天然なのか計算なのか?

女の子がやると可愛く見える仕草というものがあります。

たぶん、見る人によって可愛く見えるのか否か、評価は分かれるところでしょうし、可愛い子なら何をしても可愛く見える、という面はあるかと思います。

左の写真は、乃木坂46の三期生、大園桃子が少し前に、とあるテレビ番組に出演した時の画面キャプチャです。司会者から質問されて「えーと、えーと」という感じで答えを必死に絞り出そうとしている場面です。

ネットでは「自然とこのポーズができるなんて可愛い」という意見があふれていましたが、いかがでしょうか? あたしは可愛らしく見えましたけど……

そんな場面があったと思っていた矢先、二枚目の写真です。こちらは、けやき坂46の二期生、丹生明里です。こちらもテレビ番組のワンシーン。いみじくも、同じポーズをとっています。こちらも、ネットではファンの間で可愛いと大絶賛が巻き起こったシーンです。

こういうポーズをする女の子を見て、「カワイ子ぶっている」と非難する女性も少なからずいるようですし、男性の中にも推しではなかったりアンチだったりすると文句を言う輩がおります。実のところどうなのでしょう? 番組を見た限り、二人とも狙ってやっているという感じではなく、ごくごく自然に手が行ってしまっているように見えますが。

もちろん、二人とも現役のアイドルですから、テレビに出ている時や人前では「自分はアイドルなんだ」というモードになっているでしょうし、いわゆるオンの状態だと思うので、そういう意識がなせる業なのかも知れません。

ただ、まあ、桃子の場合、いまだに鹿児島の訛りが抜けきっていませんし、そもそも加入するまで乃木坂46を知らなかったという逸材ですので、このくらいの天然さは備えていたのではないかと思われます。

光り輝く少女たち

前のダイアリーでは『トラペジウム』のタイトルの意味に着いてまでは筆が進みませんでしたので改めて……(汗)

ググっても構いませんが、「トラペジウム」の意味は、①不等辺四辺形、②オリオン星雲の中にある四つの重星、です。

主人公を含めた四人の少女たちを四辺形のそれぞれになぞらえつつ、光り輝く星たちというのが、キラキラ輝いている(ように見える)アイドルに重ねられているのでしょう。

ところで、主人公たちが最後に4人で見る写真のタイトルが「トラペジウム」で、そこには高校時代の4人が写っているのですが、もう一人、ボランティアで知り合った足の悪い少女も写っているはずです。そうなると4つの角を持つ四辺形ではなく五角形になってしまいます。

もしかして足の悪い少女のが写っていない、四人だけの写真だったのでしょうか? しかしストーリーを追う限り、5人で写真を撮ってもらっていたと思うのですが、あたしの勘違いでしょうか?

「どうしてこんなにぼくのこと知っているんですか?」って数え切れないほど聞かれたんだろうなあ

来年1月から全国公開予定の映画「ライ麦畑の反逆児」の試写会に行って来ました。

先に公開された「ライ麦畑で出会ったら」が、監督の若かりし頃の実話をベースとした作品であったのに対し、本作はサリンジャーの評伝を基にした映画です。つまり、サリンジャーが主人公の作品です。

物語は、自分の会社を継がせようと思っている父親、サリンジャーの文才を信じて応援してくれる母、そんな両親の元、大学で創作を学ぶサリンジャー。とにかく日々の不満、鬱憤を書きためて、文芸誌に持ち込んでは断わられ続けます。それでも諦めることなく、教授の叱咤激励を励みに書きつづけるのですが、第二世界大戦への参戦、ノルマンディー上陸作戦から続く激しい戦闘、生死の境を何度もくぐり抜け、次々に命を落とす戦友を間近で看取りながら、なんとか生き延びて帰還します。

「ニューヨーカー」との契約を結ぶものの、ようやく書き上げた『ライ麦畑でつかまえて』の大成功により、一躍時の人になります。しかし、世間の煩わしさを避けるための田舎に居を構えますが、それでも近所の高校生に裏切られ(高校の新聞の載せるためというインタビューが地元紙に掲載されてしまうと言う有名なエピソード)、ますます世間と距離をおくようになり、ついには書くものもなくなり、書きつづけはするものの出版はしなくなります。そんな若き日のサリンジャーの苦悩にスポットをあてた作品でした。

映画の公開の順序と内容的なことを考えると、個人的には「反逆児」を先に見て、その後に「出会ったら」を見た方が、時間の流れにも合うのでよいのではないかと感じました。

それにしても、自分の作品に対する自信、装丁や描き直しに対するこだわり。もし『ライ麦』がヒットしなかったら、単なる身の程知らずの若造で終わっていたかも知れませんよね。

どっちが売れている?

乃木坂46の高山一実の小説、入手しました。

あっ、別にもらったわけではありません。ちゃんと買いましたよ。

この小説『トラペジウム』、ものすごく売れているようですね。あちこちの本屋(ネットも含め)で品切れになっているようです。何はともあれ、本が売れるのはよいことです。

こういう言い方をしたら、乃木坂ファン(いや、あたしだって乃木ヲタなんですが……)、特に高山推しの人に怒られそうですが、写真集の売り上げから考えて、ここまで売れるとは予想していなかったのではないでしょうか?

しかし、ファンの贔屓目もあるのかもしれませんが、出来がかなりよいという評判も耳にしました。以前、ジャニーズの加藤シゲアキの小説が、やはりアイドルとは思えないほどの出来だと評判になりましたが、これも同じような現象なのでしょう。

親子丼は美味しいけれど……

フジテレビ系「さくらの親子丼2」がスタートしました。

あたしはパート1も結構感動しながら見ていたので、パート2が始まって喜んでおります。ちなみに、東京ではフジテレビ系で放送されていますが、制作は東海テレビのようです。

パート1では真矢ミキ転じるさくらが経営する古本屋が舞台でしたが、今回は親などから虐待を受けた子供たちが一時的に避難するシェルターが舞台。さくらはそこの寮母さんと言いますか、まかないさんです。

さて、昨日放送された第二話、さくらは親と子供はわかり合えるはずだという持論を展開しますが、昨今のネグレクトや虐待死などのニュースを見るにつけ、果たしてこのセリフは真実なのだろうか、という疑問が湧いてきます。確か、そんな議論、パート1の時にネット上では話題になっていたような気がします。

とはいえ、さくらやシェルターを運営する大人たちは、それを信じてやっていくしかないのだろうな、という気もします。実際はどうあれ、子供たちを支えようとしている大人たちがそこを信じられなくなった終わりではないかという気もするのです。

またこの第二話では、シェルターにいる少女を追いかけて来た風俗店の店長が登場します。なんと、さくらの親子丼をかつて食べていた少年のなれの果て、という設定。例によって、さくらは風俗に手を染めている店長を頭から否定します。その店長が、「それによって救われている女もいる」というようなセリフを吐くのですが、ドラマ上ではここを膨らますことはありませんでした。

 

しかし、最近読んだ『性風俗のいびつな現場』『「身体を売る彼女たち」の事情』によれば、風俗産業が確かに一部の女性にとってはセイフティーネットの役割を果たしていることは事実で、テレビドラマの展開上、それを肯定するような描き方はできないのかも知れませんが、こういう本を読んでいた身としては、「そんなに単純なものではないし、そうやって一方的な断罪もできないよなあ」と感じました。

こういう社会問題を描くドラマは、昨今の世の中では難しいですね。やはりフジテレビ系のドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」でも、描き方が画一的だとか、一方的だという批判がネットなどで上がっていたと思います。

ネット社会の今日、確かにドラマの偽善的なところ、都合のよい性善説的展開は批判にさらされやすいところですが、それでもあたしは、多くの人が見るドラマだからこそ、最後まで理想や希望を語って欲しい、描いて欲しいと思います。それが多少のミスリードであったとしても。

1/2+1/2=2/4

TBSチャンネルで放送された「半神」を視聴。

萩尾望都原作なんですね。ということでコミック版と言いますか、原作の『半神』を読んでみましたが、これが非常に短い作品でした。これが約2時間の舞台になってしまうなんて……

舞台の出来などは、そういう方面はサッパリなので論評できませんが、とても引き込まれ、あっという間の2時間でした。

原作からしていろいろと考えさせる、一筋縄ではいかない作品でしたけど、舞台も同じように深く考えさせられます。ところどころ笑わせるポイントも含まれていましたが。

そして主役の二人、非常によかったです。あたしが乃木坂ファンということもありますが、桜井玲香が醜い役を見事に演じていましたし、前半の動きとセリフは圧巻でした。一方の藤間爽子の前半はセリフがなく、とにかくニコニコと誰からも愛される愛くるしさ全開で、こちらも非常に魅力的でした。この二人の鮮やかな対比が、後半の入れ替わりや運命の選択をより劇的にさせていたのではないかと思います。

ところで、そもそもの設定として、現在の医学なら二人を共に生かす方法というのは確立しているのでしょうか?

未完成はいつ完成するのでしょうか?

落手しました。

欅坂46ファースト写真集 21人の未完成』です。

事前にわかっていたとおり、グループの写真集とはいえ、これは「個人写真集を一冊にまとめたもの」です。全員や何名かで写っている写真がないのが残念であると同時に、いかにも欅坂46らしいとも言えます。

これなら、とても個人の写真集を出せそうにないメンバーにもスポットが当たりますので、こういう写真集もありと言えばありでしょう。でもやはりグループとしては寂しさも感じます。

21人と書いてあるように、卒業する(した?)メンバー3人も載っていますので、オリジナルのこの21名が題するキナファンにとっては最初で最後のものになるわけです。このやり方の写真集であるなら、けやき坂46を混ぜなかったのは正解だったと思います。

まもなく二期生を迎える欅坂46。入ってくるのが年内なのか年明けなのか、それに何人加入するのかすら発表されていませんが、間違いなく、この写真集をもって欅坂46の第一章が終わったと言えるのではないでしょうか。

それにしても、重いです、この写真集。

スマホを持っていないだけなのに

映画「スマホを落としただけなのに」がヒットしているようです。

映画を見る予定も、原作を読む予定もありませんが、いかにも現代社会で起こりそうな内容のようですね。

しかし、ある意味、スマホを落とす方も落とす方ではないか、自己責任を強く主張するつもりはありませんが、ちょっぴりそういう気もします。

むしろ、まだまだスマホを持っていない人も一定数存在する現状、スマホを持っていないというだけで、クラスのLINEに入れてもらえず仲間外れにされてしまう方が問題だと思います。

妹家族のところも、子どもの小学校、連絡網には電話番号が載っていません。保護者同士の連絡はもっぱらLINEによっているみたいです。スマホを持っていない親だっているだろうに、どうしているのでしょう?

「無口なライオン」とか「他の星から」とか

帰宅途中、自宅近所のセブンイレブンで買ってしまいました。

AKB48新聞です。

今号の巻頭特集はNMB48のエースでキャプテン、山本彩卒業でした。当然、表紙もさや姉の写真です。

えっ、左の写真はさや姉じゃないって? はい、そのとおり。こちらは裏一面です。

乃木坂46から卒業する若月佑美と西野七瀬のインタビューが掲載されているのです。

この二人のコンビ、好きです。同い年で雰囲気も好対照でバランスがよいと思います。92年組のまいやん、ななみん、まっつんの御三家が有名ですが、94年組の西野、若月、桜井という「御三家」も乃木坂46にとっては捨てがたい三人組だと思っています。

公式YouTubeで公開されているのはショートバージョンですが、この三人のトリオの魅力が堪能できるのは「無口なライオン」や「他の星から」ではないでしょうか? というよりも、この三人が好きな人はこの楽曲が大好きなはずです。

さて、AKB48新聞を読んでみると、改めて二人の絆が感じられました。新曲では曲の途中で二人が見つめ合って踊るシーンがあり、卒業する二人ということもあって、とても素敵で、ダンスの見どころとなっています。

ところが、最近は舞台仕事があるため、新曲披露の歌番組では若月が出演できないことが続いています。そして、若月の役回りを秋元真夏が務めています。

秋元真夏と西野七瀬というペアも、若月・西野コンビニ負けず劣らずドラマのある二人なので悪くはないのですが、新曲のあのシーンはやはりなーちゃんと若様がしっくりくると、AKB48新聞を読んで改めて思いました。

そして、残された桜井玲香……

あえてなのか、それとも無意識に写り込んでしまったのか?

左の写真は、けやき坂46の二期生、小坂菜緒ちゃんがブログにアップした写真です。先日の握手会の時のスナップです。

16歳という年齢には不釣り合いなほど大人びた雰囲気が写真からは漂ってきますが、二期生期待のエースというポジションのようです。

ただ、あたしがこの写真で気になるのは、彼女の容姿でもスタイルでもなく、もちろん衣裳でもありません。気になってしまうのは足元です。

「段差あり」という注意書きのシールというか、掲示というか、とにかくそれです。

握手会というのは、幕張メッセとか、東京ビッグサイトとか、パシフィコ横浜とか、関東周辺ではそういう場所で行なわれることが多いのですが、お客様や来場者から見える場所はそれなりに飾ってありますが、裏へ回るといかにも作業場という、色気も何もない場所だったりします。彼女に限らず、アイドルが握手会会場で撮ってブログにアップする写真というのは、背景がこういう感じのものであることが多いです。

いろいろと写ってしまうと差し障りのある物が置いてあったりするので、こういったコンクリート打ちっ放しの場所をバックに写真を撮っているメンバーが多いので、これもそんな一枚なんだと思いますが、片足のつま先を意図的に「段差あり」に乗せているようにも見えます。

ブログには他にも同日の写真がアップされていますが、その中の二枚も同じ場所で撮ったとおぼしき写真で、やはり足元に「段差あり」が見えます。

右の写真では少し距離をおいてたたずんでいますが、やはり「段差あり」を意識しているように感じられます。「踏んじゃおうかな、やめようなか……」と言う気持ちが見受けられます。

なんであたしが「段差あり」という言葉が気になるかと言いますと、この曲です。

けやき坂46のデビューアルバム「走り出す瞬間」のリード曲「期待していない自分」です。

この曲の歌詞の冒頭に

道の途中で躓いて
振り返って見ても何もない
わずかな段差でもあれば
言い訳できたのに

という部分があるのです。そう、「段差」です。

小坂菜緒もこの曲に参加していますので、この歌詞は当然知っているはずですし、既に何度も歌っている曲です。

どう考えても、この曲、この歌詞を踏まえて、あえてこの場所で写真を撮ったのではないかと思うのですが、如何でしょう? ブログでは何も触れていませんが……

ちなみに、MVの中では「段差」の部分ではなく、「言い訳できたのに」の部分で映っているのが彼女です。