B級生物パニックを2本!

時々こういうのが見たくなります。まずは「スパイダー・シティ」です。

タイトルどおり、クモがウジャウジャ出てきます。地下の掘削で巣を壊されたとおぼしき新種のクモ、それも巨大なやつが地中から現われて人々を襲うというもの。とはいえ、クモのCGがショボいです。確かにあの大きさのクモが数匹向かってきたらちょっと怖いですが、パニック映画にするならもう少し大きい方がよくはないでしょうか?

ストーリーもやや陳腐ではありますが、親子の葛藤、反発と和解などを折り込んで、それなりに見せる映画にしようとしているところは感じられます。しかし、肝心のクモの退治の仕方が……

妹を助けるべく巣穴に潜った主人公が見たのは巨大な女王グモ。これがとうとう地上に出てきたから街はパニック。既に軍隊も出動していましたが、ロケット砲も役に立たず、オヤジの死によって心を入れ替えた主人公が、女王グモの体内に潜り込み、爆弾を仕掛けてくるという決死の方法。女王グモさえ倒せれば、他の数千、数万匹のクモも一緒にやっつけられるという、かなり強引かつ非科学的な理屈。

まあ、そこがB級のB級たる所以。この方法が成功し、女王グモの死と共に、他のクモもすべて死んでしまうのです。めでたし、めでたし。ありえないだろう、という突っ込みの声が聞こえます。

続いては「アクア・クリーチャーズ」、タイトルからはどんな動物かわかりにくいですが、ウミヤツメという鰻の一種のようです。日本ではヤツメウナギと呼ばれるものでしょうか? そのあたりはよくわかりません。

さて、先の「スパイダー・シティ」の方は地下の掘削によって地中に住む新種のクモが云々という発声原因がありましたが、こちらのウミヤツメは映画が始まると共に既に大発生しています。なぜなのかはわかりません。最後まで語られずじまいです。大量発生したのでエサがなくなり、飢えたウミヤツメは凶暴化し人を襲い出します。ちょっとの水があれば生きられるウミヤツメは湖から川、更には上下水道管を通って街中へと進入し、人を襲い出します。

ここで生物学が専門の主人公に、観光に打撃を与えてしまうので事を荒立てたくない愚かな町長という、ジョーズ以来の図式が健在です。なので、主人公はイライラ、町長は情けない死に様というところもお約束どおり。

さて、こちらはどうやって殺すのか。これだけの数が町中にウジャウジャいるわけですから、普通に考えると退治のしようがありません。水道管に殺虫剤、いや殺魚剤をまいたのでは、退治後の人々の生活にあまりにも支障が出そうですし、それで果たして全滅させることができるのか? 焼き殺すといっても、ウミヤツメをどうやって一か所に集めるのか? などなど問題山積です。

とにかく一か所に集めることが肝要なわけです。そこで主人公が採った方法はウミヤツメの死骸から肝臓を取り出すということです。その臭いに釣られて他のウミヤツメが集まってくるのです。ちなみに、死骸そのものの臭いは身の危険を察知するという理由でウミヤツメ除けになるようです。

そして主人公たちは発電所にウミヤツメを集め、発電所の電気で感電死させるという方法と採用します。まあ、肝臓をどれだけ集めれば、これほどの数に達したウミヤツメすべてが発電所に集まってくるのでしょう? そこが非常に非科学的というか、現実味を感じられないところです。映像上はかなりの数のウミヤツメが集まってきていましたが、街中に広がったウミヤツメがすべてあそこに集まったとはとても考えられません。なおかつ、発電所って、確かに危険な場所ですが、あんな簡単にスイッチを入れただけで内部に電気が通るものでしょうか?

それでも主人公たちは家族で力を合わせウミヤツメを退治し、街には平和が取り戻されます。夏の間だけ越してきていたという主人公一家は仕事をやり終えて街を後にするのです。が、まだ一匹ウミヤツメは生き残っていた、というエンディング。一回の産卵で10万個の卵を産むらしいので、この一匹からあっという間に大量発生になってしまうでしょうね。

ん~、ピエロ怖い~

WOWOWで放送された「クラウン」視聴。

 

アメリカではピエロの姿をした殺人鬼が犯行を繰り返しているというニュースもある中、こんな映画を見るなんて不謹慎かもしれませんが、これがWOWOWで放送されたのはそんな事件が起こる前でしたので、WOWOWもまさか実際に事件が起こるとは思ってもいなかったでしょう。

閑話休題。

ストーリーはなかなか物悲しいです。息子の誕生日に出張ピエロを頼んでいたのに、業者の都合でドタキャン。不動産販売の仕事をしている父親は、たまたま扱っていた物件のクローゼットにピエロの扮装があるのを発見し、それを着て、代わりのピエロに扮して息子の誕生日を盛り上げます。

ここまではよき父親。とても微笑ましいストーリーです。が、このピエロの扮装、実は曰く付きの代物で、主人公はカツラ、赤い鼻、衣裳が脱げなくなってしまったのです。どうやっても脱げず、物件の持ち主を調べてみると既に死亡。しかし、持ち主の弟を見つけ出し、窮状を説明します。

そこで主人公が聞かされたのは恐ろしい物語。その昔、ピエロは道化師などではなく、こどもを喰らう化け物、悪魔で、この衣裳は衣裳ではなく、悪魔の髪や皮膚であり、これを来たら最後、脱ぐことは出来ず、悪魔に変わってしまう、というもの。徐々に悪魔に変わっていく夫、それを何とか助けようとする妻。周囲の人は、そんな話をほとんど信じようとしません。

それでも妻は諦めず、衣裳の持ち主だった故人の弟を訪ねます。主人公は徐々に変わっていく自分が恐ろしくなって、妻の前から姿を消します。自殺を図ろうとするも、悪魔ですから死にません。お腹が空くとこどもを襲い食べてしまう主人公。このあたりの描写はなかなかグロテスクです。

さて、元の持ち主の弟もかつてこの衣裳を着てしまい脱げなくなり、悪魔に変身しかかったことがあったそうです。それがどうして助かったのか? 兄はどうやって弟を助けたのか? それは神話のとおり、こどもを五人、いけにえに差し出したからだったのです。そして、ようやく主人公を見つけ出した妻に対し、主人公(悪魔に魂を乗っ取られている!)は息子を提供することを要求します。

なんとか息子を助けたい、だけど夫も助けたいと悩む妻。ここで妻はちょっと気がふれたのか、たまたま車に乗り合わせた少女をいけにえに差し出そうと思います。魔が差したというのでしょうね。でも、こんな行動、周囲からみたら「夫が悪魔に乗っ取られた」と意味不明なことを言っているイカれた女にしか見えないでしょう。

そしてラスト。とうとう自分の息子を襲う夫。姿形は完全に白塗りのモンスター。妻も必死に闘います。衣裳の持ち主の弟が教えてくれていた解決方法は、こどもを5人いけにえに差し出すか、首を切り落とすか、二つに一つ。自分のこどもを差し出すわけにはいかないし、かといって他人のこどもを差し出すような余裕もないし、正気を取り戻した妻にそんな選択肢はありえません。かといって夫の首を切り落とすなんて……

と、心の中では葛藤しているのでしょうけど、目の前のモンスターは自分の息子を遠慮なく襲ってきます。このままでは愛する息子が喰われてしまう。狙ったのか、物の弾みなのか、乾坤一擲、妻の一撃で夫、というか悪魔の首が切り落とされ、ジ・エンド。が、この手のホラーの常道手段。悪魔は死んではおらず、モンスターの手が息子の足をつかみます。実は首が完全には切断されていなかったのです。まさに首の皮一枚で繋がっていたモンスターの首を、妻が最後の力を振り絞り完全に引きちぎって、こんどこそ本当にジ・エンド。モンスターの頭部は、ピエロの仮面が剥がれ、中から夫の顔がのぞきますが、首を切り落とされている以上、助かるわけはありません。

この映画、夫は何も悪いことはしていないんですよね。そりゃ悪魔に取り憑かれてからこどもを何人か食べていますが、あれは悪魔の仕業であって夫がやったわけではありません。ピエロの衣裳だって、息子を喜ばせたい一心で、扱う物件からちょっと借りただけで悪意も何もありません。基本的にはよき夫、よき父親の主人公が、何の因果か悪魔の衣裳を着てしまったために死ぬ(殺される)羽目に陥ったわけで、ちょっと救いがありません。

ちなみに、今回のタイトルは欅坂46の渡辺梨加の「ん~、カメラ、怖い~」というギャグ(?)をもじりました。

法なのか哲学なのか?

朝日新聞の記事が続いて申し訳ありません。こんどは文化欄です。

「常識ゆさぶる法哲学」というタイトルの記事が載っていました。法哲学って何でしょう? もちろん目にしたことはありますし、まずは『法哲学講義』『ユダヤ人問題によせて/ヘーゲル法哲学批判序説』といった書名が思い浮かびます。でも、そういう書名を知っているだけで実際に読んだことはありませんし、なので法哲学が何なのかも知らないままです。

 

記事では最初に「根本から法を問う法哲学」とあります。さらには「法哲学は、いまの制度や法が正しいのか根本から考え」るとあります。わかったような、わからないような……

ただ、最近はリベラリズムだとか憲法改正だとか、民主主義自体を問い直すような論調も目にしますので、そういう流れの中で法哲学が脚光を浴びているのかもしれませんね。

と、そういえば、あたしの勤務先でも『ショッピングモールの法哲学』なんて書籍が刊行されていましたね。同じ朝日新聞で紹介されたこともあります。

広告と書評と

朝日新聞に『第三帝国』の書評が掲載されました。水曜日の予告どおりです。

「第三帝国」なんて書名ですが、戦争小説ではありません。この「第三帝国」はゲームの名前です。刊行から少し時間がたっていますが、お陰様でよく売れています。そろそろ売れ行きも落ち着いてくるころでしたから、今回の紹介でもう一度息を吹き返してくれるのではないでしょうか? と期待しています。

で、そんな朝日新聞の読書欄のページですが、下欄にこんなものが!

あたしの勤務先の広告です。一面下の、通称サンヤツに載せることが多いのですが、本日は何と半分を占める大きな広告。ちょっと力が入っていますね。

もう少し実態が知りたい

昨日の朝日新聞夕刊の一面に載っていた記事です。

夕刊ですし、それほど大きな扱いでもないので、内容はあまり詳しいことが書いてあるわけではありませんが、個人的には非常に興味深い記事です。

小中学校の司書、実態はどんなものなのでしょう? 職業柄、こういう話題について話を聞くことがありますが、国語の先生が司書の資格も持っていて、授業の片手間に担当しているという話もよく聞きます。そうであるなら、司書としての仕事はどの程度できているのでしょう? それでも、こういった統計上は、「わが校は資格を持った図書館司書を配置している」ということになるのですかね?

それに小中学校の蔵書の問題もあると思います。内容的な「質」の問題については、児童書に詳しくないので偉そうなことは言えません。が、外見の「質」であれば、あたしにもわかります。

これまでいくつか中学や高校などの図書室を見学させてもらいましたが、蔵書量もピンキリ、それにかなり傷んだ書籍が大半という学校も数多く見られました。新刊を購入する予算も足りないのに、既に所蔵している書籍がボロボロになったので買い直す、そんな予算はほとんど捻出できていないようです。

そもそも小中高で図書館を持っているところって、どのくらいあるのでしょう? ほとんど、ほぼすべての学校が図書館ではなく図書室ですよね? 一般の教室よりちょっと広い程度の面積でしょうか? 読むための机なども置いてありますから、書架自体は数えるほどしかないところも多いです。かつて見学した図書室なんて、冊数だけで言えば、あたしの自宅よりも少ないものでした。これで児童、生徒たちのフォロー、支援が可能なのだろうかと思いました。

記事にもあるように、アクティブラーニングでこれからは図書室、図書館の役割が増すと思いますので、学校もそうですが行政も真剣に向き合わないとならない問題ではないでしょうか? それが大人になったときの本との接し方にも関係してくると思うので。

ちなみに、非常に充実している図書室も数多く視ました。生徒が引っ切りなしに来室するし、明るくて開放感のある部屋。確か、畳かカーペットが敷いてあって、椅子ではなく床に座って本を読んでいる子もいる、そんな図書室もありました。そういうところは、やはり図書室や読書というものに対する理解が進んでいる学校ですね。もっと増えてほしいものです。