ジャケ買いだってするし、帯の惹句も見るし!

今朝の朝日新聞の声欄です。

こういう当初を見ると、業界人としては嬉しくなります。

出版社からすれば、本はネットで買ってもらっても、本屋で買ってもらっても、売れることに違いはないわけですからどちらでも構わないのですが、本と出会うという意味では断然本屋が優れていると思います。

もちろん、アマゾンなどの「この本を買った人はこんな本も買っています」といったサジェスチョンはそれなりに参考になりますが、新刊既刊を取り混ぜて工夫を凝らした展開をしているリアル書店の一目瞭然さには一歩及びません。

なにより、本が好きな人は物体としての本が好きなわけですから、表紙やカバーの色合い、手触りなどの質感、そういうものが一体となって本の魅力を作っているわけで、それを体感できるのは本屋ならではだと思います。

いや、いずれインターネットが発達すると、質感までネットで感じられるようになるのでしょうか?

それはともかく、ネット書店にも中味検索などがありますが、やはりリアル書店だと実際に本を手に取って数ページ読んでみる、帯やあとがき、解説などにザッと目を通してみるという利点があり、本を選ぶ時に大いに参考になります。

どんなに小さな本屋でも、入り口から入ってパッと目に入ってくる書籍の量(冊数)は、どんなに大きなディスプレイを使ってもネット書店が画面に表示できる冊数の追いつくところではありません。そこがリアル書店の楽しさ、面白さだと思うのですよね。

そう言えば、「ひらがな推し」でMCのオードリー・若林が、本屋に行って本の選ぶ時は10ページくらい読んで判断すると語っていました。そんなことができるのもリアル本屋のよさでしょう。

「売れ行きが悪い」どころではなく「売れぬ」のです

今日の朝日新聞夕刊の一面です。

出版界は長年にわたる不景気で、売れ行きはどんどん落ちています。書店もどんどん減っています。

だから、という悪循環で出版点数は増えているのですが、こんな状況なので売れ行きは芳しいものではありません。

しかし、朝日新聞の夕刊とはいえ、第一面にデカデカと「売れぬ」と書かれてしまうと、なんとも居たたまれなくなるものです。

だから、あの手この手、知恵を絞っているわけですね。

出版社は本を作るだけ、売るのは本屋の仕事、というのは過去の話で、いまや出版社も書店と協力して一冊でも多く売るための努力をしないとならない時代になっているようです。

あたしはそんな努力を十分にしているのかと言われるとお恥ずかしい限りですが……(爆)

ほぼ丸かぶり?

書店店頭で見かけました。

 

左は祥伝社新書の『国民が知らない 上皇の日本史』、右は中公新書ラクレの『上皇の日本史』。祥伝社の「国民が知らない」というのは文字が小さいですから正題と言うよりも角書き扱いなのでしょうか? となると、完全に同じタイトルの本ですよね。それに発売日もほとんど一緒、どちらも新書という形態。うーん、ここまでかぶるとは!

別に非難しているのではありません。このテーマがどれほど関心を集めているかということが言いたいだけです。更に言えば、天皇ではなく、あえて上皇に注目したところに興味を惹かれています。

それにしても、来年には今上天皇が譲位して、恐らく現在の日本人全員にとって「上皇」という存在は初めて体験・経験するものではないでしょうか? もちろん、確かに歴史上の上皇とはまるで異なるわけですが、天皇と前天皇が並立しているというのは、歴史上何年ぶりのことなのでしょう?

来年の新天皇即位に向けて、天皇をキーワードとした書籍や雑誌の特集はこれからますます増えていくと思います。新刊を並べているだけでもフェアをやっているような感じになりそうですが、どこから手を着けてよいのか混乱もあるかと思います。

そんな方に読んでいただきたいのは人文会が発行している『人文会ニュース』の最新号、129号です。巻頭の「15分で読む天皇の歴史」はタイトルどおり、天皇の歴史について分かりやすくまとめたものになっています。人文会のサイトからPDFを閲覧できますので、よろしければ是非どうぞ。

これから生き残る書店とは?

雑誌「アエラ」最新号の1ページです。

「個人書店の新たな挑戦」という特集記事が載っていました。

パラパラ呼んでいたら、「あれ? どこかで見覚えのある顔が……」と気づいてしまいました。

記事中で紹介されている書店の一つが、青いカバでした。

この数年、本屋に関する本とか、本屋を特集した記事とかが目につきますが、基本的には個人経営のセレクトショップ的なものばかりで、「商店街にある、昔っから夫婦でやっている」といったような本屋ってのは、やはり今後は成り立たないのでしょうか?

今回、アエラで紹介されている書店も基本的には、いわゆる「本屋さん」といわれてイメージするような書店ではないようです。店主のこだわりが詰まった、品揃えにもこだわったこの手の書店というのも嫌いではないですが、多くの人を相手にした、広く間口を広げている感じがあまりしないので、果たして書店という業界を考えたときに、今後はどうなっていくのだろうかと考えてしまいます。

こういう書店が一方で増えていくのはよいとして、そうではなくごくごくフツーの本屋が残るためにはどうしたらよいのか、ってことなのですが、じゃあ聞くけど、あなたが考える「フツーの本屋」って何? と問われると、うまいこと答えられないのです。

サンバよりもクワガタ?

 

昨夕は、業界内のこんな会へ参加してきました。美味しく、楽しいひとときでした。

毎年この時季に行なわれているもので、あたしもここ数年参加しています。毎年入場時に配られる団扇も、わが家には既に何本たまっていることでしょう(笑)。ちなみに、上の写真、左が去年、右が今年の団扇です。

この会で毎年恒例なのがこちらです。

かつて近所に東京外国語大学があった縁で、サンバ・カーニバルが必須の余興となっているようです。これを愉しみに毎年参加しているおじさんも多いようです。今年も多くのおじさんたちが、カメラやスマホを抱えて、一生懸命撮影していました。

いや、こういう言い方はよくないですね。

実はよくよく観察してみると、女性の方も熱心に見物しています。日本人ダンサーもいますが、やはり本場の踊りは違うと感嘆の声があちらこちらから聞こえてきます。

しかし、あたしもここ数年、サンバを見物していますが、やはり馴染めません。今回改めてその理由がわかったような気がするのですが、つまり、あたしはこういったグラマーなタイプは苦手だということです。

だからなんだと言われそうですが、だってそうなんです。

やはりあたしは色白で華奢な女性が好みです。いわゆる豊満タイプはダメです、受け付けません。

って、そんな贅沢を言える身分ではないのですが……(汗)

というわけで、今年も帰りしな、お土産のクワガタをいただきました。あたしには女性よりも昆虫の方が似合っているのでしょうか?

なにはともあれ、今回も昨年同様、姪っ子が喜ぶと思います。帰りの電車の中でも、ガサゴソ動き回っていましたので、かなり元気なクワガタです。

成人向けコミックと言っても決してエッチなものではありません

数日前の日経夕刊に「欧米漫画、親しみやすく」という記事が載っていました。

確かに、このところ岩波書店の『MARCH』を書店でよく見かけていましたので、欧米の漫画がようやく日本でもメジャーになってきたかなという印象は持っていました。

  

しかしこういう記事が出て改めて書店の店頭を眺めてみますと、『バンド・デシネ 異邦人』なども目につきます。

この手の漫画はどう見ても子供向けとは言えません。いや、子供でも読めないことはないでしょうが、絵のタッチやストーリーなど、普段読んでいるような日本の漫画、コミックとはまるで異なります。やはり大人向け、普通に本を読んでいる人をターゲットにしている漫画ではないかと思います。

「子供と言うよりは大人向けだよね」という感じのコミックは確かにこの数年、いやここ十数年、日本の作品でも増えてきましたが、欧米のものとなると、見かけるようになったのはまだこの数年かそこらだと思います。もう少し遡ってみますと、あたしが覚えているのでは『ペルセポリスⅠ イランの少女マルジ』『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』が早い事例ではなかったかと思います。

 

しかし、このところは刊行がずいぶんと増えているような気がします。そしてコミック売り場ではなく、多くが海外文学の棚に置かれています。コミックだろうと本だろうと、こういうところから海外の作品に興味を持ち、さらに進んで海外の文学作品やノンフィクションなどに手を伸ばしてくれる読者が増えることを期待しているのですが……

好きか嫌いかではなく、実際に読んでいるかが問題であって、もっと言えば、借りて読んでいるのか買って読んでいるのかってこと!

今朝の朝日新聞です、確か、別刷beだったと思います。

「本を読むのが好きですか?」と問われたら、それこそ渋谷のセンター街で遊んでいるガキどもだって「好き」って答える割合が一定数はいるでしょう。ましてや、朝日新聞のウェブサイトで尋ねたら、もともと本に親しんでいる層が大半でしょうから、この結果は当然だと思います。

それにしても、好きではない人の理由が切実ですね。視力や体力などの肉体的な問題は如何ともしがたいですが、少なくとも文字が小さいというのであれば電子書籍の拡大機能は一助になるかと思います。

本の価格が高いと感じるか否かは人によると思いますし、本の内容によるとも思います。この値段でどれだけ心が豊かになり、楽しい時間を過ごせるかと考えると、世間一般にある娯楽に比べ本は決して高いとは思いません。映画が約2時間として、その入場料と同じ金額の本を買ったとしたら、本にもよりますが、恐らくは2時間以上は楽しめるはずです。

でも、いまの若い人を中心に本に親しんでいない人は、そうは考えないのでしょうね。読み終わるのに時間がかかる、と否定的に考えてしまうのだと思います。「この一冊で3日は楽しめる」と考えるか、「3日もかかるなんて」と考えるか。たぶん後者は実際には3日以上かかるでしょうし、2日目で放り出してしまうかも知れません。

本を読むというのは、それなりに体力が必要なんだと言えます。肉体的にもそうですが、気持ちの問題というのもあると思います。時間に関して言えば、忙しい時の方が集中して読めるので読書がはかどります。忙しくて読めないというのは、一面で正しく、一面では正しくはありません。あたしはそう思います。

暑い

今日の大阪の気温が何度だったのか知りませんが、今日は暑かったです。

駅直結の、炎天下を歩かなくてもよい書店がほとんどなく、今日回ったのは駅からちょっとだけ歩かなければならないところが多かったのも一因だと思います。

今日は少し歩きました。

まあ、明日が関西ツアーの最終日ですから、少しくらい無理もしましょう!

どこをどうすればよいのでしょうか?

今朝の朝日新聞に載っていた記事です。

少し前にも末端のトラック運送業者が成り立たないというような記事がありましたし、朝日新聞に限らず他のメディアでも時々取り上げられる話題です。

もともとは雑誌の配送に乗っかって書籍も運んでいたけれど、雑誌が売れなくなって、「一緒に書籍も」というモデルが成り立たなくなったということなのでしょう。業界的には「輸送料がいくらかかっているので出版社さん、いくら負担してください」という風にはならず、「本や雑誌の価格の何パーセントを輸送量としていただきたい」という話になります。

しかし、高い書籍を運ぼうが、安い文庫を運ぼうが、トラックの輸送量に変わりはないはずです。だったら、高い商品を運んだ方が取次としては旨みがあるのではないでしょうか?

紙面にあるような数字が業界内でも取り沙汰されていますが、果たして現在の出版不況、こういう対策が根本的な解決方法になるのでしょうか? 何かもっと将来を見通した抜本的なことをやらないとならないのではないか、そんな気がします。

とはいえ、だったら何をすればよいのかと問われても、あたしなどにはわかりませんし、そういうことはしかるべき立場に立っている人が考えるべきことだと思うので……

いつものことですが……

張愛玲の新刊が出ています。光文社の古典新訳文庫から『傾城の恋/封鎖』です。訳者あとがきによると、かつて出ていたものをベースに新たに訳し直したもののようです。

 

張愛玲と言えば、ちょっと前に岩波書店から『中国が愛を知ったころ 張愛玲短篇選』が出たばかり。ここへ来て出版が続いたのは何かあるのでしょうか? 特に生誕何年、没後何年というアニバーサリーでもないですし。

それにしても、上の写真を見ていただければおわかりのように、一方は文庫本、一方は単行本です。小規模な書店であれば気づくでしょうけど、大きな書店ですと文庫担当と文芸担当は別の人であることが多く、せっかく同じ著者の作品が出たのに一緒に並べるということに思い至らないことがありがち、よくあることです。

もちろん、古典新訳文庫のファンというのもいるでしょうから、文庫の棚から持ってきて海外文学の棚に置いてしまうと、こんどは古典新訳文庫の棚を見に来た人には見つけられないという問題も起こります。こういう時に、大型書店ですと入荷が一冊なんていうことはないでしょうから、何冊かを古典新訳文庫の棚に置き、残りを海外文学の棚にも並べるということができるのですが、上に書いたように、そういうことに気づく書店員さんには暇も余裕が無いのが現状だったりします。

こういうところを示唆するのも、出版社の営業の仕事なんだと思いますが、これ、どちらもあたしの勤務先の刊行物ではないんですよね……(汗)