正体見たり枯れ尾花?

昨日の朝日新聞夕刊です。

盛岡発の仕掛け販売、文庫Xが全国的に大ヒットしているそうです。もちろん、この取り組みは知っています。

何年か前に紀伊國屋書店がやっていた「本のまくら」フェアの二番煎じっぽさは感じるものの、この出版不況に少しでも本を売ろうと努力してくださっている書店員の方の取り組みには頭が下がります。

「本のまくら」もそうでしたが、やはり文庫という廉価な商品だから成立する取り組みですよね。あたしの勤務先の上下巻の単行本でこれをやったら、誰も買わないでしょう(笑)。そういう意味でも、目の付けどころが巧いなと感じました。

それにしても、不思議に思う点もあります。

ネット書店が流行りだしたころ、「本はやはり中を見ないと買えないよ」という意見もあって、だからリアル書店のアドバンテージは変わらない、とも言われました。しかし、結果はアマゾンにどんどん喰われ、地方の書店は衰退の一途。都会の大型店だって、売れてはいるけれど、家賃諸々と考えるとペイできているのか……

それはともかく、中味を見ないと買えないという意見があるのに、「本のまくら」といい「文庫X」といい、中味を隠して売ってヒットするなんて、ちょっと皮肉ですね。こういうゲーム性が受けているのでしょうか?

しかし、問題はここからでしょうね。

この「文庫X」がヒットしたからといって、文庫全体の売り上げはどれくらい伸びているのでしょう? 文庫Xの正体はノンフィクションだということですが、ノンフィクションジャンルの伸びは? そもそも、こういう取り組みをしているにもかかわらず、本の売り上げは落ち続けているわけで、さて、せっかくこういう企画がヒットしたのですから、次にどういう一手を打つべきなのか?

出版社も書店員に任せておくだけではなく、一緒になって考えないといけないのですよね。

いまは過渡期なのかしら?

前のダイアリーで『フラ語入門』について書いたので思い出しました。

下は、少し前の業界紙「新文化」の記事です。

語学書の音源はCDか、それともダウンロードか、という記事です。

えーっと、記事を無視して、あたしの本音を言ってしまいますと、果たしてCD付の語学書を買った人のどのくらいの人がCDを聞いているのでしょう、ということです。もちろんヒアリング問題のような語学書であれば聞かないと解けませんから必ず聞くでしょう。でも、単に本分や例文を読んでいるだけの音源の場合、どのくらいの人が熱心に聞いているのか、実は疑問があるのです。

閑話休題。

記事からわかるように、この問題、まだ過渡期ですよね。

さすがにカセットテープは、それを再生する機会がほとんど消えましたから問題外としても、CDはまだまだプレーヤーが現役だと思います。ただし、若者に限って言えば、「持っていない」という人が過半だと思います。

その逆に、年配の方を対象にすれば、「パソコンを使ってダウンロードなんて、自分にはできないよ」というのが、こちらやもやはり過半ではないでしょうか?

では、若者ならダウンロードできるのかと言えば、意外とデジタルに弱い若者もいるので、そうは問屋が卸しません。もちろん機械にめっぽう強い年配の方も大勢いらっしゃいます。

語学を学ぶのは学生、特に大学生が多いから、デジタルには強いでしょ、と言いながらも、実際に本屋で語学書を購入しているのは学生よりもサラリーマンやOL、そして年配の方が多いというのも事実です。この勢力図のバランスが、まだしばらくは続きそうなので、出版社としてもどっちに軸足を置くかは決めきれません。

そもそも、語学書にCDが付いているのと付いていないのとでは売れ方に差があるのか、CDの有無の価格の差はどれくらいがよいのか、音源が付属CDの場合とダウンロードの場合で売れ方に差があるのか、こういった疑問点、たぶんどこの出版社も確かなデータは持っていないと思います。

カセットテープが数十年の時を経てほぼ消滅したように、CDもいつまであるのでしょうか? ダウンロードだって、OSやスマホなどの発達によって、現在のファイル形式がいつまでも有効なのか、わかりません。

うーん、難しい問題です。

どこかにフツーの本屋はないのか?

またしても朝日新聞の記事です。

下北沢の本屋さんB&Bが銀座に出店するというニュースです。

B&Bは嫌いじゃありません。「へえー、こんな本が出ていたんだ」という発見があります。それに大きさもちょうどよいです。この手のセレクト型の書店が規模をあまり大きくしてしまうと、却って探しづらくなりますし、セレクトショップ的なよさが失われてしまうと思うのです。

それはさておき、銀座にB&Bが出店するということに異存はありませんし、あたしなどが異議申し立てるできるような立場にはおりません。それでも、あえて言いたいのは、銀座にフツーの本屋さんを作ってよ、ということです。

銀座地区に本屋さんがないと言っているのではありません。有楽町駅前には三省堂書店があり、四丁目交差点のビルにはブックファーストもあります。なにより銀座といえば教文館があります。だから決して書店がないわけではありません。

しかし、かつてこれに加えて旭屋書店が数寄屋橋交差点付近にあり、9丁目の方へ行けば芸能人の握手会やお渡し会で有名な福家書店があったわけですから、そのころを知っている身には「本屋が減った」と感じるわけです。

特に、福家書店が閉店したのと前後して、新橋からも文教堂、書原といった本屋が消えていきました。管見の及ぶかぎり、銀座四丁目交差点から南、新橋界隈にかけては書店のない街になってしまっています。

確かに、上に書いたような書店があるわけですから、少し歩けば本屋はあります。しかし、あのあたりで働く人の行動半径を考えた場合、ちょっと遠いです。いや、かなり遠いです。おいそれとは行かない距離です。本屋がほとんどない地方の人からすれば贅沢な悩みと言われるかも知れません。しかし、周辺人口で考えると、銀座から新橋界隈の本屋の無さは、地方をはるかに上回るのではないかと思います。

それでも、春には旧松坂屋がリニューアルして、そこに蔦屋書店が出店するという話ですからいくぶんよくなるでしょう。でも、蔦屋書店もセレクト型のお店です。でも、この地区にまず必要なのは、もっとオーソドックスな本屋ではないかと思うのですが、どうでしょう?

これは誤解を招く表現では? と密かに思ってしまうあたしでした

神保町交差点にほど近い、専門書の充実した本屋さん、信山社。

その信山社が破産したというニュース、昨日の朝の朝日新聞で知りました。お休みしているとは聞いていましたが、周辺からも今回の件については何の情報も、噂話も入ってこなかったので、あたしにとってはまさしく青天の霹靂、驚き以外の何ものでもありません。

で、各種ニュースでも伝えられていますが、多くの人が見ていそうなYahoo!のキャプチャーが上の画像です。

岩波の書籍扱い 信山社が破産

このように書いてあります。どうでしょう? 一般の方はそれほどこのニュースに興味を示さないのかも知れませんが、ここだけを見ると、まるで「岩波書店の本を取り扱っていたから倒産した」みたいな印象を与えませんでしょうか?

いや、信山社と言えば岩波の本、岩波の本と言えば信山社、というのはあたしなどからすると常識に近いものがありますから、そういう多少なりとも知っている人なら「岩波書店の本を多数取り扱っていることで知られた信山社が破産した」と解釈できるでしょうが、上に書いたような誤解を多くの人に与えてしまいそうな表現ですね。

本屋さんの明日、明日の本屋さん

昨日の朝日新聞に載って生きた記事です。

苦しいのは本屋さんだけでなく、出版社も取次も同じで、つまりは業界全体が気息奄々としている状態です。果たして明日はあるのか?

記事の中にもありますが、図書館と本屋の関係というのももっと真剣に考えないといけない問題なんだろうなあと思いますが、これについては出版社もかなり立場が異なるようなので難しいところです。

地域の実情に沿う。店主の思い入れが極めて深い。そんな個別性のある店は今後も求められるでしょう

とあります。「書棚が魅力を放っている鳥取の店」というのはわかります。きっとお客様のニーズを捉え、求められるものをしっかりと並べているのでしょう。

その一方、「農業が盛んな地域に近く、お米や野菜も売る秋田の店」と言われると、結局本は売れないんじゃないか、という気もしてしまうのは、あたしが天の邪鬼だからでしょうか?

文具とか雑貨、喫茶などを併設している本屋が増えている昨今。そういうものの隆盛を聞くと、出版社としては「本に魅力がないから、他の商品で集客を図らなければならないんだよ」と言われているようで複雑な気持ちになります。

コミュ障なあたし

このコンテンツはパスワードで保護されています。閲覧するには以下にパスワードを入力してください。

外は雨?

今日はこれからBOOK EXPO 2016という名の商談会。先日、東京は東京ドームシティで行なわれましたが、その大阪版です。

今日は雨になるという天気予報でしたが、まだ降っていないようです。でも、一日屋内なので関係ありませんが、来場してくれる書店さんは「雨だから行くのやめた」となってしまうのでしょうか?

まあ、とりあえず6時まで、ほどほどに仕事します。

三連休ですが、なにか?

明日から三連休。

羨ましいなあ、という書店員さんの声が聞こえます(汗)。

基本的に、あたしの場合、お休みの日は自宅に引き籠もっていることが多いです。

特に行きたいところもなければ、したいこともないので……

いわゆる無趣味ということですね。

休みの日は、本を読んだり、録画しておいた映画を見たり、PCをいじっていたり、そんなことしかしていません。

ごくごく稀に、展覧会を見に出かけることもありますが、混雑が嫌いなので朝一番で出かけ(人気の展覧会は開門前に並んでいる人がいます!)、昼前には帰宅するという、いたって健康的な過ごし方をします。

最近行って見たいと思っているのは、「ダリ展」ですね。これは既に前売りを買ってあるので、あとは行くだけです。

東博の「平安の秘仏」「」はどちらも行ってみたいと思っていますので、これは一気に一日で消化しようと思っています。

やはり宗教的な物が好きなのでしょうかね、あたしって。

で、この三連休に出かける予定はもちろんなく、あすはとりあえず自宅で書棚の組み立てと部屋の模様替えの予定です。日曜日はダラダラ過ごすと思いますが、月曜日は夕方から東京外国語大学の「手をつなぎ合う文学 「多」としての言語と翻訳」で、書籍の会場販売に出かけてきます。

わが家からは近所なので楽なのですが、夕方というのが……

休日の夕方って、あたしの場合、早々とお風呂に入って、のんびり過ごす時間帯なのですよね(汗)。

今年こそ? 今年も?

今朝の朝日新聞に載っていました。ノーベル賞の季節ですね。理系は、このところ日本人が大活躍ですが、さて果たして文学賞は?

あたし地震は、村上春樹は読んだことがありませんし、他にも読みたいものがいくらでもあるので、あえて読みたいとは思いませんが、世間の期待値は膨らむばかりです。が、それに比例するように、「やっぱり取れないんだろうな」という気持ち(世間の冷めた目?)も大きくなっているような気がします。

 

個人的には、ハルキ訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が売れて、あわよくば『ライ麦畑でつかまえて』も売れてくれればラッキー、という思いはあります。しかし、そもそもサリンジャーが取ってないですし……

村上春樹が受賞するか否かに関わらず、こうして書店店頭が賑わって、お客さんが増えて、売り上げが少しでもアップするのであれば、業界にとってよいことだと思います。この数年、海外の作品の受賞が続いていますが、だからでしょう、なかなか日本人の手が伸びにくい面があります。特に邦訳作品の多い作家ですと、売れ行きが分散してしまったりもします。

さて村上春樹の場合、既にこれだけ売れている、別にノーベル賞を取らなくてもこれだけ売れているわけですから、取った場合、いわゆる「化ける」可能性はどれくらいあるのでしょうか?

ある書店員さん曰く、まだまだハルキを読んでいない読者は多いから、受賞を機に読んでみようという人はかなり多いはず。

確かに、これだけ売れていても、日本人全体で見たら、読んだことない人の方が多いはず。そういう人が「じゃあ、読んでみるか」と思ってくれたら、かなりの数になると思います。

また別の書店員さん曰く、これまでハルキを読んでなかった人がノーベル賞を取ったからといって、果たして読むようになるだろうか。ハルキはアンチも大勢いるし……

この意見もごもっとも。もう少し、ハルキほどは売れていない作家が受賞した方が、受賞後の「伸び代」はあると思います。

ただ、ただですね、非常に悲観的なことを書くようで申し訳ないのですが、そもそも今の日本人って、どれくらい本を読むのでしょう? ノーベル賞で世間が騒ごうが、日常的に本を読まない人が今の日本では圧倒的なのではないか、そんな気もするのです。

それでも、この業界にいますから、ノーベル賞でもなんでもいいから、本を読むきっかけが起こせれば、とは思っています。

退職のご挨拶

突然ではありますが、今月いっぱい(9月末)をもって退職することになりました。実際には今週いっぱいの出社で、来週からは有給休暇の消化のため籍はありますが出社はいたしません。

本来なら参上の上きちんとご挨拶すべきところ、このようなウェブ上でのご報告をもって換えさせていただくこと、ご寛恕いただければ幸いです。メールでご報告とも思いましたが、BCCでもメアドを入力するのが大変でしたので(途中までやってみました……)断念いたしました。

退社後の身の振り方ですが、まだいろいろと都合もあり、正式に決定するまでは申し上げることはできませんが、この業界からは離れます。不景気で売り上げとして苦しい業界でしたが、仕事自体はたくさんのすばらしい人との出会いにも恵まれ、楽しくやれたこといまさらながら感謝申し上げます。

上述のように、異なる業界に移る予定ですので、今後はお逢いできる機会もほとんどなくなってしまうかと思いますが、どこぞで見かけたときには、無理に声をかけていただかなくとも構いません。

近況はこのダイアリーで、これまでどおり伝えられればと思っております。あらためまして、これまでありがとうございました。

続きを読む