限界は超えられる!

消えゆく「限界大学」』が好調で増刷が決まったということは既に書いたと思います。

 

大学全入時代、そして少子化の波。大学経営が難しくなってきているのは素人にもわかります。大学のレジャーランド化などと言われ、入ったはいいが勉強もしないで遊んでばかりという大学生が問題になっていたのはいつの時代だったでしょう?

かつては大学生の質が問われていたものですが、最近では『Fランク化する大学』何ていう本がヒットしたように、大学の質が問われているようです。生き残りをかけて、大学経営も真剣に考えないといけないのでしょう。だからなのでしょう、こういったテーマの本が陸続と出版されているようです。

  

『限界大学』と併売されていたのは、『平安女学院大学の奇跡』『日本の大学、崩壊か大再編か』『ローカル大学と共に』などでした。大学関係者が主に買っているのでしょうか? ただ、一口に大学関係者と言っても、教員もいれば職員もいますし、私立ですと理事なんて人たちもいますよね。教員にも専任と非常勤がいて、たぶん職人にも正規と非正規がいるのではないでしょうか? そして子供大学に通わせている親だって、「息子・娘の通っている大学は潰れないだろうか」とハラハラしているのかも知れません。

が、そういう人たちが買って読んでくれているのだと思いますが、なによりも、東京など都会の大学と地方の大学の差というのも無視できないでしょう。そもそも「限界大学」という命名も「限界集落」からのものですし、過疎が進む地方では、村落も立ちゆかなくなっているわけですから、ちょっとした地方都市では大学も成り立たないのかもしれません。

地方へ出張へ行くと、書店もそうですが、大学も数が少ないです。翻ってみると、博物館や美術館などの文化施設や映画館などの娯楽施設も、やはり東京がダントツの数を誇っています。なんでも一極集中でいいのかなあ、と感じますが、その東京も、少し前に「いずれ豊島区は消滅する」なんていうショッキングなデータが出ましたっけ……

そんな話の前に、「限界大学」ならぬ「限界出版社」も数知れず、だと思います(爆)。

しかし、これらの本、ダメな大学や暗い将来ばかりを描いているわけではなく、成功事例もきちんと載っています。そんなところに光明を見出し、ヒントを見つけるのが正しい読み方なのでしょう。

会ったことはないですが親近感を覚えますね

今朝の朝日新聞を広げたら見覚えのある名前が……

お二方ともお会いしたことはありませんが、それぞれの著書『ポピュリズムとは何か』『不平等との闘い』を読んでいましたので、なんとなく勝手に親近感を覚えています。

 

ちなみに、この対向ページには、あたしの勤務先の著者である宇野重規さんが、やはり登場されていました!

フェアとかチラシとか……

下の写真は、紀伊國屋書店新宿本店、人文書コーナーのエンド台。ちょうどロシア革命100周年記念フェアが始まったところです。

なんとなく、あたしの勤務先の本が多いような気がしますが、気のせいでしょう。とはいえ、意外とあたしの勤務先、ロシアものを出していたんですね(汗)。

そして上の写真は書店に置いてあったチラシです。

一番右は、同じく紀伊國屋書店新宿本店の「心理学書販売研究会フェア」のチラシです。「心理学書、この1冊」として、2016年に話題になったり、書評で取り上げられた書籍のフェアです。あたしの勤務先は関係ありませんが、心理学って、やはりちょっと気になります。

真ん中は水声社のセルバンテス全集のチラシ。なんと全7巻。昨年が没後400年だったそうですが、それにしてもこの時代、力の入った企画です。力が入ったといえば、水声社の「人類学の転回」も渋いけれど、興味深いシリーズです。

そして一番左は、KADOKAWA・講談社・新潮社・中央公論新社・文藝春秋という大手合同の「藤沢周平没後20年文庫フェア」のチラシです。広げると簡単な年譜にあさのあつこ、上橋菜穂子、中江有里による「おんなが愛する藤沢周平」という文章、それに北大路欣也のインタビューが載っています。

文庫のフェアなので言っても仕方ありませんが、個人的には『藤沢周平伝』も並べてもらいたいところです。

最後に、これはチラシも何もありませんが、講談社のメチエから『天皇と和歌』という本が出ました。

 

同社のサイトの内容紹介には

被災地やかつての戦地を訪れ、その思いを歌に詠む現代の天皇。和歌と天皇は、万葉の時代から、多彩かつ強固に結びついてきた。ライバルを次々と倒して即位した雄略天皇は〈愛〉の歌を詠み、二十一もの勅撰和歌集が五百年以上をかけて編まれ、歌道の秘伝「古今伝受」は、「御所伝受」として江戸時代に存続し、明治天皇は、生涯に十万首におよぶ歌を詠んだ。和歌を通して見えてくる、「日本社会にとっての天皇」とは。

とあります。ちょっと視点は異なりますが、『うたう天皇』を一緒に並べてもらえるとありがたいのですが……

なぜ和歌を詠むことが天皇の重要な仕事なのか。その目的が恋や自然賛美だけではない、平和を手中に収めるための国づくりの「日本知」であることを、万葉の碩学が鮮やかに読み解く。

同書の内容紹介は上の通りです。

ラッシュ時の電車内、リュックサックのマナーが乱れていませんか?

混雑した電車の中では、リュックは背中ではなく、お腹側に背負う(抱える)ように持ってください。

これはしばしば駅や電車内のアナウンスで言われるセリフです。車内を占領する幅(厚み)としては前に持とうが背中に背負おうが同じかも知れませんが、やはりお腹側に持つ方がよい感じですよね。

こういうアナウンスがされるようになってだいぶたちます。ひところは乗り込む前に背中からリュックを下ろして前に持ち変える人も多く見られましたし、現在もそういう人は多いです。

が、なんとなくなのですが、最近またリュックを背中に背負ったままの人が増えているような気がします。それもラッシュ時間帯に。男女を問わず学生に多く見られますし、若い女性も増えている感じです。

で、その理由というか、犯人捜しをするわけではありませんが、それって最近リュックが流行っていて、背負う人が増えたからなのではないかと思うのです。

アネロというブランドのリュック、最近街でよく見かけませんか? かくいう、あたしも一つ持っているのですが、カラーもいろいろあり、サイズも何タイプかあり、革っぽいもの、モコモコのもの、大人から子供まで使えそうで、気づくと女の子を中心にこのブランドのリュックを背負っている人がやたらと目に付きます。

で、にわかにリュックを背負うようになって、ラッシュ時間の電車の乗り方、マナーをよくわかっていない人が多いのではないか、そう思うのですが、如何でしょう?

ダニー・ザ・ドッグでも、しばわんこでもなく、年月日の販促のため?

こん**は、染井吉野ナンシーです。

あ~、わかっちゃいました? もう何度も出ている見飽きたネクタイですよね? でもブラウスにご注目! わかりにくいと思いますのでアップもご覧ください。

イヌです。とうとう見つけました、犬ブラウス! 猫グッズが世に溢れる中、犬グッズだってもっと充実して欲しい、常々そう思っていたのですが、ようやく見つけて手に入れました。これによく合うネクタイもあればよかったのですが、あいにくこのネクタイになってしまいました。

ちなみに、タイトルはジェット・リーの映画に「犬」がタイトルになったものがあったはずと考えていて思い出しただけです。

それにしても、このブラウスで「しばわんこ」の営業代行をやったら如何でしょう?

 

いやいや、ダメです。まずは『年月日』を売り込まないと!

ちなみに今回のコーディネート、ほとんど人から「地味だ、地味だ」と指弾されてしまいました。申し訳ありません。

作らないといけないものなのでしょうか?

2020年の東京五輪のマスコットをどうするかというニュース。

素朴な疑問なのですが、マスコットってないとダメなのでしょうか? そりゃ世界的に愛されるマスコットが作れればよいですが、ロゴマークの時とよい、国立競技場の時とよい、かなり莫大な費用を使った割りには、「えっ、こんなの?」というものが出来上がってきた気がします。

ロゴマークだって、五輪のマークと、東京なんだから東京都のマークでよいじゃないか、あたしはそう思います。これは別に東京大会に限らない意見です。

とはいえ、そういったものを作ってグッズを販売し、その収入をあてにしようという組織委員会側の思惑もわかります。しかし、デザイン料にかかる経費と天秤にかけた場合、そこまでやる必要があるのか疑問です。まして、決まった後に国民から不満の声が上がるようでは……

と言いつつ、かの北京五輪の時、あたしはその数年前に北京へ行ったのですが、公式ショップで売っていた公式グッズを買ってしまいました。もちろん、そんなバカ高いのは買いません。マスコットキャラの小振りな人形のセットを買いました。

北京五輪の時はマスコットが五体あって、「ベイベイ」「ジンジン」「ホアンホアン」「インイン」「ニイニイ」という名前が付いていて、五つ並べると「北京欢迎你」(北京へようこそ)となるのでした。

上の写真のように、あれからほぼ10年、あたしの寝室で、埃をかぶりながら天井からぶる下がっています(笑)。

未体験は不体験?、非体験?

この歳になると、これまでの人生で体験してこなかったことは、恐らく一生体験せずに終わるのではないかという気がしてきます。

いや、気がするだけではなく、本当に体験、経験せずに人生が終わるのだろうという確信のようなものがあります。

どんなものが未体験かというと、例えばスキーやスノボといったウィンタースポーツほぼ全般。たぶん、これから始めたらケガをするだけだと思います。決して運動神経がよい方ではないので。

チャンスはありそうですが、全く足を踏み入れたことがない都道府県というのも数県残っています。これはこれからも仕事で行く機会があるかもしれないので、日本全国全都道府県制覇はできるかも知れませんが、ほとんど数時間しか滞在せず、巡った場所も書店だけでは果たして「行ったことがある」と言ってよいものか……(汗)

それとタバコ。これは全く吸ったことがありません。よく大人に憧れて高校時代に一回くらいは、という話も聞きますが、あたしは高校の頃からタバコが嫌いだったので(自宅では父が吸っていました)、そんな憧れを抱くこともなく現在に至っています。タバコ嫌いはタバコだけでなく、「吸う人も基本的には嫌い」というレベルにまで昂じているので、タバコは一生吸わずに終わると思いますが、これは誇ってもよい未体験ではないでしょうか?

と、なんでこんなことを書き出したかと言いますと、昨日のダイアリーの湯島の話、あんなことを書きましたが、よくよく思い出してみると、ダイアリーにも書いたようにあたしは合格祈願へ行っていないわけですが、それだけでなく初詣も生まれてこの方行ったことがないのではないかと思ったからです。

別に神社仏閣に拒否反応があるとか、別の宗教を信仰しているとか、そういう理由ではありません。むしろ寺社巡りは大好きです。高校から大学生のころは朱印集めにもはまっていました。ですからお寺や神社は割と行く方だと思います。

が、初詣には行ったことがないのです。いや、正確に言いますと、20年か30年前に家族で一度明治神宮へ行った記憶がうっすらとあるのですが、とにかくあの人出、混雑に閉口し、二度と行くものかと思ったものです。ですから、全くないわけではなく、一度だけはある、のです。

正月明けの番組などでタレントが、友達や家族と近所の神社へ初詣に行った、などと話しているのを見かけますが、そういうこともありません。母もあえて行くことはないようです。

初詣に行っていないので、恒例のおみくじも引いたことがありません。筒を振って棒が出て来て、その棒に書いてある番号を申告すると巫女さんがおみくじを渡してくれるのでしたっけ(?)、そういうのをやったことがありません。お金を入れてガチャガチャとレバーを回すとおみくじが出てくる、そんなのをやったことがあったかなあ、というおぼろげな記憶です。

とまあ、正月のテレビなどで初詣のニュースを見、タレントのブログやツイッターでその手のニュースを読むにつけ、「あたしはそういうの、したことないなあ」と思い知る今日この頃でした。

ちなみに、このダイアリーを時々読んでいる方ならおわかりと思いますが、あたしの人生で未体験のまま終わりそうなもので最大のものは結婚です。いや、その前提として恋人を作るということにすら行き着いたことはないので、これもこのまま人生の幕を下ろすことになりそうです(涙)。

維新とは違う?

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湯島と言えば……

センター試験も終わって受験シーズン本番です。各地に願掛けの場所があると思いますが、東京ですと湯島天神が有名です。

湯島と聞くと、あたしなどは泉鏡花の『婦系図』、そして映画「湯島の白梅」などを連想するのですが、『婦系図』は未読ですし、映画も未見です(汗)。

話は戻って湯島の合格祈願ですが、上にも書いたように多くの人が訪れるのは湯島天神です。学問の神様、菅原道真を祀る神社です。日本で学問の神様と言えば道真公ですから、道真を祀った天満宮が受験生に人気なのもわかります。

ただ、学問の神様と言えば、そして同じく湯島と言えば、湯島聖堂もございます。こちらは万世の師表、孔子が祀られている場所です。菅原道真と孔子、どちらの方が学問の神様として偉いのか?

いや、そんなことを比較すると罰が当たりそうですが、中国学を学んでいた身としては「孔子の方が世界的にも有名だし、後世への影響力も大きいし、菅原道真なんかと比べるまでもない」と思ってしまうのです(汗)。

ただし、ここは日本。日本の学校を受験する学生にとっては、やはり天神様の方が衍聖公よりもはるかに身近で、実際の力になってくれそうな気がするのも理解できます。

振り返って、あたし自身の受験の時、どこか合格祈願のお参りに行った記憶がありません。当時も今も神仏の加護を信じていなかったのでしょうか?