見。
あたしは子供のころから読むのも書くのも好きだったので、それほど読書感想文を苦にした記憶はありませんが、確かに書かなくてはならないのは面倒ではありました。しかし、だからといってそれで読書が嫌いになったりはしませんでした。
昨今の「朝の読書」運動が本嫌いを生みだしている、という意見があります。これも読書感想文と同じことで、やはり強制されると反発してしまうというのは子供のサガなのだと思います。
ただ、朝の読書について言うなら、それに熱心に取り組んでいる学校は模試などの成績が上がっている、確実に学力の向上に結びついているという調査結果もあるそうです。となると、ある程度強制でもやらせることには意義があるのかもしれません。
読書以外にも愉しみはあるし、学べる機会もあるという投稿者の意見は確かにその通りです。ただ、他にあるからこれはイヤ、という態度はどうなのでしょうか? 例えば受験勉強。何のためにやるのかと問われれば大学や高校に合格するためという答えが用意されていますが、ではその勉強内容はその後の人生で役に立つのかと問われると、確かに実生活では直接役に立っていないものが多々あります。
でも、強制的にでも一定量以上の知識を教え込まないと、社会で生きていく上での最低限度の知識が身につかないとも思います。人間誰しも習ったことをすべて覚えていることは不可能で、かなりの部分を忘れてしまうものです。生きていく上で100の知識が必要だとして、その100を身につけるためには300とか400の知識を学ぶ必要があると思います。そういう知識を得るのに、実は最も効率がよいのは読書だと思います。
そして受験勉強が最たるものですが、たとえ嫌なことでも我慢して、歯を食いしばって、自分をそれに追い込んで、一定の期間やり続ける体験というのは、その後生きていく上で必ず役に立つと思います。自分はあれだけ頑張れたのだから、という体験は貴重ではないでしょうか?
あたしはそんな風に思うのですが……
で、話は戻って読書ですが、読みたくなければ読まなくてもいいでしょう。そうやって本を読まないでも生きている人、むしろこの世の大多数の人がそうでしょうから。
各種メディアを席巻?
見比べてみると面白い!
本屋の店頭で似たような本が並んでいました。
紫紅社の『日本の女性風俗史』と光村推古書院の『日本服飾史(女性編)』です。
前者にはご覧のように内容紹介動画まで用意されていますが、これでおわかりになるかと思いますが、歴史上の様々な衣裳を着た女性の写真が、まさに色鮮やか、絢爛豪華に登場する一冊です。
それに対して後者ですが、内容としては前者と同じような本です。そしてウェブサイトには数ページ分の見本が載っています。その見本ページをご覧いただければわかるように、こちらの本では歴代の衣裳がイラストで紹介されています。
さあ、ここで両者を見比べてみるとなかなか面白いです。生身の人間が衣裳を着ている前者はリアルではあるものの、ちょっと印象が強すぎて、衣裳の記憶が残りません。後者の方があたしの好みではあったのですが、如何でしょう?
相乗効果を期待してもいいのでしょうか?
店頭でこんな本を見かけました。
原書房の『航空から見た戦後昭和史』です。「昭和戦後史」ならわかるのですが、「戦後昭和史」というタイトルにちょっと引っかかるものを感じつつ、でもこの本、『日本航空一期生』と一緒に並べたらよさそうだと思いませんか?
前者の版元ウェブサイトには
サンフランシスコ講和条約、東京五輪、ビートルズ来日、沖縄本土復帰、中国との国交正常化など激動の戦後史を、航空を通じて見た異色ノンフィクション。そこには20世紀を彩るVIPたちをはじめ、多彩な人々が織りなす熱いドラマがあった!!
という内容紹介があります。一方、後者の内容紹介は
敗戦から6年、日本の空を取り戻すべく、ナショナルフラッグを誕生させた人々の苦難と喜びを、客室乗務員をはじめ、数少ない生存者の証言を中心に生き生きと描く、渾身のドキュメント。
とあります。うん、これはやはり併売ですよね?
続いては、文庫なのですが、まもなく映画も公開される『美女と野獣』です。文庫とは併売しにくいかも知れませんが、『美女と野獣[オリジナル版]』も忘れて欲しくないものです。
前者の訳者あとがきには後者への言及もあり、ボーモン夫人版とヴィルヌーヴ夫人版が日本語訳で揃ったと書かれています。これは併売ではなく、併読すべきではないでしょうか?