アルジェリア人質事件

今宵のNHKスペシャルはアルジェリア人質事件の特集だそうです。マスコミなどによる本格的な報道、検証はこれからでしょうし、出版界も数冊は論著が出てくるのではないでしょうか?

いみじくもという表現がふさわしいのかどうかなんとも言えませんが、弊社ではアルジェリア絡みの本を何冊か既に出しておりました。今回の事件の後、書店からの引き合いもありました。実際に店頭で売れているのか、まだ検証したわけではありませんが、データがわかる範囲で言えば、ちょこちょこと売れています。アルジェリア関連の本なんて、こう言っては悪いですが、ふだん売れることなんて稀でしょう。だいだい、今回の事件があるまで、アルジェリアと言われて、白地図上でその場所を指せる日本人がどれくらいいたでしょう? そのくらい縁の薄い国なわけですから、今回の事件がどうして起きたのか、どういう歴史的、政治的背景があるのか、まるっきりわからない人ばかりだったと思います。

これはアルジェリアの専著ではありませんが、アルジェリアを含む北アフリカのイスラム諸国に関する論著です。

以下は文庫クセジュの中のアルジェリア関連書です。文庫クセジュはフランスで刊行されている手軽な教養書シリーズ、日本で言えば岩波新書とか中公新書のようなものでしょうか? そして、なによりフランスはアルジェリアの旧宗主国。日本よりははるかに身近で、よく知っている国でしょう。そんな国で刊行されているアルジェリアに関する本ですから、日本人には目の届かない点にまで目配りが聞いているものと思われます。もちろん、旧宗主国ならではの色眼鏡もあるのでしょうが。

 

最期に、これもアルジェリアの専著ではありませんが、こちらもお薦めです。訳者は今回の人質事件のニュース解説でも大活躍された私市正年氏です。

峯岸から森茉莉へ

Facebookにも書いたのですが、AKB48の峯岸みなみの丸刈りの映像を見て、あたしは森茉莉へと連想が飛躍してしまいました。

もちろん、峯岸みなみから直接に飛んだわけではありません。あの丸刈りを見て、出家した女性、つまり尼僧へとまずは飛び、そこから徳川家康が後家好きと言われたように、三代将軍・家光は尼好きと言われたなあ、というところへ飛び、徳川の大奥へと連想は広がり、名作「徳川の夫人たち」へと飛んでいったのです。

 

  

この「徳川の夫人たち」、原作はもちろん吉屋信子です。ちなみに、記憶が定かでなく、ネットでもほとんど情報が出てこないのですが、あたしが中学生くらいの頃だったと思いますが、この「徳川の夫人たち」はテレビドラマとして放映されていました。生田悦子さんが主演のお万の方を演じていたのを覚えています。まだ若くてきれいなお万の方でした。家光役が誰だったのかは覚えていません(汗)。

で、吉屋信子というと、異論のある方も多いと思いますが、あたしの場合、どうしても印象が森茉莉と重なります。いや、印象が重なるのは、決してあたしの独りよがりではないかもしれません。なぜなら、文藝春秋の「精選女性随筆集」ではこの二人が一冊になっているのですから。

  

で、そういうわけで、あたしの連想は森茉莉へと行き着いてしまったわけです。

ただ、そんなことより、峯岸みなみですが、あんな泣きながら懺悔の動画を公開するよりも、そんなことせずにいきなり丸刈りで現われた方がよかったのではないでしょうか? 「どうしたの?」と聞かれたら、「もうすぐ春だし、髪の毛が重くなっていたから、さっぱりしたくて」とでも言えば、それですんだのではないでしょうか?

やれ軍隊の懲罰のようだといった批判もありますが、あんな懺悔の動画があるからそう言われるのであって、あっけらかんと登場すれば、ファッションの一つとして見なされたのではないかと思います。

 

あぽやん

先週から始まったTBS系ドラマ「あぽやん」を見ました。

なんてったって、あたしの大好きな桐谷美玲ちゃんが出ていますから見ないわけがありません。それに見てみたら、これまたあたしの好きな女優さんの一人、中村ゆりちゃんも出ているではないですか! あの透明感、いいですね。

それはそうと、この第一回の中で、あたしにはとても印象的なシーンがありました。主人公の伊藤淳史と桐谷美玲ちゃんが初めて出会う場面です。ぶつかって美玲ちゃんの鏡を割ってしまう伊藤淳史ですが、その時の美玲ちゃんは出勤時なので私服です。髪も下ろしています。そしてしばらくたったシーン。配属となり、スタッフに紹介される伊藤淳史が再び美玲ちゃんと顔を合わせるシーンです。

その時の美玲ちゃんは制服を着て、髪はひっつめた感じと言ってわかっていただけるでしょうか?

美玲ちゃんの顔を見た伊藤淳史は思わず「あっ」と声をあげますが、これが疑問です。

服装も全然違う、髪形も全く異なるのに、すぐわかるものでしょうか? いや、直前に逢っているでしょうと言われそうですが、そうはいっても、これだけかわってしまったら同一人物だと認識できないのではないでしょうか? あたしなら確実に認識できません。自信があります。

そんなシーンが非常に印象に残っています。

 

孫文という人は……

もうだいぶ前にNHKで放送された「シリーズ 辛亥革命100年」全3回をHDDに録っておいたのですが、それをDVDに焼きました。その時、録画モードなどの関係で高速ダビングができなかったので、何気なくその番組を見ておりました。第一回が孫文、第二回が溥儀、第三回が蒋介石という放送で、孫文の回を見ながらダビング作業をしました。

孫文は台湾でも中国でも国父として仰がれ、国共両方から尊敬されている人物として稀な存在です。ただ、最近はそれほどの聖人君子だったのか、革命の理想に燃える好漢だったのか、疑問を呈する論評なども増えてきていると感じます。例えば『覇王と革命 中国軍閥史1915-28』などでも当時の軍閥たちと比べて格段に優れた人物だとは描かれていません。むしろ人物としては数段劣っていたのではないかと思われるような印象すら受けます。

個人的には、たぶん大言壮語癖があり、何かを思い定めたら他のことには一切関心がなくなって猪突猛進してしまう、周囲の人間から見たらはなはだ迷惑な人物だったと思います。人間の器としてもそれほど大きかったという感じはしませんが、当時の軍閥の中では格段に弁が立ち、未来への情熱が一頭抜きんでていたことは確かだと思います。

もちろん、上に器のことを書きましたが、犬養毅をはじめ多くの日本人、中国人が助力したように、ひとかどの器であったことは確かで、人間的な魅力も相当なものがあったと思います。ただ、途中で離れて行ってしまった人たちも大勢いたわけで、そういう人には孫文の欠点が目に留まったのでしょうし、多くの人がやられた魅力から、魔法が解けたように、ふっと冷めてしまったのではないかと思います。

もし癌で死んでいなければ、もう少し長生きしていたら、もしかすると革命勢力が孫文によって引っかき回されてしまっていたのではないかという危惧も覚えます。なかなか台湾や大陸の研究者ではそこまで孫文を悪く見ることは難しいのかもしれませんが、そろそろ客観的な歴史の評価が出てきてもよいのではないかと思います。あと、時代が異なるから仕方ないのかもしれませんが、孫文は医術を捨てて革命へと進み、魯迅は同じく医術を捨てて文学の道を選んだ、この二人の救国の手段の差について比較研究ってなかったでしょうか?

残留婦人

少し前にTBS系で放送されたドラマ「強行帰国」をHDDに録画してあったので視ました。

ドキュメンタリーも組み合わせたドラマでしたが、予想以上に見応えがありました。情けないことに、この強制帰国、成田空港籠城のこと、あたしは薄ぼんやりとしか記憶にありません。こんな程度の関心しか持っていない日本人が多いから、こういった問題が起きてしまったのでしょうね。反省しています。

それにしても厚生省をはじめとした日本政府の対応は画一的で血も涙も通っていない感じもしますが、長いこと中国で暮らしていた人を、たとえ日本人だからといって、社会的な援助や支援が整わない状態で帰国させることの悲劇も考えなければならないでしょうから、ことはドラマで描かれているほど簡単なのではないだろうと思いました。