広島に来ています。
もちろん仕事です。
ここのところ、数年おきに来ている気がします。
こちらの地区は、営業担当になったことはないですが、なぜかなじみの土地になりかかっている感じがします。
そそろそろ関西担当から中四国担当に変更かしら?
明日は広島から福山経由で倉敷へ向かいます。
旅行やお出かけに関する話題
昨日の土曜日、松戸へ行きました。松戸に何があるのかと言いますと、親戚や知り合いが住んでいるわけでも、そこでイベントがあるわけでもなく、実はお見舞いでした。
先日、母の姉の旦那さんが亡くなったということを書きましたが、その折りに、こんどは母の弟、つまりあたしの叔父さんが入院しているということを知りまして、急遽母とお見舞いに行ったのです。
さて、あたしが住む小平から、病院は常磐線の北小金の駅の近くなのですが、ふつうに考えれば西国分寺からグルッと武蔵野線を使うのがわかりやすいところですが、今回は自家用車です。新小岩に住む母の姉(あたしの伯母)のところに寄って、その伯母さんを拾って松戸へ向かいました。
その行程、カーナビによると調布から中央道に乗って首都高4号線、新宿から中央環状線で池袋、板橋、千住を経由して平井大橋で下りました。伯母さんを乗せての松戸行きは割愛。帰路も伯母さんを新小岩の家まで送り届け、平井大橋から高速に乗り、またもや千住、板橋、池袋と回るのかと思いきや、なんと四ツ木を越えると首都高6号線に入り、箱崎、竹橋、三宅坂から4号線という経路で中央道の調布まで来るというルートでした。
往路と復路で経路が異なることに驚きました。特に料金優先とか有料道路優先という設定をしているわけではないので、単純に行きの時は都心部が混雑していたのでしょう。帰りの場合、地図を見るとどっちのルートを通っても距離に大きな差があるようには感じられませんでしたが、久しぶりの都心の首都高を味わいました。
そう言えば、その前の伯父さんの通夜の時は用賀にあるセレモニー会館まで行ったのですが、これも往路は調布で乗って高井戸で下り環八をひたすら南下というコースをナビゲートされましたが、復路は環八を北上し、甲州街道を西へ、途中で何回か曲がりながら東八道路を西へ向い新小金井街道を北上というコースでした。
これは高井戸からは中央道方面へ入れないという事情があるので、永福まで迂回させるよりは甲州街道をそのまま西へ向かった方がよいというナビの判断なのでしょう。
ナビもいろいろ考えているのですね。そう感じた二日でした。
関西ツアー中です。梅田をベースに神戸、京都にも足を延ばしています。その場合、JRを使うこともありますが、それよりは阪急電車を使うことが多いです。姫路まで足を延ばすときはJRなのですが、阪急電車にも山陽電鉄が乗り入れていて、三宮で姫路行きの電車を見ることもあるので、これで行ったらどれくらい時間がかかるのだろうか、などと考えたりもします。
さて阪急電車です。
『阪急電車』のことではありません。あくまでも実際の電車のことです。それにしても、阪急電車とか阪神電車、京阪電車と、関西の私鉄は「電車」という言い方が多いですね。東京ではほとんど聞きません。東京なら東急、小田急、京王、京成が電鉄、西武、東武が鉄道と言うのが普通だと思います。あれっ、京急は何でしたっけ?
それはさておきその阪急電車ですが、なぜホームの数え方は何号線と言うのでしょうか? 阪急以外は何番線と言っている気がします。阪急だけが「号線」を使っていると思います。これがどうも慣れません。
慣れないと言えば、阪急電車は発車間際のアナウンス、「何号線、ただいま発車します」と言います。この「ただいま」がやはり気になります。東京ではそんな言い方はしないと思います。「何番線、まもなく発車します」といったところでしょうか? 「まもなく」も言わないかも知れませんね。
こういう東西の違いに多少戸惑いながらの関西ツアーです。
書店回りの途次、地下鉄駅で見付けました。
東京メトロのガイドです。左から英語版、中国語(簡体字)版、中国語(繁体字)版、韓国語版です。詳しくない方のためにお節介がてら書いておきますと、簡体字は中国大陸で使われている漢字、繁体字は台湾や香港で使われている漢字です。
さて、この四か国語のガイド(パンフレット?)はありましたが、それ以外は見当たりません。このようなパンフレットはこの四か国語しかないのでしょうか?
メトロのサイトを見ますと、この四か国語の他にタイ語のページも用意されているようです。路線図だけならスペイン語、ドイツ語、フランス語、ロシア語も用意されているようです。なのに、実際に駅に置いてあったパンフレットはこの四か国語だけ。来日者数を見る限り、これが正解、費用対効果的にも割に合うのはこのくらいなのでしょう。
しかし、あたしの勤務先的には、やはり仏独西あたりが揃っているのを見たいところですね。
昨日は、一日、群馬県へ行って来ました。
おいおい、群馬ってまさか?
と、元プロ野球選手の件で、なにかと名前の出る地ではありますが、それとは全く関係ありません。仕事です。確か、今回の事件は群馬と言っても太田が舞台だと聞きました。あたしが訪ねたのは高崎と前橋ですので、同じ群馬とは言っても場所が異なります。
さて、高崎と言えばサル、と思ったあたしは浅はかでした。サルで有名な高崎山は高崎市にあるわけではないのです。大分県ですよね。もちろん、負け惜しみではなく、ずっと前から知っていましたよ、ホントに。でも、ここはあえてダジャレで、こんなネクタイで出かけてきました。
四猿のネクタイです。いやー、たぶん高崎の人、誰も気づいてくれなかっただろうなあ、と思います(爆)。でもって、群馬と言えばサルではなく蛇ですよね? 蛇センターがありますから!
えっ、蛇センターを知らない? まあ、蛇って嫌いな人も多いですから、そんな方には蛇センターなんて行くのも聞くのもイヤなことでしょう。でも群馬県にはありますから、蛇センター。これが太田市にあるわけなので、話はまたシャブに戻ってしまう感じです(汗)。
もちろん昨日は蛇センターにも行ってません。高崎や前橋から太田へはそれなりに遠いですから、とても回りきれるモノではありません。というわけで、お仕事の話も少しだけ……
研修旅行の三日目にして最終日。讃岐高松で朝を迎えました。
この日も出発までに少し時間がありましたので、ホテルから歩いて15分ほどのところにある高松城を見学に行ってきました。高松城というよりは、玉藻公園ということになっているらしいですが、やはり城好きですからここは高松城と呼びたいです。
港沿いの道に沿って城の北側を歩くと石垣や櫓が見えてきます。高松城は日本でも有数の水城ですから、やはり海の側が似合うと感じます。
更に歩くと立派な櫓と門が見えてきます。月見櫓に水手御門というらしいです。ここの前を過ぎて西門までやってきて入場、いや登城です。
二の丸後から本丸へと向かう橋(の屋根)、その向こうに天守台が見えます。この橋を落とせば、天守には踏み込めなくなるようになっています。しかし、ここまで攻め込まれていたら、外から援軍が来ないかぎり戦は負けでしょうね。
そして上の写真が天守台です。建物は何も残っていませんが、こういう石垣にロマンを感じたりもします。この日は老夫婦が手を繋いで散歩をしているのを見かけました。微笑ましい光景でした。
城内を巡ってきて、大手門から外へ出ました。振り向いて撮った上の写真は艮櫓。
城のすぐ脇を琴電が走っています。艮櫓と一緒に収めてみました。われながら、よい構図で撮れたのではないかと思っています。
この他、高松では昼食後に栗林公園を見学したのですが、生憎とカメラをバスの中に置きっ放しにしてしまい一枚も写真が撮れませんでした。が、目に焼き付いている風景では、中国史マニアなので「赤壁」がよかったですね。本家本元の赤壁には行ったことありませんので、ささやかながら高松で行った気分を味わいました(汗)
研修旅行の二日目は松山の書店を巡って、夕方には高松へ向けて出発しました。市内を動く道すがら、近くに遠くに松山城を眺めながら、「ああ、時間があったら登りたい」と思っていました。やはり城のある街はいいですね。
そんな松山での昼食が下の写真です。松山の名物らしいですが、鯛そうめんです。五志喜というお店でいただきました。もっと生臭いものかと思っていましたが、非常に丁寧に調理されていて、身もほぐれやすく美味でした。
そう言えば、初日の昼は広島のお好み村でお好み焼きをいただいたのでした。あたし、紅しょうがが嫌いで、大阪のお好み焼きは食べられないのです。しかし広島のお好み焼きは紅しょうがも入っていなくて、とても美味しくいただけました。ちなみに、紅しょうががダメですから、大阪ではたこ焼きも食べません。
さて、まだ明るい時間ですが高松へ向かう列車の時間です。松山は松山市駅の周辺が賑やかで、JRの松山駅はなんとなく寂しい感じです。そんな駅前を象徴するかのような建物がありました。「駅前スタジアム」とありまして、もう見た目でわかるとおり、バッティングセンターですね。
駅前の一等地の使い方として、これは正しいのでしょうか? 謎です。
そして、高松へ向かう特急がこちら。いしづち号です。
おわかりになりますでしょうか? 車体にはアンパンマンのイラストが描かれています。JR四国ではいくつもの「アンパンマン列車」が走っているそうで、そのうちの一つに乗ることができました。地図で見ると松山と高松はかなり距離がありますが、乗っていた印象では比較的早く着いたと感じました。乗り心地も悪くなかったです。振り子電車だったようですね。
というわけで高松到着。高松も路面電車と言いますか、可愛らしい電車が走っている街です。それに城もあります。松山と高松、どちらもそれほど大都会ではなく、かといって寂しい田舎でもなく、食べるものも美味しく、暮らすにはよさそうな街だと感じました。
あえてどちらかを選ばなければならないとすれば、高松城よりは松山城の方が好きなので、それに道後温泉もあるので松山に軍配を上げます。
道後温泉の本館を一巡りし、ホテルへの帰路、途中にこんな神社がありました。伊佐爾波神社と言うそうです。
由来などは上の写真の看板を読んでいただくとして、見えにくいようでしたら同社ウェブサイトもご覧ください。かなり由緒のある神社のようですね。
ホテルの前の道を、玄関を出て右へ進むと、上の写真のような階段に突き当たります。かなりの高さ、段数です。ここを登って汗をかいたら、道後温泉でひとっ風呂浴びたいところですね(笑)。あたしもすたこらと登りました。
入り口の看板を読んでいたので、もう少し大きなものを想像していましたが、社殿は至って素朴、それほど大きいものではありませんでした。いや、神社なんて本来こんなくらいでよいのでしょうね。朱塗りで、かなり立派な建築ではありますが
回廊に沿って一回り。斜めの角度からも写真を撮ってみましたが、ちょっと逆光になってしまいました(涙)。
境内の外れに手水があり、上の写真のような「つかいかた」の看板が下がっていました。なぜ文字だけでなく、こんな美少女のイラスト入りなのか、謎は深まるばかりです。