マンガは読んでいません!

チケットをもらったので、午前中に世田谷文学館でやっている「岡崎京子展」を見に行きました。

岡崎京子、マンガ家なんですよね? 実はあたし、一つも読んだことないです。年齢的に岡崎京子の作品を読んでいる世代に当たるのか、その辺のことはよくわかりませんが、彼女はあたしより四つ上ですのでビミョーですね。それに、あたしが子供のころから、マンガを読みあさっているようなタイプではなかったので……

たぶん、同世代の中では、あまりマンガを読んでいなかった方に入ると思います。実は「少年ナントカ」系の週刊マンガ誌も、生まれてこの方一冊も買ったことがありません。読んだことがないわけではありませんが、それは喫茶店とか床屋とか、そういうところへ行った機会に、たまたま置いてあった号を読んだことがあるというくらいで、毎号毎号追っかけるなんてことはしたこともないですし、もちろんクラスメートから借りて読む、なんていうこともしたことはありません。そもそも、あたしにはマンガの貸し借りをするような友達はいなかったし……

さて、岡崎京子です。

もちろん名前くらいは知っていますし、そのイラストも見たことはあります。作品こそ読んでいないものの、この絵を見れば作者・岡崎京子の名前は知らなくても「この絵、知ってる」「見たことある」という人は多いのでは亡いでしょうか? あたしもその口です。決して絵をみて、これは岡崎京子の作品だと言えるほどの知識があるわけではありませんが、まあ、なんとなく知っている、くらいのところです。

で、どう思うか?

今回改めて展覧会で見てみて、あたし、岡崎京子が描く、むっちりとした唇が好きにはなれないな、と感じました。決して岡崎京子の絵が嫌いというのではありませんが、ほとんどの作品で主人公は見事に主張を感じさせる厚い唇、多くは真っ赤なルージュを塗っているのですが、そういう姿で描かれています。それがどうも苦手です。時々、もっとあっさりした、薄めの顔立ちの絵もあるのですが、そういうのは好ましく感じます。こういったところは個人差、好みの問題なので致し方ないところです。

展示作品に『あそぶが勝ちよ』がありましたが、ちょっと懐かしかったです。あたしの勤務先の本ですが、現在は品切れ。最近とんと目にしなくなった本ですので、現物を見るのが久しぶりです。もう一点、『もしもし』も並んでいましたが、これは現役です。

 

ちなみに同じくニコルソン・ベイカーの『フェルマータ』は岡崎京子とも親交の深い桜沢エリカのイラストでした。

さて、展示会場はたくさんの作品が並んでいましたが、会場自体はそれほど広いわけではないので、同時開催中の「下北沢クロニクル」もちょっと覗いてきました。カルチャータウンという呼び方はふさわしいと思いますが、下北沢が文学の街という感じは、これまで持ったことがなかったので、坂口安吾、萩原朔太郎、横光利一、森茉莉、中村汀女といったビッグネームが下北沢界隈に住んでいたというのは驚きでした。昨今はどんな人が住んでいるのでしょうか?

その後、京王線で芦花公園から分倍河原、南武線に乗り換えて立川へ出ました。久しぶりにちょっと本を探しにオリオン書房へ寄ってみましたが、ノルテ店は改装しているのですね。またどんな風に変わるのか……

東博の隣へ

上野の東京国立博物館の西隣にある黒田記念館へ行って来ました。リニューアルが済んで、これからは開館時間がかなり増えるようですが、とりあえず年明けから今日まで、特別室が開いているので行ってきました。やはり最終日とあって、朝一番でもそれなりにお客さんがいました。

この特別室には黒田清輝の代表作が並んでいます。

上の「湖畔」は、多くの人が知っている、見たことがある作品だと思います。

他にも、やはりこれもよく見かける「読書」などが並んでいました。そして、こちらの三点も。

  

「智・感・情」ですね。何が智なのか、感なのか、情なのか、あたしのようなド素人にはわかりませんが、力強い作品です。

展示の中で惹きつけられたのは上の「祈祷」という作品です。女性の表情とたたずまいが素敵です。

そして、個人的に気に入ったのがこの作品、「昔語り(舞妓)」という作品だそうです。まだ出来上がっていない作品ですが、男性に寄り添う舞妓の感じが好きです。肩にもたれかかり、片手は男の手をしっかりと握っている、とても女子力の高い舞妓だと思います。この男性は贔屓の客、旦那なのでしょうか? それとも恋人なのでしょうか?

今年のあたしを暗示?

正月恒例の箱根駅伝。今年は青山学院大学が初優勝。数年前に東洋大学が出した記録を大幅に上回るタイムで勝ったのだとか。あたしの母校・東洋大学は三位に沈みました。この結果が、なんとなくあたしの今年を暗示しているような気がします。

別に、東洋大学のOB・OGは万をもって数えるほどいるわけで、たかだか一回の箱根駅伝でその人たちの運命が決まるなんてことはあるわけないのですが、なんとなくそう感じてしまいます。

管見の及ぶかぎり、東洋大学はこの数年、箱根は勝てるけど他の大学駅伝には勝てない状態が続いていました。「箱根にだけ強い」「箱根でしか勝てない」と言われても、勝てるものがあるのだからそれはそれですごいこと、そんな風にあたしは思っていました。もちろん、他のレースでも勝てるに越したことはありませんが……

その箱根で敗れた。それも自分たちが持っているタイムの記録まで破られて。

なんでしょう? 箱根は勝てるという驕りがあったとは思えません。でも、心のどこかにそんな気持ちがあったのでしょうか? いや、メンバーが毎年替わるわけですから、そんな楽勝ムードはなく、毎年チャレンジ精神で臨んでいたと思うのですが。

得意分野でも一番を取れない、いつの間にか世の大勢が移り変わっていっているのに気づかないで、昔ながらのやり方を変えられない。今年の東洋大学がそうだったとは思いませんが、なんとなく、そんな風に感じてしまい、そしてそれが現在のあたし自身の姿のような気がして、なんとも憂鬱な正月となりました。そして明日から仕事が始まります。

鼻で愉しむ(?)展覧会

昨日の仕事帰り、上野の東京国立博物館で開催されている「エルメス レザー・フォーエバー」展を見に行ってきました。東博は何度も行っていますが、今回の会場である表慶館はまだ数回しか入ったことがありません。いかにも博物館といった本館、平成館とは異なり、エルメスの雰囲気を堪能するには表慶観の建物がふさわしかったと思います。このエルメスの展覧会、なんと無料です。ただし事前の準備が必要なので詳しくはエルメスのサイトをご覧ください。スマホかケータイを持っている人でないとダメのようですね。

さて、レザーの展覧会ですので、ひたすら皮、革、皮、革です。表慶館に一歩入った途端、レザーの匂いが立ちこめていて、好きな人にはたまらないのではないでしょうか? ケースに入っている展示物も多いですが、触ることができる展示品も多く、皮革製品の肌触りを十二分に楽しめます。

皮革製品ですから、やはりバッグがメインで、エルメスのバッグ、あたしは持っていませんし、持てるとも思いませんので詳しくはないですが、年月を経て風合いの増したものがいくつも並んでいました。会場は一般の美術品の展覧会に比べると若い女性が多い気がしました。皆さん、ブランドとしてのエルメスが大好きなのでしょうか? エルメスのショップでカバンを選んでいるかのように展示品に見入っていました。

小さいものから大きなものまで、実はもし自分がこれらのバッグを使うとすれば、という視点で眺めると、欲しくなるようなものは数点しかありませんでした。それ以外のほとんどのバッグは「使いにくいそう」とか、「大きさが中途半端」と感じたりして、「なんでこんなものがあんなに高いのだろう」と思わずにはいられませんでした。まあ、こちらがバッグと言うとどうしてもビジネス用途ばかりを考えてしまうから、そう思ってしまうのでしょうけど(汗)。

それともう一つ、バッグと並んでこの展覧会の柱は馬具です。エルメスがこれほど馬具を作っていたとは思いませんでした。カバンのイメージは多少はあったものの、馬具とは、あたしには意外でした。でも、革製品と言えば馬具だってかなりのもの。エルメスって、そもそもが馬具のメーカーから始まっているんですよね。そういう認識を新たにさせてくれる展覧会でもありました。

トータルで考えると、鼻で愉しみ、手で愉しむ展覧会でした。ふだんは目で愉しむ展覧会が多いですが、こういうのもいいものです。もちろん、目で愉しむ要素がなかったわけではありません。個々のバッグなどの意匠はやはり目で愉しむものでしょうし、展示の仕方も凝っていて、プロジェクションマッピングやライトの使い方など、小さい表慶館だからこそできる展示だったと思います。

そうそう、鼻と言えば、エルメスと言ったら香水、というイメージがぬぐいきれません。なにせ、あたしの勤務先から、エルメスの調香師の方の著作(翻訳ですが)を出しているくらいですから。

しかし、今回は香水の展示はありませんので悪しからず。

大相撲を見て興味を持ったなら!

大相撲で白鳳が優勝しました。なんと、土俵上でモンゴル語で語っていたのがテレビでも大きく取り上げられていました。そんな映像を見ていてモンゴル語に興味を持たれた方も多いのでは亡いでしょうか? そういう方にはまずはこちら!

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本邦無二の珍建築

さて、龍谷ミュージアムでやっていた「二楽荘と大谷探検隊」展について。

大谷探検隊については、詳しいことまでは知りませんが、明治期に大谷光瑞が派遣したシルクロード探検隊である、ということくらいはしっていました。まあ、世間一般並みの知識ですね。が、恥ずかしながら、二楽荘についてはこの展覧会を見るまで全く知りませんでした。

本願寺宗主・大谷光瑞の建てた別荘だそうです。神戸にあったとのこと。なんで京都ではなく神戸なんでしょう? あのあたり、つまり六甲山麓が別荘地帯だったというのが理由でしょうか? 京都はもう手狭で広大な別荘を作れるような土地がなかったのでしょうか? それともふだんは京都にいるから、別荘で羽を伸ばすには京都を離れたかったのでしょうか? それとも、最初から大谷探検隊の招来物を集め研究するため、港のある神戸に近いところがよいと考えたのでしょうか? よくわかりません。

 

さて、いま上に書いたように、この二楽荘は大谷探検隊が持ち帰ったシルクロードの文物を調査研究する施設だったようです。それにしてはあまりにも壮麗かつ大規模。研究所という言葉ではとても表現できません。「形から入る」という言葉がありますが、日本とはまるで異なるシルクロードの仏教美術などの研究に従事するには、気持ちからして日常から切り換えないとならないのでしょうか? タイトルにも書きましたが、かの伊東忠太が「本邦無二の珍建築」と称した二楽荘は、残っている写真を見る限り、本当に「珍」ですね。いや、これが実際に六甲に今でも建っていたら、観光名所として大人気だったのではないでしょうか?

と、こういう書き方をしているのでおわかりのように、この二楽荘は現在はありません。光瑞の失脚とともに閉鎖され、その後使われないまま昭和になって不審火で焼失したそうです。探検隊といい、本願寺側にとっては無駄な出費という気持ちも強かったのでしょうから、再建などという話は全く出なかったと思いますが……。

二楽荘以外にも、本願寺の別邸、別荘はあったようで、本展覧会では往時の写真が展示されていましたが、いずれも壮麗、豪壮、平成の現在にあったとしても人目を惹く建築群だったと思います。

ちなみに、この展覧会、学生がたくさん見学に来ていました。たぶん龍谷大学の生徒でしょう。ほとんどの学生が手にレポートのような用紙を持っていて、展示物を見ながら熱心に書き込んでいました。授業の課題なんでしょうかね? でも龍谷大学には特に仏教学部というのはありませんよね? 教養課程の課題なのでしょうか? それとも仏教系、歴史系専攻課程の課題なのでしょうか?

探しものは何ですか?

タイトルを見て、たいていの人は井上陽水を思う浮かべるのでしょうか? あたしは斉藤由貴なんですけど……(汗)

それはともかく、昨日の国宝展

図録は先日の「東アジアの華」を見に行ったときに買っていたので、今回はポストカードと一筆箋を買いました。それにしても、こういう展覧会の物販コーナーへ行くと探してしまうんですよね。

何を?

はい、ネクタイです。

ハンカチとかハンドタオルなんてのは意外とよくあります。西洋美術の展覧会ですと、スカーフなんてのも売っていたりします。最近はトートバッグがはやりですね。意外とどの展覧会でも売っているものです。

ですが、ですが、ネクタイはほとんど見かけることはありません。やはり技術的に難しいのでしょうか? 無地のネクタイに出品作品のめぼしいものをプリントしただけのネクタイでは、あまりにも貧弱なので買う人もいないでしょうし、かといってそれなりに凝った作りにすると値段が高くなってしまって、やはり買い手がグッと減ってしまう。たぶん、そんな理由で、こういう場ではまず見かけることがないのでしょう。でも、あたしは探してしまうのですよね、ないとわかっていても。

実は東博のミュージアムショップでは何種類かネクタイが売られています。あたしは鳥獣戯画のネクタイを一本持っています。でも買ってみようと思うのはこれくらいですね。もう少しいろいろな意匠のネクタイ、文物をデザインしたネクタイがあってもよさそうなのに、そう思います。

今回の国宝展もそうです。

オリジナルグッズは土偶ばかりです。土偶柄のネクタイがありましたが、肝心の土偶が小さすぎて、何の模様かわかりにくいのが玉に瑕です。ですから買いませんでした。

個人的には、孔雀明王がデンとデザインされたネクタイとか、地獄草紙のネクタイとか、そんなのがあったら間髪を入れずに買ってしまうのですが……

見たことある?

東博の国宝展、ナイトミュージアムで堪能。

さすが国宝展です。だいたいの展示品、どっかで見たことある気がします。たぶん実物ではなくて、学生時代の教科書でしょうけど。これだけあっても全国の、いや東博が所蔵している国宝の、ほんの一部なんでしょうね。その証拠に、本館に行けば常設展で何気なく国宝や重文が並んでいますから。

それにしても今回はやや仏教や信仰に展示の比重があったようですね。こういう方面に関心がある人や好きな人にはたまらないのでしょうが、そうでない人にはどうだったのでしょうか? なんて思ったりしました。でも、やはり国宝ですから一見の価値、いえ、二見、三見の価値はあると思います。

まさに華!

昨日見に行ってきた東京国立博物館の「東アジアの華 陶磁名品展」について、まだ書いていなかったですね。

陶磁器は詳しくはないですけど、好きです。ただ、東アジアの美術品の展覧会として陶磁器が果たして「華」なのだろうか、そんな気はします。

東アジアの美術と言ってもいろいろあります。どれもすばらしいものばかりで、いずれがアヤメかカキツバタ、どれか一つを取り上げて「華」とは言えません。それとも東博のこの展覧会は「東アジアの華」シリーズで、今回は陶磁器を取り上げましたけど、書とか絵画とか、これまでにも、あるいはこれからもいろいろな展覧会が行なわれるのでしょうか?

それはともかく、今回の展覧会の感想です。印象に残っているものを順不同で書いてみます。

まずは日本の「火焰型土器」、これは教科書でよく見たなあ、という印象のままです。たぶん教科書に載っていたのはこれではなく、別の火焰型土器なのでしょうけど、既視感はありありでした。

全体的に地味で、パッとしない印象のある日本代表の中で、仁清の「色絵月梅図茶壺」は立派でしたし、やはり目を奪われます。派手でありながら渋みがあり、落ち着いた風合いを感じます。

中国のものでは唐三彩がやはりいいですね。個人的にも、初めての中国旅行の折、洛陽で小さな唐三彩の馬を買いました。卓上どころかてのひらサイズのカワイイものでしたけど、帰りの荷物を増やしたくない身としては大きさも値段も手頃で、小さくてもしっかりと唐三彩のよさは表われている一品でした。そんな想い出があるので、唐三彩には惹かれます。

そして美しい造型だと感じたのは「青磁龍耳瓶」です。二頭の龍が頭を突っ込んでいる造型もカワイイですし、青磁とはいえ、その白さが美しかったです。

そして青磁、白磁と言えば、個人的にはやはり朝鮮が一番という印象があるのですが、「青磁竹櫛文水注」は、青磁の美しさと竹模様のバランスが見事でした。青磁や白磁はつるつるの表面という先入観を見事に覆してくれました。

とはいえ、「白磁壷」の美しさにはため息が出ます。また「青磁亀形水注」や「青磁象嵌辰砂葡萄童子文水注」には美しさの中に微笑ましいかわいさを感じます。

全体としては派手ではありませんが、好きな人には味わい深い展覧会になっているのではないでしょうか?

さらについでに、本館二階を一巡りした中では、「唐物ってなに?」展が一番面白かったです。同じようなものですが、中国で作られたものと日本で作った物を並べて展示してあります。中国と日本の作風の微妙な違い、あたしのような凡人にはその差がほとんどわかりませんが、こういう展示はとても興味深いものです。

焼き物が多いので、「東アジアの華」の後に見学すると、なんとなく連続的な感じもして面白いのではないでしょうか?

いい加減ドームにしよう!

東京は今日も暑かったですが、今夜の熱帯夜がさらに追い打ちをかけてくれそうです。外国人へのアンケートでも、東京は母国よりもはるかに暑いという体感のようです。たぶん昼間の気温だけを比べれば東京よりも暑い国から来ている人は多いのでしょうが、やはり日本独特の湿度、それとコンクリートやアスファルトの照り返し、そして夜も気温が下がらないこと、これらが東京をより暑く感じさせているのではないでしょうか?

ニュースでもアナウンサーや気象予報士が盛んに熱中症対策を訴えていますし、市や区の広報車がパトロールしながらスピーカーで呼びかけていたりもします。春先の花粉症と共に、真夏の熱中症は日本独特の風土病になっているのではないかと思います。

さて、ここまで官民挙げて注意喚起をしている熱中症ですが、夏の甲子園大会はそのまま開催されるのでしょうか? 子の炎天下、何の冷房設備もないグラウンドで、選手だけでなく審判やスタッフ、それに万を数えるスタンドの観客の健康について高野連や朝日新聞はどう考えているのでしょう?

これって、もしかして青春の名を借りた殺人ではないか、そんな気がします。