百年対決

書店店頭でこんなパンフレットを手に入れました。

「ガチンコ勝負! 読みたいのはどっち?」と題して、岩波現代文庫と平凡社ライブラリーの合同フェアです。「容赦なき対決」なんて書いてありますが、より容赦がないのはどちらでしょうか?

岩波書店は一昨年、平凡社は昨年、それぞれ創立百年を迎えた先輩出版社です。お互いに百年の看板を背負って立った真剣勝負といったところ。最近はこの両社以外にも、新書や文庫で会社の垣根を越えたコラボフェアが散見されますが、その一つのバージョンといったところでしょうか。

パンフレットを開くと、それぞれのレーベルの編集長による挨拶文が載っていて、更に広げると上の写真のように「花開く文学と愛」「問われる「戦後70年」」という今回のフェアのに大テーマに沿って、それぞれのリストが載っています。ちなみにこんな書店で開催中(もう終了したところもあり?)なんだそうです。

こういったコラボ、やりたいなあと思っても、あたしの勤務先では、なかなか他社とコラボできるようなレーベルがないのが残念なところ。よく声をかけていただくのは、新潮社のクレストブックスとエクス・リブリスのフェア。とはいえ、このパンフレットのように合同で取り組んでいるわけではなく、あくまで書店の方が「一緒に並べてみようと思ったから」という、結果としてコラボフェアになったというだけなのですが……

関西みやげ

先週の広島・松山・高松、二泊三日の研修旅行に引き続き、あたしは一人、関西ツアーへと入りました。研修旅行が水木金でしたので、土曜から始まった関西ツアー。ルーチンのツアーでは土日は効率が悪くなるので避け、月曜から金曜というスケジュールが多いのですが、今回はそういうわけにもいかず、土曜から水曜というちょっと変則なスケジュールとなりました。そんな関西ツアーでゲットしたものなどを少々ご紹介します。

まずは上の写真。丸善&ジュンク堂書店梅田店の百周年フェア。一階のメインフェア棚で展開中です。10月初めからスタートで二か月間。あとちょうど一か月ですね。アイテムによっては残り一冊になっているものもありましたし、きちんと確認はしていませんが売り切れたものもあると思われます。

上の写真は京都の書店に置いてありました。光文社と京都の書店とのコラボ企画「本屋さんへ行こう」のパンフレットです。光文社70周年の企画のようですが、かなり大規模なフェアですね。府内の書店だけではなくカフェも何軒か参加しているようです。

そのパンフレットは折りたたまれていたので開いてみると上のような感じ。京都の地図に参加している書店、カフェが示されています。地図を頼りに参加書店を巡るのもよいでしょう。

もちろん、パンフレットには地図だけではなく、本を片手にまったりできるカフェの紹介やプレゼント企画の案内も載っています。これだけのことを企画するのには、どれくらいの準備が必要になるのでしょうか? 京都の書店組合などとも日頃から強い関係を作っておかないと無理でしょうね。さすが大手出版社!

上の写真は早川書房のもの。左が70周年フェアのパンフレット、右が文庫の冊子、のようです。左のパンフレットでは早川を代表する14の作品が紹介されています。右の冊子では「ハヤカワ文庫の100冊」として年表風にハヤカワ文庫の歴史と代表作品が紹介されていて、フルカラーの立派な小冊子です。

100冊の内訳は、「年代ごとに長年読み継がれてきた60冊」と「2010年以降に刊行された、いまのハヤカワ文庫が誇る40冊」だそうです。あたしはほとんどSFを読まないのですが、こうしてみると面白そうなものが散見されます。

上のチラシはブックファーストでいただきました。まさにそのまま「英ガーディアン紙が選ぶ英語で書かれた偉大な小説100選」のリストです。こちらのリストを翻訳したもののようです。こういうサイトやリスト、もちろん情報としては知っていますが、実はこうして日本語に訳すのって結構面倒で、このようなリストがあるとありがたいです。

  

  

ちなみに、このリストの中にあたしの勤務先から邦訳が出ているものはこちらです。

スクープ』(イーヴリン・ウォー)、『マーフィー』(サミュエル・ベケット)、『スウィム・トゥー・バーズにて』(フラン・オブライエン)、『すべて王の臣』(ロバート・ペン・ウォーレン)、『火山の下』(マルカム・ラウリー)、『キャッチャー・イン・ザ・ライライ麦畑でつかまえて)』(J・D・サリンジャー)、『ミス・ブロウディの青春』(ミュリエル・スパーク)の7作品。これはなかなかの占有率でしょうか? リストの中には少なからず「未邦訳」というのもありましたので、日本の出版社ももっと頑張らないといけませんね。

上の写真は海外文学ファンには嬉しいニュースとなった、集英社の新しい海外文学のシリーズの小冊子です。とりあえず欧米を中心とした13冊で刊行が始まるようで、最初の配本は既に並んでいますね。文庫なので手に取りやすいとは思いますが、やはりガイブン、ちょっとお値段が高めでしょうか、文庫としては。

それでも、こういう新しいシリーズが立ち上がるなんて、海外文学ファンには朗報です。あたし個人として欧米以外の作品、特にアジアがまるっきり含まれていないのが悲しいところです。全くの想像ですが、このシリーズ「全13巻」と謳っていますが、売れ行きがよければ「第二期」として続刊が出るのではないでしょうか。その時には欧米以外の作品も入ってくるのではないかと期待しています。

冊子の最後に状景の三名の方のコメントが! この中でモデルの市川紗椰さんの言葉、「文化や時代背景の違いを乗り越えられる、現代の日本人を感動させる」が気になります、悪い意味ではなくよい意味で。ふつう、ガイブンが苦手な人ってここを越えられなくて挫折するのですよね。こういうシリーズによって、少しでも乗り越えられる人が増え、もっともっと海外文学が読まれるようになれば、と思います。

最後に、ジュンク堂書店大阪本店でもらったパンフレット。先月末(つまり昨日)までやっていた「あの頃の少女漫画はブンガクだった!」フェアをフィーチャーしています。本好きな二人(モチ&タケ)による、これからの独自企画に期待大です。

図書館って何だろう?

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日本の出版界は不甲斐ない?

下の写真は今朝の朝日新聞の紙面、火野葦平の記事です。

読んだことはありませんが、名前くらいはもちろん知っています。読んでみたいなあとも思っています。

そして、この記事を興味深く読んだ人はあたしだけではないでしょう。そんな人があたしと同様、「火野葦平、読んでみるか」と思ったとしても不思議ではないはずです。朝日新聞の影響力を考えると、日本全国、今日一日でどれくらいの人が「火野葦平を読んでみよう」と思ったことか。

しかし、この記事の情報欄「もっと学ぶ」によれば、彼の作品は全集しかないようです。すべて全集に入っているから全集を買えばよい、というのはバブルのころの発想で、今では図書館ですら全集の購入には二の足を踏むのではないでしょうか。

そもそも、火野葦平といったら『麦と兵隊』ではないかと思うのですが、こういった代表作が単行本で手に入らなくなっているとは、日本の出版界ってこれでよいのでしょうか? これは出版社の人間としてではなく、本好きな人間としての素朴な疑問です。

前にもこのダイアリーで書いたような記憶があるのですが、現代作家は別として、日本って昭和戦前以前の作家の作品、あるいは文学史に残る古典が単行本では手に入らない国ですよね。ある程度は岩波文庫や新潮文庫、角川文庫などの文庫本として残っていますが、単行本ではほぼ皆無です。

そりゃ出版社の事情というのもわかりますが、これってどうなのでしょう? 文庫本で手に入るだけマシ、という意見もわかりますが、単行本が手に入らないというのも寂しくはないでしょうか?

 

司修さんの『本の魔法』を読むまでもなく、作品と本の装丁とは切っても切れない仲です。そりゃあ、装丁に凝った文庫本もなくはないですが、基本的に文庫本はその文庫レーベルの装丁に倣うもの。単行本のように、その本ごとにこだわった装丁を施しているものは稀です。本当に好きな本だったら、文庫本ではなく単行本で所持したいものではないでしょうか?

また、こうも思います。夏目漱石を研究しているアメリカ人の大学生が念願叶って初めて日本を訪れたとき、喜び勇んで本屋へ行って「日本文学」の棚をいくら探しても、そこに夏目漱石の『坊っちゃん』も『草枕』も、『吾輩は猫である』も置いていないのを見て愕然とするのではないか、と。

彼がたどたどしい日本語で店員さんに漱石の本が欲しいと伝えても、案内されるのは岩波文庫の棚の前。「漱石はここにあります」と言われた彼はどう思うでしょう。「やったー、漱石の原書だ」と喜んで買ってくれるのでしょうか? 一概には言えませんが、彼は日本に来れば、日本的な装丁を施された漱石の本が買えると思って来日したのではないでしょうか?

そういう期待に応えられない日本の出版界、あたしは不甲斐ないと思うのです。

いや、それでもしっかり文庫本で残しているだけマシなのでしょうか? でも、話は最初に戻って火野葦平は? 全集があるだけマシなのでしょうか?

アマゾンとか電子書籍とか@朝日新聞

このところ朝日新聞の紙面で、アマゾンとか電子書籍の記事が目に付きますね。15日にも三人の方のインタビュー(?)記事が載っていましたし。

その中で、ベンチャー投資家・宮田氏が

技術革新によって、消費者は以前よりも快適なライフスタイルが約束されます。新しい価値を提示しようとするアマゾンの企業姿勢は、前向きに評価されるべきだと思います。

と語っているのが気になりました。

技術革新によって実現される未来の生活が、果たして本当に「快適なライフスタイル」なのか? むしろ昨今の流れでは技術偏重への反省が叫ばれているのではないか、という気もします。もちろん、あたしだって声高にスローライフを主張・支持するわけではありませんが、なんかこういう短絡的な見方には違和感を覚えます。やはり米国在住のベンチャー投資家だからなのでしょうか?

それにアマゾンが「新しい価値を提示」するのはよいでしょう? 企業がそれぞれの価値観を消費者に提示するのは当然だと思います。ただ、一社の価値観だけがすべてを覆い尽くすようなやり方が果たしてよいものなのか? 中途半端な「前向き」の評価は却って危険なのではないか、とも思います。

16日には電子書籍の記事。ドイツではアマゾンのキンドルに対向して国内の書店大手が結束して統一ブランド、フォーマットを作ったとのこと。

確かに日本では電子書籍サイトがいくつもあり、それぞれフォーマットが異なるようで互換性も怪しいです。出版社側からすれば、すべてのフォーマットに対応した電子書籍を作るのは(一つ作れば、ちょっと手直しをすれば済む、とも言われますが……)はっきり言って面倒なので、統一フォーマットになってくれれば楽ですよね。

こういう記事が出ましたが、日本ではどうなるのでしょうか?

編集長、頑張る?-古典新訳文庫の小冊子-

書店店頭で光文社の古典新訳文庫のちょっとしたフェアをやっていました。そこに置いてあったのが下の写真の小冊子。

古典新訳文庫の中から編集長が選んだ78冊が紹介されています。コピーしたものを1、2回折っただけ、というようなものではなく、きちんと印刷製本された小冊子です。モノクロとはいえ、それなりにお金をかけて作っている感じがします。

ここまで点数が増え、世間にも認知され、売り上げも上々であれば、こういった販促グッズも作れるのでしょうね。編集長の方も頑張ったのでしょうが、ちょっぴり羨ましく思います。

あたしの勤務先も、たとえばUブックスの「永遠の本棚」で、こんな小冊子を作ることは可能でしょうか? 問題は「先立つもの」か?

名作を読んで、旅にでかけましょう。

まだ買っていないのですが、ちょっと気になっている本があります。

それは『真夜中の北京』です。

発行と発売とが異なるようですが、河出書房新社の本ということでよいのでしょうか? それはともかく、あたしは基本的にミステリーはほとんど読まないのですが、これは1930年代の北京が舞台だと言うからには読みたくなります。

で、書店回りをしていたら、同書の拡材、パンフレットが置いてありましたので、もらってきました。

http://park11.wakwak.com/~rockfield/151006.avi

上記リンクのような感じです。古きよき北京の地図や写真などをあしらって、近代中国史に興味がある人であれば、このパンフレットを見ただけで読みたくなるような作りです。それにしても、この時代ですと、北京という呼び方でよいのか、それとも北平の方が普通だったのか、どちらなのでしょうね?

昔々、あるところに……

下の写真は本日の朝日新聞です。

かつてゴールデンタイムで放送されていた「まんが日本昔ばなし」についての記事です。そう言えば、最近はこういう番組ありませんね。でも記事にもあるようにCSでは絶賛放送中で、あたしも録りだめては妹のところの姪っ子、甥っ子に見せています。

確かにアニメだと見やすいですし、簡単に頭に入ってきますが、いかんせん、CSでは誰もが気軽に見られるわけではありませんよね。いや、昨今のテレビやDVDレコーダーはCS放送のチューナー内蔵ですから、契約さえすれば見られるのではないでしょうか? あれ、CS用のアンテナも必要かな? それはともかく、安くなったとはいえ、この放送を見るにはCS殿契約が必要ですから、そこは敷居がちょっと高いかも知れませんね。

となると、アニメは諦めて本を買いましょう。探してみると、「日本昔話」を扱ったものはいくつもあります。お手軽に一冊で代表的な昔話を集めたものが何種類か刊行されています。

この「昔話」と「民話」というのはどこが異なるのか、あたしにはよくわからないのですが、あたしの身近な出版社では未來社から「新版 日本の民話」が、大和書房から「ふるさと文学さんぽ」というシリーズがそれぞれ刊行されていて、こちらは子供ではなく大人向けの書籍ですかね。

ヒットの論理とは?

下の写真は、今朝の朝日新聞読書欄。「売れてる本」コーナーで、ちくま文庫の『命売ります』を取り上げていました。

あたしもこの本は書店で見かけ、注目というか気になっていたのですが、案の定、売れているのですね。19万部ですか? すごいものです。記事中では、売れた理由は「本そのもの」にあると読めます。確かにそうなのでしょうね。この記事を読むまでもなく、三島のこの作品、オビの惹句を読むだけで、あたしのような三島を読んでいない人間でも気になりましたから。

ただ、果たして「本そのもの」というだけで売れるのか、そんな素朴な疑問が頭をもたげます。たぶん、同じ内容の本が同じオビの惹句で置かれていたとしても、著者が三島由紀夫でなければ売れなかったのではないか、そんな風に思ってしまいます。いや、著者が三島でない時点で「三島」と入っているオビは成立しなくなってしまいますが……(汗)

しかし、いくら三島とはいえ、未発表の原稿が見つかって出版されたとでもいうのならともかく、決して知られていなかったわけではない作品ですから、ここへ来てこれだけ売れるというのはやはりすごい、「著者が三島」というだけでは成り立たないと思います。そうなると、記事の最後に書いてある「費用対効果」、つまり安いということが大きな理由になっているのでしょうか?

単行本の文庫化など、権利などの面倒な話はひとまずおいて、もしこの本を筑摩書房が単行本の形で出していたら、このオビが付いていたとしてもここまで売れたのか? たぶん単行本だと1000円台後半、もしかすると2000円を超えそうな値段になる可能性がありますが、その場合でも19万部も売れるのでしょうか? いや、そこまでは行かないとしても半分の10万部は売れたでしょうか?

確かに文庫本の安さは大きなアドバンテージでしょう。でも又吉の『火花』を見てもわかるように、一概に単行本だから売れないとは言えないようです。もちろん『火花』はまだ文庫になっていませんし、そもそも本体1200円という、最近の文庫と変わらない、むしろそれよりも安い価格ですから比較のしようもありませんが……

と、このように売れる本が現われると、そんなことを考えてしまうのが、同じ業界人としてのサガなのかも知れません。そして同じ業界人だからこそ気になるのは、「筑摩書房が売るために何をしたのか」ということです。

どの出版社だって、自分のところで出している本について、「これはよい本だ」と思っているはずです。ですから、それなりに宣伝もすれば、書店での営業もするわけです。もちろんオビの惹句だって工夫を凝らしていないわけではありません。

なら、刊行後何年もたった本を、「この本は名著なんだから」というだけで、オビを作り替えてもう一度販売促進をしようという営業をどれだけの出版社ができるでしょうか、否、やるでしょうか? 三島由紀夫生誕90年程度のアニヴァーサリーでは、いかな三島とて、書店や読者の盛り上がりを生むには弱いでしょう。

「今年は生誕90周年なんで、これまであまり知られていませんでしたけど、こんな怪作が実はありまして、ちょっとオビも新しくしたので、目立つところに並べてもらえませんか?」と筑摩書房が営業したとして、たぶん乗ってくる書店は全国でも数えるほどだと思います。ここまではやってやれなくはないと思えるのですが、問題はここからです。(ちなみに、本書がどんな書店展開、営業販促をしたのか詳しいことは知りません。上に書いたのはあくまでもあたしの邪推です。)

全国で数店舗とはいえ、その本を少し置いてもらったとして、その後一週間や二週間で結果が出るのか? 書店も新刊がどんどん入ってきますから、この本のためにスペースを作ってくれるのはせいぜい一ヶ月が関の山だと思います。それまでに「うん? なんか売れてきたぞ」という結果が出ないと、すべてが返品となって返ってきてしまいます。

はい、その一ヶ月の間に筑摩書房は何をしたのか? いや、書店と協力してどういう展開をしていったのか、そこのところが同じ業界の人間として非常に気になるところです。もちろん、同じことをやればどの本も同じように売れると考えるほど、あたしもバカではありませんが……