好き? 嫌い?

先日、WOWOWで放送されていた「渇き。」を録画しておいたので視ました。

 

一時期、テレビCMも頻繁に流れていて、「衝撃の問題作」的な煽りもあったので、映画館に見に行こうとまでは思いませんでしたが、こういう機会に視聴したというわけです。CMなどの予告では、元刑事・役所広司の娘がある日突然失踪し、娘を探す父親が娘の本当の姿、驚愕の真実を知る、という感じでしたが……

さて、そういった予告から予想されるのは、娘には両親も知らない裏の顔があって犯罪に手を染めているのかな、ということです。ただ、学校一の美少女といった設定だったはずですから、何か事件に巻き込まれて、あくまで被害者側なのかな、という可能性も捨てきれません。

そういった先入観というか予想を持って見始めたのですが、かなり早い段階で「この娘はヤバイ」ということがわかります。わかってしまいます。カワイイ顔をして人を破滅に追い込む悪魔、そんな加奈子・小松菜奈の正体は割れます。ただ、それ以上にヤバイのが父親の役所広司の方で、「これじゃあ娘もおかしくなるよね、納得」という人物で同情も何もあったものではありません。もちろん娘を失った哀しい父親といった感情移入は微塵もできません。

中学時代に自殺した加奈子のボーイフレンドとの淡くてピュアな純情恋物語が底辺にあるのかな、という期待も、結局彼も彼女の毒牙にかかって身を滅ぼしただけだったようで、涼しい顔をして男を滅ぼしていく魔性の女という加奈子の素性が知れてきます。

が、あそこまで人が死ぬことになるような大きな犯罪が背後で起こっていたのか、そこが疑問です。少女買春や覚醒剤といったものが登場していますが、それにしては中高生相手に大の大人があそこまでムキになるのは滑稽で、加奈子の魔性ぶりを描こうとして、かえって卑小な人物に成り下がってしまっているような気がします。

そして過去のシーンでは加奈子は登場しますが、役所広司が暴れまくる現在のシーンでは加奈子は登場しません。「ゴドー」とか「桐島」のように、本人は登場させないパターンでしょうが、これがいまひとつ加奈子ってどんな人なのかを描き切れていない気もします。

まあ、ここまで暴力的なシーン、狂気しか感じられない役所広司、ヤクザと裏ではつるんでいる警察という、ハチャメチャのオンパレードではこの映画の好き嫌いもかなり分かれるのではないでしょうか? だから、たぶん評価もかなり差があるのではないかと思われます。

さて、あたしはこういう映画、好きか嫌いかと問われたら?

この手の暴力ばかりの映画、嫌いということはありません。暴力ばかりだからといって嫌うことはないのですが、ただ、もう少し暴力や狂気に理由が欲しいところです。いや、狂気に理由なんかあるわけないのかも知れませんが、あそこまで理不尽だとついていけなくなるのも事実です。また、あんな父親では誰も娘捜しに協力してあげようなんて気にはなれないと思います。

が、何よりも、主演の小松菜奈が、あたしに言わせると「そこまでの美少女か?」という点が一番引っかかりました。こればっかりはどういう美しさを魔性と呼ぶのかの個人差になるので、いかんともしようがないですね。

サファリの次はジャングル

世間はゴールデンウイークだそうです。

あっ、あたしも休んでおります。暦どおりなので、5連休ということになります。はっきり言ってこんなに長い休みは要りません。だったら出社して仕事するから、今月後半とか祝日のない6月に振り替えさせて欲しいと切に願います(笑)。

それはさておき、今朝も4時前に目が覚めました。休みだからもっと寝ていてもいいのですが、起きてしまいました。ただ、今日は会社へ行く予定だったので、早起きする必要もあったのです。

今週の月曜日、岸田賞の授賞式があって、その会場で飾られていた花、一部は受賞者の方やスタッフなどお客さんに差し上げたのですが、大きな鉢に入った豪華な花がそのまま残ってしまっていて会社に置いておいたのですが置き場所にも困るし、これから連休で誰も世話ができない、という事情からわが家で引き取ることになりました。でも、そんな大きな鉢、とても電車に持ち込めませんので早起きして自家用車で会社へ向かったというわけです。

5時前に自宅を出て会社着は6時ころ。ちょっと雑務をこなした後、花を車に積み込み、6時半すぎには会社を出発、8時前には自宅へ戻りました。やはり行きの方が空いてまして時間も多少少なくすみました。往復ともに高速を使わず1時間程度ですからスムーズなものです。そう言えば、神保町の靖国通りでカーブを曲がりきれなかったとおぼしき車が中央分離帯にぶつかってぺしゃんこになっていました。朝っぱらか事故とは……

さて、そんなわけで早々と戻ってきましたので一日のんびりできます。映画鑑賞です。今回はこちらです。

 

ジャングル」です。先日「サファリ」を見て、こんどはジャングルとは、われながら笑ってしまいます。本作もモキュメンタリーです。ヒョウの研究と保護を仕事としている弟(主人公)とカメラマンの兄がインドネシアのジャングルへ向かいます。現地スタッフ2名とともに絶滅が危惧されるジャワヒョウの生態を記録するためです。

さて、目的の生息地であるジャングルは地元住民は悪魔が棲む場所として恐れていて近づこうとしません。それを幸いと密猟者が跡を絶たないのでしょう。そんな会話を交わしながら主人公たちもジャングルに入っていきます。その前に現地のシャーマンのような男からもこの森は危険であると警告されますが、この手の映画に出てくるアメリカ人は判で押したようにバカ丸出して、そういう忠告を無視し、自分こそは正義だと言わんばかりに危険に向かって突き進みます。

大した映画でもないので結論を書いてしまいますと、結局、密猟者と鉢合わせすることもなく、ジャングルを進みますが、最後の最後で全員、得体の知れない生物に襲われ4人全員がやられてしまいます。

彼らを襲ったのは何か?

巨大な殺人ヒョウ? 最初はそんな可能性を感じさせる会話があるのですが、姿がほとんど出てきません。襲われるときもラストシーンまで姿は映りません。で、最後に主人公たちが襲われるシーンでカメラに捕らえられた犯人は、実ははっきりとは映っていないのですが、二足歩行をした毛むくじゃらの生物。森に棲む悪魔ってことなんでしょうが、それがよくわかりません。毛皮を着ただけの、まだ発見されていない原住民と言えなくもないです。

この映画の最大の問題点は、森の悪魔の仕業にするのであれば、そういった恐怖をストーリーの半ばくらいから少しずつ見せていかなければならないと思うのですが、ほぼ最後の方まで野生のヒョウが襲ってきたら怖い、その他にもジャングルには危険生物がいっぱい、その他にも荒っぽい密猟者が銃を持ってうろうろしているのではないか、といったいたって文明的な理解の範囲の中で進むのです。決して科学では理解できない事態が起こるわけではありません。

これでは怖くなって戻ろうという現地スタッフの意見に説得力を感じません。「もう少し調査を進めないと」という主人公の意見の方がもっともに聞こえます。そして四人の登場人物が襲われるのも、襲われるというよりも突然消えると言った方がよい感じですから、何が起こったのかわかりません。そう、何が起こったのかわからない恐怖というのは現実にはあるのでしょうが、映画としては「置いてけぼり感」だけが残り、恐怖を感じることはありません。

で、最後の最後に登場した毛むくじゃら。

あれは何? 非常にチープな被り物、着ぐるみにしか見えませんでした。もう少し早くに姿を現わして、主人公たちとの死闘が繰り広げられればスリリングになったのでしょうが、あの造形では怖いと言う感じが出なかったかも知れませんね。

サファリ

休日のお楽しみ、映画鑑賞です。本日はこちら。

アメリカと南アフリカ合作の「サファリ」です。

内容を簡単におさらいしますと、カップル二組がロスから南アフリカへサファリツアーに出かけます。現地で一緒になった二組とともにガイドの運転する軽トラで国立公園へ繰り出し、野生動物を楽しみます。が、肝心のライオンが見られず、そこで気を利かせた現地ガイドが公園の外にまで車を走らせライオンを見せることにします。

しばらく車を走らせるとケガをした現地の少女が車に駆け寄ってきて助けを求めます。家族でいたところをライオンなどに襲われ、なんとか少女一人だけが助かったようです。一行は彼女を乗せて街の病院へ連れて行こうと引き返しますが途中で車が故障。直そうとしたガイドがコブラに噛まれ瀕死の重体、そしてじきに命を落とします。公園から出てしまったので人跡もまばら、そもそも帰り道もわからないサバンナのど真ん中。夜になるとハイエナなど野生肉食獣が車の周囲にやってきます。仕方なく死んだガイドを車外に放り投げると、ハイエナたちはきれいに平らげます。こんなところにいては自分たちもいずれ野生動物の餌食になってしまうと考え、一行は車を降り徒歩で安全な国立公園まで戻ろうするのですが……

映画を見ている限り、そんなに公園から遠く離れたところまで来ていたかな、という疑問がありました。見ていただけの感覚では、なんとか明るいうちに戻れそうな距離じゃないかと思ったのですが、とはいえ、右も左もどこまでも続く草原ですから、一度方向を失ったら終わりですね。地図も持っていないわけですし、ケータイも繋がらなくて。

さて、映画はここからじわじわと動物たちにやられていくだけの展開です。決して凶暴な殺人マシンと化した巨大生物が出てくるわけではなく、あくまでもごくごく自然の動物たちです。それがごくごくフツーに狩りをして草食動物を仕留めるように人間を襲いに来るのです。たぶん逃げ足速い草食動物よりも人間の方が仕留めやすいのでしょうね。でも食べられる肉があまりついていませんけどね、人間は。

映画全編は主人公たちが持ち込んだハンディカメラ、ビデオで撮っていたという、いわゆるモキュメンタリーです。動物に襲われる中でケンカしたり言い争ったりしながら一人また一人とやられていきます。ただ、動物に襲われるのではなく、勝手に崖から落っこちる、見つけたライフルを暴発させてしまって頭を打ち抜くといった、動物に襲われないで死んでしまうメンバーがいたり、ちょっと間抜けです。

そして、家族の中でただ一人少女が生き残ったように、この映画でもアメリカから来た観光客は全員食べられ、この少女だけが生き残り、託されたビデオを南アのアメリカ大使館に持ち込むというストーリーです。ああ、全員死んじゃうんだ、一人くらい生き残るかな、と思いましたが、そんな救いはなかったです。それにしても、この手のモキュメンタリーを見ているとかならず思うのは、どうしてあの状態でビデオを回し続けていられるのか、ということです。確かにそこを否定してしまったら、モキュメンタリー映画は成立しなくなってしまいますが、さすがにあの状況でもビデオを手放さないで撮り続けているというのは、そんなに自分が生きた証を残したいのでしょうか?

ただのリメイク?

昨日は「ラブリー・モリー」だけ書いてアップしてしまいましたが、実はもう一作、「呪怨―終わりの始まり―」を見ていました。

佐々木希主演による、かの「呪怨」の新作です。さて、どんな風な展開になるのかなと期待していましたが、まずこれまでの「呪怨」に登場していた文化住宅のような因縁の家は登場しません。代わって、今回の舞台となる家は高台な建つ豪邸(と呼んで構わないでしょう)です。ここを舞台に惨劇が始まるのですが、この映画、これまでの続きとかではなく、見た限りでは、第一作のリメイクのような気がします。もちろん個々の登場人物とか、細かなところでは違いがありますが、時系列をバラバラに配する展開、その家に入ったものが謎の失踪(死?)を遂げるといったところはすべて同じです。

時系列を整えて、ざっとストーリーをおさらいしておきますと、19年ほど前にこの家で男の子が虐待死されるという事件が発生し、それ以後この家は空き家になります。そして10年前にある夫婦がこの家に越してきて、男の子を授かります。この男の子が俊雄くんで、19年前(この夫婦から見たら9年前)にこの家で虐待死した男の子(この男の子も俊雄くん)の生まれ変わりで、怨霊となった男の子が妻の体に入り込んで生まれた子という設定です。この少し前から妻は精神を病んできている感じですが、それはその後見つかった日記を読むとわかるという筋書き。

成長するにつれてこの俊雄くんが父親に懐かなくなり、夫は妻の浮気(つまり俊雄くんが自分のことではない?)を疑い、そのまま妻を殺してしまいます。俊雄くんも殺されてしまったのかはシーンがありませんでしたが、そもそもが怨霊ですからね。この夫婦が引っ越してくる少し前になると思いますが、女子高生(トリンドル玲奈など)4人が興味本位でこの家に入り込み、その後4人とも失踪(謎の死?)してしまうというシーンが、4人それぞれのエピソードとして挟み込まれています。

そして現在。佐々木希が中途で担任を受け持つことになったクラスに。ずっと無断欠席している俊雄んくんという生徒がいて、前任の担任教師も彼のことを気にしていたらしいことがわかります。佐々木希も気になって俊雄くんの家(問題の家)を訪れ、ます。それ以降、徐々に活力を失っていく佐々木希を心配した恋人も独自に調査を開始し、問題の俊雄くんが19年前に虐待死していた俊雄くんと全く同じ顔をしていることに気づきます。この恋人も問題の家に入ってしまったがために霊に取り憑かれてしまったのでしょう。そのまま彼も死んでしまいます。どうやら佐々木希は死なないで終わったようですが、それはたぶん、こんどは佐々木希の腹を借りて俊雄くんが生まれてくるというパート2に繋げるためではないでしょうか?

さて、今回の「呪怨」ですが、最初の「呪怨」に比べドロドロした感じが減っている気がしました。

最初の作品では、夫に殺された妻・伽耶子は俊雄の担任とは学生時代の友人か何かで、それを夫に疑われて惨殺されるという内容でした。その後、伽耶子の出生の秘密(イタコの娘?)などが付加されていましたが、夫の狂気や、伽耶子の哀れさ、そして俊雄の悲劇など、人間の愛憎がもっと前面に出ていたような気がしましたが、今回の「呪怨」はそういう意味では薄っぺらな印象になっていると思います。

「リング」のリメイク(?)である「貞子3D」がトンデモ映画になってしまったのに比べると、それなりにオリジナルに忠実にリメイクしている作品になっていたと思いますが、もう少しおどろおどろしさがないと日本的なホラーにはならないのではないか、そんな気がします。

性的虐待?

休日のお楽しみ、映画鑑賞です。先週の土曜から昨日まで妹が子供(あたしからすると、姪っ子と甥っ子)を連れて来ていたので、ほとんど一週間テレビも見られずに過ごしていたので、少し録りだめていた映画ありました。そんな中からの鑑賞です。

まずは「ラブリー・モリー」という作品。

タイトルだけ見ると、なにやらスイートな恋愛ものっぽいのを想像してしまいますが、これはホラーです。が、ホラーと言うよりはサスペンス、あるいはサイコものと言った方がよいのかも知れません。

簡単にストーリーを書きますと、新婚のティムとモリーはかつてもリーが暮らしていた実家(しばらく空き家になっていたみたい)で暮らし始めます。ティムは長距離トラックの運転手らしく、しばしば家を留守にします。そして一人きり残されたわが家でモリーは変な物音や声を聞くようになり、だんだんと精神のバランスを崩していき、という流れです。

変な物音や声がこの家に棲みつく悪霊の仕業というのであれば、どこかで見た映画のようですが、本作はちょっと違います。まずこの悪霊のようなものの正体が、モリー曰く、彼女の父親だというのです。なんで父親が娘に取り憑くのかって? それはよくわかりませんが、そもそも本当に父親の悪霊なのか、最後までわかりません。

で、このモリーにはお姉さんがいて、二人してマリファナをやっていたという過去(いまもやっている?)があります。つまり、この時点でモリーの耳に聞こえるのはすべて薬のせい、つまり幻聴、幻覚という感じがします。その一方、この姉妹には、どうも父親との間に過去に何かがあったらしいことが作品の中で匂わされます。両親ともに既に死んでいますが、両親の死因は不明ですが、どうもお姉ちゃんが父親を殺してしまったのではないか、という感じがします。あるいはモリーが手を下したのを、記憶の書き換えで姉がやったと思い込んでいるだけなのかも。

うーん、いずれにせよ、自分たちが殺したとなると、その家に戻ってきた娘に、怨みを持った父親が化けて出るというのはありえるでしょう。

しかし、この映画、途中でモキュメンタリーっぽく、ビデオカメラでの記録映像を差し挟んできます。「なに、実話を装っているの?」と思いきや、これ、実はモリーが撮っている映像なんです。最初は娘二人と暮らす母親という映像なので、なんとなく父親を殺した後の、モリーとお姉ちゃん、それに母親という昔の映像かと思ったら、どうも画面に出る日付が現在ですので、そうではなさそうです。それに姉妹の話では母親の方が先に死んでいるようですから。

で、この三人家族、実はティムの浮気相手だったのです。娘二人が彼の子供とは思えませんが、母親がティムと出来ているの事実で、証拠の映像も撮れています。となると、すべて嫉妬に狂った、過去にドラッグをやっていた女の狂気、という大筋が見えてくるのですが……

二人を心配して様子を見に来てくれた牧師を誘惑し、挙げ句の上、惨殺。鋭利なドライバーのようなものを後頭部に突き刺して殺すというかなり残酷な手口です。そしてモリーは証拠のビデオをティムに突きつけ、それを魅入っているティムを後ろから金属バットで殴り倒し、地下室まで引きずっていって、やはり先程のドライバー(牧師の頭から抜いたもの)でティムの後頭部を一突き、ティムも絶命です。そして、真っ裸のまま森の中へ消えていくモリー。

結局、精神異常者の妄想だったのか、悪霊は本当にいたのか、悪霊の正体は父親だったのか、モリーとお姉さんは父親から性的虐待を受けていたのか、といったすべてが疑問のまま観客に投げられ、作品中では解決されずにエンディングです。確かにしまい揃ってマリファナに手を出したというのは父親からの性的虐待が引き金になっているという解釈は成り立つでしょうが、それすら明示されません。

最後に、再び空き家になった実家を訪れたお姉さんが、なぜか何も残っていたない部屋の真ん中に置いてあった自分たちのアルバムに目を留め、ページを開くと懐かしい写真が。しかし、父親の写真はすべて顔の部分にウマの写真が貼られていて、何かに気づいた姉が、部屋の片隅にあるドアを開けるところで映画は終わります。これもいったい何なのか、わからない幕切れです。

哀れ?歌姫!

珍しく地上波の映画を鑑賞。ラテ欄で懐かしい名前を見つけたので、平日の昼間という、いかにもB級臭がプンプンするアメリカ映画です。

その作品とは「メガ・パイソンVSギガント・ゲイター」です。主演はティファニーとデビー・ギブソン。

とは言っても、80年代、90年代の洋楽世代でないと、この名前にピンと来ませんよね?

映画の予告編はこちら(↑)です。二人も映っていますが、「えっ、どれ?」という感じではないでしょうか? 二人を知らなければ、B級アメリカ映画でお馴染みの、ちょっぴりカワイイ若手女優も出てこないし、なんか変なおばさんが喚いているだけ、という印象しか残らないと思います。

はい、この喚いているおばさん二人がデビー・ギブソンとティファニーなんです。まずはティファニー。

日本でヒットしたのは、あたしはこの曲(↑)くらいしか印象がないのですが、いかにもアメリカの元気な女の子という感じで、当時は結構人気だったと思います。日本的なアイドル路線という印象もあって、アメリカでは珍しいなあとも思ったものです。このティファニーが、あんなおばさんになっているとは、歳月、時の流れは残酷です。

デビー・ギブソンの方は、その後、デボラ・ギブソンという表記にもなりましたが、この映画の中でもまだ当時の面影を残している気がします。そのデビー・ギブソンは当時いくつか売れた曲がありまして、一番売れたのは「Shake your Love」でしょうか?

それとも「Electric Youth」でしょうか?

でも、あたしとしては

とか

などのバラードが好きでした。デビー・ギブソンの方が才能はあったし歌もうまかったと思うのですが、当時の日本男子の人気としてはティファニーに軍配が上がっていたような気がします。確かに当時のビジュアルではティファニーの方がカワイイと思えますので。

それが月日がたつと、二人ともこんな風になっちゃうんですね。哀しいです。これだから同窓会なんかには行くもんじゃない、と思います。まあ、あたしの場合、同窓会の招待状が来たことなんて一回もないんですけど!

ホラー三昧?

こんなホラー映画を2本。

 

ポゼッション」と「悪魔のシスター」です。

まずは「ポゼッション」ですが、これは「エクソシスト」って感じの悪魔払いものです。

両親が少し前に離婚して、やや不安感を覚える姉妹。ふだんは母親と暮らしていますが、週末などに父親と過ごしているようです。その父親の新居を訪れ、三人で家具などをガレージセールで選んでいるときに、妹が古い箱を見つけ、それを購入します。が、それを売りに出したと思われる家の老婆が「それを買ってはいけない」と警告を発するのでした。

既にオープニングでこの箱には曰くがあり、持ち主であった老婆がその呪いを浴びて大けがをしてしまうというシーンがありましたので、見ている側とすれば「ああ、こんどはこの子がやられちゃうんだ」という気にさせられます。しかし、箱の怖ろしさに気づいて壊そうとした老婆が重症を負いながらも、結局はあのように生きているところを見ると、呪いの力が中途半端なものではないのか、という疑問も感じます。まあ、老婆の場合、運良く息子が訪ねてきて九死に一生を得たのかも知れませんが。

さて、箱を持ち帰った女の子。徐々におかしくなっていきます。このあたりはまるっきりエクソシストですね。おかしな動きをしたり、白目をむいて表情がガラッと変わったりするところなんか、どっかで見たシーンだな、という気にさせられます。別れた妻も最初は元夫のいうことなど信じず、両親が離婚したせいで精神が不安定になっていると思っていたのですが、徐々に娘の異変に気づきます。元夫は箱の来歴を調べているうちにユダヤ教で悪魔を封印した箱であることにたどりつき、ニューヨークのユダヤ人街を訪れ、そこのラビに助けを求めますが断わられます。が、ラビの息子が協力を申し出てくれて、二人は娘の元へ取って返し、ユダヤ教による悪魔払いの始まりです。

ユダヤ教を出してきたところが、これまでの悪魔払いものホラーとは異なる新味でしょうかね? ただ、やることは同じですし、実はあまり力のない悪魔払い師、娘を助けたい一心の父親、最後は子を想う親の愛が悪魔に打ち克つというパターンは既視感ありありです。特に、娘の体に取り憑いた悪魔を父親が自分の体に乗り移らせるところなど、「確かエクソシストのラストもこうだったよね?」と思ってしまいます。それでも、最後は悪魔払い師の呪文が効いたのか、悪魔は父親の体からも出てきて、再び箱に閉じ込められてしまいます。

とりあえず、離婚は帳消し、再び(たぶん)再婚したと思われる夫婦と娘二人の一家には平和が訪れ、例の箱は悪魔払いを行なったラビの息子が持ち帰るというところで映画は終わります。が、最後の最後、箱を載せたラビの息子が運転する車が大型トラックと衝突し、たぶん彼は即死、あの箱は事故現場からどこかへ持ち去られ、次の持ち主(=悪魔が取り憑く先)を求めて彷徨っていることでしょう。

うーん、デーモンの力、畏るべし、という幕切れです。いろいろな映画の寄せ集め的な感はありますが、もう少しひねりを加えてもよいのではないかな、悪魔払い師がそれほど活躍するわけではなく、家族の絆を描いた作品と見ればよいのかも知れません。かつてユダヤ教のラビによって封印された悪魔の箱が原因という描かれ方ですが、単純に両親が離婚して情緒不安な娘の妄想、問題行動と見なすこともできそうな作品です。

次に「悪魔のシスター」は1973年の作品。監督は「キャリー」や「アンタッチャブル」のブライアン・デ・パルマです。

あるモデル兼女優の女性が恋人の黒人男性を殺してしまい、それを見ていた向かいのマンションの女性記者が真相を暴こうとするストーリーです。黒人男性を殺してしまったあたりまでは主人公のモデルの女性と、もう一人、双子の妹がいるように演出されていますが、姿が見えず、このあたりはヒッチコックの「サイコ」っぽいです。ですので、「ああ、これは多重人格ものだな」と察しはつくのですが、実は彼女は元はシャム双生児で、分離された妹は既に亡くなっていて、彼女に妹の心が時々宿ってしまうという設定のようです。いや、姉と妹は逆だったかな? まあ、どっちでもいいです。

で、記者の女性の方は警察に噛みついてばかりいる、以前から問題児な女性だったらしく、初めは警察も「またお前か」という感じでまともに取り合ってくれません。そこで彼女は独自に調査を進めるのですが、モデルが連れて行かれた精神病院に潜り込んだところで捕まってしまい、催眠術をかけられ殺人などなかったと思い込まされます。

結局、この精神病院でモデルはまたも錯乱状態に陥り、とうとう院長を殺してしまい、警察も駆けつけ逮捕。警察もようやく記者の言い分を信じ、最初の黒人殺しの再捜査を始めようとするのですが、記者の方は催眠が解けておらず、殺人はなかったの一点張り。黒人男性の死体を隠したソファが田舎の駅前に置かれているところで映画は終わります。

73年の映画ですから、画面も粗く、ストーリーも「これで終わり?」という感じはします。特に、黒人男性の死体を片づけるところなど、あんなに簡単に絨毯や壁の血がきれいになるのかと不思議です。いまならどんなにきれいにしても鑑識が来れば一発でバレるでしょうね。女性記者にしても、あの性格や騒ぎ方では自身が精神病患者だと疑われても仕方がないくらいですし、いまでいうクレーマーといったところでしょうか?

この映画は果たして傑作なのか、駄作なのか? 評価が割れるでしょうね。

老年パワー全開?

録画しておいた「REDリターンズ」を視聴。

 

パート1」も見ていたのですが、その後の物語にはなっていても、別に話が続いているわけではなく、こちらはこちらで楽しめます。

米ソ冷戦下、アメリカかモスクワに最強のテロ兵器を仕込んだことがインターネットで暴露されて、ブルース・ウィルスらがそれを回収しにモスクワへ向います。大きな流れとしてはそれでよいのですが、なんでこのネットでのすっぱ抜きに主人公たちが巻き込まれてしまったのかが今一つ理解できないまま話は進みました。もちろん、そんなもの知らなくても楽しめましたが。

鍵を握る、壁を作った張本人の科学者はロンドンで32年間も監禁されているアンソニー・ホプキンス。実は彼が今回のすっぱ抜きの黒幕。妻や子供を殺された復讐のために、32年間も機会をうかがっていたというわけ。しかし、32年前だとインターネットだってほとんど身近ではなかった時代。それでも天才科学者なら、インターネットをあっという間に使いこなせてしまうのでしょうか?

それはともかく、キャサリン・ゼタ=ジョーンズにはもう少し活躍させてもよかったのではないかという憾みが残りますね。イ・ビョンホンがそれなりにコメディタッチにシリアスを演じていたのがよかったぶん残念です。やはり、これだけ芸達者な役者が揃うと、それぞれに見せ場を作り、それなりに活躍させるというのはストーリー展開上難しいのでしょうか?

それにしても、じいさん、ばあさんたち元気ですね。イ・ビョンホンが遊ばれている子供に見えてしまいますから。

シアター・ナイトメア

ロバート・イングランド主演の「シアター・ナイトメア」を鑑賞。

 

ロバート・イングランドと聞いてもわからない人も多いでしょうか? フレディ・クルーガーと言えばわかるでしょうか? そうです。あの「エルム街の悪夢」のフレディです。

ただ、本作は「エルム街の悪夢」の続編ではなく、全く別の作品です。R・イングランドは別人の役を演じています。どんな役を演じているかというと、シネコンで働く冴えない初老の元映画技師スチュアートです。フィルムの時代ではなくなってもうお払い箱になったものの辛うじてポップコーン売りで雇ってもらっているという、なんとも情けない状態です。かつての映画技師としての誇りも捨てきれず、また昨今のホラー映画の陳腐さにも嫌気がさし、とうとう自分が考えたストーリーのホラー映画を自分で撮ろうと考え実行に移します。それがシネコンにホラー映画を見に来た若者カップルを標的とした殺人ゲーム的なものだったというわけ。

事務室というかモニター管理室からシネコン内をすべて見ながら、カップル二人を主演に作品を作り上げていきます。女の子、アリーにはあらかじめちょっとした薬を飲ませておき、トイレに行ったときに倒れるよう仕向け、そのまま気を失った状態で監禁。そして男の方、マーティンを使って映画作りが始まります。アリーが捕らえられているのでマーティンは正体不明の犯人スチュアートのなすがまま。映画技師としてのプライドを理解しないスチュアートの現在の上司を半殺しの目に遭わせつつ、マーティンの前に送り込むとマーティンは彼が犯人かと思い込み、両者はもみ合いになって、マーティンは彼を撃ち殺してしまいます。もちろんスチュアートはこのシーンもモニターで観察しつつしっかり録画もしています。

ようやくアリーの元へたどりつき彼女を起こしますが、ずっと気を失っていたアリーはマーティンが話す顛末がすぐには飲み込めず、スチュアートが話すマーティンの殺人を信じ込み、スチュアートと一緒にマーティンから逃げ出します。あらかじめタイミングを見計らって呼んでおいた警官隊がシネコンに突入し、スチュアートに銃を向けているマーティンを射殺してジ・エンド。

警察もスチュアートの犯罪にまるで気づかずに映画は終わります。最後の方で証拠となる映像をチェックしている警察の様子が描かれるので、ここで犯罪がバレ、ドンデン返しでスチュアートが捕まるのかと思いきや、結局そこまでは行かず、彼は無罪放免。むしろアリーを助けたヒーローとなります。アリーも終始マーティンの言葉を信用せず、みすみす彼が撃ち殺されることになりながら、スチュアートに礼を言う始末。なんか完全犯罪と呼ぶにはものすごく穴がありそうなのに、まんまとスチュアートの狙ったとおりになってしまい、ちょっと嫌な気分が見終わりました。やはり犯罪者は最後は制裁を受けなければと思います。

が、この映画、なんとなく続きもあるような感じです。スチュアートはまだ作品が完成していないと言っていますから、まだまだ何人もの犠牲者を出しながら映画の完成に邁進するのでしょう。そして上にも書きましたが、何かちょっと引っかかっている風の刑事が本シリーズの中でスチュアートの犯罪に気づき最後に対決する、という大きな構想でもあるのではないか、そんな気がしました。

それにしても、エルム街ではこんなに痩せていたフレディがあんなにふっくらしてしまうとは……

サイレント・ハウス

録っておいた「サイレント・ハウス」を鑑賞。

昔住んでいた屋敷が荒れ放題になっていたのを、少し手入れして売却しようと父とともにやってきたサラ。鼠に電気線をかじられて家の中は停電していて真っ暗。なおかつ、空き家になっている間に浮浪者が入り込んだらしくて窓はすべて割られてしまっているので応急措置としてベニヤ板を打ち付けてあるため外の明かりも入ってこないという古びた屋敷。何かしら起こりそうな気配は、これだけ舞台装置が整っていれば十分でしょう。なおかつ、街からは離れたところに立地しているため近所には家もなく、電話も繋がっておらず携帯電話も圏外。

さて父とその弟(ピーターおじさん)とともに部屋の片づけを行なっているサラですが、部屋の中に不審者がいるような気がして徐々に怯えていきます。頼りの父がいなくなり、と思ったら血まみれで倒れているのを発見。これは確実に不審者が屋敷の中にいると、暗闇の中を懐中電灯を頼りに逃げ惑い、なんとか外へ出ると、ちょっと出かけていたピーターおじさんが車で戻ってくるのに遭遇。街へ助けに呼びに行こうと言うサラを押しとどめ、父親(ピーターからすれば兄)をまずは助けに行こうと言うピーター。屋敷へ戻りピーターは中へ入るも、車の中で震えていたサラにまたしても怪しい人影が忍び寄り、サラも車から降りてピーターを追って再び屋敷の中へ。屋敷の中では、倒れているはずの父を見つけられず、ピーターも何者かに襲われ、ついにサラが不審者と対面……

というストーリーを書いてしまうと、まずは平凡ながら不審者、浮浪者が屋敷に住み着いていて、それが襲ってきたというストーリーが思い浮かびます。その不審者が殺人鬼的な存在なのかな(?)という雰囲気で前半は進みます。が、途中から小さい女の子が登場してきて、住み着いている浮浪者と言うよりも、この屋敷に取り憑いている悪霊の仕業かな、つまりはホラーものかと思わせて物語は進みます。

殺人鬼ものか、それともホラーものか、どちらかハッキリさせないまま、では真犯人は誰かと考えたときに、なんとなく胡散臭い父とおじさんの行動。古い写真を無理矢理ポケットの中に押し込んでサラには見せないようにします。うまいタイミングで襲われたように見せかけて姿を消す父、あるいはピーターおじさんを見ていると、どちらかが真犯人、あるいは共謀しているのかな、という気がしないでもないですが、娘を怖がらせて何が愉しいのか、という疑問が残ります。

で、ネタバレしちゃいますけど、オチはサラの二重人格です。幼少のころから父に虐待を受けていて、作品中でははっきりとは描かれていませんが(あたしが見落としただけ?)、たぶん性的な虐待も受けていたとおぼしきサラ。ピーターもその事実は知っていて、見て見ぬふりをしていたようです。父やおじさんに対する鬱屈した思いが別人格となってサラから抜け出し凶行に及んだというのが真相のようです。父とおじさんを始末して屋敷を後にするサラ。そこで映画は終わりますが、彼女はこの後どうなったのでしょう?

実は自分が犯人だったというのはミッキー・ロークの「エンゼル・ハート」を思い出させますね。

 

なお、本作は「SHOT/ショット」という作品のハリウッドリメイクらしいですが、オリジナルの「SHOT」は未見ですし、日本で公開されたのかも知りません。スカパー!やWOWOWでは放映されたのでしょうか?

で、二重人格ものであるとわかってしまうと、途中で出てくる女の子は小さいころの自分であり、襲ってくる怖い大人は父やおじさんのこと、地下室で誰かが住み着いていたような感じがあったのは、たぶんサラがあそこに監禁されていたことがあったのを示しているのではないでしょうか? もちろん写真はサラが虐待されている証拠となる写真です。娘を裸にして写真を撮っていたのか、このオヤジは……

最初のうちは、サラの元カレがストーカーになってしまっているのかな、と思わせるセリフもあり、元カレ=犯人=殺人鬼という線も考えましたが、あれは全くセリフだけのことで、伏線にはなっていたなかったようですね。