正体見たり枯れ尾花?

昨日の朝日新聞夕刊です。

盛岡発の仕掛け販売、文庫Xが全国的に大ヒットしているそうです。もちろん、この取り組みは知っています。

何年か前に紀伊國屋書店がやっていた「本のまくら」フェアの二番煎じっぽさは感じるものの、この出版不況に少しでも本を売ろうと努力してくださっている書店員の方の取り組みには頭が下がります。

「本のまくら」もそうでしたが、やはり文庫という廉価な商品だから成立する取り組みですよね。あたしの勤務先の上下巻の単行本でこれをやったら、誰も買わないでしょう(笑)。そういう意味でも、目の付けどころが巧いなと感じました。

それにしても、不思議に思う点もあります。

ネット書店が流行りだしたころ、「本はやはり中を見ないと買えないよ」という意見もあって、だからリアル書店のアドバンテージは変わらない、とも言われました。しかし、結果はアマゾンにどんどん喰われ、地方の書店は衰退の一途。都会の大型店だって、売れてはいるけれど、家賃諸々と考えるとペイできているのか……

それはともかく、中味を見ないと買えないという意見があるのに、「本のまくら」といい「文庫X」といい、中味を隠して売ってヒットするなんて、ちょっと皮肉ですね。こういうゲーム性が受けているのでしょうか?

しかし、問題はここからでしょうね。

この「文庫X」がヒットしたからといって、文庫全体の売り上げはどれくらい伸びているのでしょう? 文庫Xの正体はノンフィクションだということですが、ノンフィクションジャンルの伸びは? そもそも、こういう取り組みをしているにもかかわらず、本の売り上げは落ち続けているわけで、さて、せっかくこういう企画がヒットしたのですから、次にどういう一手を打つべきなのか?

出版社も書店員に任せておくだけではなく、一緒になって考えないといけないのですよね。

いろいろ繋がっている世界

今朝の朝日新聞です。サイクス・ピコ協定に関する記事です。

昨今のシリアをはじめとする中東情勢について考える場合、やはりこの協定について触れないわけにはいかないでしょう。

  

こうして特集記事が載るくらいですから世間の関心も高いのでしょう。最近では『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』なんて本が売れているそうです。そしてたぶんそれと関連するからなのでしょう、『ロレンスがいたアラビア(上)』『ロレンスがいたアラビア(下)』も売れ行き好調です。本書の場合、英雄としてのロレンスではなく、歴史上の人物としてのロレンス、ロレンスの真の姿はどんなだったのか、ロレンスは何をしたのか、それを知りたいという読者のニーズに合っているから売れているのだと思います。

そして、この中東問題は難民としてヨーロッパにも波及し、極右政党の伸長など実際の影響も出てきておりますが、そういったことについては『欧州複合危機』がコンパクトにまとめてくれていますし、これを読むと、今度は『グローバリゼーション・パラドクス』が気になって仕方なくなるはずです。

 

そしてトランプ現象というところまで関心は広がるのでしょうが……

あまりも強い怨念のため、いくら貼り直しても剥がれてしまうお札のように……

タイトル、あまり「落ちる」と書いてしまうと、この季節、受験生諸君に申し訳ないので、あえて「剥がれる」と書いてみたのですが、あたしが受験生だったころと比べ、昨今は全入時代なんですよね? 受験地獄って死語ですか? 浪人なんて絶滅してしまったのでしょうか?

閑話休題。

少し前に電源タップを買いました。自宅のPC回りの周辺機器の電源のためですが、USB機器も増えてきたので、USBの端子も付いているものを選びました。ネットで調べ、「うん、こんなのでいいや」とあまり検討せずにポチッとクリックしてしまったので、届いてから困りました。

何に困ったかと言いますと、大きさはよいのです。だいたいこの手の商品の大きさはわかっています。そうではなく、裏側にマグネットが付いていなかったことです。いえ、マグネットが付いていなくても、ネジを引っかける穴でもあればよかったのですが、それもありません。つまり壁に取り付けるタイプではなかったということです。

この手の電源タップは、タコ足は別として、ホコリがたまるのも危険です。ですから、コンセント部分が上向きにならないよう、部屋の電源タップ(周辺機器がいろいろあるので、既にいくつか使ってます)はすべて壁に取り付け、床に直接置かないようにしています。更には使っていない穴にはキャップをしてホコリの侵入を防ぐようにしています。

というわけで、部屋の中は鉄製のものも多いので、マグネットが付いていればそこへペタッとくっつくので都合がよく、そういうタイプの電源タップも数多く売っています。が、今回買ったものはそうではなかったのです。

さて、どうしましょう?

マグネットが付いていないので、百均で売っていたマグネットテープ(ガムテープがマグネットになっているようなもの)を買ってきて、タップの背面に貼ってみました。つまり自分でマグネット付きに改造(?)したわけです。が、電源タップが重いのか、そのマグネットの力が弱いのか、いくら貼ってもしばらくすると落ちてしまいます。

マグネットは諦め、両面テープにしてみました。こんどは木製のデスクの脇に取り付けるつもりです。「強力」と書いてある両面テープ(クッションタイプ)買ってきて試みましたが、これもしばらくすると剥がれてしまいました。そんなにタップって重いのか。確かにそこそこの重さはありますが、そんなに簡単に剥がれるほど重くはないはず。

そこで、こんどはホームセンターで「粗面用」と書いてある両面テープを買ってきました。読んで字のごとく、表面が凸凹した木材などにも貼れるという製品です。これでなんとか、すぐに剥がれることはなくなりましたが、貼ってみてから約一日、先程見てみると、タップとデスクの間に隙間が開いてきていました。剥がれかかってきていたので。

何なのでしょう? タイトルどおり、いくら貼っても剥がれてしまうお札のようです。呪われているのでしょうか?

こんど剥がれてしまったら、もう少し物理的に固定する方法を考えないといけませんね。あるいは壁に固定できるタイプの電源タップを買い直すか……

まるで絵本みたい、と感じてしまったあたしの感覚は世間様とはズレているのでしょうか?

話題の新刊『』を読み始めました。西加奈子さんの作品はこれが初めてなのですが、なかなか面白いです。

で、上の写真はその『』と『テヘランでロリータを読む』です。なんでこの二つを並べているのかって? それは『i』を読めばわかります。

あたしはまだそこまで読み進んでいませんが、同書に『テヘランでロリータを読む』が引用されているそうなのです。それもかなり重要なところで。既に読んだ書店員さんから伺いました。書店によっては両書を併売しているところもあるようです。

で、『i』の最後にこんなページがありました。しっかり『テヘ・ロリ』が書いてあります。果たして、どんな風に引用されているのでしょうか? もう少し読み進めれば出てくるのでしょうから愉しみです。ちなみに、あたしは『テヘ・ロリ』は刊行されたころに読んでいます。

  

それにしても、久しぶりに日本人作家の単行本を読んでいるのですが、ページを開いた印象が、ふだん読んでいるものとあまりにも異なるので驚きました。上の写真、一番左が『i』で、真ん中が『テヘ・ロリ』です。参考までに、一番右が『i』と併読している閻連科の新刊『炸裂志』です。

  

同じ単行本という形態、文芸書というカテゴリーに属しながらもこれだけの違いがあります。あたしは、ふだんは真ん中くらい文字の詰まった本を読んでいます。時には一番右のような二段組みの本も読みます。もちろんこの三者、ページ数もかなり違います。だから、西さんの今回の新刊のページを開いた瞬間「絵本みたい」と思えるほど文字が少なく感じました(汗)。

真ん中や右の本を見慣れている(読み慣れている?)者からすれば一番左は読みやすい、あっという間に読めてしまうでしょうけど、ふだん一番左のような本ばかり読んでいる人にとって真ん中や一番右の本を読むのは苦痛でしょうか? もちろん本の中身が一番大事なのは言うまでもありませんが、開いた瞬間に「あっ、文字が多い、こんなの読めない!」と思ってしまう人が多いのも事実です。

いまは過渡期なのかしら?

前のダイアリーで『フラ語入門』について書いたので思い出しました。

下は、少し前の業界紙「新文化」の記事です。

語学書の音源はCDか、それともダウンロードか、という記事です。

えーっと、記事を無視して、あたしの本音を言ってしまいますと、果たしてCD付の語学書を買った人のどのくらいの人がCDを聞いているのでしょう、ということです。もちろんヒアリング問題のような語学書であれば聞かないと解けませんから必ず聞くでしょう。でも、単に本分や例文を読んでいるだけの音源の場合、どのくらいの人が熱心に聞いているのか、実は疑問があるのです。

閑話休題。

記事からわかるように、この問題、まだ過渡期ですよね。

さすがにカセットテープは、それを再生する機会がほとんど消えましたから問題外としても、CDはまだまだプレーヤーが現役だと思います。ただし、若者に限って言えば、「持っていない」という人が過半だと思います。

その逆に、年配の方を対象にすれば、「パソコンを使ってダウンロードなんて、自分にはできないよ」というのが、こちらやもやはり過半ではないでしょうか?

では、若者ならダウンロードできるのかと言えば、意外とデジタルに弱い若者もいるので、そうは問屋が卸しません。もちろん機械にめっぽう強い年配の方も大勢いらっしゃいます。

語学を学ぶのは学生、特に大学生が多いから、デジタルには強いでしょ、と言いながらも、実際に本屋で語学書を購入しているのは学生よりもサラリーマンやOL、そして年配の方が多いというのも事実です。この勢力図のバランスが、まだしばらくは続きそうなので、出版社としてもどっちに軸足を置くかは決めきれません。

そもそも、語学書にCDが付いているのと付いていないのとでは売れ方に差があるのか、CDの有無の価格の差はどれくらいがよいのか、音源が付属CDの場合とダウンロードの場合で売れ方に差があるのか、こういった疑問点、たぶんどこの出版社も確かなデータは持っていないと思います。

カセットテープが数十年の時を経てほぼ消滅したように、CDもいつまであるのでしょうか? ダウンロードだって、OSやスマホなどの発達によって、現在のファイル形式がいつまでも有効なのか、わかりません。

うーん、難しい問題です。

祝・年間第一位獲得!

下の写真は、紀伊國屋書店新宿本店の語学書売り場(8階)です。今そこで語学書の年間ランキングが並べられています。その様子です。

いろいろな語学書が並んでいますね。

で、気づきましたか? わかりません? ではさらに次の写真をご覧ください。

 

はい、そうです。『フラ語入門、わかりやすいにもホドがある!』がフランス語部門の年間第一位に輝きました!

それ以外にもお気づきかと思いますが、全体を通して新刊よりも定評ある既刊が確実に売れる、ということです。語学書は特にその傾向が強いジャンルの一つです。

もちろん、だからといって新刊を出さなくてよいわけではありません。時代のニーズに合わせ新刊も出しつつ、それを定番に育てていくのも大事な仕事です。定番になっても、そこにあぐらをかくのではなく、定期的に手を入れていかないとなりません。この『フラ語入門』も改訂版です。旧版の時からよく売れていた本です。改訂して、まだまだ売れている、ますます売れている、そんな本です。

さて、営業部員としては、あと一冊くらいランクインさせたかった、という憾みが残るのも本音です。なにせ語学書の出版社ですから、他社の後塵を拝するわけにはいきません!

どこかにフツーの本屋はないのか?

またしても朝日新聞の記事です。

下北沢の本屋さんB&Bが銀座に出店するというニュースです。

B&Bは嫌いじゃありません。「へえー、こんな本が出ていたんだ」という発見があります。それに大きさもちょうどよいです。この手のセレクト型の書店が規模をあまり大きくしてしまうと、却って探しづらくなりますし、セレクトショップ的なよさが失われてしまうと思うのです。

それはさておき、銀座にB&Bが出店するということに異存はありませんし、あたしなどが異議申し立てるできるような立場にはおりません。それでも、あえて言いたいのは、銀座にフツーの本屋さんを作ってよ、ということです。

銀座地区に本屋さんがないと言っているのではありません。有楽町駅前には三省堂書店があり、四丁目交差点のビルにはブックファーストもあります。なにより銀座といえば教文館があります。だから決して書店がないわけではありません。

しかし、かつてこれに加えて旭屋書店が数寄屋橋交差点付近にあり、9丁目の方へ行けば芸能人の握手会やお渡し会で有名な福家書店があったわけですから、そのころを知っている身には「本屋が減った」と感じるわけです。

特に、福家書店が閉店したのと前後して、新橋からも文教堂、書原といった本屋が消えていきました。管見の及ぶかぎり、銀座四丁目交差点から南、新橋界隈にかけては書店のない街になってしまっています。

確かに、上に書いたような書店があるわけですから、少し歩けば本屋はあります。しかし、あのあたりで働く人の行動半径を考えた場合、ちょっと遠いです。いや、かなり遠いです。おいそれとは行かない距離です。本屋がほとんどない地方の人からすれば贅沢な悩みと言われるかも知れません。しかし、周辺人口で考えると、銀座から新橋界隈の本屋の無さは、地方をはるかに上回るのではないかと思います。

それでも、春には旧松坂屋がリニューアルして、そこに蔦屋書店が出店するという話ですからいくぶんよくなるでしょう。でも、蔦屋書店もセレクト型のお店です。でも、この地区にまず必要なのは、もっとオーソドックスな本屋ではないかと思うのですが、どうでしょう?