いったいいくら?

雨の中のAKB48グループの選抜総選挙。

サッカーW杯などよりもはるかに興味も関心もあります。

が、それよりも気になったのはテレビ中継で言われていた、AKB側が用意したカッパです。

会場はおよそ7万人だそうです。自前で雨具を用意していたファンの人も多かったでしょうが、会場でもらった方が大多数だったようです。運営側としては、こういう場合、念のため全員に配れるだけの数は用意しているはずです。たぶん「AKB」などのロゴも何も入っていない、市販の雨合羽でしょうけど、ファンとしては「あの会場で配られたカッパ」として、それなりの「お宝」になるのかもしれません。

それはともかく、ただの雨合羽ですから、いくらくらいでしょう? まさか100円? いや、最近の百均の充実ぶりからするとありえますよね。100円で7万人分としたら700万。もし200円なら1400万。もし500円もしたら3500万円!

そりゃ運営側はAKBでしこたまもうけているでしょうけど、この出費はかなり痛いのではないでしょうか? それでも「カッパまで用意していた」という評判が立つのと、「何のケアもなかった」と悪評が広がるのとでは雲泥の差、この程度の出費なら安いと判断できるのでしょうか? あたしのような庶民にはわかりません。

それに、ステージ上のメンバーもほとんどが羽織るもの、毛布のようなものを使っていましたよね。そりゃ、この寒い雨の中、椅子に座っているだけですから体も冷えるというものです。こちらはメンバーの数だけですからせいぜいが300枚程度でしょうか? それでもカッパよりは高いでしょうね。

うーん、一雨で、これだけの出費になってしまうのですね。もちろん雨を想定してあらかじめ購入していたわけでしょう、いつ使うかわからないとしても。しかし、明日は同会場で大島優子の卒業コンサート。たぶん、雨ですよね。また同じような数のカッパが配られるのでしょうか?

こんなことにもこれだけの金額が動いているわけですから、もう少女の夢じゃないですね。大人のビジネス、まったくその通りです。

で、そんなことはよいから、総選挙の感想を書けというのであれば、まゆゆの第一は素直に嬉しいです。予想どおりです。あとは、松井玲奈、山本彩の順位が、客観的には順当なのでしょうが、個人的にはもう少し上でもよかったのではないかと思います。

それにしても、次世代や次次世代などと言われているメンバーが伸び悩んでいますね。もっと彼女たちが上がってこないと、AKBの人気も長くは続かないのではないでしょうか?

エリカ様~

エリカ様と言っても、沢尻エリカではありません。戸田恵梨香でもありません。あたしが言うエリカ様とは乃木坂46のエリカ様、生田絵梨花のことです。

ドイツ生まれで、ピアノの腕前は一流、容姿も端麗なのに、ものすごーく天然。それがエリカ様です。

YouTubeにアップされているこんな動画を見ていただければ、そのスペックの高さがわかるというものです。

そのエリカ様が、なんと次のシングルには不参加、短期間とはいえ活動休止という発表がありました。これはなかなか週明けからショッキングなニュースではありませんか!

文盲

文盲と言っても、アゴタ・クリストフの自伝の『文盲』のことではありません。

いまテレビで人気の「花子とアン」で、花子のお母さんが読み書きができないということです。少し前にFacebookにも書きましたが、あたしの勤務先から出ている『野口英世の母シカ』のシカさんも読み書きができないのですよね。そのシカさんが一生懸命に文字を習い息子へ書いた手紙が、<野口英世の母の手紙>として有名になっているわけです。まあ、この時代の農家の女子の教養としては読み書きができないというのも決して不思議なことではなく、当たり前と言っては言いすぎかもしれませんが、ごくごくありふれたものだったのでしょう。

で、ふと思い立って、あたしも母に聞いてみました。母親はもちろん読み書きできますが、その母(あたしの祖母)や祖母(あたしの曾祖母)は読み書きができたのか、と。母の返事は二人ともできたとのこと。百姓なのでできなかったのではないかと予想していたあたしの期待(?)は裏切られました。ただ、母の話では、母が子供の頃、近所には読み書きのできない女性(母からみたら近所のおばさんとか、同級生の母親とか)は何人かいたそうで、都会で働く子供から手紙が届くと、母の祖母のところに持ってきて読んでもらっていた、という記憶があるそうです。うーん、テレビの中の世界がきわめて身近だったのですね。

ちなみに、父方は、既に父が亡くなっているのでわかりませんが、父方の実家は代々の庄屋だったので、それなりの教養はあったと思われます。戦争中に薪代わりに燃してしまったそうですが、家にはかなりの蔵書があったと聞いたことがあります。また父の母(あたしの祖母)は父が幼い頃になくなっていますが、既に亡くなっている父の姉(あたしの伯母)にかつて聞いた話では、家事もやらずに本ばかり読んでいた人だった(だから年の離れたその伯母が父の面倒をみていた)そうです。

というわけで、わが家は決して立派な家系ではありませんが、とりあえず読み書きはできる人たちばかりだったんだなあと、改めて認識した次第です。

体罰? 先生、それは違います!

少し前にFacebookで卒業について書いたので、ちょっと学生時代のことを思い出しました。

いじめだ、体罰だと嫌な時代になりましたが、あたしが子供の頃、学生の頃は親や先生が子供を殴るというのは、それほど非難されることではありませんでした。確かに自分の感情のままに怒鳴り散らす先生がいなかったわけではありませんが、やはり先生や大人の言うことは正しいという漠然とした意識、子供なりの「自分が悪かった」という罪の意識もあったのでしょう。少なくとも現在のように体罰が問題になることはほぼなかったと思います。

が、あたしの中学時代はちょうどテレビの「金八先生」の放送が始まった頃で、全国的に中学が荒れていると言われていた時期でした。ご多分に漏れず、あたしの中学も、たぶん世間で言われていたほどの荒れ方ではなかったにせよ、それなりに不良やツッパリはいて、そういった時代の影響は受けていたと思います。

しかし、上述のように先生がそれなりに尊敬をされていたことも確かで、不良性とに対してビシビシ叱り飛ばしている先生が何人もいましたし、そういう先生に対してはそれなりにツッパリ生徒もおとなしくしたがっていたような気がします。この頃の先生というと、まだ軍隊上がりの先生がいた時代です。もう何年かするとそういう先生方も定年を迎えて現場からいなくなったのだと思いますが、あたしが中学の頃は旧日本軍出身の先生というのは何人かいたものです。

戦場での生き死にをくぐり抜けてきた先生というのは、やはり違うものがあります。生半可なツッパリ生徒には太刀打ちできない威厳というか、何かを持っていました。そういう先生の一人が、ツッパリ生徒が騒いでいるときに言い放った一言が、かなりの衝撃でした。

お前ら人を殺したこともないくせに、偉そうな態度とるんじゃねぇ!

すごいです。今どきの教師にはとても口にできないセリフです。しかし、一般生徒としては「ちょっと待ってください、先生! いくらなんでもそのセリフは間違っているのではないでしょうか?」という疑問がわいたことも事実です。ちなみに、その先生は欧米人について、風呂はシャワーだけで湯船につかることをしないのと肉食の生活だから体臭が強い、そのため香水という文化が発達したと述べた後、「それに引き替え日本人は無味無臭だ」と言いました。

欧米人の体臭についての発言も、今だったら人種差別で訴えられそうですし、そもそも事実の致命的な誤認があると思いますが、それよりも当時あたしたち生徒が衝撃を受けたのは後半部分です。「日本人は無味無臭?」って、無臭についてはなんとなく納得したものの、無味って何? 「先生、いったい、いつ、どこで日本人を食べたのですか?」という心の中で悲鳴が上がっておりました。

狩矢警部、説得力ないよ!

あたしの愛する乾さんの誕生日、3月3日に放送されたTBS系の「山村美紗サスペンス 狩矢警部シリーズ13『京都人形浄瑠璃殺人事件』」。この手のドラマ、あたしも母も好きなので、先日放送されていたのをHDDに録画してありましたので、休日の土曜に視聴しておりました。

それにしても、テレビ番組を録画して視るというのは、CMを飛ばして視ることができるので非常に便利です。これに慣れてしまうと、本放送を視るときのCMがうざったくてしょうがなくなります。

閑話休題。

このドラマ、妹が傷つけられ自殺してしまったのを機に、姉である国生さゆりが復讐の殺人を犯すというのがあらすじなのですが、国生さゆりと妹が親に捨てられ養護施設で育ち、その後離れ離れになり、国生さゆりは養父に性的暴力をふるわれ、とこういったドラマにありがちなパターン。妹も失い天涯孤独となった国生さゆりには失うものは何もなく、復讐に邁進するわけです。

もちろん、最後は船越英一郎演じる狩矢警部に逮捕されるわけですが、その時の狩矢警部のセリフは、よくありがちなセリフでした。曰く、妹さんは君に復讐して欲しいなんて思ってはいない。自分のために姉が殺人を犯したと知って喜ぶと思うのか、と。更に曰く、こんなことをして自分のしたことが正しいと思っているのか、とも。

一般論として犯罪は正しくありません。殺人には正義はありません。でも、個別の事例においては、少なくとも当事者にとっては十分正義であることもあるのではないでしょうか? 特に今回のドラマの場合、犯人である国生さゆりは唯一の肉親である妹を失っていて、独身ですから自分の大切な家族もないわけです。また、妹は自殺したときに(海への投身自殺)、脱いだ靴の脇に毒薬を置いていったのです。

これ、誰が見たって、「お姉ちゃん、あたしは死ぬけど、あたしの代わりにこの薬を使って復讐してね」と訴えていると理解するのが普通ではないでしょうか。また、今回も船越の狩矢警部が言ってますが、犯罪者になることを望んでなんかいない、というセリフ。はい、確かに死んでいった妹はお姉さんが犯罪者になるなんて、警察に捕まるなんて望んでいなかったと思います。あたしが妹の気持ちを忖度するに、「お姉ちゃんなら、あたしとは違って頭がいいから、きっと完全犯罪できるよね。バレないように復讐してくれるよね」というものだったのではないでしょうか?

いずれにせよ、少なくともあたしがこの国生さゆりの立場であったら、あたしだって完全犯罪はできなかったと思いますが、警察に捕まっても反省なんかしない、自分は絶対に正しいことをしたんだと最後まで信じているし、その信念を曲げることはなかっただろうと思います。

I hope the Russians love their children too

風も強くて寒い一日でした。そんな中、午前中はちょっと買い物があって出かけましたが、昼前には帰宅して、午後は、昨日スカパー!で放送されていた「第3回 AKB48紅白対抗歌合戦」を録画しておいたので見ました(^_^;)。

このイベント自体は昨年12月半ばに行なわれたもので、内容などは既にテレビの芸能ニュースで一部伝わっていますし、なにより、ネット上に当日このイベントを見た(全国の映画館でもライブ上映があったようです)ファンの人たちが書き込んでいますので、新鮮なネタではありません。ただ、スカパー!のような有料放送とはいえ、テレビできちんと放映されるのは初めてなわけですから、スカパー!に加入していて当日見に行けなかったファンにとっては待望の放送だったのではないでしょうか?(←あたしのことか?)

紅白対抗ですから勝敗がつくわけで、個々の対戦の勝敗は出ませんが、最終的には白組が勝利したということも、既に昨年のイベント翌日の芸能ニュースで伝わっていましたから、結果のわかっているスポーツの試合を見るようなものです。とはいえ、果たしてその勝敗の結果が納得できるものなのか、それを検証する意味はあると思います。

あたしの場合、紅組と白組それぞれのメンバーを見れば、白組を応援したくなるわけで、白組が買ったことは素直に嬉しいですし、内容的にはかなり互角の戦いだったかなと感じました。そして全体として白組優勢ではありましたが、あえて全対戦の中からMVPを選ぶとしたら、白組ではなく紅組の渡辺麻友ではないでしょうか? とにかく彼女が歌った「君の名は希望」がよかったです。

※上にリンクを貼ったYouTubeはスカパー!の録画をアップロードしたものでしょうから、そのうち削除されてしまうと思います。もちろん、あたしがアップしたものではありません。

ピアノ伴奏だけの歌唱でしたが、ピアノを弾いたのが本家・乃木坂46の生田絵梨花です。彼女は乃木坂のステージでもこの曲の伴奏を担当することがありますが、まさかAKBのイベントで乃木坂の楽曲が歌われ、なおかつその伴奏に乃木坂のメンバーが来るなんて、これはスポットライトが生田絵梨花を映し出したときに会場のお客さんが一番驚いたのではないでしょうか?

ちなみに、あたしが一番驚いたのは、歌唱の後、二人並んだときに生田絵梨花が渡辺麻友に比べかなり背が高く、足も長かったという事実です。「えっ、まゆゆってこんなに小さい子だった?」というのはかなり新鮮な驚きでした。

話は戻って、まゆゆが歌った曲ですが、これは乃木坂46というグループの曲であるということにかかわらず、素直によい曲だと思います。詞もメロディーもかなり高いレベルなんではないかと思います。秋元康も時々よい詞を書く、それなりの才能は持っているんだなあと感じさせられます。

ということで、上にはオリジナル、乃木坂のPVのリンクを貼っておきます。ぜひご試聴、ご鑑賞ください。

で、このダイアリーのタイトルは何(?)という疑問を抱えている方も多いと思いますが、この曲の歌詞の一節です。

スティングの曲の中でもかなり政治性の強い曲ではないでしょうか?

冷戦時代の曲ですね。フルシチョフとレーガンといった名前が歌詞に出てきますし、「How can I save my little boy from Oppenheimer’s deadly toy」という歌詞もあります。「Oppenheimer’s deadly toy」って原爆のことですよね? 午前中に出かけたとき、たまたまiPodで聴いていたのです、この曲を。

若紫発見!

紅白歌合戦でAKB48の大島優子がグループからの卒業を電撃発表したことが話題になっています。既にピンでいろいろ仕事をしていますし、プロとしての自覚など、メンバーの中では卒業してもやっていけそうな一人ではあると思いますので、あたしは別に反対も賛成もいたしません。

ただ個人的には、いっそのこと、大島優子に限らず、どうせなら高校卒業と同じ18歳の3月とか、もう少し延ばして成人になるまでといった客観的な卒業を設定してしまったらどうかと思います。どんなに主力メンバーであっても、人気メンバーであっても「こんどの3月で卒業なんだ」とか、「こんどの誕生日で卒業なんだ」とはっきり決めてしまう方がゴチャゴチャしなくてよいのではないかという気がします。グループの新陳代謝も図れますし。

とはいえ、そんなことよりも、あたしはAKB48よりも、その公式ライバルである乃木坂46の方が好きです。どう見ても、見てくれはAKBよりも上じゃないですか? もちろん好き嫌い、好みの問題はあると思いますが、平均値は断然乃木坂の方が遙かに上を行っていると思うのですが……

世間的には、白石麻衣とか、橋本奈々未といったあたりが、乃木坂の美形として認知されていると思いますが、あたしは秋元真夏が好きです。もう二十歳なので、上のあたしの主張で言ったら卒業しないとならなくなりますが、下の写真を見てのとおり、ベビーフェイスというか、ロリ系なので、まだ高校生と言っても通じそうです。(実際には女子大生です。)

 

 

こういう画像を見ていると、あたしって完全なロリコンだなあと思います、いや、自覚します。ですから、AKBでも馬鹿キャラでブレイク中の川栄李奈なんかが好きなんです。ぷにゃっとしたふわふわ感が好きなんですかね、あたし。

ただ、最近そうでもない、別の傾向も現われたりしていまして、同じく乃木坂46の若月佑美がいいなあ、というか、きれいだなあ、とも思うのです。この子は、かなり整った顔をしております。

こういった写真だと美少女という感じがはっきりしますが、個人的にはこういう感じも大好き。

お下げ髪、やっぱりこういう風に幼い感じの女の子が好きなのでしょうか、あたしは。

でも、この若さまは顔立ちが整っているので、ものすごく美しく見えるときもありますし、ボーイッシュな装いも似合います。それなのに、時にこういう三つ編みなんかをしちゃう、このギャップがたまりません。

 

猛アタックすべき?

香港のアイドル歌手、女優のジジ・リョンが結婚したということを今更ながら知りました。何でも相手はスペイン人だとか。

もともと香港のみならずワールドワイドに活躍していた彼女なので、結婚相手も必ずしも香港人とは限らず、英国人、アメリカ人ということもありえるだろうなあ、と余計なお世話ながら以前から漠然と思っていました。ただ、何年か前までは香港の俳優(名前失念)と付き合っているというのが有名な話で、まあ、その俳優と結婚まで行くことはないだろうけど、やはり中国人同士の方がいいのかな、くらいの感想は抱いておりました。

ジジ・リョンを知ったのは初めて台湾へ旅行に行った時のことです。台湾のCDショップ、HMVだったのではないかと記憶しているのですが、そこで訪台記念に中華圏の歌手のCDでも買って帰ろうと立ち寄ったのがそもそものきっかけです。結局、台湾ではなく香港のジジ・リョンだったわけですが、ショートヘアで、端正なルックスの彼女のCDが新譜台に置いてあり、「あっ、この子カワイイ」と思って、まさしくジャケ買いしてしまったのです。

その時点で知っている中国、台湾、香港の歌手はほとんどいなかったので、この子がどんな歌を歌うのか、どんな声なのか、どれくらいの人気なのか、まるっきりわかりませんでした。人気アイドルの新作らしい並べ方と店内のポスターだけで判断、というか、決めてしまったのです。ちなみに、ジジ・リョンとは帰国後にいろいろ調べて知った名前で、ジャケットなどには「GiGi」とは表記してありましたが、それが彼女の名前だとは思いませんでした。ジャケットにはしっかりと漢字で「梁詠琪」と書いてありました。

帰国してCDを聞いてみて驚きました。ジャケットからは、もっとアイドルアイドルした歌い方、声をイメージしていたのですが、どちらかというクラシックとか合唱部出身という感じを受ける、しっとりとした声質でした。曲自体にはポップなものもありましたが、全体的にはしっとりとした大人びたものが多いという感想でした。ただ、あたしが気に入ってしまったのはいうまでもありません。その後、数枚、CDを購入しました。日本でも買えるところがネットも含めて意外とあるものですね。

梁詠琪の代表曲は何なのか、あたしにはそれを言うほどの知識はありませんが、上掲のPVには、比較的有名なシングルが含まれています。個人的にはこちらがお薦めです。

この曲は「愛の代償」という曲で、たぶん彼女がオリジナルではなく、他の歌手のカバーだと思います。いろいろな人が歌っている曲のようです。でも、彼女の歌唱も十分に自分のものにしているのではないでしょうか?

あとはこちらもよいです。金城武と恋人役で共演した映画の主題歌です。たぶん日本でも公開された映画ではないでしょうか? あたしは未見ですが……

そしてトドメはこちら。「再見」という中国映画の主題歌です。もちろん彼女が主演です。貧困と両親の事故死のため、幼くして離れ離れになってしまった兄弟姉妹4人が成長して再会するというストーリーです。再会よりも両親の死後、長男が幼い弟妹を親戚に預けて回るシーンが、もう涙涙で見ていられないくらい切なかったです。あたしが裕福な家庭の主人だったら四人まとめて引き取ってあげたくなる、そんな涙なしではとても見られないシーンでした。たまたま会社に送られてきた試写会のチケットで見に行ったのですが、本当に一人泣きまくってしまったのを覚えています。

霊感は強くはないですが……

昨晩、TBS系で恐怖映像を集めたバラエティ番組が放送されていました。放送された映像は、たぶん素人やアマチュアの映像作家が作った心霊フィルムもどきなのでしょうが、なかなかよくできたものもありました。

そんな映像を見ている間に、タレントが実際に心霊スポットへ行ってリポートしてくるというコーナーがありました。タレントだけではアブ愛というので霊能者のような人が同行していましたが、テレビに出ている霊能者って、九割九分、ニセモノではないでしょうかね? もっともらしいことを言ってタレントや視聴者を怖がらせて、浄霊みたいなことをして安心させるって、子供騙しだなあと思うものの、年末の休みの日に見るには気楽でよいかも、とも思います。

で、そういった霊能者がしばしば発する言葉に、「先程からそこに女性の姿が見えるんです」とか、「あそこにすーっと立っていますよ」といった、いかにも何か霊的な存在がそこにいるかのような言葉です。実際に、そんな風に見えるのでしょうか? そこらじゅうにいるのでしょうか、霊って。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉もあるように、実は何かの影が人のように見えることなのではないでしょうか? 心霊写真なんて半分以上はそうですよね。人の顔に見えるといえば見えるし、見えないといえば見えない、そんなものでしょう。

ところで、あたしは霊感が強いわけではなく、生まれてこの方そういったものを見たことはありませんし、心霊体験も皆無です。ただ、この数年、そこにいない人が見える時があるんですよ。街を歩いていても、どう見たって「枯れ尾花」とは思えないほどはっきりと人が見えることがあるんですよね。これって霊感が強くなっているからなのでしょうか? それとも少しずつあたしが冥界に近づいているからなのでしょうか?

でも、冥界に近づいているってどういうこと?

 

クリスマスの悲惨な想い出

このところテレビのバラエティー番組などでは芸能人のクリスマスの思い出話などを聞く機会が増えています。アイドルや俳優、女優になると恋人との甘い思い出話になることも多いですが、これがお笑い芸人になると哀しい思い出を期待されているのか、たいていはそんな話に終始しているようです。まあ、番組上は美男美女の羨ましい話よりも、笑えるような悲惨な話を好むわけですから、こちらもそういった話、時には再現ドラマなどを視て笑っています。

が、ふと、気づいたのです。

あたしの場合、人が羨むような話はもちろんありませんが、人を笑わせるような悲惨な思い出話もないということを。

そもそもクリスマスの想い出というのがありません。あたしはキリシタンではありませんから、子供のころから、いわゆるクリスマスの行事といったものは、せいぜいのところ親にプレゼントを買ってもらう、ケーキを食べるくらいしかありませんでしたし、子供のころの話であれば、これは至ってフツーのことだと思います。

高校生くらいになれば恋人もできて一緒に過ごすなんていうこともありそうですが、そういったことはついぞなく、それは大学時代も、大学院時代も、そして社会人になった今に至るまで継続しております。別に恋人と過ごさなくても仲の良い友達とホームパーティーとか、美味しいものを食べに行くことはないの、と聞かれても、そういう友達というものがいませんので、それもありません。

つまるところ、クリスマスに限らず、恋愛話、失恋話や友人との思い出話全般、あたしの場合、人生においてほぼ皆無だということに思い至りました。それがおかしいとか、寂しいとか、そんな風には考えませんが、テレビで芸能人がこの手の話で盛り上がっているのを見ると、「もし自分が芸能人だったとして、こういう番組にゲストとして呼ばれても、話すことが本当にないなあ」と思うくらいです。つまり、自分はトーク番組、バラエティ番組には向かないんだなあということを自覚するだけです。ですが、次の瞬間、でも自分は芸能人じゃないから、という至極もっともな結論というか現実を思い起こすわけです。

そして、今年もなんということもなく、クリスマスは過ぎていくのでしょう。365日のうちの、とある一日として。