やっぱり紙が好き!

『哲学・思想図書総目録』『心理図書総目録』『社会図書総目録』の三つ、通称「人文三目録」の2018-2019版が出来上がりました。

  

「今の時代、ネットで検索するでしょ?」という意見ももっともですが、いろんな出版社の刊行物を横断的に、そしてきちんと分類して収めているのはこれしかないはずです。

各出版社のウェブサイトでは、その出版社の刊行物しか検索できません、アマゾンを初めとしたネット書店では、ここまで細かく分類した検索はできません。それらを補うものがこの三目録です。

もちろん、だったらこの目録がウェブで検索できればよいのに、というご意見もあるかと思いますが、この手のジャンルを好む方はまだまだ紙がお好きなんです。それに紙ですと一覧できるところが、やはりPCのディスプレイやスマホの画面などよりもはるかに優れているところだと思います。

文化欄で取り上げられないのでしょうか?

先日も取り上げた明治書院の「新釈漢文大系」完結の件、本日の朝日新聞サンヤツに広告が載っていましたね。

広告は出版社の判断で出すものですからよいとして、これだけの事業、朝日新聞であれば文化欄などで取り上げてくれないものでしょうか? この数年、出版業界がニュースになることと言えば、不況とか、本屋が消えたとか、そんな記事ばかり。やや明るいニュースとしては他業態とのコラボで売り上げを伸ばしているといったセレクト型書店ばかり。

もっと至極まっとうな、ごくごくフツーの出版活動や本屋のことがニュースにならないかと思うのです。そういった点で、この出版不況の中、数十年にわたる事業を完結させたことはニュースに値すると思います。

同じ業界人として言えば、前回も書きましたが、完結した時に全巻が揃っているということがどれだけスゴいことか、たかだか全数巻、2年程度の完結するシリーズ、全集ですら、最終巻が出た時に最初の方の巻が品切れなどというのはよくある話です。100巻を超え、数十年かけたシリーズが全巻揃っているというのは本当に素晴らしいことです。

いや、もちろんこの間品切れになっていた巻も多々あったということは承知しています。しかし、完結を期して全巻揃えるという判断、出版社としてはなかなかできるものではありません。特にこの手の、専門家や図書館しか買わないであろう専門書、重版したってどれだけ売れるのか現実的に計算したら、全巻揃えることを諦める出版社がほとんどだと思います。

しかも、内容見本で全巻のラインナップを見てみると、最終刊ですら1万円を少し超える程度の価格です。一番最初の巻がいくらくらいで売り出されたのか知りませんが、函入りのこれだけのものがこんなに安くてよいのだろうか、という気もします。

手書きじゃなくなってる!

下の写真は、紀伊國屋書店新宿本店の文芸書売り場で不定期に配布されているチラシです。

《翻訳本の友》とあるように、その期間に刊行された各社の翻訳本(主に小説)をリストアップしたものです。

このチラシ、以前は手書きだったと思うのですが、今年からタイプになったのでしょうか? 手書きの味わいも捨てがたいですが、活字の見やすさもありますので、どちらも甲乙つけがたいところですね。

しかし、毎回これを眺めると、自分が読んだ作品が本の数点あるかないかなので、情けなく思います。

学生は本を買わない

本日の朝日新聞の記事です。神保町交差点そばにあった岩波ブックセンター信山社の跡地にあたらしい書店がオープンしたという記事。

このお店、あたしの勤務先のご近所なんですが、まだ行っておりません(汗)。いつでも行けると思うとなかなか行かないもので、どんな風に変わったのでしょう?

ところで、この記事に三省堂書店の松下さんの言葉が紹介されています。

チェーンの飲食店やドラッグストアが増え、「独自性がなくなりつつある」。古書店の中には神保町を倉庫として利用し、実店舗を構えない店もある。近くには大学も複数あるが、新年度などの教科書の購入が必要な時期以外で、大学生を見かける機会は少なくなった

確かに、もう25年も神保町で働いていて、学生時代から数えると30年以上になりますが、古本屋が減ったなあという印象はあります。言葉どおり、どこででも見かけるチェーン店が多くなったのは神保町に限らないと思いますが、古本屋が廃業してそこにそういったチェーン店がオープンすると、やはり寂しいものを感じます。

では、お前はふだんどれくらい古本屋を利用しているのか、と問われれば実はここ十数年、たまに覗くことはあっても買ったことはありません。学生時代と現在とでは必要とする本の傾向が変わったというのが主な理由です。

学生時代は東方書店や内山書店で中国から輸入される原書を買いまくっていましたし、漢文関係の古書もバイト代が入ると買いに走っていたものです。現在はもっぱら新刊の小説などを買うことが多いので古本屋を利用する機会が減っているのです。

また学生時代は文庫や新書も、新刊で手に入らないものは古書店を探しまわったりしたものですが、そういうものはあらかた学生時代に買ってしまったので、古書でないと手に入らないものも少なくなりました、文庫や新書に関しては。

で、再び松下氏の言葉ですが、「大学生を見かける機会」が少ないとあります。あたしが社会人になったころ、主力である語学書は大学の近くの本屋でよく売れると言われたものです。もちろん大学内の書店も同様で、春先の営業では大学内や付近の書店への営業が主でした。小さいお店でも学生や先生が訪れるので、それなりに高額な本、専門的な本が売れる、というのが常識だったのです。

ところが最近はまるで違います。

大学生協の品揃えは、一部の大学を除くと書籍は縮小傾向にあり、中には教科書シーズンの時だけ会議室などを借りて教科書を販売し、通年では書籍を扱っていないところもあります。否、そういうところはそもそも生協が最初からなくて、教科書シーズンには地元の書店や丸善などの外商部が出張販売をしている場合が多いようです。

学内がそんな状況ですから、大学の近くにある書店も推して知るべしです。昔ながらの縁で位までにそこそこ語学書を扱ってくれている書店もまだまだ多いですが、だんだんと縮小傾向に感じます。大学付近の書店への春先の営業も昔ほどは積極的ではなくなってきました。

これが大学生の現状と言ってしまうと一方的な意見ですが、書籍の購入という点で言えばそれほど的外れな意見ではないと思います。売れないから置かない書店、置いてくれないから営業に行かない出版社、という悪循環で割りを食っているのは真面目に勉強し、本も買いたいと思っている学生さんでしょう。身近なところに書店がないから、あったとしても品揃えが満足できないから、結果としてアマゾンへ向かうのだと思います。

どこかで聞いたことあるようなセリフ

最近『人口減少と鉄道』という本を読みました。

著者は元JR九州の社長。国鉄時代から働き、国鉄の凋落そして改革・民営化を身をもって体験してきた方です。同書にこんな文章がありました。

公共サービスだから組織の経営に失敗しても事業そのものはなくならない。鉄道の経営がおかしくなっても鉄道そのものはなくならない。この意識が危機感を生まない。(P.148)

つまり「人が活動する限り鉄道にならないわけにはいかないんだから鉄道は大丈夫」という意識が国鉄の巨額の赤字を生むことになったのだという指摘です。

この文章を読んで、どこかで聞いたことあるなあと感じました。

そうです。出版界も似たようなことがよく言われます。東日本大震災の時が顕著でしたけど、人は本を読みたくなる生き物だから本屋はないといけないんだ、といった言説です。

鉄道にせよ本にせよ、確かにその通りですけど。それと会社を経営していくということはやはり別なんですよね。本という形にこだわらなければ、スマホやネットなど、たぶんかつての若者よりもいまの若者の方がよほど文字を読んでいると言えるのではないかと思います。もちろんYouTubeやインスタに代表されるような映像も見えていますけど、そこにだって多少の文字は書かれているわけで、とにかく現代を生きる人はひたすら文字を読んでいるし書いている気がします。

それなのに出版社や本屋は本が売れないと嘆いています。たぶん本書の著者に言わせれば、時代に合った戦略が描けていない、ということになるのでしょうか?

消えゆく……伸びゆく……

朝日新聞に、代々木上原の幸福書房のことが載っていました。街の本屋が消えゆくのは今に始まったことではなく、幸福書房だけの話ではありません。

それにしても、本屋が消えるというのは、都会だろうと田舎だろうと、多くは出版不況にその原因が求められるわけですが、東京の場合、それにプラスして家賃の上昇というのも見逃すことはできません。

「儲かっているというほどではないけれど、なんとかやっていけてます」という本屋が、次の契約更新で家賃の値上げを言われ、そんな家賃ではとてもやっていけないから廃業、という事例、この十数年、東京では増えています。いま東京は空前の建設ラッシュで、都心部でも再開発があっちこっちで行なわれています。「○○ヒルズ」なんて名前の商業施設がこれからも増えるようですが、そういう商業施設に書店が入ることがほとんどなくなりました(涙)。

10年くらい前までは、「こんどできるビルに入るのは紀伊國屋かな? それともくまざわ書店かな? あるいはジュンク堂?」といった会話が出版社の間で交わされたものです。しかし、このところ「こんどできるビルに書店は入るの?」というのが決まり文句のようになってしまいました。哀しい現実ですね。

というわけで、どんどん消えていく書店とは裏腹に、ますます伸びそうなのが著作権。ディズニーを守るため、と言われることが多いですが、実際のところ、子や孫が潤うほどの著作権収入が発生する作家なんてほんの一握りだそうです。ディズニーなどはもう人類共通の遺産でよいのではないかと思いますが、ダメなんですかね?

近刊情報の謎

左はアマゾン、右は楽天ブックス、それぞれで3月に刊行予定の岩波新書『ライシテから読む現代フランス』を検索した結果です。

 

表紙画像はまだ掲載されていませんが、ひとまずヒットはします。

ところが、出版元である岩波書店のサイトで検索してみると以下のようになります。

そうなんです。ヒットしないのです。

ネット書店で刊行がアナウンスされているのに、肝心の出版社には何の情報もアップされていないとは……。それとも岩波新書は別のページで検索しないとダメなのでしょうか? それはそれで面倒だし、不親切な気もしますよね。

ただ、こういうことって岩波書店に限らずしばしば起こります。ネット書店が早すぎるのか、出版社の動きが遅すぎるのか……

スマホでコミックを読むのは読書でしょうか?

朝日新聞から記事が二つ。

まずは大学生の読書時間。

前にも、こんなニュースが流れましたね。二極化というのは読書に限らず、現在の日本ではあらゆる分野で見られる現象のような気がします。大学生がこれなら、高校生や中学生も推して知るべし、なんでしょう。

こういう大学生、大人になったら本を読むようになってくれるのでしょうか?

もう一つは電子書籍のニュース。コミックでは電子が紙を超えたそうです。と言うよりも、電子書籍って、日本では8割か9割がコミックなんですよね?

電車の中でスマホを見ている人を観察しますと、ゲームやSNSを除くと、新聞を読んでいる人が時々いるくらいで、あとはほぼ全員がコミックを読んでいますね。紙媒体のコミックは一部の売れる作品はよいでしょうが、それ以外は悲惨な状況ではないでしょうか?

スマホでコミックを読んでいる時間は、上掲の大学生の調査にある「読書」には含まれないんですよね?

また逢えるさ!

とうとう代々木上原の幸福書房が閉店してしまいました。

昨今、セレクト型書店とか提案型書店とか、そういった書店プラス何かのお店がしばしば話題になりますが、幸福書房はそんなのとは無関係、ごくごく一般的な街の書店でした。だから残念なんですよね。

あたしが営業に行くようになったのはこの一年です。それまではこの地区担当ではなく、担当になってからもまずは沿線の、もう少し大きな書店をしっかり回ることを優先していたため訪問できませんでした。

しかし、しばしば注文の電話があり、新刊案内を送るとしっかり数を入れて返送してきてくれる、これは一度訪問しなければと思って伺って以来の、本当に短いお付き合いでした。あたしなんかの訪問に関係なく、あたしの勤務先の本を大事にしてくれていた書店でした。

そして左右社から刊行された『幸福書房の四十年 ピカピカの本屋でなくちゃ!』読了。

何も期待しないでください。南長崎に「幸福書房」という名前が復活していたら、「あのおじさん、全然諦める気がないな」と笑ってくれたら嬉しいです。その時は見学がてら、ぜひ遊びにきてください。きっと来てください。待っています。(P.95)

同書の末の方にある上掲のメッセージ、ご主人の人柄がにじみ出ています。

高校も大学もたいへん?

昨日の朝日新聞の記事。

地方の小規模大学が授業を融通し合っているらしいです。単位の互換、振り替えができるようになっているのでしょうね。

こういうのいいですね。ある大学に通いながら、興味のある他の大学の授業が履修できるなんて。ただ、そうなると、その大学に進学した意味ってどうなるの、という気もします。まあ、決まった授業にしかこの制度は適用されないのでしょう。自分の好きな授業がなんでも受けられるようになったら、本当にどの大学に入ったのかわからなくなりますから(汗)。

しかし、見えてくるのは地方の小規模大学の苦境です。本当にアピールできるものを見つけないと入学者、志望者は減る一方で、大学の存続が危ぶまれます。現実にここ数年、経営が立ちゆかなくなっている大学も多いようですし……

大学も就職も、すべて東京一極集中で、これで日本は本当によいのでしょうか?

上の写真も同じ日の朝日新聞。こんどは大学ではなく高校の記事です。

高校での英語以外の授業、増えている気はするのですが、まだまだ少数、極めて稀というのが実際なんですね。

あたしの勤務先ではフランス語や中国語などの教材に対し、高校からの問い合わせや採用が多少はあります。大学の第二外国語と異なり、高校の外国語は英語に取って代わるほどやっている高校もあれば、週に一回のクラブ活動のような高校もあり、その差はかなり開いています。

一番の問題は、記事では入試云々と書いていますが、大学に入ってから語学の授業が、高校である程度やって来ている人に対応していない、というところではないでしょうか?

とまあ、自分の勤務先の出版内容と非常に近い話題、なおかついろいろと考えさせる記事が2本載っていた紙面でした。