電子化の度合いが測れるか?

テレビでも取り上げていましたし、今朝の新聞各紙でも扱っていましたが、岩波書店の『広辞苑』が10年ぶりに改訂版刊行だそうです。

上は朝日新聞の今朝の紙面。見出しには「クラウド」や「赤塚不二夫」を出しています。基本的には、今回新収録となった新語にどんなものがあるかを見出しに出しているようで、各紙の違いを見るのも楽しいものです。

上は読売新聞。「婚活」「アプリ」「ブラック企業」を挙げています。記事の大きさも写真入りで、かなり大きな扱いです。

こちらは毎日新聞。挙がっているのは「がっつり」「ちゃらい」「自撮り」で、やや若い層が使う言葉ですね。

最後が日本経済新聞。こちらは特に見出しに言葉は挙げていませんが、写真入りです。手にしているのは束見本でしょうか?

ところで、『広辞苑』第7版、売れるのでしょうか?

いえ、別に否定的なことを書きたいのではありません。出版不況と言われるこの数十年。たとえ、他社の商品であろうと、売れる商材が出て、書店や業界が活気づくのはよいことだと思います。

なので、今回あたしが気になるのは、端的に言ってしまえば売り上げなのですが、スマホ全盛の昨今、『広辞苑』もネットで引くのが当たり前の時代、紙の『広辞苑』がどれくらい売れるのかということです。

岩波書店もかつてのような売り上げは見込んでいないと思いますが、それでも十年ぶり、辞典の中の辞典である『広辞苑』ですから、それなりの売り上げにはなると思います。かつては、事務所などには一冊は置いてある、家庭にも一冊は所蔵していると言われていたと思いますが、現在だとどの程度まで売れるのか。

あたしは、この売り上げが、スマホの普及率と言うよりも、スマホの利用率を測る目安になるのではないかな、と思っています。言葉を換えて言えば、「まだまだ紙の方がよい」と考える人の割合とでも言いましょうか。

もし岩波書店の予想を遙かに下回る売り上げに留まるようであれば、世の中のかなりの人はスマホなどで文字を読むことに抵抗を持たなくなっているんだなあ、今後は電子書籍も普及のスピードを加速させていくのだろう、と考えられます。

逆に、大ヒットすれば、「やはり、文字を読むのは紙だよ」という層の底堅さが感じられると思います。で、あたしは買おうか否か、考え中です。

今回、電子版、アプリ版はすぐには出ないんですよね? それがいくらなのかにもよりますね。昔のように、しょっちゅう引かなくたって、家にこのくらいのものは備えておくべきだ、という時代でもないでしょうし、懐具合も厳しいので……(汗)

カズオ・イシグロはガイブンなのか?

今年のノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロが売れています。昨日の営業回り、ようやく重版分が入荷したようで、お店の一等地に並んでいるのを見かけました。何人もの人が手に取っていました。

  

いろいろと翻訳は出ていますが、目立つのは『日の名残り』『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』の三作品。売れているのもこの三つに集中しているのでしょうか?

お店の方に話をうかがうと、売れているのは確かなのですが、昨日入荷した冊数がかなり少なかったとのこと。あたしが回っていたのが郊外の書店ばかりだったので、そんな結果だったのでしょうか? 都心の大型店ならば十二分な量の入荷があったのでしょうか?

ここ数年、日本であまり知られていない作家、だから翻訳もあるのかないのかわからないような作家の受賞が多かったので、今年は久々に「売れる」作家の受賞で書店も活気づいているのはわかりますし、業界人としては嬉しいことだと思います。ただ、疑問に思うことも。

カズオ・イシグロはガイブンなのか?

ということです。彼が日系人であることは間違いありません。両親の仕事の関係でイギリスへ渡り育っただけで、彼自身がハーフだとかクオーターだとかそういうことはなく、血筋で言えば紛うことなき日本人です。単に、日本が二重国籍を認めていないので、英日両方の国籍を持つことができず、仕方なくイギリス国籍を選んだ、ということらしいです。

ですから、彼を日本人作家と見做し、日本人が受賞したと喜びたくなる気持ちは十分に理解できます。しかし、それと作品とは別です。ハヤカワ文庫からでている彼の作品はすべて翻訳です。どれ一つとして日本語で書かれたものではありません。作者のことを知らなければ純然たるガイブン作品です。

内容に日本的なところが見受けられるとしても、それは彼に限ったことではなく、他の海外作家にも日本を題材に書いた作家や作品は多数ありますし、中には日本人以上に日本の本質を切り取ったような作品だってあります。なので、それを持って「日本人作家」「日本人の受賞」と言うのには、なんとも言えない違和感を感じています。

ただ、今年は理系分野で日本人のノーベル賞受賞がなかったので、メディアとしてはどうしてもここに飛びつきたくなる気持ちはわかります。それに長い出版不況にあえぐ業界としても、「日本人が受賞」と謳った方が本がよく売れることも事実でしょう。

問題はそこです。

過去のノーベル賞、等し並みに語ることはできませんが、受賞のニュース、そして書店からの注文殺到、という流れは同じですが、その後実際にどのくらい売れるのか、売れたのかと言いますと、実はそれほど芳しいとは言えません。もちろん、ノーベル賞がなかったらまるで売れていなかった作品が再び売れたという点では喜ばしいのですが、作りすぎて大量の在庫を抱える羽目になった、というのでは却ってマイナスです。

ノーベル文学賞の場合、作品ではなく作家に与えられるので、今回のカズオ・イシグロのように翻訳がいくつも出ているものでは、それをどのくらい増刷するか、早川書房は悩んだことでしょう。ガイブンだと、とりあえず一冊は読んでみようという読者はそれなりにいると思います。その点はさすがノーベル賞です。しかし、一冊読んだ後にもう一冊、と手が伸びるかどうか、というところが判断の難しいところです。

あたしからすると、作品が面白いか否かが肝心なのであって、日本人作家だからとかガイブンだからというのはほとんど判断材料にはなりませんが、実際の売れ行きを見ていると日本人のものと海外のものとでは、そのあたりに顕著な差ができるものです。ガイブンは一定のガイブン好きが手に取ったらパタリと止まる、というのが過去のデータから見えてきます。

いや、日本人作家のものでもさほど変わらないのではないかという意見もあるでしょうし、そこまで実証的なデータを持っているわけではないので断言はできませんが、あえて言うなら、翻訳権がない分、相対的に日本人作家の作品は安く、従って読者からすれば買いやすい、ということは言えます。

さて、カズオ・イシグロです。しばらくは売れ続けると思いますが、一か月か二か月、そうですね、正月休みに読もうという方も多いでしょうから、年末くらいまでで実売がどのくらい伸びるのか、業界的にも楽しみであります。しかし、文庫本なので、売っても売っても利益は薄いでしょうね(涙)。

ダイソンのような出版社になれるのか?

11日付けの朝日新聞経済面に載っていた記事に、こんな一節がありました。

イオンは8月下旬、自主企画商品(PB)114品目を平均1割程度値下げした。春も大規模な値下げをしたが、対象商品以外の売れ行きは伸び悩んだ。イオンリテールの岡崎双一社長は「お客に目を向ければ、今後も(値下げを)必ずしていかなければならない」とさらなる値下げを見据える。

安くしないと売れない、そういう循環が定着し、政府がいくら景気がよくなっていると言っても、国民は誰も信用していないのがわかります。

書籍の場合、そこまで値段に敏感ではないと思いますが、そのぶん業界全体がこの十年以上冷え込んだままです。それによって得られるものなどを考えると、書籍の値段は決して高いとは思いませんが、数百円はおろか数十円、数円単位でしのぎを削っているスーパーなどから見れば、薄っぺらいのに数千円もする本は、とても消費者に振り向いてもらえない商材なのかも知れません。

本の場合、安い方が売れるという傾向は確かにありますが、安くしたから売れるわけでもないですし、高いからと言って売れないわけでもありません。読者がその値段に見合うと判断してくれれば、それが適正な価格ということになります。もちろん読者の見做す適正価格というのあれば、諸経費などから割り出される出版社側の適正価格というのもあります。

「たくさん作れれば安くできる」というのはどの業界でも同じですが、たくさん作って安くしたからといって、そのぶん売り上げが伸びるとは限らないのが難しいところです。単純に価格が半分になったからといって売り上げが二倍になるかといえば、決してそんなことはなく、多少値段の差があっても、あるジャンルの書籍の売れる冊数というのは、ものすごく影響力のある紹介でもない限り、だいたい同じところに収束します。2200円の翻訳小説と2400円の翻訳小説で売り上げにそれほどの差がないのであれば、出版社としては2400円で売った方が利益が大きくなりますから、そちらを選択することになります。

繰り返しになりますが、つまりはその価格に見合う内容の本であるか否か、ということです。本が売れないのは業界全体の話ですから、となると文庫や新書のように安く大量にという路線もあるでしょうが、高価格で部数を絞り確実に利益を上げるという方法もあります。売れ残った大量の在庫を抱えるのはどの出版社も避けたいところですから、予想される読者プラスアルファ程度の初版部数に絞り込み、それでどれだけの高価格に耐えられる本なのか、ということになりますが、こう書いていると、なんとなく家電のダイソンを思い出します。

ダイソンは、中国や韓国のメーカは言うに及ばず、日本メーカーの製品よりもはるかに高価格の製品を作っています。とりあえず使えればよいという人だったら絶対に手を出さないような価格です。それでも売れています。それは価格に見合う性能だからです。

本も同じように、価格に見合う内容であれば、少しくらい高くても買ってもらえるというのは事実です。あたしの勤務先は中国や韓国のメーカーの路線を取ろうとしているのか、それともダイソンになろうとしているのか……

文庫本と図書館。たぶん新書も同じこと?

今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

これまでも「無料貸本屋」と揶揄され、出版社から槍玉に挙げられることのあった図書館。確かに、数千部や数万部を売っている大手出版社からすれば、その何割かが図書館で済まされてしまうと大きな痛手でしょう。

でも学術書、専門書のように、なんとか頑張って1000部、1500部の初版部数で頑張っている出版社からすれば、そのうちの300部から500部前後を図書館が購入してくれるのであれば、非常にありがたいと考えるのも道理です。この議論は出版社の出版規模によって考え方の差が大きいと思います。

とはいえ、あたしも「文庫や新書くらいは本屋で買いなよ」と思う方です。この10年くらいでしょうか。不景気と言われるようになり、電車の中で本を読んでいる人が手にする文庫本、図書館のラベルが貼ってあるものが目立つようになりました。以前は、単行本などでは時々見かけることはありましたが、この10年、文庫や新書を図書館で借りて読んでいる人が増えたなあという印象です。

文庫、新書のように安く大量に作っている商品は、大量に売れてくれないと赤字になってしまうのは子どもでもわかる理屈です。その売れてくれるはずだった部数のかなりの部分が図書館で借りられていると考えたら、確かに見過ごすことはできないでしょう。

景気がよかったころは図書館で借りられている部数なんか気にならないくらい本屋で売れていたから問題が表面化しなかっただけでしょうが、昨今はそうは言ってられなくなったということですね。ただ、図書館よりもスマホの方が脅威ではないかと思うのですが。

出版社の発信力と書店の収集力

出版不況と言われるこの時代、今年のノーベル文学賞のカズオ・イシグロは大ヒットしそうですが、芥川賞や直木賞ですら一瞬の花火、本屋大賞も第一位の本しか売れないと言われている状況で、どうやったら本が売れるのでしょうか?

出ないよりははるかにマシ、と言ったらあまりにも言い過ぎですが、新聞書評もかつてほどの売り上げ効果はなくなったのは事実です。あとは、テレビ・ラジオなどで著名人が何気なく取り上げてくれたことがきっかけで、いきなり火が付くこともありますが、そんなのは僥倖であり、出版社が何かをしたとか、書店が何かをしたというわけではありません。

もちろん、ポップを付けて粘り強く展開していた書店の努力からロングセラー、ベストセラーが生まれた、という話も時に聞きますが、そう簡単なものではないことは百も承知です。

で、書店を回っていると言われるのが「情報が欲しい」ということです。特に地方の書店を、出張や研修などで回ったときに言われます。

でも、「情報」って何でしょう? 新刊の刊行予定でしょうか? それとも売れている本のことでしょうか? すべての本屋に対しては無理ですが、それでも数十から数百の書店に対して、毎月新刊案内を送っていますし、折に触れて重版情報や書評情報などもファクスで送っています。

「情報が欲しい」と言っている書店の方は、(新刊案内やファクスが届いていないのなら話は別ですが)それらを見た上で、更に何を欲しがっているのでしょうか? 新刊案内は売れるかどうか、出してみないとわかりません。でも重版情報や書評情報は少なくともある程度は売れている、これから売れる可能性がある書籍の情報だと思いますが、それでは足りないのでしょうか?

一斉にファクスを送信すると、最近は「ファクス拒否」の書店が増えていることに気づきます。書店の気持ちもわかります。放っておいたら大量のファクスが流れてくる、その処理だけで時間を取られる割りには、欲しいと思う情報がほとんどない、というものです。

そういう書店の方は、ではどうやって情報を入手しているのでしょう? 昨今はやりのSNSでしょうか? 出版社もTwitterやFacebook、Instagramなどを駆使しているところが増えています。そういうのをマメにチェックしているのでしょうか?

話を聞いていると、出版社のSNSはそれほど見ていないけれど、作家本人のブログやTwitterなどはチェックしているという書店員さんが意外と多かったりします。狭義の作家だけでなく、翻訳家や評論家、学者などもケースバイケースで参照しているのでしょうが、そういうところからネタを仕入れている書店の方は多そうです。

そうなってくると、出版社はどういう方法で、何を発信したらよいのでしょうか? 「この本はネットで跳ねそうだから、SNSでの情報拡散に力を入れて」というようなことを営業部に言ってくる編集者もいますが、では具体的に出版社のTwitter(やFacebookなど)でどういうことをすれば本当にその本が跳ねるのでしょうか?

あたしの勤務先は、もちろんウェブサイトがありますが、SNSとしはTwitterをやっています。そのフォロワー数は中小規模の出版社としては多い方ではないかと言われていますが、他社のTwitterのフォロワー数と逐一比較したことがないので、確かなことはわかりません。その数万からのフォロワーが、あたしの勤務先のTwitterの投稿をちゃんと読んでくれているのでしょうか?

あたしはTwitterをやっていないので、フォローするとか、フォローされるというのが具体的にどういうことになるのかわかりませんが、Facebookでせいぜい十数名くらいしかいない「友達」の記事だけでも追いきれません。人によっては百をもって数えるほどの「友達」が登録されている人もいますが、そういう人って記事をどの程度読んでいるのでしょう? かなりの数をスルーしているのではないかと予想しているのですが……

もしそうであるなら、あたしの勤務先のTwitterのフォロワーで、熱心に記事を追ってくれている人はその中のどのくらいなのでしょう? リツイートしてくれている人、「イイネ」してくれた人が確実なところでしょうか? だとすると、記事によってかなり差はありますが、平均すると十数名という気がします。これで情報発信をしていると言えるのでしょうか? ここは、フォロワーは全員記事を読んでくれていると信じたいところです。別にリツイートしなくても、イイネしなくても、読んで何かしら役に立ててくれているのだと信じたいところです。

今の時代、SNSを駆使しないといけない時代なのはわかっているのですが、何をどうしたら効果的なのか、そこがまだわかりません。試行錯誤の日々です。

GOOD NEWS と BAD NEWS

昨日が発表でしたね、ノーベル文学賞。不況にあえぐ書店業界にとってまたとない朗報です。

ところで、このニュースって何時ごろ発表されたのでしょうか? あたしは、例によって、昨晩も8時ころには寝床へ入ってしまったので、今年も村上春樹は取れなかった、今年の受賞者はカズオ・イシグロだということは今朝のニュースで知りました。

ハルキならもっとよかったのかもしれませんが、カズオ・イシグロも日本では知られた作家ですから、今年は書店も賑わうのではないでしょうか? 昨年のボブ・ディランではCDショップは潤っても書店はさっぱりでしたから……(汗)

名前くらいは知っているけど読んだことがない、という作家はたくさんいます。村上春樹ですら、読んでいない日本人の方が多いと思います。試しに、渋谷のスクランブル交差点で渡っている人にアンケートを取ったとしたら、村上春樹を読んだことがある人は2割もいないのではないでしょうか? そんなものだと思います。

だから、ノーベル賞なんていう機会があれば、これまで読んでいなかった人も「ちょっと読んでみようか」という気にさせるのだと思います。ただし、これまでにも海外文学の出版社はノーベル賞に一喜一憂していましたが、やはり知られていない(あくまで日本で)作家ですと、ノーベル賞を取ったからといって売り上げは渋いものです。

書店からの注文は殺到しますが、実際に並んだ本が売れているのか、売れたのかと言われると微妙なところです。ノーベル賞だからといって、あまり浮かれないというのが教訓です。

ただし、今回のカズオ・イシグロは、そういう意味では売れるのではないでしょうか? 日本での知名度も高いですし、作品世界も日本人向きだと思います。何より日系人という親しみやすさが受けると思います。

という風に、今朝から(昨晩から?)書店業界は「カズオ・イシグロ」フィーバーになっていることでしょうが、そんな今朝の朝日新聞にこんな記事が載っていました。

うーん、カズオ・イシグロに比して、あまりにも知られていないと思いますが、あたしの勤務先から『少女』を刊行しています。

同書は

まだあどけない17歳の女子高生が、老齢の監督に導かれるままに足を踏み入れた、憧れ・畏怖・感動・絶望・官能の渦巻く眩いばかりの未知の世界。仏映画界の伝説的な女優による衝撃の実名小説。

という内容です。地味ながらも、それなりに話題にもなり売れた作品という記憶があります。世の、カズオ・イシグロ熱に辟易している方、こんなのはどうでしょうか?

まだまだ改善の余地はありますが……

今朝の朝日新聞の声欄に載っていた投書です。

本屋に欲しい本を注文してから届くまで時間がかかりすぎるというご指摘。

昔からよく聞く意見です。投書主はかつて書店で働いていたことがあるような書きぶりですから、書籍の流通事情はよくご存じだと思いますが、それがこの十数年一向に改善されていないことへの不満のようです。本屋で注文したら「1週間から10日かかる」と言われたけれど、自宅からネット書店に注文したら2、3日で届いた、とも書いてあります。

ここで誤解のないように書いておきますし、多くの方も勘違いされていると思うのですが、「ネット書店だと2、3日」というのは「たまたまネット書店に在庫があった」からの話です。ネット書店をリアル書店に喩えるなら、「ネット書店の(倉庫に)在庫があった」というのは「書店店頭に本があった」ということと同じです。だったら、2、3日かかるネット書店よりも、その場で買って持ち帰れるリアル書店の方が早く手に入ることは自明です。

ネット書店の倉庫は、都会の大型書店などもかなわないくらいの広さです。だからありとあらゆる本を揃えておけます。ネットだからお客は全国(全世界?)からやってきますので、どんな本にだって買い手がいるでしょう。しかし、街の書店はそんなスペースはありません。お客も近所の方ばかりです。そうなると、その近所で売れそうな本だけを置いておくようになるのは当たり前のことです。

もちろん品揃えで新しい客を生むという効果もありますが、それで成功するのはかなり難しいですし、ハードルは高いです。都会ならまだしも、周囲の人口が絶対的に少ない地方では客を生むにも限界があると思われます。

書店に限らず、ネット商店は基本的に小売店です。どんな業界でも原則としてメーカー、問屋、小売店という流通になっていますが、その業界の商品を小売店がすべて在庫しているなんて無理ではないでしょうか。例えば、家電量販店。ビックカメラとかヨドバシカメラとかは品揃えの豊富さ(と安さやサービス)を競っていますが、テレビなどは海外ブランドを含めてもメーカーの数は数えられるほど、各メーカーが販売している製品だって季節ごとに10種類あるかないかでしょう。となると、大型店であれば、それらをすべて在庫するのは可能かも知れません。

しかし、本屋はどうでしょう? 出版社の数はそれこそ数え切れないくらいあります。出版物の数は毎日毎日山のように出ています。家電のようにある季節に新製品がまとめて出るわけではありません。そんな業界の商品を全部用意しておくなんてできるわけがありません。なので、ネット書店、たとえばアマゾンだって倉庫に在庫していない本はたくさんあります。全出版物で考えると、むしろ在庫していない本の方が多いでしょう。

ネット書店だって在庫していない本は(原則として)問屋経由で出版社から取り寄せますので、リアル書店とかかる日数に差はありません。ネット書店の倉庫に在庫がなければ、アマゾンだって1週間から10日はかかります。もし出版社が在庫を切らしていたら、10日待っても届きません。むしろ街の書店の店頭に在庫があるときに買った方が早いし確実です。

ネット書店は、倉庫に在庫があるものに関しては確かに早いです。もちろん街の本屋でその場で買っていくよりは遅いのは当たり前ですし、上述のように倉庫に在庫がなければ街の本屋と変わりません。しかし、そういうところは巧みにオブラートに包み「ネット書店は早い」というイメージを消費者に植えつけることに成功したアマゾンはやはり後者だと言わざるを得ません。だからあたしは、声を大にして「アマゾンは決して早くない」と言いたいし、言っているのですが……

上述のように、出版業界の特徴として多品種があるわけですから、アマゾンをはじめとしたネット書店がどんなに大きな倉庫を作ったとしても対応することは不可能でしょう。いや、東京ドーム何百個分の倉庫を作ればできるのでしょうか? それこそ業界を挙げて、「どこかに巨大な倉庫を作り、そこにすべての出版社のすべての本を在庫しておくようにして、すべての書店はそこから仕入れるようにする」となれば解決するかも知れませんが、さまざまなてんで現実的ではありませんね。

しかし、十数年経っても改善されない流通に関しては、何とかする余地はあると思います。実際には少しずつ改善はされていて、都内などでは月曜日に(書店が)発注した本が金曜日に(書店に)届く、というケースも出て来ています。これなどは流通の改善によって可能になったことです。

もう一段階進めば、全国的にこの程度の短縮は可能になるのではないかと思いますし、それを目標に業界なりに努力はしているということは知ってもらいたいところです。遅々としていはいますが。

学問の府

大都会・東京の中でも若者に特に人気のある街・渋谷。そこからほど近い場所に位置する青山学院大学。「アオガク」の愛称、おしゃれな雰囲気は以前からとても人気でした。特に女子人気は高く、テレビ局のアナウンサーにもアオガク出身者は多いはずです。

そして、ここ数年は箱根駅伝での活躍によって、スポーツでも強豪校と呼ばれるようになってきました。正月には、毎年のように苦汁を嘗めさせられている東洋大学出身のあたしとしては、なんとも小憎らしい学校でもあります(笑)。

そんな青山学院大学の書籍売り場がこのほどリニューアルいたしました。

そのオープニングセレモニーが昨日行なわれたので行ってきました。正門横の校舎の一階、書籍売り場も広くなりましたが、カフェも併設した明るい店内です。これまでの売り場は、青山学院大学の規模からするとやや狭かった印象を持っていましたが、今回は学問の府にふさわしい書籍売り場を作るという大学側の意向もあって、このようなリニューアルされたそうです。

あたしの印象では、昨今の大学学内の書籍売り場は縮小傾向が続いてたと思います。書籍売り場がなくなったところまでは聞きませんが、行くたびに書籍の棚が減って、文具や「頭脳パン」の売り場が広がっているところが多々ありました。そんな中、アオガクのように書籍売り場を少しでも充実させようというのは出版社としてはありがたいことです。

これまでの経験に照らしますと、大学内の書店(大学生協とかブックセンターとか)って大きな大学だから広い、小さな大学だから狭い、と一概に言えるわけではありません。かなり大きな総合大学でも、「えっ、これしかないのですか?」と言いたくなるようなところはたくさんあります。もちろん大きさだけではなく品揃えも大事ですが、何より肝心なのは立地だと思います。

学内で、やはり学生の日常的な動線上にあると書店も賑わいます。それに対して敷地の片隅にぽつねんと立っているような書籍売り場は誰も行こうとしないものです。外れの方にあっても、事務棟のそば、食道と同じ建物、といったプラスの要素があればまだマシですが、そういった利点がないと、本当に誰も行かなくなるものです。

また、学生がどれだけ書籍売り場を利用するかという点に関しては、教科書販売を除くと、その学校の先生方がどれだけ書籍売り場で本を買っているかに左右されると思います。先生がよく利用している書籍売り場は学生もよく来るようですが、先生がほとんど来ないお店は学生も来ません。そういう相関関係は感じられます。

都心にあって、人気も高い、全国区の有名大学が、今回のような攻めの取り組みをしていると、他の大学にも影響を及ぼすのではないでしょうか? もちろん、これを成功させるというのが前提条件でしょうが、そのためには出版社にもやるべきことがあるのだろうと思います。

新宿での戦利品、鹵獲品?

新宿の紀伊國屋書店の店頭で配布されていました。

左は人文書コーナーにあった、ハンナ・アーレントおペーパー。右は文芸書コーナーで開催中の筑摩書房と河出書房新社の文庫フェアの小冊子です。

二社の文庫コラボフェアでは、紀伊國屋書店のみの限定復刊を行なっている模様です。うーん、こういうことが出来るのは、大手出版社だからでしょうか? それとも紀伊國屋書店という大型ナショナルチェーンだからでしょうか?

小さな出版社が街の本屋さんと、こういうフェアをやったとしても「限定復刊」なんて出来ないですよね? とはいえ、最低限どのくらいであれば可能なのでしょうか? 制作部数とか販売できる店舗数とか、という意味です。

上の写真はアーレントのペーパー。広げると関連書籍の書影をカラーで掲載しています。書影も紹介文も各社のサイトからコピペすれば簡単にできそうですが、こういうものを作るのって、意外と手間がかかるものです。なかなかの力作です。

で、アーレントのチラシの表をよく見ると、隅っこにこんな文字がありました。「日本出版販売株式会社」とあります。出版界の二大取次の一つ、日販ですね。そこの人文書担当者が作ったペーパーのようです。日販の方、なかなかやるじゃないですか!

しかし、その上には紀伊國屋書店のウェブサイトでも展開しているようなことが書いてありますので、このペーパーもあくまで紀伊國屋書店向けに作ったものなのでしょうか? あるいはこの部分だけ消して、他の書店にも配布されているのでしょうか?

地方だけの問題なのでしょうか? 都会だって深刻な地域があるんですよ!

朝日新聞の一面にこんな記事が!

ページをめくると更に関連記事も載っていました。

書店が一つもない自治体という記事、これまでにも何度か載ったことがあるような気きもしますが、改めて一面に出した意味は奈辺になるのでしょう?

それはともかく、自治体で数えるのもいいですが、人口比ではどうなのでしょう? 東京では銀座から新橋にかけて書店がほぼなくなってしまいました。人口比で考えるとかなり深刻な問題です。

それに東京をはじめとした大都市では、駅前再開発などがなされると、もう新しいビルには家賃が高すぎて書店は出店できないという問題もかなり深刻だと思います。書店が減っているというと地方ばかりがクローズアップされますが、都会も実は深刻な地域があるということです。

単純に本に触れる機会ということであれば、図書館の充実度も合わせて考えないと不公平な気もしますし、形としての本ではなく中味としての本について考えるなら電子書籍についても顧慮しないと、やはり中立ではないような気もします。

書店が街にないなんて……

という記事はしばしば目にしますが、結局、本屋に限らず、その商店の商売が立ち行かなくなったのは地元の人が利用しなかったからですよね。冷たく言ってしまえば、自縄自縛なんだとも思います。

だから、書店を復活させたからと言って、結局街の人が利用しなかったら数年後、否、数ヶ月後にはまた閉店するのは目に見えていると思います。となると、地方をどうするか、均衡ある国土の発展とはどうあるべきか、そんなことも考えないとならないのかな、という気がします。