異例の第4刷

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シェイクスピアはやはり小田島訳!

昨日の朝日新聞夕刊です。

 

シェイクスピア劇が二つ上演されているようです。『リチャード三世』と『ヘンリー四世 第一部』『ヘンリー四世 第二部』です。

  

どちらも小田島訳と書いてありますが、つまりは白水Uブックス版ということです。

「堂に升りて室に入らず」的な海外文学フェア?

このところ「はじめての海外文学フェア」というフェアが各地の書店で行なわれています。

フェアの場所には上掲のような冊子が置いてあります。ビギナー篇とちょっと背伸び篇ですね。確かに、間口・裾野を広げる、広く愛好者を増やす、という意味では「はじめての」という謳い文句はよいと思います。

で、ふと思うのですが、これを何回くらい続ければ、「はじめて」から「その次の」になるのでしょうか?

いや、もちろんいつまでも「はじめて」を続ける意義はありますし、続けるべきだと思います。が、その次も提案してこそ、だと思うのです。語学書で入門・初級があって、その次に中級、そして上級があるようなものです。

もちろん、海外文学の場合、上級なんて要らないかもしれません。「後は各自お好きなようにお読みください」で構わないのだと思います。そこまで親切丁寧に、手取り足取りしてやる必要はないよ、そのレベルの人なら自分で見つけるさ、という意見ももっともです。

でも、上に挙げたように、語学書でも中級向けのフェアというのは成り立ちますし、それなりの需要もあります。むしろ初級が終わってその次の一歩をうまく踏み出せるかどうかで上級へ進めるか否かが決まると言っても過言ではありません。だから中級は大事なのです。疎かにはできません。

海外文学フェアだって、中級を考えてみよう、そんなことも思いながら、今回のフェアを眺めていました。たぶん、そういう需要もあって「ちょっと背伸び篇」が作られたのでしょうね。

失敗の本質? 敗因分析? 商談会とは?

先日のBOOK EXPO 2016は盛況だったようです。確かに午前中から多くの方が来場されていたと感じました。東京の大商談会と比べてどうかと問われると、俯瞰的に見えていないのでなんとも言えませんが、少なくとも自社ブースの前を通る人は多かったと感じました、まあ、それも会場内のどこにブースを出しているかという要素も大きいと思いますが……

とりあえず、少し時間がたってしまいましたが振り返ってみたいと思います。

まず肝心の成果ですが、あたしの勤務先についていえば渋かった、厳しかったと言わざるを得ません。愚痴っぽくなりますが、そもそも商談会に来ている書店の方、お目当てはコミックや児童書、それに実用書といったところで、来場者名簿を見ても、知っている書店の名前はあっても、参加予定の書店員は知らない方だったりします。つまり、あたしが逢っている人文や文芸などの担当者ではなく、恐らく雑誌やコミック、児童書などの担当者が参加していたのでしょう。

どうしてそう言えるのか?

会場内の動きを見ていればわかります。そういう出版社のブースにばかり人が集まっているからです。ある書店の方に聞きましたが、これからクリスマスなどの商戦に向け、ふだんなかなか逢えない出版社のブースでクリスマス商戦向けの商品を注文するのが主目的だそうです。はっきり言って、絵本が目当てなんでしょうね。

ですから、専門書の出版社はほとんど出ていないか、出ていても閑古鳥が鳴くような有り様と言ったら言いすぎでしょうか? でも決して誇大な表現ではないと思います。紛れもない実感です。あたしのブースの前を通る書店の方、ブースに貼ってある出版社名を見て「あっ、ここは関係ない」という表情で通りすぎていきます。ほとんどがそんなところです。東京でも大阪でも、この数年参加していますが、これが実情です。

それがわかっていて、なんで参加しているの? 出展料だって払っているんでしょ?

というのはきわめて当たり前の疑問だと思います。それに答えるとすればこうなります。

町の書店でも、あたしの勤務先のような出版社の本を置きたいと思っている書店はきっとあるはずだ。でも、何もしなければ新刊も入ってこないし、何かフェアとかやりたいと思っても、コネも何も築けていない。この商談会で顔つなぎをして、少し置かしてもらえないか相談してみよう。

そんな風に考える書店の方が来てくれるのではないか、そう思って出展しているわけです。結果はどうかと言えば、まるっきりないわけではありません。過去に数件、そういう風に声をかけていただいて新刊案内を送るようになった書店もあります。配本するようになって売り上げが上がってきたお店もあります。

とはいえ、丸一日ブースを出しての成果としてはあまりにも低い、低すぎます。もう少しこちらも工夫をしないと、何の成果もないというに等しい状況がこれから先も続いてしまいそうです。ではどうしたらよいのか? すぐには答えは出ませんが、絶えず考えていきたいと思います。

話は少し横道にそれますが、数年前、東京の商談会に初めて参加したのは、似たような専門書数社で揃って出展したのがきっかけです。たぶん10社くらいで参加したのではなかったかと記憶しています。ブースを連ねて出展しましたが、われわれの一郭は見事に来場した書店の方に避けて通られました。その一方、東京国際ブックフェアでは、やはり10社くらいの人文系出版社でブースを連ねて出展していますが、会場内でも毎年一、二を争う盛況なブロックになっています。

同じような出版社のブースでありながら、書店はあまり寄ってこないのに、読者は群がってくるという好対照。もちろん東京国際ブックフェアは、2割引きでクレジットカードも使えるという、本好きにはお得な場であり、商談会と同列に論じることはできません。単純比較はできない両者ではありますが、出版社が商品をアピールするという点では同じです。この違いは何なのか?

そんな話を書店で専門書担当の方と話していたら、その方は「読者が求めているものと書店が求めているものがズレているのではないか、読者のニーズを書店がつかみ損ねているのではないか」という分析をされました、否、分析というよりも感想と言うべきでしょうか? しかし、この指摘は非常に示唆するものがあります。考えるきっかけをくれたような気がします。

関西ツアーみやげ

先週の関西ツアーでゲットしました。

ジュンク堂書店大阪本店の「文芸書通信」です。お店に行ったときに置いてあれば毎回もらって帰ってきますが、今回も新しいのが置いてありました。

藤井光さんの『ターミナルから荒れ地へ』がフィーチャーされていました。

 

同書では藤井さんがいろいろなアメリカ文学を紹介していますが、中でも藤井さん翻訳の『紙の民』を読みたくなること必至です。

そして『文芸書通信』の最期のページでは『年月日』も取り上げていただいております。

『年月日』にも批判精神が感じられるかは是非お読みいただいてご判断ください。

人としての尊厳~閻連科トークイベントのこと~

土曜日、日曜日と二日間、新宿の紀伊國屋書店と渋谷の丸善&ジュンク堂書店で行なわれた閻連科さんのトークイベント。メモを元に少し振り返ってみます。

まず土曜日の紀伊國屋書店、対談相手は飯塚容さん。ご存じのように閻連科さんのエッセイ『父を想う』の訳者である飯塚さんが、『年月日』だけでなく、過去に遡って閻連科作品全般、そして閻連科さんの人となりや中国現代文学の中での立ち位置などをわかりやすく紹介してくれるような対談になりました。

 

まず、日本、中国ともに相手の文学を研究する優れた学者は大勢いるのに、お互いの翻訳作品が少ないのはなぜか、という問いかけに始まり、中国でも日本の作品を紹介しようという勢いが近ごろ弱くなってきているとのこと。これは翻訳者がもっと考えるべき問題であるとの指摘は、翻訳作品を柱の一つしている出版社にも耳の痛いところでした。

飯塚さんから、それでも80年代は中国文学の紹介が日本では盛んであったが、その後は低調になり、日本人の見方も好意的ではなくなっていたと説明があり、そんな状況でも中国文学の紹介はされてきてはいたけれど、閻連科さんの作品は紹介されてこなかったとのこと。

その当時の閻連科さんの作品は大きく分けて軍隊での生活を舞台としたものと農村での生活を舞台としたものに分けられ、『年月日』はもちろん後者に相当する作品との解説。

そんなご自身の作品について閻連科さんは、ずっと軍人をテーマに書いてきた自分にとって『年月日』は奇妙な作品であるとのこと。軍を舞台とした小説が発禁となり、さらに腰痛を患い、退役して農民になろうと考えていた病床生活で、もう軍隊をテーマとしたものは書かないと一度は心に決めたそうです。

そんな中、ある漢方医と知り合い、その人の治療によって腰痛を完治し健康を回復する中で、人間の生命について考えるようになり、1本のトウモロコシと一人の老人の関係性について書きたいと思うようになったそうです。出来上がった原稿を上海の雑誌社に送ったところ発表でき、多くの評論家の好評を得たそうです。

そんな人間の尊厳を描くようになった閻連科さん。2000年代になって生まれた作品は、軍隊が舞台の『人民に奉仕する』、エイズ村の売血について書いた『丁庄の夢』が相次いで発禁となったが、これら2作品とは異なる寓話的な『愉楽』もあり、この作品の執筆をもって軍隊生活にピリオドを打ったとのこと。

閻連科さんによると、創作は変化してきているとのこと。『愉楽』は中国でシンポジウムが開催され、高く評価する評論家もいたそうです。しかし、もし現在は右派闘争が再び起こったら処分されただろうとも。またテレビで『愉楽』関連番組が放送され、ついに上司から軍を辞めるよう勧められたそうです。

軍を辞めて自由になり、『人民に奉仕する』を書いたそうです。これが大きな変化となったようですが、軍隊生活が深刻な現実とを教えてくれたとも。なので、軍隊生活を後悔してはいないし、自分の創作にとっては宝物であるそうです。発禁すら、運命に対する贈り物だと思えるとのことです。

『年月日』『日光流年』は発禁になっていないし、フランスでは高校生の教科書にも載っている。アメリカでは高校生の必読書の一つに選ばれてもいるとのこと。ただ『年月日』のような作品をずっと書いていても、それはそれで問題であり、書きたいとも思わない。

最近の『四書』(邦訳は岩波書店から刊行予定)は1960年前後が舞台の作品。その時代の知識人の運命を描いたもので、最近の最も重要な作品だと想っているそうです。『風雅頌』は大いに論争を巻き起こしたが、自分なりに検閲して、もっとよい作品を書かなければいけない、自分の創作を反省しないといけないと思っているそうです。

『四書』では、新たな物語を表現する方法を見つけたと感じるそうです。そして『炸裂志』は中国国内版と台湾版では内容が一部異なるそうです。閻連科さん曰く、中国の現実そのものを描いた、金儲けに成功している人はいかがわしいことをしたに違いない、ということを書いた作品であるそうです。『日熄』は夢遊病者の話で、台湾で出版され、紅楼夢文学賞を受賞した作品。

神実主義を発見したことで『炸裂志』や『日熄』が書けた。夢遊病者は夢で現実にはありえないものを見ているが、太陽が昇ったら夢から覚めてしまう。しかし『日熄』では太陽が消えてしまったので、永遠の夢遊病状態にいる人々を描いた。

『父を想う』は重要な作品である。自分の優しい一面を描いたつもりである。家族のこと、人と人との温かい関係性を表現していて、フランスやイタリア、韓国でも翻訳されている。もう一つの閻連科であり、中国人の温かさを表現している作品である。

以上、紀伊國屋書店新宿本店でのトークの、あたしなりの梗概。聞き間違い、書き間違い、理解の至らないところ、誤解しているところ、多々あると思いますが、すべてあたしの責任です。

そんな前日を受けて翌日の渋谷のトーク。上の写真のように、この日の対談相手は豊崎由美さん。

『愉楽』を絶賛されていた豊崎さん、閻連科さんに聞きたいこと話したいことが山ほどあったようで、メモを見ながら話を進めてくださいました。

そして、Twitter文学賞、トロフィーの授賞式。

かわいい編みぐるみが贈呈され、閻連科さんは2歳になるお孫さんが喜ぶだろうとのことでした。

二日間を通して、飯塚さんは「~ですよね?」という語り口、豊崎さんは「~ですか?」という風に、お二人の立場を活かした好対照なイベントになったと思います。

本屋さんの明日、明日の本屋さん

昨日の朝日新聞に載って生きた記事です。

苦しいのは本屋さんだけでなく、出版社も取次も同じで、つまりは業界全体が気息奄々としている状態です。果たして明日はあるのか?

記事の中にもありますが、図書館と本屋の関係というのももっと真剣に考えないといけない問題なんだろうなあと思いますが、これについては出版社もかなり立場が異なるようなので難しいところです。

地域の実情に沿う。店主の思い入れが極めて深い。そんな個別性のある店は今後も求められるでしょう

とあります。「書棚が魅力を放っている鳥取の店」というのはわかります。きっとお客様のニーズを捉え、求められるものをしっかりと並べているのでしょう。

その一方、「農業が盛んな地域に近く、お米や野菜も売る秋田の店」と言われると、結局本は売れないんじゃないか、という気もしてしまうのは、あたしが天の邪鬼だからでしょうか?

文具とか雑貨、喫茶などを併設している本屋が増えている昨今。そういうものの隆盛を聞くと、出版社としては「本に魅力がないから、他の商品で集客を図らなければならないんだよ」と言われているようで複雑な気持ちになります。

今日の配本(16/11/14)

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戦利品?

閻連科さんのトークイベント。昨日の紀伊國屋書店新宿本店、本日のMARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店と二日間。

いやー、実に有意義でした。個人的に愉しんだといった方がよいくらいです。

 

まとめ的なこととか感想は改めて書きますが、とりあえずいただいたサインをご披露。

 

父を想う』『年月日』にサインをしていただきました。

いやー、嬉しい。大作家にもかかわらず、とても気さくな方でした。