原作小説と映画の違い

新宿のケイズシネマで「ブラインド・マッサージ」を見てきました。そして上映後の、訳者・飯塚容さんと、書評家・豊崎由美さんのトークイベントも。

トークイベントの模様を、手元のメモを元に少々紹介しますと……

まず飯塚さんはもともと畢飛宇の作品が好きだったそうで、いろいろ読んでいたものの、『ブラインド・マッサージ』を読んだとき、「これは、これまでの作品とは違う」と感じたそうです。特別な作品だという感想を持ちながら、大学院の演習で教材として学生と読み進めていたそうです。

また、ロウ・イエ監督のファンでもあり、「ふたりの人魚」が一番好きだったのが、本作を見てからはどちらも甲乙つけがたい作品だと思うようになったそうです。

ロウ・イエ監督の作品はバッドエンドのものが多いが、「ブラインド・マッサージ」はちょっと違っていて、ある種の清々しさを感じる作品だという感想だそうです。そんな映画と原作小説との違いですが、豊崎さんに言わせると、映画は盲人が生きていくことの大変さを主題にしている、どちらかというとそういう側面に比重が置かれている感じがするけれど、小説では恋とか性とか、もっと人間の普遍性を描いているとのこと。豊崎さんは小説を、科学者が書いたのではないかと思ったそうです。

また映画は登場人物の一人、小馬がほぼ主人公といってよいストーリー展開ですが、小説は群像劇で、個々の登場人物の過去や悩みとか、もっと奥深く描き出されているという違いがあります。

ならば、やはり小説の方がよいのかと言われると、映画は映画で小説のエッセンスをうまく取りだしていると思いますし、なにより小説では描かれていない結末が、あたし的にはグッと来ました。

限界は超えられる!

消えゆく「限界大学」』が好調で増刷が決まったということは既に書いたと思います。

 

大学全入時代、そして少子化の波。大学経営が難しくなってきているのは素人にもわかります。大学のレジャーランド化などと言われ、入ったはいいが勉強もしないで遊んでばかりという大学生が問題になっていたのはいつの時代だったでしょう?

かつては大学生の質が問われていたものですが、最近では『Fランク化する大学』何ていう本がヒットしたように、大学の質が問われているようです。生き残りをかけて、大学経営も真剣に考えないといけないのでしょう。だからなのでしょう、こういったテーマの本が陸続と出版されているようです。

  

『限界大学』と併売されていたのは、『平安女学院大学の奇跡』『日本の大学、崩壊か大再編か』『ローカル大学と共に』などでした。大学関係者が主に買っているのでしょうか? ただ、一口に大学関係者と言っても、教員もいれば職員もいますし、私立ですと理事なんて人たちもいますよね。教員にも専任と非常勤がいて、たぶん職人にも正規と非正規がいるのではないでしょうか? そして子供大学に通わせている親だって、「息子・娘の通っている大学は潰れないだろうか」とハラハラしているのかも知れません。

が、そういう人たちが買って読んでくれているのだと思いますが、なによりも、東京など都会の大学と地方の大学の差というのも無視できないでしょう。そもそも「限界大学」という命名も「限界集落」からのものですし、過疎が進む地方では、村落も立ちゆかなくなっているわけですから、ちょっとした地方都市では大学も成り立たないのかもしれません。

地方へ出張へ行くと、書店もそうですが、大学も数が少ないです。翻ってみると、博物館や美術館などの文化施設や映画館などの娯楽施設も、やはり東京がダントツの数を誇っています。なんでも一極集中でいいのかなあ、と感じますが、その東京も、少し前に「いずれ豊島区は消滅する」なんていうショッキングなデータが出ましたっけ……

そんな話の前に、「限界大学」ならぬ「限界出版社」も数知れず、だと思います(爆)。

しかし、これらの本、ダメな大学や暗い将来ばかりを描いているわけではなく、成功事例もきちんと載っています。そんなところに光明を見出し、ヒントを見つけるのが正しい読み方なのでしょう。

会ったことはないですが親近感を覚えますね

今朝の朝日新聞を広げたら見覚えのある名前が……

お二方ともお会いしたことはありませんが、それぞれの著書『ポピュリズムとは何か』『不平等との闘い』を読んでいましたので、なんとなく勝手に親近感を覚えています。

 

ちなみに、この対向ページには、あたしの勤務先の著者である宇野重規さんが、やはり登場されていました!