オリオン・ランキング?

視聴率があまりにも低くて第9話で最終回(いわゆる打ち切り?)と噂されている「戦う!書店ガール」ですが、今週の放送を見ていて、「ああ、これは脚本が悪いのかな? それともプロデューサーやディレクターの作り方が悪いのかな?」と感じました。

個人的に好き嫌いはあるでしょうが、渡辺麻友にしろ稲森いずみにしろ、演技はそれほど下手だとは感じませんし、見ていられないとも感じません。演者の人たちはよくやっていると思います。でも、ストーリーが……

その前も、店長になった稲森いずみに対するセクハラ発言や扱い、ペガサス書房上層部の男尊女卑的な空気、あまりにも時代錯誤であり、作ったような展開に辟易したものです。あんな展開では見る方だってしらけるに決まっています。と思っていた矢先、今回もありました。

まゆゆ分する北村亜紀と、その恋人・小幡との会話で、ペガサス書房が閉店になり、亜紀が職を失っても自分と結婚するのだから大丈夫、何の問題もないといった発言を小幡がするのです。えっ、いまどきの若者がそんな意識なの、少なくともこれまでの言行を見る限り、小幡にそんな昔気質な雰囲気は感じられなかったんだけど。それに、そもそもあのセリフの展開って、自然でもなければ必然性も感じられないんですけど。

そんな感じでした。たぶん、こういうところに視聴者は嫌悪を感じてしまうのではないでしょうか?

さて、そんなドラマの中、今回は面白いシーンを見つけました。

ペガサス書房吉祥寺店を閉店させないためにスタッフがいろいろ知恵を出し合います。何かアイデアはないかと本を読んだりネットを調べたりするわけです。そんな中、三田がPCでネットを見ていたときの画面にちょっとクスッと笑ってしまいました。

三田が見ていたサイト、たぶんORICONのサイトをパクったものでしょうが、ランキングのサイトでした。そのサイトのタイトルがなんと「ORION RANKING」、オリオン・ランキングと書いてあったのです。

ペガサス書房の吉祥寺店がジュンク堂書店の吉祥寺店で撮影されていることは既に有名です、原作小説もパート2以降はジュンク堂書店吉祥寺店とおぼしき書店が舞台です。しかし、本来、単行本で刊行されたパート1は立川のオリオン書房がモデル、舞台であったことは、これもまた有名な話です。今回、オリオン書房的な要素がまるでドラマに出てこないから、せめてこんなところにでもとディレクターか誰かの遊び心で紛れ込んだのでしょうか?

 

おおっ、こんなところにオリオンが! と、あたしはテレビ画面の前で若干の狂喜乱舞でした。

アナコンダ

昔からテレビ東京はB級と言いますか、好事家好みと言いますか、通好みと言いますか、変わったラインナップの番組を放送していました。それも午後に。最近ですと、午後に放送されている映画がなかなか面白いと思います。最近も「アナコンダ3」なんてのが放送されていたので録画しておきました。

 

「アナコンダ」のパート1はジェニファー・ロペスが主演の、それなりにちゃんと作ったモンスターパニック映画だったと思います。もちろんB級感はありましたが。で、パート2は、パート1とはストーリー的には関係なく、やはり巨大化したヘビの物語ですが、不死の蘭がそのモンスター化に関係しているという伏線もありました。

さて、このパート3ですが、パート2とはストーリーの上では続きでもなんでもないようですが、どうやらパート2の時の不死の蘭のエキスを持ってきて新薬の実験をしている製薬会社のラボが舞台。実験材料にヘビを使うのはヘビにしか耐性がないということからなのですが、そんなのって理論的にあるのでしょうか?

で、巨大化かつ凶暴化したヘビがラボから逃げ出して、追いかける主人公たちとの戦いが始まるわけですね。実はあたし、このシリーズのパート4を以前に視たことがあります。もちろん、こういった時間帯の映画放送だったと思います。その時に、どうも前作の続きのような展開だったので、機会があればパート3を視たいと思っていたのですが、それがようやく叶いました。

で、結局のところ、パート4へ続くための、大いなる助走でしかないみたいですね、この映画は。

もっと業界の話を!

戦う!書店ガール」第5話、録画しておいたのを視聴しました。

ちなみに、最近のドラマは録画しておいて土日にまとめて視ることが多いです。その方がCMを飛ばして視られるので、無駄なくサッと視られる感じがしてよいです。たまにオンエア時に視ることがあると、CMが鬱陶しくて精神衛生上よくないですね(汗)。まあ、こういう視聴のされ方をするとスポンサーも悩ましいところなのだとは思いますが……

さて、第6話ですが、なんかどんどん書店の話からずれって行ってしまいましたね。チェーン初の女性店長誕生なんて、別に珍しい話ではないし、その裏にうごめく男性社員やお偉方の腹黒い企み。二言目には「女だから…」的な物言い。いくらなんでも時代を先取りではなく、後取りしている気がします。

そりゃ、あたしだって書店業界の内部までは知りません。が、あんな旧態依然とした、男尊女卑の業界だとは思えません。店長や主任クラスには女性が多いですから、それなりに組織の中心部にだって女性が多いのではないかと思っていましたが、あんな風に描かれると、ものすごーく後れた業界だという先入観を持たれてしまうのではないでしょうか?

いや、たとえ男尊女卑的に描くにしても、描き方が古典的すぎて、かえって滑稽。いまどき、あんな昭和のオヤジのような女性蔑視がまかり通っている職場があるとは思えないです。碧野さんの原作は、もっと本屋に対する愛情にあふれ、本屋ならではのエピソードが綴られていたと思いますが、このテレビドラマでは「たまたま本屋が舞台だった」というだけで、本屋であることの必然性がストーリーからもうかがえないんですよね。

あたしとして、このドラマがもっともっと盛り上がって、業界の活性化とか、そこまではいかなくても、本屋に足を運ぶ人が増え、本屋とか出版社に就職するのもいいな、と思ってくれる人が増えてくれることを期待していたのですが……

愚痴はやめましょう。後半の展開に期待です!

あと、書店の方はよくわかっていない部分がありますが、出版社について言えば、そりゃ小幡くんは亜紀のことが好きなわけですからいろいろ手を貸してあげるのは理解できますが、現実としてそんなに一つの書店にばかり営業に行ってはいられません。まあ、都内の大型店舗なら一週間に一回、ないしは二週間に一回は顔を出すとして、それ以外になると、あたしの場合、担当地区の書店は基本は月に一回か二回訪問できれば、という感じです。ああ、それではいけないのでしょうか?

そう言えば、碧野さんの小説では亜紀の姓は小幡でしたね。このドラマがヒットしてパート2とかが作られるのなら、この二人は結婚するのでしょうか? 小説では亜紀は既婚の設定だったはずでしたし。

今回は小幡と亜紀の打ち上げシーン、否、デートシーンがありましたね。出版社の人間と書店の人が一緒に食事をするというのは無くはないです。ただ、二人だけで、というのはあまり聞かず(もちろん男女二人という意味です。まあ、そんなこと、いちいち他人に報告はしないでしょうが……^^;)、特にランチはありえても、夕食はほとんどないと、仲良しの女子書店員からは聞きますね。だから、たいていは「書店員何人かと出版社の人間何人か」という飲み会、食事会になるようです。

こういう会席、人によっては頻繁にあるみたいですが、あたしの場合、ほとんどありません。誘われることがほとんどないのと、実はこの業界の人、意外とタバコを吸う人が多くて、こういう会席、参加したこともあるのですが、あたし以外の全員が喫煙者だったということもあって、だからできるだけお断わりしている、というのがその理由です。あとは、あたしの就寝時間が早い、という致命的な理由もそこに加わりますけど(笑)。

ペガサス書房へ行って来ました!

フジテレビ系の話題のドラマ「戦う!書店ガール」の舞台・ペガサス書房、もとい、ジュンク堂書店吉祥寺店へ行ってきました。

いやー、久しぶりです。二年前までは営業担当でしたので毎週一回は顔を出していたのではないかと思いますが、担当が代わってからほとんど来ることもなく時が流れてしまいました。

実は、帰路、吉祥寺に立ち寄らなければならない用事がありまして、久々に吉祥寺で中央線から降り改札口を出たので、ちょっと寄ってみるか、と思い立ったわけです。もちろん、この季節も影響していたと思います。小田急線沿線を営業していて下北沢経由で帰宅する場合、この吉祥寺で井の頭線から中央線に乗り換えるわけですから、当然降りるし、改札も出るのですが、やはり冬の季節は夕方が早々と暗くなるので、なんとなく「帰心矢の如し」で寄り道もせずに家路を急いでしまいます。

でも、いまくらいの季節になると夕方もかなり明るいですから、なんとなく「まだ早いから」という気になるものです。幸い、今日は雨も降らずにいてくれたので、そんなところも後押しになったと思います。

というわけで、久しぶりにパルコブックセンターとジュンク堂に寄ってみたという次第。もちろん、ペガサス書房、否、ジュンク堂書店で『書店ガール 4』を購入するのも目的の一つです。

あえてドラマの舞台で購入するというのもこだわりではありますが、そのおまけとして「特製ブックカバー」がある(もらえる?)というのもアドバンテージです。

上の写真が、そのブックカバーです。あえて本にはかけてもらわず、そのままの状態で持ち帰ってきました。だからなんだ、と言われても、なんとも言えませんが、稲森いずみも渡辺麻友も映ってはいないのですね(汗)。さすがに、そういうカバーだと欲しがる人と、あえて欲しがらない人の差が出てしまうからでしょうか?

で、ブックカバーと言えば、こんなのもいただいてしまいました!

5月17日はお茶漬けの日、なんだそうです。わざわざ「ジュンク堂」って入っていますけど、コラボ・ブックカバーなんでしょうね? ユニクロのTシャツを思い出します。

さてさて、ドラマについては視聴率がよくないとか、全11回放送されずに途中で打ち切りになるのではないか、といったネットの口さがない噂も出ていますし、「あんな書店員はいない」とか、「事務室が広すぎる、きれいすぎる」とか、書店員の異議申し立ても多数あるようですが、所詮ドラマです。どの業界を描いても、それなりの演出とかデフォルメはあるものではないでしょうか?

そんなことよりも、ドラマを見て「本屋さんって面白そうだな」「本屋さんってあんなに頑張っているんだ」と思ってくれる人が一人でも増えれば、それで御の字ではないでしょうか? ちなみにペガサス書房、否、ジュンク堂書店吉祥寺店には、やはりドラマを見てわざわざ見に来るお客さんがそれなりに増えているそうです。ドラマの舞台ということで写真を撮っていく人もいるのだとか。

そういう人って、実際に吉祥寺のジュンク堂へ来たら「わぁー、ペガサス書房だ!」という感想なんでしょうけど、あたしはドラマを見ながら「あー、ジュンク堂吉祥寺店だ」という感想が出ちゃうんですよ(笑)。

100分では物足りない荘子

紀伊國屋書店新宿本店の3階、人文書コーナーで、明治書院さんのフェア「四書から始める中国思想」をやっていました。あっ、フェアのタイトルが間違っていたらゴメンナサイ、メモしてこなかったのでうろ覚えです(汗)。

それでも、ずらりと並んだ新釈漢文大系は圧巻です。それと共に新書漢文大系も並んでいます。中国学を学んだ者の端くれとして新編漢文選が並んでいないのが残念ですが、まあ、軽く指摘するに留めておきましょう。

このような漢文大系、あたしが学生のころはこの明治書院の大系の他に、冨山房の「漢文大系」、集英社の「全釈漢文大系」、明徳出版社の「中国古典新書」、角川書店の「鑑賞 中国の古典」、平凡社の「中国古典文学大系」などがありました。その当時、既に古本でしか手に入りませんでしたが、「国訳漢文大成」「漢籍国字解全書」といったシリーズもありました。各シリーズはそれぞれ一長一短、論語や老子、孫子のようにほとんどのシリーズに収録されている作品もあれば、あるシリーズにしか収録されていない古典もあります。複数のシリーズに収録されている場合には、比較検討して選んでいましたので、シリーズを使い分けていたわけです。

閑話休題。

紀伊國屋書店のフェアです。このフェアに興味を持つ方に今さら「四書とは」なんて講義をする必要はないでしょうが、今回の場合、NHKの「100分de名著」が『荘子』を取り上げているので、あえて「四書」ではなく、荘子などを手に取ってもらうのもよいかも知れません。

その「荘子」ですが、翻訳は数多くあります。まず上掲のシリーズにはどれにも「荘子」が入っている(いた)はずです。でも、現在であれば一般的でお手軽なのは文庫でしょうか? まずは岩波文庫から。

   

中国古典を読むといったら、まずは岩波文庫を探すのが王道ですね。ついで、中公はクラシックス。

 

ちなみに中公新書にこんなのもあります。

次に朝日文庫ですが、もうほとんど在庫が残っていないのでしょうか? 朝日新聞出版のサイトでも品切れとなっている巻があります。残念です。

上掲の朝日文庫は全部で4巻か5巻、出ていたはずです。次に講談社学術文庫ですと

 

になりますが、同文庫にはこんな本もあります。

 

ちくま学芸文庫ですとこちらになります。

  

徳間文庫にも「荘子」はあります。

これは全訳ではなく抄訳ですが、とりあえずエッセンスだけ読んでみるのであれば、このくらいでも十分かと思います。そもそも『荘子』は『老子』ほど短くはないので、文庫本では一冊で収まりません。一冊になっているのは全訳ではなくほぼ抄訳だと考えて間違いありません。他にも

 

などがありますので、お好きなものを選べばよいと思います。

「どれがお薦めですか?」と聞かれるのが一番難しいです。たとえば、これが中国思想をこれから学ぼうという大学一年生に聞かれた場合と、「100分de名著」で興味を持ったのでちょっと読んでみたくて、という方とでは薦める本も変わってきますから。

もし紀伊國屋書店やジュンク堂書店のような大きな書店で、ここに挙げたような『荘子』が軒並み揃っている書店、あるいは図書館に行かれたなら、同じ篇や章を読み比べてみて、どれが一番自分にしっくりくるか、それで選べばよいと思います。また荘子その人や周辺情報にも興味があるのであれば、解説などにページを比較的多く割いているものがよいでしょう。

あと『荘子』に限らず、この手の中国古典の現代語訳は原文が載っているか、書き下し文(いわゆる訓読)が載っているか、日本語訳だけなのか、そういった違いも考慮すべきだと思います。いずれにせよ、とても100分では味わい尽くせない、とは言いませんが、100分で終わらせてしまうにはもったいない古典です。

天才の習慣

有村架純主演の映画「ビリギャル」ですが、書籍も相変わらず売れているのでしょうね。はい、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のことです。

ただ、この類いの本って昔からありますよね。「学校一の落ちこぼれが……」とか、「地域ナンバーのワルが……」といった話です。元暴走族が弁護士になったとか教師になったとか、実は掃いて捨てるほどあるのではないでしょうか?

あたし自身、出版業界にいる人間として、なにはともあれ本が売れてくれるのは嬉しいことですし、売れる本が出てくるのも好ましいことだと思っています。ただ、個人的な感想を言えと言われたら、こういう本がもてはやされる風潮って好きではありません。

ダメだった子が努力して頑張って、最後に夢をつかんだというストーリー、確かに清々しくて、キラキラしていて、嬉しい気持ちになるのかも知れません。

でも、あたしは思うのです。そんな落ちこぼれが頑張るのをもてはやす前に、普段から地味だけどきちんと努力して、そこそこの成績を収めている人をもっと称えるべきではないのか、と。東大に合格するのだって、弁護士になるのだって、医者になるのだって、普段から地道に努力して、決して目立つようなことはなかったけれど、目標に向かってしっかり努力を続けてきて、その結果として目標を実現する、それが大多数の人だと思います。そういう普通の人をもっと褒めてあげるべきではないかと、あたしは思うのです。

普通の人をもっと褒めてあげないと、普通に努力することがバカらしくなってしまいます。そういう風潮が一番怖い、そう思います。しかし、世の中の人は、そんなつまらない努力、地味で目立たないこと、華々しさに欠けるストーリーには興味ないんですよね。本屋映画もヒットしないでしょうし。

たぶん、そういう劇的なことが好きだからなのでしょうか。最近はこういう本も売れているみたいです。

 

天才たちの日課』、そして『偉大なる失敗』です。天才と呼ばれた人々が何をしていたか、それがつまらない習慣だろうと失敗談だろうと、最後は天才としての栄光に結びついたのだと考えて、それを参考にしようと思うのでしょう。書かれている内容が劇的かどうかはともかく、そして彼らの生涯が劇的であったかもおくとして、やはり天才と呼ばれる人、つまり普通ではない人に憧れる気持ちがあるのでしょう。

だったら、こんな本、痛快で面白いと思うのですが。

バンヴァードの阿房宮』です。サブタイトルは「世界を変えなかった十三人」、「大きな夢と才能を持ちながら歴史に名を残せなかった人々」の物語、つまりは失敗者列伝です。成功した人よりも失敗した人に学ぶことの方が多いのではないでしょうか? この本は笑えますし、涙も誘われます。

敗北を抱きしめているか?

TBS系「報道特集」にジョン・ダワー氏が出ていました。キャスターがアメリカでロング・インタビューしたもののダイジェスト放送のようでした。なかなか興味深く、考えさせる内容でした。

 

ジョン・ダワーと言ったら、これ、『敗北を抱きしめて 上』『敗北を抱きしめて 下』でしょう。あたしは未読ですが、今宵のインタビューを聞いていて、やっぱり読んでみようかなと思いました。たぶん、あたしのようにこの番組を見て「改めて読んでみようと思った」とか、「こんな本が出ていたんだ。初めて知った」とか、そんな感想を抱いた人も多いのではないでしょうか? 「報道特集」の視聴率がどのくらいあるのか知りませんが、こういった番組を見ている人であれば、この機会に『敗北を抱きしめて』に手を伸ばそう考える人もそれなりに多いのではないでしょうか?

となると、あたしの勤務先の『廃墟の零年1945』も再び売り上げが上がってくるのではないでしょうか? そんな期待を抱きたくなりますし、実際そうなって欲しいですし、そうなるだけの内容を持った本であると自負しております。なにせ、オビには「『敗北を抱きしめて』の世界版」なんて書いてありますし……(汗)

しかし、この手の戦後70年の議論を見たり聞いたりしていて素朴に思う疑問がいくつかあります。

まず、時代に合わせて憲法の内容も見直すべきだ、という原則論は賛成しますし、環境権とか、現憲法の成立・施行時には想定もされていなかったような部分を補わなければならない、という意見にも異存はありません。ただ、憲法って原則中の原則を示すものであって、そんなに細かなことまで書いてなければいけないものでしょうか? それに象徴でもある9条を改正するというのは、海外へのアピールという面から考えて、プラスよりもマイナス面の方が大きいのではないか、という気がします。

改憲論議で言えば、自主憲法にこだわる人の意見も理解に苦しみます。憲法ってその内容を云々するのはよいとしても、誰が作ったかなんてどうでもよいのではないでしょうか? 少なくとも、どこの馬の骨が作ったというわけではないのですし、世界に誇れるすばらしい内容なのに、自分たちが作ったものでないから変えるべき、というのは説得力を感じません。

あと、いまの自民党は戦争がしたくてしたくてたまらないみたいに見えますが、この話は湾岸戦争のころから聞こえてきたように思います。そして、そのころからやはり言われるようになったと思えるのが「普通の国」という単語です。曰く、日本も普通の国になるべき、と。「報道特集」でダワー氏も言っていましたが、この「普通の国」っていったいどんな国なのか、その定義を聞いたことがありません。少なくとも自民党の人たちから、納得のいくような「普通の国」の定義を説明された覚えはないと思います。

「普通」と言えば、いまの状態が普通ではなく、それはよくないことであって、一刻も早く「普通」にならないといけない、という錯覚を生むのではないでしょうか? 「普通の国」という言い回しを考えた人は実に頭がよいというか、悪知恵が働くというか、底意地が悪いというか、ずる賢いというか、そんな人だと思います。

   

とりあえず、ジョン・ダワーの本がまた売れるのではないでしょうか? それでなくとも今年は戦後70年なので売れそうな気配がありますが……

自殺を考えたこと、あります

恐らくオタク以外の人は見ていないと思いますが、深夜にやっているAKB48の新番組「僕らが考える夜」は、テーマだけは重いものを扱っているようです。第一回目は「いじめ」、そして第二回は「自殺」について語り合うようです。

その自殺です。

日本は自殺率の非常に高い国だというのは既にあちこち報道されていますが、中でも中年サラリーマンの自殺率が高いようですね。長引く不景気に反比例するように周囲からの圧力は高まり、もともと仕事とは別に趣味を持つことの苦手な日本人では、自殺に走ってしまうのも理解できるところです。

でも、AKBの番組はこういった中年の自殺を取り扱うのでしょうか? それとも「いじめ」からの流れで中高生の自殺について語り合うのでしょうか? たぶん後者でしょうね。だって彼女たちでは中年サラリーマンの悲哀など理解できないでしょうから。

さて、自殺ですが、実はあたし、自殺してみようと考えたことがあります。こんな軽く書いては不謹慎と言われるかも知れませんが、あたしの場合、人生に悲観してとか、いじめられてとか、すべてが嫌になってとか、そういったことで自殺をしたいと思ったわけではありません。

じゃあ、なぜ、と聞かれたら、「死後の世界ってどういうところなのか知りたいと思ったから」、あるいは「死んだ後、どうやったらもう一度生き返ることができるのか実験してみたくなったから」と答えるしかありません。はい、単純にわからない世界に対する興味です。あくまで、もう一度こちらへ戻ってくることが前提です。

そんなことできるわけないだろう、と言われるのはわかっています。戻ってくる方法が確立していないから、あたしも実際にやってみることは躊躇っているのです。もし死んでも、確実に生き返ることができるなら、死んでみたいとは思います。いや、あたし以外にもそう思う人は大勢いるのではないでしょうか?

しかし、それが出来ないのであれば、やはり生きられるだけ生きていたいと思います。

あたしは小学校のころ、今で言う「いじめられっ子」でした。あたしの時代ですから、昨今ほどの陰湿さはなかったですし、クラス中から無視されるような感じでもありませんでした。とはいえ、それは昨今のイジメの実態を見聞きした上で、とうにそれを通り過ぎてきた今だからこそ振り返って言えることであって、当時のあたしの心は、現代のいじめられっ子の苦しみとさほど変わらないものだと思います。

中学、高校でも同じような感じで、「いじめられっ子」という表現よりも、むしろ「嫌われっ子」と呼んだ方が正確かもしれません。とにかく「他人は信じられない」「他人はきっと最後は裏切る」という考えが骨髄にまでしみこんだ学生時代でした。ただ、そういう時も自殺を考えたりしたことはありませんでした。クラスで嫌われていても、「自分は絶対にクラスの嫌な連中よりも長生きして、あいつらの存在しない世界を味わってから死ぬんだ」と思っていました。自分で死ぬことも考えず、だからといって嫌いなクラスメイトを殺そうとも思わず、いつか彼らが死ぬのを待つ、そういう発散の仕方、気持ちの処理の仕方をして自分を励ましていました。

最後の最後まで、誰よりも長く生き延びること、それが大事だと幼心に決意したのです。

第二話が始まる前に

今宵、「戦う!書店ガール」の第二話が放送です。

第一話放送後、ネットでは書店員を中心に「実際はこんなじゃない」「きれいごとすぎる」といったコメントも多かったと聞きます。実際のところ、あたしが回っている書店員さん、忙しくて自宅でゆっくりテレビどころではないので、「はい、あたし熱心に見ています!」という人にはまだ逢っていません。

では、あたしの感想はといいますと、あくまで書店員ではなく、その周縁をうろうろしている出版社の営業という目から見た感想ですが……

まず、どの業界を舞台にドラマを作っても、その業界の人から見たら「あんなの嘘だ」という突っ込みどころはあるものだと思います。ですから、このドラマも実際の書店ではありえないことも散見すると思います。そもそも書店だって千差万別。毎日毎日引きも切らずに客が来る、都会のターミナルにある書店と、地方の人口も少なく、本を買う人も数えるくらいしかいないところに立地している書店では、同じ書店員とはいえ日常的にやることがまるで違うと思います。ですから、どの立場から書店の仕事を云々するのか、にもよるのではないでしょうか?

で、このドラマの舞台となっているのは東京の吉祥寺。住みたい街ナンバーワンを何年も守っている、若者から年寄りまで多くの人に愛されている街です。新宿や渋谷ほどではないにせよ、それなりに人も多く、客足の絶えない場所に立地していると言えます。ドラマでは出てきませんが、実際のジュンク堂書店吉祥寺店は2フロアある書店ですから、アルバイトも含めスタッフもそれなりの数が働いていますので、数人で回している小さな書店とはやはりいろいろ違うのではないでしょうか?

さて第一話は、いきなりサイン会。急転直下でサイン会が決まり、連絡が行き届かずタレントはわがままでやらないと言い出す始末。しかし主人公まゆゆの熱意が通じて、イベントは大成功のうちに終了。はい、できすぎですね。そんなこと書店員でなくとも言える感想です。

でも、書店でのタレントのサイン会をテーマとした場合、他にどんなシナリオが考えられるでしょうか? ファンに紛れて刃物を持った人がタレントに切りつける? そこまでいくと書店員のかつ役どころで解決できるレベルではありませんよね。もう一つ、何かトラブルが出来する、たとえば本が届かないとか、タレントが急に来られなくなるとか? うーん、どちらもやはり書店員の努力でクリアできるような問題ではなさそう。

結局はドラマのような展開がオーソドックスではありますが、一番「らしい」のではないでしょうか? ただし、金持ちのお嬢様という設定だから致し方ありませんが、まゆゆがコミックをがんがん買い込んだり、タレントのことをよく知ろうと福岡まで行ってくるなんていう金銭感覚、散財ぶり。これはちょっとなあ、と思ってしまいました。これがごくごくフツーの書店員だったら福岡へいきなり行ってくるなんて無理ですし、そうなるとどうやってタレントの心を動かしたんだろう、という気もします。

しかし、考えてみると、テレビに向かってああでもない、こうでもないと文句をつけながら見ていられるなんて、とても平和だなあと思いますし、ほのぼのとしているんじゃないかと感じます。

そして、ロケ地であるジュンク堂書店吉祥寺店は、あたしの勤務先をご贔屓にしてくれているのか、書棚が画面に映るたびにうちの本がしっかりと映り込んでいて、そんなところだけを取り上げると、とてもよいドラマだと思ってしまいます。

ドラマに突っ込む前に

フジテレビ系と言うべきか、関西テレビ系と言うべきか迷うところですが、とにかく新番組「戦う!書店ガール」が始まりました。あたしは、まだ録画してあるだけで視聴していないのですが、ネットでは早くも突っ込みが巻き起こっているとか。

実際の書店員から見て「あれはおかしい」「あんなことあるはずない」といった突っ込みが入るのは、恐らく制作者側にしろ、原作者の碧野さんにしろ織り込み済みだと思います。そんなこと言っていたら、どんなドラマだって業界を描けば「おかしな」ことのオンパレードではないでしょうか?

もちろん「おかしい」レベルなら演出と割り切れるでしょうが、「絶対にありえない」というレベルになると眉をひそめたくなる気持ちもわかります。もちろん一回や二回くらい出てくるのであれば笑って済ますこともできるでしょうが、それが頻繁にあると、やはり言いたくもなるでしょう。

ただ、あたしはと言えば、どちらかとドラマ評価は、まゆゆが主演だからということを抜きにしても、割と甘めで、楽しく見られればいいじゃない、というスタンスなので、あまりにもひどい描き方でもない限り、目くじらを立てたいとは思いません。書店が舞台の話ですから、書店員ではないあたしには実際のところどうなのかわかっていない部分も多々あるでしょうから、そんなことを根掘り葉掘りしたいとは思いません。もちろん商売仲間である出版社の人間もドラマには登場するのでしょうが、その描き方がおかしくても、やはり突っ込みを入れたいとは思いません。

もちろん、笑い話的に突っ込むくらいなら許せますし、あたしだってするかも知れませんが……

でも、今回のドラマ、せっかく書店が舞台なんですから、やはり業界としては突っ込みを入れるよりも、プラスの部分、明るい部分、希望を持てる部分に目を向けて、少しでも書店が、そして出版業界が契機づくように盛り上げていくのが正しいあり方なんじゃないかな、と思います。

恐らく、多くの書店員さんは、あたしと同じように好意的に見ているのではないかと思います。目くじらを立てているのはごくごく少数の人でしょう。もしかすると書店員ではないかもしれません。そして、ほとんど大多数の書店員さんは、このドラマをのんびり自宅で見ているような時間的体力的な余裕がないのが実情ではないでしょうか?

そうそう、このところ書店でお店の方とこのドラマの話題になることがありますが、女子書店員の多くは「渡辺麻友みたいなカワイイ子が書店員でいるわけないじゃない」と言いますが、これについては断言できます。

渡辺麻友クラスのカワイイ女性、書店員にだってたくさんいます。まゆゆ以上にカワイイ(と、あたしが思っている)女子書店員だっています!