ザ・昭和?

この夏から首都圏の担当エリアが少し広くなりまして、東横線なども回るようになりました。

そこで本日は神奈川大学生協へ。

ちょうど文庫クセジュのフェアが始まったところで、並べたところ、早速全点を一冊ずつ購入された教員の方がいらっしゃったとか。

お店には普段からクセジュを置いていただいていますが、こうして見えるような機会を作っていただくと、やはり効果は絶大なのですね。嬉しいことです。

ちなみに、この棚、文庫クセジュのフェアの前は白水Uブックスのフェア「ユー、読んじゃないよ!」をやっていただいていたそうです。連続での開催、本当にありがたいことです。

そんな神奈川大学へは東横線の白楽駅からトコトコと歩いて向かったわけですが、白楽駅を降りて続くのが、しばしばテレビでも取り上げられる六角橋商店街です。

うーん、なんとも言えず、昭和の香りが漂うレトロな商店街です。こういう商店街、東京でも何か所か意識的に残しているようですが、こちらもよい雰囲気を残しています。

ちなみに、大学へ向かう途中の街並みを見ていますと、アパートやマンションの名前としては「白楽」を名乗っているものが多いですね、住所は六角橋なのに。たぶん鉄道の駅名として六角橋がないので、マンションなどの名前としてはわかりづらい、東横線の駅名を使った方がイメージがアップする、といった不動産屋の思惑があるのでしょうか?

フェアが始まります!

新宿の紀伊國屋書店の階段踊り場で見かけました。

注目して欲しいの真ん中のポスターです。

人文会の創立50周年記念フェアが10月から始まります。

人文会とは何か、については公式サイトをご覧いただくとして、19社の書物が一堂に会します。

紀伊國屋書店ですから普段から棚に並んでいるかも知れませんが、やはり棚にあるだけでは見逃してしまいがちです。こういう機会に目に付きやすい場所に出していただくことで、「へえー、こんな本があったんだ」という発見があると思います。

始まりまでもう少しです。しばしお待ちを!

ちなみに、ポスターの上部に描かれているのは人文会のロゴです。

あまりに甘酸っぱい青春?

土砂降りの午後、東京の京橋へ出かけてきました。

何の用事かと言いますと、映画『ライ麦畑で出会ったら』の試写会を見に行ったのです。映画の公開は10月27日の予定です。

ストーリーは、いろいろ紹介されているように、監督自身のほぼ実話だそうです。ただ、どこまでが実際に起こったことなのか……

さて、高校時代、ちょっといじめられっ子だった主人公(つまり監督)が、そんな自分の境遇そっくりだとのめり込んでいたのがサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』です。そして校内の演劇コンクールで『ライ麦畑でつかまえて』を上演しようと思いつき脚本を書きます。

そしてサリンジャーに上演許可を求めようとエージェントを訪ね取次を頼みますが、物の見事に断わられます。その時にサリンジャーの住んでいる街を書いた雑誌をこっそり手に入れ、それだけを頼りにサリンジャー本人に許可を取るべく訪ねていくという話です。

住んでいるとおぼしき街へ着いても、住民が全員「そんな人、このあたりじゃ聞いたことないなあ」という反応。「みんなで口裏合わせをしているんだ」と判断した主人公は、それでも諦めずに探しまわります。

果たして、サリンジャーの住む家は見つかるのか? 見つかったとしてサリンジャーは会ってくれるのか? 会ってくれたとして上演を許可してくれるのか?

このあたりは実際に映画を見ていただくとして、実はあっと驚くようなどんでん返しはありません。ただ、とにかく映像といいBGMといい、非常に青臭い青春映画そのものです。青臭いというのは褒め言葉のつもりです。

個人的にはダスティン・ホフマン主演の映画「卒業」を思い出しました。古いと言われるかも知れませんが、最近の映画は知らないので、こんなグダグダした主人公の雰囲気は、「卒業」ほホフマンによく似ていると感じました。

主人公がサリンジャーを探しに行く時の風景もとてもきれいな映像で、上にも書いたBGMが非常にマッチしていて、懐かしさを覚えます。あたしのように『ライ麦』を読んでいなくても十二分に楽しめる映画でした。

No Gaibun, No Life?

書店店頭で、新潮社のクレストブックスのフェアをやっていました。

なんど創刊20周年だそうです。

いまや、海外文学好きにとっては定番のシリーズ。海外文学入門者にも、何かガイブンが読みたいと思ったらクレストから選べばハズレがない、と言われるほどの信頼を勝ち得ているシリーズです。

そんなフェア用の冊子がありました。ご自由にお持ちくださいとありましたので、いただいてきました。

しかし、これ、無料で配ってしまってよいのでしょうか? そんな読み応えのある、内容充実の一冊です。さすが、新潮社クレストブックスです。

表3に品切れの書目一覧がありますが、結構多いですね。もちろん、新潮社ですから、新潮文庫でてに入るものも多いでしょう。でも、ガイブン好き、本好きなら、単行本で所持したいものです。クレストブックスのきれいな装丁、柔らかみのある造本は単行本でこそ映えるものだと思います。

子供がいたから孤独になったのか?

下北沢のB&Bでのイベントの感想をメモ的に。

川本三郎さんが対談相手でしたので、昨日とは打って変わり、いろいろと王聡威さんから聞き出してくださるような展開。

もしこの事件をノンフィクション作品としていたら、死んでいった主人公と子供の声を聞くことはできなかったわけで、小説というかたちを選んだからこそ、母親と娘(大阪の事件では母親と息子)の声を聞くことができたのかもしれない。

主人公は家庭を持ったがために、そして子供ができたから、余計に孤独を感じしてしまったのだろうか? 確かに、産後の鬱というのは最近よく聞く言葉でもあり、昼間子供と二人っきりで、ストレスなどの発散場所のない母親が悶々として、結局育児放棄になったり虐待に走ったりというニュースもしばしば耳にします。

後味の悪い作品と思ってもらえれば、作者としては作品が成功した証だとのこと。

やはり不可解

昨日は、虎ノ門の台湾文化センターで『ここにいる』の原作者・王聡威さんのトークイベントでした。書籍の会場販売に行って来ました。ちなみに本日午後にも、下北沢のB&B川本三郎さんとのトークイベントがありますので、お時間がある方はどうぞ。午後3時からです。

さて、昨日のイベントは訳者の倉本さんが最初に王聡威さんと『ここにいる』を中心とした王聡威さんの作品の解説をされ、その後約1時間、王聡威さんがお話をされるという流れでした。

まず王聡威さんについては、作品ごとに作風を変え、『聯合文学』の編集長として雑誌を刷新するなど、常に新しいことに取り組んでいる方でした。今回の『ここにいる』も全編、主人公とその周辺人物の独白(証言?)のみで成り立っている作品で、納得できるような客観的事実は提示されません。すべて発言者の思い(思い込み? 偏見?)であって、真相は藪の中という印象です。

ただ、考えてみますと、王聡威さんが着想を得たという大阪の母子餓死事件もネットで検索する限り、結局親子が餓死しなければならなかった状況にどうして至ってしまったのか、わからずじまいです。続報も見つかりません。SNSの発達した現代社会は、他人から縁を切られるのではなく自分から縁を絶ってしまうことも多いようで、そうなると第三者からは接触のしようもなくなるのかもしれません。

  

大阪の事件、現在の台湾も他人事ではないようです。王聡威さんが講演の中でNHKの番組に触れていました。どうもNHKスペシャルの「無縁社会」シリーズを指しているようです。台湾でもこういう問題が増えているのでしょう。台湾は昔からのしがらみが一方で日本以上に残っていそうなので、孤独もより深刻なものになってしまうのでしょうか。

で、結論と言いますか、感想としては、王聡威さんの他の作品も読んでみたい、ということです。あと、日本ではまだ刊行されて間もないですが、台湾では本作の感想、男性読者と女性読者とでは異なる傾向があるのか、そんなところが気になりました。

「信頼」を考える

 

新宿の紀伊國屋書店の人文書売り場でこんな小冊子をもらいました。

勁草書房の『信頼を考える リヴァイアサンから人工知能まで』を中心としたフェアのようです。

「信頼を考える」という書名がすごいですね。そして、この小冊子も小冊子と書きましたが、これかなりしっかりした一冊です。小冊子なんて読んだら叱られそうな濃い内容です。

で、肝心の該書を読んでいないので「信頼」とは何なのかよくわかりませんが、いまの日本の政治を見ていると一番失われているのは信頼ではないかと思います。別に『信頼を考える』がそういった内容の本だと言っているわけではありませんが(そもそも読んでいないので、そんなこと言えません)、何やらタイムリーに感じてしまうのはあたしだけでしょうか? ただ「リヴァイアサンから」と副題にありますし、内容的には政治や政治思想なども社手に入っているようではあります。

そうなると、あたしが思い出すのは孔子の言葉、論語・顔淵の「民信無くば立たず」です。

どんなに素晴らしい政策を打ち出そうと、やはりまずは民の信頼を得ていないとダメだと思います。最近の日本の政治家は「政治は結果責任」などと言って国民の信頼を損なうことを平気でやり続けていますが、果たしてそれでよいのか、いつか手痛いしっぺ返しを受けるのではないかと思っているのですが。

ベトナム書フェア@BooksKinokuniyaTokyo

紀伊國屋書店の旧・新宿南店がベトナムの本を扱うようになりました。

ニトリから一階ずつ上がってくるエスカレーターではなく、サザンシアターのフロアから降りてくるエスカレータ前のフェアスペースで、ご覧のように大々的にベトナム・フェアを展開中です。

英語の本もありますが、よく見るとアルファベットに記号が付いたベトナム文字! そうそうこれがベトナム語だよね、とかつてベトナム語の学参を担当した頃の記憶が蘇ってきます。

ベトナムの本ってどんな感じなんだろうと思って見てみますと、思いのほかきれいな装丁の本がありました。小説やエッセイなどだと思いますが、小型の本でとてもカワイイ装丁のものが並んでいるのを見つけました。

メインはもちろんベトナムからの輸入書なわけですが、エスカレーターから降りてきた右側の壁棚では、日本の本も並んでいます。ベトナム語の語学書を中心に、ベトナムの文化やベトナムの歴史を学ぶような本が目に付きます。

ベトナム雑貨なども若い女性に人気になったことがありましたが、そういう本も並んでいます。

そんな和書のコーナーの一角には、あたしの勤務先の語学書がちょこっとだけ並んでいます。お立ち寄りの際には是非ご覧ください。

お店の方の話では、ベトナムへ進出している企業が増えているので、そういう需要もあるかと予想していたようですが、蓋を開けてみると日本在住のベトナム人が予想以上に来店されているそうです。売り上げも上々のようです。

現在はフェアというかたちでの展開ですが、一段落したら通常の棚にベトナム書コーナーを設けるようです。日本に滞在するベトナム人の間で「あそこに行けばベトナムの本が買える」という口コミが広がれば、ますます来客が増えるのではないでしょうか。

BとK、新宿の西と東で

夏の本屋と言えば文庫のフェア、というのがお決まりですが、出版社企画のフェアではつまらない、個性が出ない、というのもよく聞く話です。

かといって、自分で選書して発注するとなると、日々多忙な書店員にはなかなかハードルが高いというのも理解できます。

しかし、新宿駅の西と東にあるブックファーストと紀伊國屋書店では、それぞれ夏の独自フェアを開催しております。それなりの規模の書店だからスタッフも大勢いて、こういう作業も手分けしてやれるから、という恵まれた環境もあるのでしょうが、やはり意識の差なのかもしれません。

まずはブックファースト新宿店。

こちらは「2018夏の文庫フェア」で、タイトルだけ見ますとまるっきりどこぞの大手出版社の文庫フェアのようですが、

大型連休がやってくる夏にこそ、普段なかなか読めない古典作品や名作をじっくりと読んでみませんか? 新宿店では、スタッフ100名がオススメする“名作文庫”を集めたフェアを開催しております。誰もが知っている古典から、もっとたくさんの方に読んでいただきたい隠れた名作まで、約200点を取り揃えました。ぜひ、お立ち寄りくださいませ。

という内容紹介を見てもわかるとおり、完全に独自選書のフェアです。スタッフ100名ということなので他店の社員やアルバイトの方まで協力・参加しているのでしょう。こういう一致団結してできるところにも、その書店のよさが感じられます。

続きましては駅の東側の紀伊國屋書店新宿本店。

こちらは既に紹介しましたが、「単行本・夏の100冊」です。

出版業界、夏といえば文庫本100冊ってことになってますが、我々は天邪鬼なのでやります。《単行本・夏の100冊》。文学担当達がガチで選んだ名著・怪著。夏ってだけでハイになって買える本もある。むしろじゃないと手さえ出せない本もある。いやいける読めるだって夏だし!特典付。ぜひ

読んでわかるとおり、世間が文庫、文庫と騒いでいるなら、こちらは単行本で勝負だ、という趣旨のフェア。確かに、文庫レーベルを持っていない出版社の刊行物ですと、他社で文庫化されない限り単行本で読むしかありませんし、そういう中にも名著はゴロゴロ転がっているものです。

鞄に忍ばせて持って歩くには単行本はかさばりますが、最近は分厚い文庫本も増えていますので、実際の分量としては単行本の方が多くて、文庫本の方が少ないとは限りません。それに、本を読むスピードって分量よりもないように入り込めるか否かではないでしょうか?

ところで、この両店のスゴいところは、これだけのフェアをやりながらも、店内のあちこちでミニフェアやミニ特集をいくつもやっているところです。日々、本を目にしながら「この本を中心にコンアフェアをやってみよう」というアイデアがどんどん湧いてくるのでしょう。

特典付フェア

紀伊國屋書店新宿本店のTwitterでも紹介されました。

何がって? 《夏の100冊》フェアです。

確かに、読書感想文のためなら、薄い本が手軽でしょうけど、本好きなら時間がたっぷりある夏休みだからこそ、大作や長篇に挑んで欲しいところです。

ただ、いろいろと本を読んでいますと、短いからといって簡単に読めるとは限らないものも多く、逆に分厚い本でも時間を忘れてあっという間に読み終わってしまう作品があるのも事実です。

あとは、本を読むということは慣れの問題もあります。しょっちゅう読んでいると、読むスピードや理解力も増してくるものです。