Aか、Eか?

何のことか全くわからないタイトルかと思います(汗)。

あ、その前に7泊8日のツアーから帰京しました。やはり自宅に帰り着くとホッとします。

で、タイトルです。これは新幹線の座席の番号のことです。

新幹線は在来線の特急よりも車体が大きいからなのでしょう、一列が5人掛けです。ですから、ABCの3人席と、DEの2人席とに分かれます。新大阪からの帰路、夕方、5時台、6時台は本数も多いのですが乗る人も多く、新大阪駅に着いてから指定席を買おうと思っても、一時間くらい先の列車、というのはざらにあることです。

ですから、あたしは前日までには、ある程度書店回りのスケジュールを勘案して、あらかじめ指定席券を購入しています。その指定席券を購入する場合に機械で操作するのですが、座席を選べます。この時に悩むのです。

Eの席を選ぶと通路側にはD席しかありませんから、途中でトイレなどに立つときでも簡単です。でもA席ですと、BC席を越えて通路に出るのでちょっと面倒で、トイレを我慢してしまうこともあります。が、新幹線の座席の売り方として、自動に振り分けていくと、どうやらB席が一番最後になるようです。なので、E席を選んだ場合、D席に他の客が座る確率は非常に高いですが、A席を選んだ場合、B席に誰かが来る確率は多少は低くなります。

2時間半近い乗車時間、すぐ隣に知らない人が座っているのと、いないのとでは疲れも異なります。「そんなに神経細やかな人だったっけ?」と問われると返す言葉もありませんが、隣は誰も座っていない方がよい、というのは皆さん同意してくれるのではないでしょうか? もちろん仲の良い人との旅行は別でしょうが……

となると、通路にも出やすいE席を選ぶよりも、B席が空席になる確率が高いA席を選んだ方が、トータルでの乗り心地はよくなるのではないか、そんなことを考えていました。実際、E席を選んでD席に誰かが乗ってくる場合と、A席を選んでB席は空席のままなのとを比べれば、どちらが気楽かは一目瞭然だと思います。

が、上にも書いたように夕方の東京方面行きの新幹線はとにかく混んでいます。たまに「あれ? 今日はなんか空いている」というときも無くはないですが、それは偶然であって、基本は混雑しているものです。となると、B席が埋まる確率は高くなります。AからEまですべてが埋まった場合、E席とA席とでは心理的な圧迫感はかなり異なります。それならE席の方がいいや、と思います。

B席が埋まるか埋まらないか、それは天のみぞ知る、ですから、毎回指定席券を購入するときは悩むのです。

ようやく、檸檬?

関西ツアー中です。今日は京都を回りました。

京都と言えば、この夏オープンした丸善が東京でも話題の中心でしたが、オープン時から早数ヶ月、ようやく初訪問を果たしました。

とりあえず建物は以前のBALと似た雰囲気があります。「うん、確かにBAL」という感じです。ただし、かつてのジュンク堂書店はその上の方のフロアに位置していたのですが、今回は地下一階と地下二階です。以前のコミック売り場ばかりを利用していた人なら違和感はないでしょうが……

で、お店はどうなのよ? という疑問もあるかと思いますが、担当の方はBAL時代、そして朝日会館時代から引き続きの方が多いので、こちらとしてはやりやすいです。お店の感じも確認できたので、これからはより効果的な案内ができるのではないかと思いますし、それができなければ営業として失格でしょう。

お店は広いですが、ジュンク堂をいくつも見ている目からすると、格段に広いという感じはしません。ただ丸善なので文具売り場が充実しているなあ、と感じますし、洋書売り場も京都では圧巻の規模ではないでしょうか。外国人観光客も多い京都なら、知れ渡れば、そういうお客の来店も増えるのではないでしょうか?

しかし、そんなことよりも京都の方が口を揃えて言うのは、河原町通の衰退の方が気になります。あまりにも東京と同じようなチェーン店ばかり、コンビニやコーヒーチェーンが軒を連ねている感じがします。もうちょっと京都らしいお店がないと、瓦町通へ人が来なくなるのではないか、という気もします。別にお土産物屋の話をしているのではありません。和雑貨とか漬け物とか和菓子とか、そういうお店がもっとあってもよいのに、そう感じます。

四条通も似たような感じと言えますが、それでもちょこちょこと昔からのお店も残っているので、観光客や地元の人で賑わっていますが、河原町通はこれからどうなるのでしょうか? 丸善と新しいBALがきっかけとなってまた京都らしさを取り戻していくのでしょうか?

いや、でも京都の人間でもないのに偉そうに言えませんね。そもそも京都らしさって何なのよ、と聞かれても、スパッと答えられるわけでもありませんし。

情けない。

神戸はお洒落?

昨日、人文会の研修旅行を高松で終え、岡山経由で神戸へ入りました。今日から水曜まで関西ツアーです。

関西ツアーの場合、これまであたしは梅田に宿泊し、そこをベースに京都や三宮へ営業に出かけていく、という出張でしたが、この秋はいつものホテルが既に予約でいっぱいでした。仕方なく昨夜と今夜は三宮と新神戸の中間あたりにあるビジネスホテルに泊まっています。そして明日から3泊は梅田に泊まりますが、これもいつものホテルではありません。

いろいろな人と話しても、この秋は各地でホテルの予約が取りづらくなっているようです。爆買い中国人の影響とも言われていますが、確かにそれも一因なのでしょう。今後は秋だけでなく、どの季節もホテルが取れなくなるのか、そこだけが心配です。

さて、そんなわけで三宮に泊まっているのですが、夕食は元町の大丸の惣菜売り場へ行きました。このところうめだ阪急百貨店ばかりだったので、正直なところ少し飽きていました。なので今宵は非常に新鮮でした。ふだんとは異なる売り場なので、惣菜にしてもスイーツにしても、目移りしてしまいました。そして梅田とは街を行く女性が違いますね。おしゃれと言いますか、きらびやかと言いますか、ちょっとお嬢様っぽい感じもします。

さあ明日からの梅田泊、梅田の大丸へ行きましょうかね。

栗林公園

本日で研修旅行も最終日。高松市内の書店を訪問しました。

その間、昼食の後、少し時間があったので駆け足で、高松が誇る名園、栗林公園を見学しました。本当に駆け足で、園内のほんの一部だけを見たに過ぎませんが、とても素敵な庭園でした。さすが徳川御三家に連なる高松藩です。園内の赤壁が、中国好きにはちょっと心打たれましたね。機会があれば改めてゆっくりと再訪したいものです。

そして明日から水曜までの5日間、あたしは関西ツアーです。

水の城

出発まで時間に余裕があったので、ホテルから徒歩15分ほどの高松城へ行ってきました。

高松城よりも玉藻公園の方が呼び名としてはよいのかもしれませんが、城好きとしてはやはり高松城と呼びたいです。

 

写真などは帰京後改めてアップするとして、取り急ぎご報告まで。

住んでみたいかしら?

相変わらず研修旅行中です。

二日目の今日は、昼下がりまで松山市内の書店訪問。松山の書店はどこも初訪問なのでとても新鮮な体験でした。

そんな松山。

適度に賑わいがあって、緑も多く、路面電車が走り、道後の湯もあり、なんてったって松山城が聳える素敵な街という印象です。住んでみたいかと問われれば、とりあえず仕事があるかどうかといった問題を度外視すれば、かなり食指が動きます。

松山城に毎週登る習慣をつければ、足腰もかなり鍛えられそうです。でも、食べ物も美味しそうなので、運動不足解消と相殺になるか、あるいは食欲が上回るか……(^0^;)

広島、そして道後温泉

研修旅行で広島から道後温泉へとやって来ました。もちろん羽田から飛行機で飛び立ち、広島市内の書店を訪問した後、高速船で松山へと渡ったわけです。広島はこの5、6年のうちに数回来ていますが、松山は本当に久しぶりです。

今を遡ること三十数年前、あたしが小学校6年の時のこと。当時、松山に住んでいた親戚を訪ねて家族4人で旅行に行ったのが、後にも先にも唯一のあたしの松山体験です。その旅行は、大晦日に当時大流行のブルートレインで東京を発ち、翌朝早く広島着、そのまま船に乗り換えて松山へ向かうという行程でした。ブルートレインの名称は忘れましたが、たぶんあさかぜだったと思います。船は今回ほど高速のものではなかったと思いますが、それほど時間がかかったような記憶もありません。

松山港には親戚のおじさんが迎えに出てくれていて、おじさんの車で家に向かいましたが、その家がどのあたりにあったのか、幼い記憶ですから全く覚えていません。数日の松山滞在で道後温泉や松山城、石手寺などを見て回り、砥部焼の色付け体験などもしたのを覚えています。あと、道後温泉街に「トルコ」というネオン看板が乱立していたのは鮮明に覚えていますが、当時のあたしは国の名前のトルコしか知らない状態でした。

そんな松山を久しぶりに再訪したわけですが、夕方についてホテルへ直行したので、どんな街なのか、まだわかりません。

佐竹氏の居城

秋田旅行の三日目にして最終日。

二日目の午後は創業者の故郷から一気に北上して秋田市へ入り、市内のホテルに投宿。翌三日目は自由行動でした。そこでとりあえず、朝の涼しいうちに久保田城を見学してきました。城好きなら当然の行動です。

まずはお濠に咲いていた蓮です。見事です。きれいでした。行ったことはありませんが、極楽に来ている気分でした(笑)。

そして大手門から城の中へ。ちなみに、地元の人には久保田城というのと千秋公園というの、どちらの方が馴染みがあるのでしょうね? お城としては久保田城ですが、それを含めて一帯が公園として整備され、それは千秋公園と呼ばれているわけですが……

上の写真が表門です。なかなか堂々として立派な門です。

上の写真は表門のすぐ前まで来て撮った写真です。

そして上の写真が、城内で一番高いところにある御隅櫓です。もちろん再建したもので、現在は最上階が展望台で、下層階は資料館です。入場料100円なので、資料自体は大したものは置いていません。むしろ映像などでわかりやすく城の歴史、秋田版の歴史を紹介しているという感じですので、歴史に強くない人にはこのくらいがちょうどよいのではないでしょうか?

更に御隅櫓です。

上の写真は千秋公園内にある弥高神社です。

もう少し正面から取ってみた弥高神社です。

もう一度城内に戻って撮ったのが上の写真。大賀ハスです。大賀ハスは千葉から広まったと思うのですが、こんな北の大地にまで株分けされていたのですね。

さて、御隅櫓の最上階、展望室からの眺めです。遠くにうっすら見えているのが男鹿半島なんだそうですが……

欄間に展示してある図で確認してみてください。

上の写真は千秋公園からちょっと歩いたところにある、旧金子住宅です。100円で隣の民俗芸能伝承館ともども見学できます。座敷に上がれるのが嬉しいです。

屋根の上の天水甕(てんすいがめ)が特徴なのだそうです。

揺籃の地へ

秋田旅行、二日目の午後は角館から南下しました。

秋田県の南部と言うのでしょうか? 雄物川の地は横手市に属するのですよね? とにかくそこがあたしの勤務先の創業者が生まれた土地です。そこの雄物川図書館には、あたしの勤務先の書籍をこんなにたくさん置いてくださっています。

紀伊國屋書店やジュンク堂書店でも、これほど揃っていないのでは(汗)という蔵書量です。

こんな紹介文も掲示されています。幼少のころから、これだけあたしの勤務先の書籍に触れていたら、いやでも脳みそにすり込まれるでしょうね(笑)。たとえ借りなくても読まなくても、日常的に目にしているだけでも違うと思います。そしていつの日か、これらの書籍に手を伸ばしてくれる日が来ることを願っています。

図書館を後にして創業者の墓所へ参詣しました。現当主の方と合流して、皆で手を合わせました。100年を無事迎え、101年目からの飛躍を誓ったのか、それとも助力・加護を願ったのか……(汗)

その後、創業者の故居、もちろん建物は当時のものではありませんが、そちらへ伺い、古い資料などを見せていただきました。歴史の重みを感じます。

そんな故居の庭のデッキ。椅子の上に雨蛙がポツンと。でも、天気はとてもよかったです。

角館の武家屋敷散策

では、先週末の秋田旅行について書きます。初日は昼過ぎに会社を発って田沢湖畔と呼ぶにはかなり遠い山の中のホテルに宿泊しました。結局、その日も翌日も田沢湖はチラッとも見ていません(涙)。それが今回の旅行の最大の心残りでありますが……

そして二日目は午前中に角館を自由散策しましたので、武家屋敷を見学してきました。

まずは松本家です。可愛らしいお宅です。ちょっとした民芸品が置かれていて、係の人が中でそういう品を作っていました。実演ということでしょうか?

上の写真も同じく松本家。タブレットを縦にして撮ったものです。

続いて小田野家

こちらも小田野家。松本家よりも広いですね。

これが小田野家だったか河原田家だったか覚えていないのですが、どちらかです。

これは河原田家だったはずです。

河原田家の玄関です。

そして河原田家の門です。このあたりのお宅はかなり広くて立派なものでした。

上の写真は岩橋家の玄関だったと記憶しています。

そして岩橋家の門。

さて、以上の武家屋敷はすべて無料で見学できるお宅ですが、石黒家青柳家の二軒は有料です。有料だけあって、敷地も広く、建物も大きいのですが、そのぶん観光客も多く、とてもゆっくりじっくり見られるような感じがしなかったので、パスしました。こう言ってはなんですが、茅葺きも相当荒れている感じがしました。

上の写真は今は公民館などとして使っている小野崎家です。この裏に平福記念美術館があります。時間の都合もあり見学はしませんでしたが、河原田家の隣にあった角館武家屋敷資料館は見学してみました。入場料100円の小さな資料館ですので展示も推して知るべしです。ただ、100円分の価値は十分にあると思います。

そして昼食です。

上の写真のようなお膳が用意されていて、これに地鶏親子丼がつきましたが、美味しかったです。

そうそう、その昼食は上の写真のお店、百穂苑でした。なぜこのお店にペルシャ絨毯がこんなに飾られているのか! それは行ってみてのお楽しみです(笑)。