乃木オタ的には、今日はゆったんの日?

今日は年に数回ある「13日の金曜日」。

ということで、乃木坂46のゆったん、斉藤優里の日。その方面のネットでは既に盛り上がっていますね。

しかし、あたし世代になりますと、もちろん、ゆったんはカワイイですけど、こちらも思い出されます。

はい、ホラー映画「13日の金曜日」です。これ、第一作は本当にハラハラして見ましたが、だんだんとコメディー映画っぽくなっていったのは気のせいでしょうか?

で、確か、この作品のパロディーで「14日の土曜日」という映画も作られたはず……

あたしには、タラレバなんて無い!

人気コミックの『東京タラレバ娘』がドラマ化されるそうで楽しみです。

  

  

「第6巻」まで刊行中で、まもなく「第7巻」が刊行になるようです。

ドラマは吉高由里子、榮倉奈々、大島優子が主役の三名を演じるわけでして、まあ、コミックと実写を同列に論じてはいけませんが、コミック版の「そこそこきれいなんだけど、なんかちょっと残念」な感じが、この三名で醸し出せるのか、そこが鍵になるのではないでしょうか?

この「たられば」、あたしなどが説明するまでもなく、「あの時、あーだったら、もっと、こーしてれば」という後悔先に立たず之女たちの、ああでもないこうでもない生活を描いたものですが、実際にこういう人って多いのでしょうか?

あたしは、もうこんな歳になってしまいましたが、これまで「たら、れば」と思ったことはありません。いや、大学生のころとか、20代前半くらいまではちょっと思っていたかも知れませんが、その後はまず思いません。

逆に、あたしはこう考えます、たとえ、あの時ああしていたとしても、結局今のこの状態になっていたはずだ、と。

運命論じゃというつもりはありませんが、どんな選択をしたとしても、結局はこうなるものだ、という諦めに似た気持ちを、この数十年は抱いているので、「あの時ああすればよかった」的な感傷に浸ることはないんです。

でも、キットこのドラマは見ます!

予約制よりも曜日別料金設定で対応できないものでしょうか?

今朝の朝日新聞に載っていた記事です。

予約しないとは入れない、というのは展覧会以外ではしばしばあるので不思議でも何でもありませんし戸惑いもしませんが、記事を読む限り所期の効果を生んでいるのでしょうか?

ジブリなど、親戚の子供が遊びに来たときに連れて行きましたが、それでもかなり混んでいました。どうせ時間制にするのであれば、販売枚数もきちんと制限すべきなのではないでしょうかね、とも思います。

で、この問題、これも効果のほどはやってみないとわからないところはありますが、家庭の主婦やお年寄りなど、平日に仕事を持っていない人は土日祝日の入館料を値上げする、学生も平日の午後3時以降を安くするなど、料金で入場者を誘導するようなことはできないのでしょうか?

サラリーマンも全員が土日休みとは限りませんが、圧倒的に土日が休みの人が多いわけですので、そういう土日にしか行けない人が少しでも楽に見られるように、土日以外に行ける人の土日料金を値上げして、平日に行くように仕向ける、そんな方策があってもよいような気がします。

多数決ではダメですね

トランプが大統領に選ばれたけれど、得票数ではヒラリーの方が上回っていたとかいう話。日本でも小選挙区制になってから、得票数と獲得議席との乖離が言われて久しいですね。

それはともかく、アメリカ大統領選挙とか、イギリスのEU離脱の国民投票とか、二者択一的なものを決めるとき、果たして多数決という決め方でよいのだろうかと、つくづく考えてしまいました。つまり過半数を取った方が勝ちという決め方です。

これらのように僅差での勝利ですと、決めた後のゴタゴタというか、負けた方の納得できない感があまりにも残りすぎて、果たしてこれからうまくやっていけるのだろうかという不安がよぎります。

少し前に読んだ岩波新書の『多数決を疑う』にはそのあたりのことも書いてあって、ある程度、皆が納得するには過半数ではなく、3分の2を獲得しなければならない、というようなことが書かれていました。日本国憲法改正が話題になるとよく言われる「3分の2の賛成」、改正推進派は高すぎるハードルだと言いますが、本書によると、国民的な合意、コンセンサスを得るにはこれでもやや低いくらいだとのこと。

まあ、日本国憲法の場合は、最低投票率なども設定されていないザル法なので、こんな状態で国民投票にかけられたらたまったものではありませんが……

で、アメリカ大統領選やイギリスの国民投票を見ると、やはり過半数というのはダメだなあと感じるのです。

野田阪神

野田阪神、というところへ行ってきました。

いや、野田でいいじゃない、阪神って何よ?

というのが、東京人としての素朴な感想です。阪神電鉄の野田駅は野田駅としてあるわけですよね。で、野田阪神駅は大阪の地下鉄・千日前線の駅の名前。東京だったら、東武の下赤塚駅に対して、営団赤塚駅があるように、ここは大阪の地下鉄はどういう略称を使うのかわかりませんが、○○野田駅と付ければよいのではないでしょうか? そう思います。

関西ではこの他にも三条京阪という駅が、京阪線ではなく京都の地下鉄の駅名としてあったはず。こちらも他者の名をくっつけていて、自社のプライドはないのでしょうか? と感じます。

なんか、モヤモヤした感じを覚えるのは、あたしが東京人だからでしょうか? だからなのでしょうか、帰りの新幹線の切符、どこかに落としてしまいました(涙)。痛い出費です。

右肩下がりの場合

わかっていたこととはいえ、こんなニュース。

年賀状、減少止まらず…「嵐」2年連続で起用も

前年比6%減というのは、昨今のSNS隆盛、高齢者へのスマホの普及から考えると、あたしに言わせれば十分健闘していると思えるのですが、如何でしょう?

昨年末、営業回りの途次、駅の改札口を出ると目立つところで郵便局のスタッフが年賀状を販売していました。会議机のようなものを置き、のぼりを立て、職員(?)数名で一生懸命声を枯らして売っていました。ほぼどの駅でも見かけましたので、各郵便局ごとの販売ノルマがかなり厳しく設定されているのではないだろうかと思われます。その割には、立ち止まって買っている人をほとんど見かけなかったのも事実です。背に腹はかえられないと局員総出で必死になって努力して、なんとか6%の現象で食い止めることができたのでしょう。

しかし、この際、嵐の起用の是非、年賀状を出し合うのは伝統文化だ、といった議論はさておき、もう年賀状の発行、発売が増加に転じるのはありえないと考えて、毎年の目標発行枚数を決めるべきだと思います。もちろん、いたずらに「昨年比5%減なら御の字」といった目標を立ててしまうと、発行枚数はどんどん減っていってしまうでしょう。やはり昨年並みの販売枚数を目標に掲げるからこそ、なんとか6%程度の減少で食い止められるのだと思います。

翻って、あたしの属する出版界。年賀状の発行枚数同様、否、それ以上に減り続けています。個々のジャンルとか時季によっては昨年比プラスのところもあったりしますが、全体としてはもう20年近く減り続けている業界です。いい加減、昨年比プラスなんてことを目標に掲げないで、マイナス5%以内に収める、といった現実的な目標を立てるべきなのかも知れません。

が、それをやってしまうと、実際にはもっと下がるでしょうし、売り上げから様々なものが決まっていくわけですから、目標の売り上げをマイナスに設定するということは、われわれの給料もマイナスになることを覚悟しないとなりません。「それはちょっと困る」と言うのが本音ですが、実際のところ、既にここしばらく収入は右肩下がり、いまさら減ると言われても驚きはしませんし、「とっくに減っているじゃないか」と言い返したくなります。

アベノミクスが効果を上げているという実感はまるでなく、一部のアナリストが言う「景気は上向いている」という説にも納得できず、上層と下層との乖離が激しくなっている気がします。こういうの中流の崩壊というのでしょうか? 本の売れ方を見ても、ものすごく売れる一極集中と、ほとんど売れない大多数の書籍という二極化がますます進んでいる気がします。昔はもう少し、なんとなくでも本を買ってくれる人が多かったような気がするのですけどね。

キラキラネームと「子」

キラキラネームってここ数年言われるようになりましたが、どのあたりまでを指すのでしょうか? 珍しいとか、漢字が難しいだけではダメですよね? キラキラしてないから。でも、キラキラって、個人差もあるので、何をもってキラキラと言うのか……

その反面、女の子の名前に「子」が付かなくなって久しいとも言われます。少し前に、いや、かなり前かも知れませんが、松嶋菜々子、常盤貴子、竹内結子、矢田亜希子などなど、活躍している女優に「子」の名前が多いというので、「子」が少し復権した時期もあったように感じたのですが、最近の女優はまた「子」が減っているような気もします。

これがアイドルだともっと顕著ですが、AKB48のかつての2大エース、前田敦子と大島優子は、考えてみると二人とも「子」が付いていますね。でも、それ以外、特に最近のメンバーはほとんど「子」が付いていないようです。

で、あたしの箱推しの乃木坂ちゃん、一期生・二期生合わせても現在のメンバーでは北野日奈子と佐々木琴子の二人しかいません。二人とも二期生ですから、一期生(OGを除く)には「子」の付いた名前の子はいないということです。ちなみに、昨年選ばれた三期生ですが、12名のうち「子」が付くのは暫定センターに選ばれた大園桃子ただ一人です。やはり、アイドルを目指すには「子」はダメなのでしょうか?

そして欅坂46です。欅坂46とけやき坂46の全メンバーを合わせて32名ですが、「子」が付くのは齊藤京子の一人だけです。もう一人、長沢菜々香が「ななこ」と読むのですが、この「こ」は「子」ではないので、グレーゾーンでしょうか?

と、ここまでですと、「やっぱりアイドルには○○子なんて名前はダサいのか?」という気もしてしまいますが、彼女たちのブログを読んでいると面白い現象が見られます。特に欅坂46のブログでしばしば目にするのですが、ニックネームなどにあえて「子」を付けて呼んでいる、書いていることがあるのです。

たとえば、最年少センターとして何かと話題の平手友梨奈は「てち」と呼ばれていますが、ブログの中では他のメンバーからしばしば「てちこ」と呼ばれ(書かれ)ています。今泉佑唯は「ずーみん」というニックネームが基本なのですが、これもしばしば「ずみこ」が登場します。長濱ねるなどは「ねる」という名前からして既に異色、これはキラキラなのか否か、あたしには決められませんが、ブログでは「ねるこ」と呼ばれることがままあります。

このように、全員ではないのですが、ニックネームなどに「こ」を付けて呼ばれる子が何人もいるのです。これってなんか不思議です。親は「子なんてダサい」と思って命名したのでしょうが、子どもたちはそこに「こ」を付けて呼び合っている。なんとなく社会学の研究対象にでもなりそうな現象にも思えます。ただ、音声として「ko」をつけて呼ぶぶんには、それが「こ」なのか「子」なのか判明せず、ブログでも上記の例で「子」と漢字表記しているのは見かけません。こんなところに、この現象を解く鍵があるのかもしれませんが、あたし的には最近ちょっと気になっていることです。

いろいろ出てます@朝日新聞

今朝の朝日新聞の一面下欄、広告が出ています。

掲載書目は『鬼殺し(上)』『鬼殺し(下)』『美女と野獣[オリジナル版]』『アブサンの文化史』、そして文庫クセジュの『レジリエンス』でした。

 

  

どれもピチピチの最新刊ですので、よろしくお願いします。そして読書欄です。

今回は残念ながら取り上げていただけたものはありませんが、情報フォルダー欄で『カラー版 神のかたち図鑑』を紹介いただきました。

 

なお同書は既刊『神の文化史事典』の姉妹編ですので、併せて是非!

 

ところで今回の書評欄に載っていた『ロックフェスの社会学』が気になります。ミネルヴァ書房のサイトには

「ロックフェスティバル」と呼ばれる音楽イベントが日本で存在感を放つようになって久しい。ロックフェスはそれまでのコンサートやライブとはどう異なるのか、本書は豊富なフィールドワークの知見をもとにその構造と新奇性を分析するとともに、2000年以降の日本社会の変化とフェスの隆盛を関連づけ、現代の祝祭をめぐる個人と共同体のパラドキシカルな関係を問う。

とありますが、あたしの勤務先から出ている『音楽祭の戦後史』と併売したら面白いのではないかな、なんて気がするのですが如何でしょう?

最後は別刷beの記事。泉京鹿さんが中国のベストセラーを紹介していますが、その中に『父を見送る』があります。あたしの記憶が間違っていなければ、本書は中国ではずーっと売れ続けていますよね。龍應台はもう一冊ランクインしていますし、あちらでは相当な売れっ子のようです。

このランキングに同じく二作品がランクインしている大冰って、たぶん日本では全く紹介されていないと思うのですが、すごい人気なのでしょうか? あたしも初めて目にする名前です。

総統って誰だ?

新刊の『総統は開戦理由を必要としている』が配本になりました。早いお店ではもう店頭に並んでいるでしょうし、週明けには各地のお店に並ぶだろうと思います。

 

ところで、このタイトルにある「総統」って誰のことかわかりますよね? 店頭ではタイトル(正題)だけでなくサブタイトル(副題)とか、オビの文章とか、いろいろヒントがありますし、そもそも置かれている棚を見れば一目瞭然かと思いますが、ヒトラーのことです。

ヒトラーの「総統」という呼称は、あたしも正確なところは知らないのですが、確かあの当時のドイツには大統領がいたはずですし、単なる首相ではなかったので、ヒトラーにだけ与えられた呼称だったと思います。いや、単に呼称というのではなく役職だったのだと思います。

現在の日本語で「総統」とだけ言えば、十中八九、ヒトラーを指しますが、『蔡英文 新時代の台湾へ』を刊行しているあたしの勤務先的には台湾の蔡英文「総統」も忘れてはならないところです。ついでに言えば、もうじき『蔡英文自伝』なんていうのも刊行予定ですから。

閑話休題。

そうです、この台湾のトップについても、日本語では蒋介石以来、「総統」という呼称が使われていて、管見の及ぶかぎり、「総統」を使うのは台湾のトップとヒトラーくらいだろうと思います。ヒトラーにつきましては上に簡単に触れましたが、台湾の場合は単純に中国語で「総統」と言うので、そのまま同じ漢字だから日本語でも「総統」と言っているわけです。

が、台湾へ行ってみると、アメリカのオバマも「総統」と呼ばれます。つまり中国語の「総統」は「大統領」という意味なのです。となると、同じ漢字だからそのまま「蔡英文総統」と表記し、そのまま「さいえいぶんそうとう」と日本語読みもしていますが、もしきちんと翻訳しようとしたら「ツァイ・インウェン大統領」という表記にすべきなのではないでしょうか? 少なくとも同じ漢字を使っていない他国の元首に対してはこのような措置が執られているはずです。

そこで感じるのは語感です。あまり意識していない日本人が多いのかも知れませんが、台湾のトップに対して「総統」という呼称を使うのは、どうしてもヒトラーとナチスを連想させて、あまりプラスの印象を与えないのではないかということです。それほど「総統」と言えばヒトラーと結びついてしまっているということですが、この際、台湾のトップについては「総統」ではなく、「大統領」という呼称に変えてみては如何かと思う次第です。

もちろん台湾で名称変更が行なわれて、大陸でも使っている「主席」となれば、日本もそのまま「主席」を使うように変わるのでしょうが、台湾が大陸の真似をすることはありえないでしょう。台湾のニュースで、この「総統」という呼称を聞くたびに、あたしは毎度そんな風に思ってしまうのです。

まあ、日中・日台間に関しては「総統」に限らず、同じ漢字なので、翻訳せずに、なんでも漢字のまま使ってしまう傾向があり、あまりにも日本語として通用しているものは別として、果たしてそれでよいのだろうかと思うこともたびたびなのですが……

2017年1月7日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー