読まないといけないわけではないけど……

今朝の朝日新聞の「声」欄にこんな投稿が載っていました。

この質問(?)に対して、出版社や書店の人間はなんと答えるのでしょうか、否、なんと答えるべきなのでしょうか?

時に言われることですが、学校の読書感想文の宿題が読書嫌いを作っている、という意見。

あたしは子供のころから読むのも書くのも好きだったので、それほど読書感想文を苦にした記憶はありませんが、確かに書かなくてはならないのは面倒ではありました。しかし、だからといってそれで読書が嫌いになったりはしませんでした。

昨今の「朝の読書」運動が本嫌いを生みだしている、という意見があります。これも読書感想文と同じことで、やはり強制されると反発してしまうというのは子供のサガなのだと思います。

ただ、朝の読書について言うなら、それに熱心に取り組んでいる学校は模試などの成績が上がっている、確実に学力の向上に結びついているという調査結果もあるそうです。となると、ある程度強制でもやらせることには意義があるのかもしれません。

読書以外にも愉しみはあるし、学べる機会もあるという投稿者の意見は確かにその通りです。ただ、他にあるからこれはイヤ、という態度はどうなのでしょうか? 例えば受験勉強。何のためにやるのかと問われれば大学や高校に合格するためという答えが用意されていますが、ではその勉強内容はその後の人生で役に立つのかと問われると、確かに実生活では直接役に立っていないものが多々あります。

でも、強制的にでも一定量以上の知識を教え込まないと、社会で生きていく上での最低限度の知識が身につかないとも思います。人間誰しも習ったことをすべて覚えていることは不可能で、かなりの部分を忘れてしまうものです。生きていく上で100の知識が必要だとして、その100を身につけるためには300とか400の知識を学ぶ必要があると思います。そういう知識を得るのに、実は最も効率がよいのは読書だと思います。

そして受験勉強が最たるものですが、たとえ嫌なことでも我慢して、歯を食いしばって、自分をそれに追い込んで、一定の期間やり続ける体験というのは、その後生きていく上で必ず役に立つと思います。自分はあれだけ頑張れたのだから、という体験は貴重ではないでしょうか?

あたしはそんな風に思うのですが……

で、話は戻って読書ですが、読みたくなければ読まなくてもいいでしょう。そうやって本を読まないでも生きている人、むしろこの世の大多数の人がそうでしょうから。

イマドキ本屋事情@朝日新聞

今朝の朝日新聞にこんな記事が……

八戸の市営書店については、既に何回が紙面でも取り上げられたことがあったように記憶していますが、改めての記事のようです。

盛岡のさわや書店のことも載っています。

この記事の中に

本を読む人だけに訴えてもダメ

という言葉があります。さわや書店の田口さんの言葉です。昨今の流行だと、カフェなどを併設し、つまり「本」以外のもので訴求力を高めようとする傾向が強く感じられますが、文庫Xは本そのもので勝負したところがスゴいと個人的には思います。

結局、最後は電子?

朝日新聞の連載、最終回。

最後の希望は電子書籍なのでしょうか? そんな印象を受けました。しかし、ビジネスモデルとして成立しているのか、いまだにそういう不安を持っているあたしは周回遅れの人間なのでしょうか?

そんな今朝の朝日新聞にもう一つ、電子化や全文検索の著作権法改正だそうです。法律のことは小難しくてよくわかりませんが、著者の権利も大事ですが、ユーザー側のことも考慮してもらいたいところです。結局、著者や出版社のことばかりを考えすぎて、使い物にならないでは洒落になりませんからね。

明るい未来が見えてこない

朝日新聞の連載、その三。

幻冬舎の取り組み。

別に幻冬舎がどうのこうのというのではなく、記事を読んでみても出版界の明るい未来が見えてこないのはあたしだけなのでしょうか?

頑張れ、ヤングアダルト!

新刊のそば近くに置いてあった冊子というか栞というか、A4判二つ折りのもの。「STAMP BOOKS」とあります。

 
 

岩波書店のヤングアダルト小説のシリーズのようです。既に何店も刊行され、最近また新刊が出ているのですね。この中の『アラスカを追いかけて』は、かつてあたしの勤務先から出ていたもので、訳者も代わって岩波書店から先日復活したばかり、ということは既に書きました

その時は気づいていなかったのですが、「STAMP BOOKS」と言うシリーズがあったのですね。装丁に必ず切手があるのがシリーズの目印でしょう。このチラシの表紙には

等身大のティーンが主人公の,心に響く物語を選りすぐった,10代からの海外文学。

とあります。中高生向けのシリーズという位置付けのようです。もちろん大人の鑑賞にも十分堪えるものばかりでしょうが、あたし、どれも読んでことありません(汗)。

それはともかく、これまで、このようなジャンルについては「ヤングアダルト」という呼び方がありました。と言いますか、今もあります。アメリカの書店や図書館では「Young Adult」という表記は普通に見られるもので、日本でも洋書売り場などでは目にすることができます。

しかし、日本では、日本語ではと言った方がよいかも知れませんが、この「ヤングアダルト」という単語、なかなか定着しませんね。どうしても「アダルト」という部分に風俗的なもの、いかがわしいものを感じてしまうのが敬遠される大きな理由のようです。

それでも図書館などへ行けば「ヤングアダルト」というコーナーはあったりするのですが、書店ではまず見かけません。ヤングアダルト出版会という団体が熱心に活動していますが、書店店頭に「児童書」「ライトノベル」というプレートは見かけても、なかなか「ヤングアダルト」という表記は目にしません。

で、あたし個人としてはヤングアダルトという言葉が根付くか根付かないかということよりも、若い世代に読書という習慣が根付くか根付かないかということの方が気になるので、岩波書店が、あえてなのかは知りませんが、「ヤングアダルト」という単語を使わず「10代からの海外文学」という謳い方をしているのは、それなりに意図があることだと思います。

なにかズレているような気がするのはあたしだけ?

昨日の朝日新聞夕刊の社会面に載っていました。

今年は年末年始にも取次の配送業務があって、新刊が書店店頭に並ぶのだそうです。記事の中にある

書店からは「この時期ほかのお店では福袋などでお客を呼び込むのに、品ぞろえが変わらないのは書店だけだ」と、本を手に取りやすい正月休みに新刊を求める声が上がっていた

という部分が気になります。前提として15年の正月発売した文春がよく売れたということですが、「問題はそういうことなのかな?」という気がします。

「品そろえが変わらない」とありますが、本屋って他のどんなお店よりも多種多様な商品が並んでいるものだと思います。品揃えが変わらないなんて言ってないで、もっと並べ方を工夫するとか、棚差しになっていた本を目立つところに持ってくるとか、やりようはいくらでもあると思います。単に新刊を増やしただけでは、問題の本質的な解決にはならないのではないか、どこの業界で飯を食べているあたしが言っても説得力がありませんし、天に唾する感じですが……

そもそも年末年始にららぽーとのようなショッピングモールに出かけて感じるのは、「品ぞろえが変わらないのは書店だけ」ということではなく、「割引きセールをやっていないのは書店だけ」ということです。

業界人という立場を離れ、一般の消費者、一人の客として眺めたときに、あれだけどの店もセール、セールと大売り出しをしている中で、1円たりとも割引販売をしていない書店の違和感、不自然さは際立っています。やれ再販制がどうの、出版は文化だ、などと言われますが、そんなのは消費者にとってはどうでもよいことで、年末年始のショッピングモールで客観的に売り場を眺めれば、「この業界おかしい、ヘンだ」と思う方が自然なのではないでしょうか?

 

いまだ解決せず?

今朝の朝日新聞の記事です。

まあ、アマゾンに関しては言いたいことは山ほどある、という方も多いと思いますが、今回の件はあまりにも不誠実、嘘つきや詐欺と言われても仕方ないでしょうね。

それにしても記事の中で

紙の本も電子書籍も、ネット書店からの『オススメ』がなければ読者に情報が届きにくく、存在していないのと同じ状況になる

という福井弁護士の言葉が気になります。本の好きな人は、自分からいろんなサイトを回って情報を集めていますが、確かにその他大勢の一般の人はそこまでしないですよね。そして本を調べるにはアマゾンのサイトで、なんていう人がほとんどでしょう、そうなると、アマゾンのサイト、それも上位に載っていないと「無いも同然」ということになってしまうのもわかります。グーグルの検索結果で1ページ目に出て来ないとダメだと言われるのと同じ構図ですね。

しかし、果たしてそんな画一的な情報入手方法だけでよいのでしょうか? ここまでパソコンやネットが普及した以上、小学生からの情報教育を根本的に考えないと、将来の大人が恐ろしいことになっていそうです。

フツーはダメ、やはり特化すべきなのでしょうか?

今朝の朝日新聞です。

本に出逢う場として本屋さんの特集です。主に個性派書店を特集していますね。少し前に「フツーの本屋」があって欲しい、というようなことを書きましたが、しかし、この時代に本屋が生き残るには個性派でないとダメなのでしょうか? それでも品揃えで個性を演出するのはよいとして、雑貨や喫茶を併設することが「個性的な本屋」なのかと問われると、ちょっと首をひねりたくなります。もちろん、本屋でもなく、本屋をやったこともなければ本屋で働いたこともないあたしなんかが偉そうなことは言えませんが……

それでも、こういう個性的な本屋、果たしてどの程度生き延びられるのでしょうか? 東京や大阪などの代としてであれば、テレビや雑誌で話題になっても、それなりにお客が来てくれるでしょう。新幹線で東京や大阪と結ばれている大きな都市でも、そこそこは頑張れると思います。しかし、それ以外の地方都市ではどうなのでしょうか?

そもそも人口が少ないわけですから、個性よりも日常的に使える本屋の方が必要とされているのではないでしょうか。新幹線との絡みで言えば、どんなに個性的な本屋でも、通過する新幹線の方が多いような駅では、状況はかなり厳しいのではないでしょうか。フツーの書店がフツーに商売をして成り立つなんて、夢のまた夢なんでしょうか?

そんなことを考えながら眺めていた朝日新聞ですが、上のような記事もありました。本屋ではなく居酒屋の話題です。まったく異なる業種ではありますが、こちらも特化型の居酒屋が増えているとのこと。メニューを特化させるというのは、本屋で言えば、コミックを充実させるとか、絵本の品揃えを頑張るとか、そういうところと通じるものがあるような気がします。どの業界も、特化したものが流行るご時世なのでしょうか?

そういえば、百貨店の衰退も言われて久しいですね。何でもある百貨店ではなく、電化製品やパソコンなら家電量販店、日常的な衣類ならユニクロやしまむらとか、家具だったらニトリやイケヤといった具合。結局、ある程度何でも揃えておくというモデルは、コンビニ程度の大きさでなら持続可能なのでしょうか? かくいうコンビニだって、置くアイテムはかなり綿密に計算されているわけですが……

そんな中、ホッとする記事は上の写真。須賀敦子さんの特集です。

  

 

ミラノ霧の風景』『コルシア書店の仲間たち』『ヴェネツィアの宿』『トリエステの坂道』『ユルスナールの靴』のUブックス、須賀敦子コレクションを是非どうぞ! Uブックスは単行本ほどは大きくなく、文庫本よりは大きいので、手にフィットして読みやすいと思います。