読者サービス

店頭でやってもらうフェア。自社単独のものもあれば、数社共同でやるものあります。こちらから書店に持ちかけるものもあれば、書店企画のフェアもあります。

本を並べているだけでは、見る人が見ればわかるのかもしれませんが、一般には「ただ本が並んでいるだけ」で見向きもされない可能性があります。だから、まずは看板などで「フェア、やってます」ということをアピールするわけです。

でも、それだけはやはり弱いでしょうか? いや、ジャンルによってはそれで十分なのかもしれませんが、やはりもう少し何かおまけ、拡材が欲しいところです。よく見かけるのは、書籍一点一点に付けられたポップ。興味のある方には自明かもしれませんが、それでも簡単な内容紹介とか、お薦めの言葉とがあると、「あっ、面白そう」「ちょっと読んでみたいな」という気にさせられます。なによりもポップですからお客さんの目を惹きます。

次にありがちなのは、展示書籍のリストです。このリスト、もちろん書店員さんが「あれ、何か売り切れていないかな?」と、並んでいる本をチェックするときにも重宝しますが、お客の立場からすると、「今回はこの本を買うけど、お金に余裕ができたら、他にも買いたい」というときに、しばらくたってから「あの時、あそこに並んでいた本は何だったっけ?」という疑問に答えてくれるので便利です。うろ覚えで結局見つからない本って結構あるものです。

さらにフェアのおまけとしては、そのフェア用に編集した冊子、ガイドのようなものです。上に書いたリストをもう少し充実させた程度のものから、かなり本格的なものまであります。文庫の夏100などでもミニ冊子が配られていますよね。白黒だったりカラーだったり、ページ数もまちまちですが、結構熱いものがたくさんあります。

さて、そんな中、ただいま人文会で展開しているフェアが、木村草太さんの選書によるフェアです。4月に発行された「人文会ニュース」の123号に寄稿いただいた「15分で読む 憲法と国家権力の三大失敗」をベースに、そこに挙げてある参考文献を並べたフェアです。既に始まっているところ、これから始まるところを合わせると、全国で20店舗以上の書店、大学生協で開催されます。

そのフェアの会場で配布しているのが上の写真の小冊子です。「人文会ニュース」の木村さんの原稿部分を取り出して、抜き刷りのような形にしたものです。ここに、木村さんの選書の意図が書かれていますし、フェアそのものもよりも、木村さんの文章が非常にためになります。必読です。

さて、次に紹介するのは、あたしの勤務先が主催の《エクス・リブリス》フェアの拡材です。今回は二種類作りました。

まず写真の左は小冊子。『歩道橋の魔術師』の呉明益さんと『ミニチュアの妻』のマヌエル・ゴンサレスさんのインタビュー、それと《エクス・リブリス》の一覧で構成された、12頁に及ぶ、なかなか立派な小冊子です。

 

写真の右側は、知る人ぞ知る「にゃわら版」の今回のフェア特別号です。内容は阿部賢一さん、小野正嗣さんに海外文学をレクチャーしてもらうという形になっています。上のリンク先にPDF版が公開されています。

さて、こうした拡材。もちろん読者サービスであり、基本的に無料です。少しでもフェアを盛り上げられれば、という意図から作っているものです。「フェアを盛り上げる」というのは、ぶっちゃけてしまえば「そのフェアをやっている書店にお客さんがたくさん来て、そして本を買ってくれる」ことです。「あの冊子が欲しいからフェアに行ってみた」という動機付けの一助になれば、と考えているわけです。

こういう拡材、おまけをフェアの場で配布していることは、もちろん出版社みずからがツイッターなどで発信することもありますし、書店が「フェア、やってます」というツイートで触れてくれることもあります。最近では読者の方が「某々書店のフェアで、こんな冊子を配ってた」とブログやツイッターで紹介してくれることもあります。

それでフェアがさらに盛り上がれば万々歳ですが、時々、「うちの近所ではフェアをやっていないので、冊子だけ欲しいのですが」という問い合わせがあります。もちろん、冊子などが残っていれば、そういう読者の方の要望にはお応えしますが、時々考えてしまうことがあります。

フェアの会場に足を運んでもらうための拡材なのに、それだけを直接お客さんに送ってもよいのだろうか、と。

おまけは、そのお店に行かないと手に入らない、という稀少が価値がよいわけで、むやみやたらと配布してしまってもよいのだろうか、という気もするのです。

ただ、実際にはそうではないと思います。

わざわざ連絡してきて冊子などを欲しがるという読者は、そのフェアやそこに並んでいる本に対して、相当高い関心がある方です。熱心なファンと言ってもよいでしょう。ですから、そういう方がおまけを手に入れて、そこから購買意欲が生まれ、フェアこそやっていないけど近所の本屋さんに本を買いに行くという可能性が極めて高いと思います。

となると、巡り巡って書店にお客を呼び込む、売り上げを上げることに繋がっているわけですから、拡材として働きは十分にしていると言えますね。ということで、「冊子が欲しい」というお客様にも快く応じているわけです。

もちろん、そういう読者の方の住所を聞いて(送るわけなので送付先を聞きます)、もし比較的近所でフェアをやる予定があれば、あるいはやっていれば、それを教えてあげることも積極的にしていきたいと思います。

 

社内冷房戦争

既に多くのオフィスで冷房を使い始めているのではないでしょうか? この数年、エコだとか環境にやさしいだとか、そういう言説が幅を利かせ、冷房の設定温度は28度にしましょう、なんていう標語が一人歩きしています。冷房を28度に設定することと、実際に室温が何度になっているかは異なると思うのですが、そんなことは一切お構いなし、一律に28度が正義であるかのような風潮が見られます。

もちろん冷やしすぎの室内というのも体に悪いことは重々承知していますので、そんな極端な温度設定は致しませんが、それでも「寒い、寒い」という女性が多い気がします。いや、世間には十分に暑がっている女性も多いのは知っていますが、なぜか「女子は寒がるもの」というのがよいような風潮です。まるで「あたし、低血圧だから……」というのと同じです。

低血圧なんてなんの自慢にもならないはずなのに、世の女性はなぜか低血圧の方がよいと信じているかのようです。それと同じように、冷房の効いた室内では、女子は寒がるものだ、というのが見えない圧力としてあるような気がします。たぶん、寒がる女性の何割かは、体のどこかが悪いのだと思いますから、冷房の温度を上げる前に、自分の食生活とか健康面をチェックした方がよいのではないでしょうか?

と、やや極端なことを書き連ねてしまいましたが、あたしの勤務先、営業部、編集部、総務部と、3フロアで仕事をしています。各階に暑がりな人もいれば寒がりな人もいて、冷房のスイッチを付けたり消したり、温度を上げたり下げたり、気になった人が勝手に調節しています。それはそれで先輩後輩遠慮なく、気兼ねもなくやっているので、風通しのよい会社だとは思います。

でも、やはり暑いと感じる人もいれば、寒いと感じる人もいるわけなので、これからの時季、いっそのこと「温度設定22度のフロア」「25度のフロア」「28度のフロア」に分け、各自が一番過ごしやすい、一番仕事がはかどるフロアに行って仕事すればよいのではないかと思うのですが、いかがでしょう?

中国4.0とは?

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2016年5月24日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

新宿のフェア、2件

現在、東京の新宿駅を挟んで東西にある書店で、こんなフェアを開催中です。

まずは上の写真。ブックファースト新宿店の「書物復権」フェア。

「書物復権」とは人文系の出版社が集まって共同で復刊事業を進めている取り組みで、今年はなんと20年目。ということで、こちらブックファースト新宿店では20周年フェアということで、かなり大きなスペースで展開していただいております。

お店の方の話では、かなり売れ行きも好調だそうで、それを受け、ブックファースト青葉台店でも、新宿店に引き続いて「書物復権」フェアを開催することになったそうです。嬉しいことです。

続いては、昨日もご紹介した紀伊國屋書店新宿本店の《エクス・リブリス》フェア。

なんと、フェア用の小冊子がすっかりなくなっていました。これはすぐに補充しないと! にゃわら版も残り少なくなってきましたので、これも併せて補充ですね。

で、昨日の写真と比べると、少し本が減っているような気もします。やはり売れているのですね。これまた嬉しいことです。

  

ちなみに、《エクス・リブリス》を揃えたいのであれば、いま現在ではたぶん新宿本店が一番揃っていると思います。版元品切れ状態の『ジーザス・サン』『イエメンで鮭釣りを』『ブエノスアイレス食堂』も店頭で見つかるかもしれません。

 

ちなみに《エクス・リブリス》版の『通話』は既にないので、これについては《ボラーニョ・コレクション》版の『通話[改訳]』を展示しています。

新時代の台湾とは?

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実は、ガイブンは売れている?

このダイアリーでも何度も書いていますが、海外文学は売れない、と世間では言われています。全く売れていないのかと問われると、海外文学を刊行している出版社の人間としては「そんなことはありません、売れてるものだってありますよ」と反論したくなります。ただ、この反論のセリフ自体が既に「あまり売れているわけではないみたい」という感じがにじみ出てしまっているかもしれません。

ただ、それを言ったら、日本文学(古典文学とか近代文学ではなく現代作家の作品という意味)だって、村上春樹や東野圭吾など、売れるのは一握りの作家の作品ばかり、あとは又吉とか、メディアで話題になったものくらい。ほとんどの作品は初版で終わっているはずです。コミックだって、やはり売れているのは一部の作品です。作品それぞれに熱狂的なファンが付いているので、ある程度は売れるのでしょうが、それを越えて広がっているのかと言えば、それこそワンピースとか進撃の巨人とか、これまた一握りの作品だけではないでしょうか?

もちろん、同じ初版で終わっていると言っても、海外文学と現代作家やコミックとでは初版の部数が桁違いですから、冊数にしろ金額にしろ、やはり「海外文学は売れない」というセリフは正しいと言わざるをえません。

だから、書店では売れる売り場を作ろうとしたら、売れないジャンルを削るわけで、専門書のようにジャンルごと削られてしまうときもありますが、文芸書のコーナーで言えば、海外文学というのはいつだってリストラの最有力候補です。実際削られています。書店店頭から海外文学のコーナーは加速度的に減っています。辛うじて気を吐いているのはミステリーとファンタジーでしょうか。

しかし、売れないから書店店頭での棚こそ減っているものの、海外文学ファンが減っているのかと言われると、あたしはそうは感じません。むしろ海外文学を読みたいという熱い読者は爆発的に増えてはいないけれど、微増はしているのではないかと思います。

その理由は何故かと言われると、やはり面白い作品が翻訳紹介されているからではないでしょうか。お金と時間に限りがあるので、あたしもすべてを読めるわけではないですし、情報として知っているわけでもありません。でも時間とお金があったら読みたいと思わせる海外文学作品が両手両足では足りないくらいあります。恐らく、あたしみたいなガイブンファンは多いのではないでしょうか?

その結果どうなるか。多くの書店が海外文学の棚を縮小する中、しっかりと売り場を維持している書店、いわゆる「ガイブンに強い店」にファンが集中するのです。そういう店では「売れないガイブン」という言葉を尻目に、入荷初日から売れます。数日で二桁の売り上げ部数になるお店もあります。結局、「ここへ来ればガイブンが揃っている」ということでお客さんが集中するのでしょう。

そんなお店の一つが、紀伊國屋書店新宿本店です。まあ、ガイブンに限らず、ほとんどのジャンルで日本一の本屋だとは思いますが……(汗)

既にお伝えしていますが、いま同店では《エクス・リブリス》のフェアを開催中です。《エクス・リブリス》だけでなく、《エクス・リブリス・クラシックス》も含めた、在庫のあるものすべてが並んでいる大がかりなフェアです。

実は、新宿本店では数年前に、新潮社のクレストブックスとのコラボフェアをやらせてもらっています。お店としても「クレストブックスだけ、エクス・リブリスだけではつまらない」と考えての同時開催だったのですが、こういう取り組みもありだと思いますし、ガイブンファンには嬉しいところです。

白水社としては、大手の新潮社、クレストブックスと一緒にやらせていただくなんて畏れ多い、という気持ちも多分にあるのですが、両シリーズのコンセプトが微妙に異なるので、やはり読者には楽しいフェアになったのではないかと思います。

で、両シリーズと言いましたが、海外文学で、まもなく、また一つ、新しいシリーズが始まるようです。国書刊行会から《ドーキー・アーカイヴ》全10巻が刊行スタートです。店頭に小冊子が置いてあったのでもらってきました。

なかなか面白そうなシリーズです。どれも読みたくなります。となると、来年あたり、国書のシリーズのラインナップが揃ってきたら、クレストブックス、エクス・リブリスと三つのシリーズで合同フェアができますかね?

ちなみに、新潮クレストブックスはサイトの説明では、

海外の自伝、小説、エッセイなどジャンルを問わず、もっとも優れた豊かな作品を紹介するシリーズ

とあります。白水社のエクス・リブリスは、

独創的な世界の文学を厳選して贈るシリーズ

というコンセプトです。そして国書刊行会のドーキー・アーカイヴ

知られざる傑作、埋もれた異色作を、幻想・奇想・怪奇・ホラー・SF・ミステリ・自伝・エンターテインメント等ジャンル問わず、年代問わず本邦初訳作品を中心に紹介する、新海外文学シリーズ

なんだそうです。

生涯未婚率

生涯未婚率とは、生命保険文化センターのサイトによると

生涯未婚率というのは、「45~49歳」と「50~54歳」未婚率の平均値から、「50歳時」の未婚率(結婚したことがない人の割合)を算出したものです。生涯を通して未婚である人の割合を示すものではありません。

ただし50歳で未婚の人は、将来的にも結婚する予定がないと考えることもできることから、生涯独身でいる人がどのくらいいるかを示す統計指標として使われます。

とあります。まあ、あえて調べなくとも、最近はテレビなどでもしょっちゅう聞かれる言葉ですので、意味はほとんどの方が正確ではなくとも知っていると思います。つまりは「50歳の時に結婚していなかったら一生結婚できない」ってことでしょ、なんて開き直ってしまいそうですが、これ、案外実感です。

かつて、あたしが大学院(修士)を出て社会人になったころ、既に若者の晩婚化は言われていましたが、それでも男性だって30歳までには結婚するもの、という常識とまでは言わなくとも、そんな社会の空気がありました。もちろん、女性の社会進出も進んでいましたから、結婚までの腰掛け、といった見方も薄れてはいましたが、それでも女性だって20代後半にはゴールインする、という感じが漂っていたように記憶しています。

いや、この記憶、曖昧です。まるっきり正確ではありません。

だって、あたしが当事者になったことがないので、そんな感じもどんな感じもまるでわからないのですから。それに、ほとんど友達らしい友達もいないあたしは結婚式に呼ばれることもほとんどなかったので、周囲が結婚ラッシュ、という時期もわからず今に至る、という具合です。

でもまあ、少なくとも現在ほどの晩婚化にはなっていなかったことだけは確かです。

で、あたしです。

この歳まで恋人がいたことがないので、「そろそろけじめをつけなければ」という思いに囚われたことはありません。20代後半というか20代は、体を悪くした父の介護でほぼ潰れてしまいました。最後の段階でははほぼ入院状態でしたが、いわゆるボケなので、体に病気があるわけでもなく、なかなか入院はさせてもらえません。なまじ体が動きますし年寄りと言うほどの年齢にもなっていなかったので、かなり厄介な障害者でした、父は。それを母と二人、5年以上、介護していたわけですから、恋愛や結婚どころではありません。

ただ、父が病気になっていなかったら恋人が出来たのか、と問われると、自信を持って「それはない」と断言できます。あたしが適齢期に恋人もできなければ結婚もできなかったのは父のせいではありません。むしろ逆で、できないことの言い訳に父を利用していた、と言えるかもしれません。

さて、それから時が過ぎ、かつては「50歳で結婚できていないからって、一生結婚できないとは限らないのでは?」と漠然と思っていたあたしですが、50が視界に入ってきた昨今、「いや、確かに50歳で結婚していなかったら、ほぼ間違いなくそのまま独身人生を歩むことになるな」というのが実感として理解できます。現にあたしがそうですから。

まさか、いまさら結婚して子作り子育てなんて無理でしょう? そもそも、高齢出産も可能になったとは言え、子供を作ろうと考えると、相当な年の差婚になりますが、そんなあたしを選んでくれる若い人がいるとは思えません。かといって、子供を持たない結婚なんて、あたしの場合、考えられません。やはり結婚するからには子供が欲しいと思います。

というわけで、可能性としては子持ちバツイチの人との結婚が一番高いと思うわけです。「えっ、自分の子供じゃなくてもいいの?」という疑問を持たれるかもしれませんが、確かに上の言葉と矛盾している感じもしますが、そこはあまりこだわっていません。あくまで子供が好きだということです。ちなみに、バツイチではなく、バツ2でもバツ3でも構わないのですが、さすがにそこまで離婚が多いと、やはりどこか問題があるのかな、という気もしてしまいます。

ただ、それを言うなら、たとえ複数離婚をしていても、裏を返せば複数結婚できたということ。つまり、しっかり誰かに愛されたということでしょう。あたしみたいに一回も結婚できない人間よりははるかにマシなのではないか、とも思います。

というわけで、リミットまであと少し!