あたしには、タラレバなんて無い!

人気コミックの『東京タラレバ娘』がドラマ化されるそうで楽しみです。

  

  

「第6巻」まで刊行中で、まもなく「第7巻」が刊行になるようです。

ドラマは吉高由里子、榮倉奈々、大島優子が主役の三名を演じるわけでして、まあ、コミックと実写を同列に論じてはいけませんが、コミック版の「そこそこきれいなんだけど、なんかちょっと残念」な感じが、この三名で醸し出せるのか、そこが鍵になるのではないでしょうか?

この「たられば」、あたしなどが説明するまでもなく、「あの時、あーだったら、もっと、こーしてれば」という後悔先に立たず之女たちの、ああでもないこうでもない生活を描いたものですが、実際にこういう人って多いのでしょうか?

あたしは、もうこんな歳になってしまいましたが、これまで「たら、れば」と思ったことはありません。いや、大学生のころとか、20代前半くらいまではちょっと思っていたかも知れませんが、その後はまず思いません。

逆に、あたしはこう考えます、たとえ、あの時ああしていたとしても、結局今のこの状態になっていたはずだ、と。

運命論じゃというつもりはありませんが、どんな選択をしたとしても、結局はこうなるものだ、という諦めに似た気持ちを、この数十年は抱いているので、「あの時ああすればよかった」的な感傷に浸ることはないんです。

でも、キットこのドラマは見ます!

キラキラネームと「子」

キラキラネームってここ数年言われるようになりましたが、どのあたりまでを指すのでしょうか? 珍しいとか、漢字が難しいだけではダメですよね? キラキラしてないから。でも、キラキラって、個人差もあるので、何をもってキラキラと言うのか……

その反面、女の子の名前に「子」が付かなくなって久しいとも言われます。少し前に、いや、かなり前かも知れませんが、松嶋菜々子、常盤貴子、竹内結子、矢田亜希子などなど、活躍している女優に「子」の名前が多いというので、「子」が少し復権した時期もあったように感じたのですが、最近の女優はまた「子」が減っているような気もします。

これがアイドルだともっと顕著ですが、AKB48のかつての2大エース、前田敦子と大島優子は、考えてみると二人とも「子」が付いていますね。でも、それ以外、特に最近のメンバーはほとんど「子」が付いていないようです。

で、あたしの箱推しの乃木坂ちゃん、一期生・二期生合わせても現在のメンバーでは北野日奈子と佐々木琴子の二人しかいません。二人とも二期生ですから、一期生(OGを除く)には「子」の付いた名前の子はいないということです。ちなみに、昨年選ばれた三期生ですが、12名のうち「子」が付くのは暫定センターに選ばれた大園桃子ただ一人です。やはり、アイドルを目指すには「子」はダメなのでしょうか?

そして欅坂46です。欅坂46とけやき坂46の全メンバーを合わせて32名ですが、「子」が付くのは齊藤京子の一人だけです。もう一人、長沢菜々香が「ななこ」と読むのですが、この「こ」は「子」ではないので、グレーゾーンでしょうか?

と、ここまでですと、「やっぱりアイドルには○○子なんて名前はダサいのか?」という気もしてしまいますが、彼女たちのブログを読んでいると面白い現象が見られます。特に欅坂46のブログでしばしば目にするのですが、ニックネームなどにあえて「子」を付けて呼んでいる、書いていることがあるのです。

たとえば、最年少センターとして何かと話題の平手友梨奈は「てち」と呼ばれていますが、ブログの中では他のメンバーからしばしば「てちこ」と呼ばれ(書かれ)ています。今泉佑唯は「ずーみん」というニックネームが基本なのですが、これもしばしば「ずみこ」が登場します。長濱ねるなどは「ねる」という名前からして既に異色、これはキラキラなのか否か、あたしには決められませんが、ブログでは「ねるこ」と呼ばれることがままあります。

このように、全員ではないのですが、ニックネームなどに「こ」を付けて呼ばれる子が何人もいるのです。これってなんか不思議です。親は「子なんてダサい」と思って命名したのでしょうが、子どもたちはそこに「こ」を付けて呼び合っている。なんとなく社会学の研究対象にでもなりそうな現象にも思えます。ただ、音声として「ko」をつけて呼ぶぶんには、それが「こ」なのか「子」なのか判明せず、ブログでも上記の例で「子」と漢字表記しているのは見かけません。こんなところに、この現象を解く鍵があるのかもしれませんが、あたし的には最近ちょっと気になっていることです。

負け惜しみです

毎年恒例の箱根駅伝。母校(東洋大学)が活躍していないと、ほとんど見ることもないので、この数年は全然と言ってよいくらい視聴していないのですが、これだけテレビやスポーツ新聞が取り上げていると、嫌でも目や耳には入ってきます。

それはそれでよいのですが、ここまで取り上げるのはやりすぎではないか、という気もします。確かに人気のコンテンツなのはわかりますが、日本って高校野球や大相撲、あるいはかつての巨人偏重のプロ野球中継というように、あまりにも偏ったスポーツ中継が多いなあと感じます。大学スポーツって箱根駅伝以外にもたくさんあるのに、なんでもっと取り上げてあげないのだろう、と。ラグビーやアメフトなどはまだマシな方ですかね?

しかし、そんなことよりも、大学なんだから、もっと学術的なことでニュースに取り上げられることはないのでしょうか? そりゃ、ニュースを細かく見ていれば、いろいろな大学で画期的な取り組みや研究が行なわれていることが報じられているのがわかりますが、箱根駅伝に比べてあまりにも扱いが小さすぎます。

スポーツだって知育、体育、徳育の一つなのでしょうけど、やはり最高学府である大学は、学術的な研究でこそ取り上げられて欲しいと思います。スポーツ以外では、アホサークルの連中によるセクハラ事件とか入試などの不正が多く、学術的なことはノーベル賞クラスの賞でも取らないと滅多に脚光を浴びませんね。哀しいことです。

ちなみに、出版業界には東洋大学出身者が多い気がします。

めでたいのか、めでたくないのか?

正月も三が日を過ぎ、今日で年末年始休暇も終わり、明日からは仕事です。

という本日1月の4日は、乃木坂46のみさ先輩、欅坂46のうえむー、二人の誕生日です。

 

左がみさ先輩、右がうえむーです。姉妹グループで誕生日が同じ日って珍しいのか、ありがちなのか……

それはともかく、こういう休み中に誕生を迎える人ってままいますよね? 誕生日がクリスマスの近くなので誕生祝いやプレゼントは一つで済まされる、4月の初めなので学校が始まったときには誕生日が終わっていて級友に祝ってもらえない、8月の誕生日なので、友達と誕生会が開けない、などなど。

こういうのってめでたいのか、めでたくないのか、本人でないとわかりませんが、悔しい思いも多々あったのではないでしょうか?

朗報が届いた元日

毎年のことですが、紅白は最後まで見ていません。昨年(昨日? 昨晩?)も欅坂46のパフォーマンスは見たものの、乃木坂46が出てくる前に就寝。なので、毎年、赤が勝ったのか白が勝ったのか知らずに正月を迎え、ネットの書き込みでいろいろ知るわけでございます。

紅白歌合戦の勝敗は、毎年、別に気にしてはいません。どっちが勝っても負けてもどうでもいいよ、という感じです。今回の紅白では坂道グループが姉妹揃って出場できたことがまず嬉しいのとは対照的に、48グループの凋落が哀しいものです。清楚を売りにする坂道グループに対して、指原莉乃を筆頭にスキャンダラスなイメージが先行し(決して過去に乃木坂にスキャンダルがなかったとは言いませんが……)、これでは世間の人気も離れていくのは仕方ないことでしょう。48グループも好きなあたしとしては一抹の寂しさを覚えます。

そんな48グループで一番気になっていたのは、紅白選挙です。巷間、大量得票できる毎年の総選挙に対し、今回は実人気に近い結果が出るのではと言われていたので個人的にも注目していました。そして結果は……

さや姉が見事に第一位を取りました。これが実は一番嬉しいニュースだったりして……(汗)

現在の48グループでは、あたし、イチオシはさや姉です。なので、今回の総選挙、少なくとも総選挙で毎回後塵を拝している松井珠理奈よりは上位に行って欲しかったと思っていたのです。それがなんと、松井珠理奈を上回るどころか、指原莉乃をも打ち破っての第一位。別にあたしが一票を投じたわけではありませんが、とても嬉しいです。

結果を知る前から、写真集の売り上げなど、様々な条件から、さや姉が割とよい順位に行くのではないかとは予想していました。もしかしたら第一位もまんざら夢ではないと密かに思ったりもしていましたが、まさか本当に第一位を取れるなんて。

さや姉は、いつまで48グループにいるのでしょうね? ソロアルバム、ソロツアーも実現し、あとは総選挙で一位を取ったら、48グループにいる意味がないのではないか、そんな気もします。かといって、ソロになってやっていけるほどの実力を備えたかというと、まだちょっと心許ないところもありますし。

ともあれ、この年末年始は、世間はともかくテレビなどの需要では、48グループから46グループ(坂道グループ)に完全に人気が移ったことがわかるような扱いでしたね。坂道派としては、ここで気を緩めず、今年もさらに坂を上っていってもらいたいものです。

そうそう、先程、乃木坂46の福袋が届きました。

やっぱりタバコは嫌い

昨夕、食事時、見るとはなしにテレビを付けたら、マグロ漁師の番組が放送されていました。テレビ東京系なので関東ローカルかも知れませんが、「洋上の激闘!!巨大マグロ戦争2016」という番組です。

ちょうどチャンネルを合わせたときに放送していたのは、長崎の漁師。マグロを美味しい状態で市場に出すためにいろいろ気を遣って漁をしているのがわかりました。

が、この漁師、漁をしているときなどしばしばタバコを咥えて作業をしているではありませんか!

あたしはタバコが嫌いです。タバコを吸う人も基本的には嫌いです。ですから、マグロなど食料を扱う人がタバコを吸っているなんて許せません!

思い出してみますと、あたしが幼いころ、商店街の魚屋さんのおじさんって、タバコを吸いながら仕事をしていたな、と思います。おぼろげな記憶ですが、確かにタバコを吸いながら仕事をしている人、魚屋さんに限らず多かった時代です。まあ、そういう時代だったのでいまさら目くじらを立てる気はしませんが、昨夕の番組は平成のご時世です。健康などにうるさくなった現代です。それなのに、相変わらずタバコを吸いながら漁をしているなんて……

昨今のスーパーでは、野菜など生産者の顔写真と名前が入った状態で売られているものを見かけるようになりました。魚も同じように漁師の名前が載るようになったら、少なくとも昨日の長崎の漁師が釣り上げたマグロはちょっと買う気が失せます。

とはいえ、あたしが知らないだけで、タバコを吸いながらやっている人って、漁師に限らずまだまだ多いのでしょうね。それを言い出したら、何も食べられなくなってしまいますが……

オンリー・ワンよりナンバー・ワン、だと思う

SMAPの解散を受けて、テレビやラジオでも彼らのヒット曲「世界に一つだけの花」をよく耳にします。よい曲だと思いますし、この歌がヒットするのも宜なるかな、と思うのですが、初めてこの曲を聴いたときに、あたしはものすごい違和感を感じました。

まずタイトルです。「世界に一つだけの花」って、つまりその花が枯れてしまったら、もうこの世には存在しないわけでしょ? ほとんどの人がイメージしているのは、根っこが残っていれば来年も花が咲く多年草ではなく、花が散ったら枯れてしまってもう終わりという一年草の花だと思いますが、あたしもそうです。だから、この花が枯れたら終わりか、と思ったのです。

つまり、たった一頭だけしか生き残っていなかったゾウガメの「ロンサム・ジョージ」を思い出したのです。今となっては、スマップの解散の時に流されるのは象徴的で、逆にふさわしい感じがしますが、とにかく、あたしが最初に聴いた時に感じたのはそういう違和感です。

DNAレベルでは、確かに人だって一人一人異なるわけですが、「一人一人違う種を持」っていたら、子孫を残すことはできません。そんなことをよしとするなんて、少子高齢化に向かう現代の日本を見事に歌った歌だと言えるかもしれませんが、そんな風に捉えるあたしは、あまりにもひねくれているのでしょうか?

でも、やはり競争って大事ですよね? 民主党政権時代の蓮舫のセリフを思い出しますが、ナンバー・ワンを目指すってことは大事だと思います。ただ全員が同じことでナンバー・ワンを目指す必要はなくて、人それぞれが自分なりのナンバー・ワンを取れる分野を見つけることが大事なのではないかと思うのですけど。

逃げ恥の最終回から考えられること

大人気だったドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」、あたしもしっかり見ていました。年甲斐もなくキュンキュンしてましたよ(笑)。

で、その最終回。巷間、いろいろ意見が飛び交っているようですが、あたし自身は特に不満もなく愉しく視聴したのですが……

とりあえず、平匡がリストラに遭い、これまでのようにみくりを家事労働者として雇用できなくなって、正式な結婚という選択肢を考えるところ。みくりは逆に家事労働の対価という考えから拒絶反応を示すわけですが、ここまでの流れを考えれば、(お互いの恋愛感情はおくとして)みくりの考え方が自分勝手だとは思いません。むしろ当然の思考回路だと思います。

あたしがおかしい、というか、問題だと考えるのは平匡の方で、もしあたしが平匡の立場であれば、ここは潔く雇用関係を清算し、また一人暮らしの生活に戻ります。だって、お金がない以上、みくりを雇い続けることができないわけですから。なんで、あそこで結婚、つまり「主婦となれば家事をやるのは当然」的な発想の選択肢を選ぼうとしたのか、そこが理解できません。

結局、それが愛し合った二人、好きになってしまったのだからしょうがない、ということなのでしょうか? 人生において、これまで一度も恋愛をしたことがない、少なくともこういう相手に巡り会ったことがないあたしには、平匡の選択が理解できないのです、残念。

ただ、それよりももっと気になっていたのが、百合ちゃんと風見くんの関係です。

風見くんが百合ちゃんを「抱きたい」と思った点は、まあ「だって石田ゆり子だし……」と思わなくもありませんが、それはそれ、個人の好みの問題。問題はこの二人の今後です。

男女として付き合うのでしょうか? 結婚はどうするのでしょうか?

普通の恋愛をしたことがないので(もちろん、異常な恋愛もしたことはありません!)、付き合うことが即結婚となるのか否か、あたしにはわかりません。ただ、あたしだったら、結婚を考えずに恋愛をするというのはありえません。だから結婚を前提としない男女交際はできないし、必要としません。

さて、そういうフィルターをかけた上で百合ちゃんと風見くんです。

はっきり言いまして、百合ちゃんはああ見えてアラフィフという設定だったはずです。それがどうした、と言われそうですが、どうでしょう、普通に考えて結婚はともかく、子作りとなると厳しいというのが現実ではないでしょうか? となると、百合ちゃんと風見くんが結婚しても子作りはない、と考えてよいのでしょうか? 二人の問題にとやかく言うのは野暮ですが、子供を作らないという選択肢、昨今の夫婦では増えていますよね。あたしの周囲にも数多く見かけます。

それはそれでその夫婦の自由ですから構いませんし、欲しくてもできないカップルもあるのでしょうから外野が意見できることではありません。ただ、あたしの場合、あたしは結婚するなら子供が欲しいと思います。子供を作るつもりのない結婚は考えられません。となると、子供を産めるということを条件にすると、それなりの年齢(若さ)でないとダメということになります。

そういった瞬間に「おまえ、自分の歳を棚に上げて、よくもそんなことが言えるな」と怒られそうですが、そう思っているのですから、他人にとやかく言われる筋合いではないでしょう。ただ、あたしだって自分のことはわかっていますから、棚に上げるなんてつもりはありません。つまり、あたしは結婚も子作りも、もう諦めないといけない、ということです。

であるならば、恋愛も諦めるしかない、ということであり、異性とのお付き合いはこれまで一度もない、だけでなく、一生縁なく人生を終えざるを得ない、ということになります。それが結論です。

そんなことはない、チャンスはある、と励ましてくれる人がいたとしても、現実問題として、あたしと結婚してくれる若い女性がいるとはとても思えません。いや、若くなくても結婚と子作りを両立する方法として、子持ちの女性を嫁にもらうという方法もあります。この場合、自分の血を分けた子供は諦めることになりますが、あたしみたいにひねくれた人間の遺伝子なんて、この世に残さない方が世のため人のためだと思いますので、そこはこだわりません。

しかし、どちらの方法にしても、そもそも結婚の前にあたしを好きになってくれる女性が存在するというのが想像できません。だから、やはりこのままいくと、あたしの未来には孤独死が手招きして待っているということになりそうです。

やはり似ている、よね?

今朝の朝日新聞に、欅坂46のナチ風衣裳の記事が載っていました。

個人的には、そこそこワイドショーなどでも取り上げられていたので、(たぶん世間的には悪い意味で)「欅坂46」というグループ名が浸透したのではないかと思います。そして、散々取り上げられていたので、いまさら朝日新聞がなんで取り上げるの(?)という素朴な疑問が……

 

記事中で引用されているのは『軍装・服飾史カラー図鑑』に掲載の図版のようですが、このイラスト、まんま『ヒトラーの絞首人ハイドリヒ』のカバーみたいですね。ちょっと制帽を斜めにかぶるのが規則だったのでしょうか?

欅坂46のハロウィン衣裳は、ググってみればいまだにネット上にはたくさん残っているでしょうから、この記事を読みながら見比べてみてください。

あたし自身は、やはり、彼女たちは被害者だったと思います。

ただ、まだ若いとはいえ高校生から大学生くらいの年齢、つまりそれなりに大人であり、知識を備えている年齢の子たちです。いくら遠いヨーロッパの国のこと、とっくの昔の戦争の話としても、彼女たち自身も今回の衣裳を渡されたときに、「このマーク、大丈夫だろうか?」と思う程度の歴史知識は持っているべきだったのかも知れない、とも思う今日この頃です。

いや、それを言い出したら、誰もが近現代史に関する知識は不十分なんでしょうけど……

『知らない』ことが『風化』そのもの

というコメントが胸に響きます。

ちなみに新曲はかなり爽やかです!

平匡は本当にプロの独身なのか?

ガッキー主演の「逃げ恋」にはまっています。ガッキー、何をやっててもカワイイです。いや、いまさらあたしが言うまでもないことですが……

ところで、原作は知りませんが、テレビの放送ではこのところ急展開です。新婚旅行という名の従業員慰安旅行、否、従業員慰安旅行という名の新婚旅行へ出かけた二人、よいムードになって帰路の電車内、とうとう平匡は気持ちが高ぶって、ついついみくりにキスをしてしまいました。

その後、家に帰って数日、二人仲良くソファーに座っておいしいワインを飲みながら、再び気持ちが高まって二度目のキス、そして遂に事に及ぶかというところで思い留まり……

ショックを受けたみくりは家出、というか母の骨折を口実に実家へ戻ってしまいます。が、二人の気持ちは悶々として、やはり一緒にいたいという気持ちが募るわけです。

はい、というストーリー展開なのですが、好きになってしまうのは人間だから仕方ない、ましてや相手がガッキーみたいなカワイイ子だったら十二分に理解できます。が、女性経験の全くないという設定の平匡が、ああいう状況でキスに及ぶのか、というのが最大の疑問です。

平匡などよりははるかに先輩であるプロの独身であるあたしに言わせれば、たとえ気持ちが高ぶったとしても決してキスはしない、そんなところへ踏み込むようなことはしない、それがプロというものです。

それともプロとはいえ、あの状況では仕方ないのでしょうか?

プロというのは、つまりはアマから移行したもの。最初からプロのレベルにいたわけではなかったはず。となると、アマの時代に人並みに恋をして経験を積んでいた可能性だってなくはない、となると平匡の行動も理解できるのかも知れません。

しかし、あたしのように、筋金入りの独身、プロどころか生まれながらに独身を運命づけられた存在としてのあたしとしては、理解できないのです。あそこは我慢というか、キスするなんてありえないでしょ、と思うのです。