本日は午後から神保町のブックハウスカフェで、『モンスーン』の刊行記念トークイベントでした。
なんと、著者が韓国から来日され、翻訳家の金原瑞人さんとのトークという贅沢なものでした。
聴衆の8割は女性で、韓国の方や韓国語に堪能な方も大勢いらっしゃるような雰囲気でしたが、通訳の方の滑らかな翻訳で言葉のギャップを感じさせないひとときでした。
さて金原さん曰く、以前から韓国文学は読んでいて、衝撃を受けた作品はいくつかあるけれど、その一人が今日の主役、ピョン・ヘヨンさんだったそうです。あたしも今回の『モンスーン』を読んで、こういう作家もいたのかと感じ入った次第です。
今日のトークで金原さんも何度となく話題にしていた『アオイガーデン』が火なりすごい作品らしく、未読のあたしとしては今後の読書の楽しみが一つ増えたと言えます。
金原さんも指摘していたように、『モンスーン』では男性目線と言いますか、男性が主人公の作品がほとんどで、どうして女性作家なのに女性を主人公にしないのかという点はあたしも気になっていたところです。それに対する回答は、女性を主人公にすると、自分自身との距離感の取り方が難しくなってしまい作品も変わってしまうから、とのことでした。
はあ、そういうことか、となると、主人公との距離感がうまく取れるようになったときには、女性を主人公にした、一読するとほのぼのとしつつも日常に潜む恐怖をテーマにした作品がそのうち生まれるのかもしれないと思うと楽しみでもあります。
また著者がアメリカに招かれたときの話も話題になりましたが、ちょうどアメリカで『ホール』の英語版が出版されたタイミングだったそうで、話題は『ホール』に関することが主となったようです。ただ、ピョン・ヘヨンさん曰く、日本は既に韓国の文学作品の翻訳出版の土壌ができていて、つい最近刊行された作品がすぐに日本で翻訳されているのでタイムラグが少なく、また韓国で行なうイベントと聴衆の反応も似ているとのことでした。欧米ですと、まだまだ遠い国から来た人、という印象なのでしょうか?
さて、あたしなりの感想を述べますと、このところの韓国文学の日本での受容は、「韓国文学=フェミニズム」といった印象が強くなっていると思います。確かに、フェミニズム文学が韓国文学の特色の一つではありますが、そうではない韓国文学も実は日本でも数多く刊行されていて、ピョン・ヘヨンさんの作品はそんなものの一つだと思います。
女声の辛さ、生きづらさを描くフェミニズム文学も、それはそれで面白いですし考えさせるところが大いにあるのですが、それだけが韓国文学だと思われてしまうのは残念ですし、「フェミニズムはちょっと……」と拒否反応、拒絶反応を起こしがちな方に、こんな作品、作家がいるのですよと大いに薦めたくなりました。
そして、翻訳者の姜信子さん曰く、今日のイベントの前にヘヨンさんがマスコミの取材を受けたそうですが、そこで「こんなご時世だからこそ文学が両国の橋渡しにならないと」という趣旨の発言をされたと紹介してくれました。出版社も書店も、このところ店頭で韓国文学フェアを催しているところが目に付きますが、やはりその目的は、こういった作品を通じてお互いの国のことを理解し合うきっかけになればと思えばこそです。
そういう意味で『モンスーン』は、別に舞台が日本でも、登場人物が日本人でも違和感なく成立するような作品ばかりですし、特にうだつの上がらないサラリーマンに読んでもらえれば、ちょっと哀しくなって落ち込んでしまうかもしれませんが、それくらい共感できる作品です。今日の聴衆の比率とは逆に、大いに日本人男性に読んでもらいたいと思います。
ちなみに、明日の晩も、こんどは青山ブックセンターで詩人の蜂飼耳さんとのトークイベントが予定されています。