ライト/オフ

録画しておいた「ライト/オフ」を視聴。

原題は「Lights out」と言うようですね。日本語読みで「ライツアウト」だとわかりにくいでしょうか? 一言で言ってしまうと、電気を消すと化け物が現われて襲ってくる、というお話です。

 

まずはお父さんが職場でやられてしまい、お母さんと幼い息子が残ります。お父さんは生前、何かを調べているようでした。次に、この残されたお母さんの様子がおかしい、どうも精神を病んでいる感じが描かれます。そして怯える息子。そんな弟を助けようとする家出中(とはいえ、それなりに大人?)の姉。この姉は前夫との間の娘で、弟は映画冒頭で亡くなった夫との間の子供らしいです。

姉が継父の遺品を整理していると精神病院の資料などが入った箱を見つけます。そこには自分の母親がかつて精神病院に入院していたこと、そこで出逢った奇病を患う少女と親しくしていたものの、その少女はある実験で亡くなってしまったことがわかりました。どうやらその亡くなった少女の悪霊が母親に取り憑いている、というのが一連の事件の真相のようです。

さて、この手のディテールの映画はこれまでにもあったような気がします。最終的には本当に少女の悪霊だった、少女になりすました悪霊だった、実はすべて母親の妄想だった、といった結末が考えられますが、これがよくわかりません。肝心な精神病院のシーンが少なく、そのあたりをストーリー的にも掘り下げていないので、解釈によっては上の三つどれも正解のような気がしますし、それ以外の解釈もありえそうです。

で、弟と母親を守るため恋人と一緒に実家へ戻った姉が悪霊と闘う後半、どうやって助かるのだろうという興味が沸いてきます。精神病院で亡くなった少女は暗い地下室で発見されたためなのか明かりを極度に怖がるという設定です。怖がるから地下室にいたのか、地下室にいたから怖がるようになったのかは不明ですが、とにかく明かりに照らされると姿が消えます。なので姉たちは懐中電灯などで身を守ろうとしますが、こういった映画のお約束、肝心なところで電気が付かなくなります。

となると、闘っているのは夜だから夜が明けてきて太陽の光が差し込んで悪霊は消えてしまうのかな、という往年のドラキュラ映画のような結末を予想しましたが、事態は朝まで待ってくれませんでした。母親が子供たちを守るためにピストルで自殺し、それと共に母親に取り憑いていた少女の悪霊も消えてしまうというエンディングでした。結局、悪霊に支配されている自覚はあった母親が最後は母性に目覚め、必死で悪霊を振り払おうとして、みずからの命を投げ出したという、なんともハートウォーミングな結末でした。

ちなみに、本作はネットで発表されたショートフィルムをベースに長篇劇場映画に仕立てたもののようで、オリジナルが上の動画だそうです。

調べるだけで解決はしないんだ!

というわけで「残穢」を視聴しました。

実話怪談の投稿作品を小説に仕立てて発表している主人公・竹内結子が、ある投稿が気になって調べていくうちに、投稿主である橋本愛と共に恐ろしい因縁を辿るというストーリー。

橋本愛の住む部屋で変な物音がし、同じマンションの他の部屋でもおかしな現象が起きている。最初はこのマンションで自殺者でもいて、その霊の仕業かと思って調べ始めると、そのマンションに自殺者はいないとのこと。となるとマンションが建てられる前にこの土地で何かあったのかと調べていくと、自殺騒ぎ、嬰児殺し、座敷牢などいくつもの因縁が出て来ます。

そして、そこに嫁いできた女が持参した恐ろしい掛け軸の絵。その出所を辿っていくと、こんどは北九州の炭鉱王の屋敷にまで遡り、その炭鉱で起きた爆発事故、そして生き埋めになった坑夫たちの恨み。そんな明治のころに遡る物語が見えてきます。つまり、「話しただけでも祟られる、聞いただけでも祟られる」という劇中のセリフではありませんが、この恨みに関わった人たちに伝播し、時を超えて拡散しているということのようです。

で、竹内結子に橋本愛、同じ作家仲間の佐々木蔵之介や坂口健太郎といった面々が、この因縁を調べてここまでたどりついたわけですが、別に霊能者を呼んで浄霊するわけではなく、「ふーん、そういう過去があったのか」で終わってしまいます。でも、もちろんホラーですから、彼女たちの回りにもおかしな現象が起こるわけですが、だからといって祟られ死ぬわけでもなく、健気に生きているというエンディングです。そもそも、橋本愛のマンション、まるで何事もなく暮らしている家族、住民もいるわけですから。

こういう調べるだけで、解決しようとしないホラーというのも面白いものですね。そもそも解決なんてできやしない、祟られない人はどう関わっても祟られないのだということが言いたいのでしょうか? 全体としては竹内結子と佐々木蔵之介が飄々として、あまり怖さをかき立てない作品ですね。

それと竹内結子の新居に佐々木蔵之介が遊びに来たときに、誰もいない廊下のセンサーが反応してライトが付くシーンがあります。あれもゾクゾクとした怖さの演出なのでしょうが、実はわが家の近所の家の玄関先にセンサーライトが付いています。この時季なので出勤時間や帰宅時間は暗くて、あたしが通るたびにセンサーが反応して玄関先のライトが付くのですが、時々付かないことがあります。それって、あたしが認識されていないということなのでしょうか?

既視感があるような、ないような……

録画しておいた映画「鬼談百景」を見ました。「残穢」のスピンオフ作品ということですが、こちらは未視聴。録画はしてあるので、これから見たいと思います。

 

で、スピンオフということは「残穢」の中の登場人物とか登場場所とかが出ていたのでしょうか? とりあえず竹内結子がナレーションで、持ち込まれたハガキを淡々と読んでいくという枠組みがスピンオフということなのでしょうか?

どの作品も、なんとなくどこかで聞いた、見たことがあるような展開で、怖いと言うよりも不思議という作品がいくつか混じっていました。怖いかと言われると、それほどでも、という答えしか思いつきません。これは早いところ「残穢」を見ないとダメか?

たぶん風土病だったのでしょう?

昨日に引き続き、こんどは「エクソシスト ビギニング」を視聴。

第一作の主人公というのか、結局リーガンを救えずに命を落としたメリン神父の若き日(というほど若くはない?)の物語。第二次大戦中、ナチスの虐殺になすすべもなく、多くの人を見殺しにしてしまったメリン神父は信仰を失い、自称・考古学者として戦後を生きています。そこへアフリカのある土地で古代の教会が見つかったので、その発掘現場へ行ってお宝を手に入れろ(盗んでこい?)という依頼を受けます。

当時、アフリカのそんな土地にはキリスト教は布教されていなかったはず、なのに何故教会が建てられたのか? 考古学的な興味も手伝ってメリンは発掘現場へ向かいます。調べていくうちに、その土地は堕天使ルシファーが追放された土地で、悪魔を鎮めるためにその場所に教会が建てられたということのようです。

まあ、キリスト教的なストーリーはそんなところ。時代設定は1949年なので戦後まだ間もない時期。戦中の忌まわしい過去にとらわれ、夜ごとうなされるメリン。自責の念ですね。そんな時代背景に、アフリカの人々を見下すイギリスの統治者たち。植民地支配の光と影が描写されます。

村人たちは労働に駆り立てられ、こき使われ、人間として扱ってももらえない状況で不満がたまっています。そこへ来て悪霊騒ぎです。これは白人どもがもたらしたものだと原住民が信じ込むのも無理はないでしょう。このあたり、恐らくは現地の風土に慣れていない白人が、風土病のようなものにかかっただけというのが現実的な解釈でしょう。神経を蝕むような病気であれば、あるいは高熱を発するような病気であれば、幻覚も見るでしょう。それを悪魔の仕業と思い込むのも当時としてはやむを得ないところです。

最後は信仰を取り戻したメリンが悪魔と闘い、見事打ち克つ。メリンも神父に戻ります。が、外野に目を移すと、白人の現地のボスが惨殺され、イギリス人はそれを原住民の仕業と思い込み、軍隊を送り込んできます。原住民は原住民で、すべては教会などを掘り起こしたから悪魔がよみがえったのだ、その責任はすべて白人にあると思い込み、一触即発。いや、実際に衝突は起こり、両者入り乱れての白兵戦。そこへ砂嵐が襲ってきて、たぶん全員死んでしまったのでしょう。メリン以外は、キリスト教を信仰する現地の少年だけが唯一の生き残り。

結局、作品中で語られている古代のエピソードにしても、ヨーロッパ人と現地人との諍いから殺戮の事態が起こり、たくさんの血が流れたわけで、そのためにそこが呪われた土地と呼ばれるようになったようです。バチカンはそれを隠蔽していたようですし。今回の作品でも原住民とイギリス兵との戦闘があり、またしてもこの土地に血が流れたわけです。時が流れると、こういったことも悪魔の仕業と言い伝えられていくのでしょうね。

ホラーではなく、サスペンスにすべきだった?

寒い寒い冬の一日、スターチャンネルで特集していた「エクソシスト」を録画しておいたので鑑賞。ドラマはこれから堪能するので、まずは昔も見たことがある映画版から。

 

エクソシスト1」と「エクソシスト2」は見た記憶がしっかり残っていて、ストーリーもほぼ覚えていたとおりだったのでよいとして、かつて見た記憶のない「エクソシスト3」を中心に感想を書きます。

簡単に振り返っておくと、「1」はリーガンに取り憑いた悪魔を神父が退治するというお話。最後、自分の体に悪魔を乗り移させ、自分の命もろとも悪魔を葬り去った階段落ちのシーンが有名ですね。「2」はその後日談。それでもまだリーガンには悪魔が取り憑いていて、でもそれは精神的なものとして科学的な治療を行なう医師と悪魔を徹底的に追い払おうとする神父の話。リーガンには悪魔が取り憑いたままだったのか、それとも精神を病んでいただけなのか、よくわからない出来でした。

上掲が「1」の予告編。下が「2」の予告編。アフリカの呪術師なども出て来て、ちょっと方向性が定まっていない感じも受けます。

そして、こちらが「3」の予告編。

こんどは連続猟奇殺人事件が起きます。「1」にも登場した刑事が主人公となって、15年前に起こった殺人事件との関連を調べ始めます。15年前というと、ほぼリーガンの悪魔払いのころの話です。この二つがリンクして現在の連続殺人事件へと繋がっていくのですが、前半は完全に推理ものです。果たして犯人は刑死せずに生き延びていたのか、それとも当時の犯行の詳細を知る模倣犯の仕業なのか。

そして15年前から隔離病棟に入れられている患者が登場して、事件は佳境へ向かいます。ネタバレしてしまうと、結局、この患者、15年前の殺人事件の犯人が刑死した後、その魂が「1」で転落死したカラス神父の体に乗り移って復活し、しかし完全に復活するのに15年もかかってしまい、ようやく最近意識を取り戻したということらしいです。そして再び犯罪を犯していたと。

つまり、やっぱり悪魔はいるのか、という話になってしまって、キリシタンではないあたしには却ってどっちらけなストーリーです。むしろこの患者が犯人だとしても、看護師や医者の心を操って(催眠術師的に)殺人をやらせるとか、看護婦を丸め込んで隔離病棟から脱出して殺人を犯していた、というストーリーにした方がはるかによかったのではないかと思います。もちろん、自分がかつての殺人鬼だと思い込んだり、悪魔が取り憑いていると信じ込んでいるぶんには構いませんが、本当にそれではちょっと拍子抜けしてしまいます。

この作品、上に書いたようにすれば、別に悪魔を出してこなくても十分に成り立つ作品だったと思いますが、やはり原作者が自分とは無関係に作られた「2」に納得せず、自らメガホンを取って作り上げた作品だけあって、「1」に、つまりは悪魔憑きという設定に囚われてしまっていたのでしょう。いったん「エクソシスト」を離れて作ればよかったのにと思います。

12月のWOWOWとあたしの勤務先

WOWOWの12月のラインナップに気になるタイトルが……

まずは映画「フランス組曲」です。イレーヌ・ネミロフスキー原作の邦訳『フランス組曲』はあたしの勤務先から出ています。12月7日が初放送で、12日と年明け1月20日にも放送されるようです。

続いては、阿部サダヲ、岡田将生、寺島しのぶが出演した舞台「ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン」です。こちらはご存じ、松尾スズキさんの戯曲で、書籍版『ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン』はもちろん、あたしの勤務先の刊行物です。こちらは12月24日の放送です。

 

ちなみに、WOWOWでは他にも舞台の放映があります。劇団☆新感線の作品がいくつか放送されるようですが、その中で12月29日放送予定の『薔薇とサムライ』もあたしの勤務先から発売しています。

本当のママであることを証明する

WOWOWで放送された「グッドナイト・マミー」を視聴。

森の中の豪華な別荘に暮らす双子の兄弟。学校はまだ始まっていないのでしょうか、毎日二人で遊んでいます。そこへ顔中包帯グルグル巻きの母親が帰ってきます。どうやら母親は何かの事故に遭って入院していたのでしょう。ようやく退院して息子たちの元へ帰ってきたというところのようです。

で、その母親の行動が怪しい。顔を包帯で覆っているので息子たちも本当に母親なのか確信が持てません。それを助長するかのような母親の言動。うーん、事故に遭ったとはいえ、この行動はちょっとヘンだなあと思います。そして、母親の息子たちに対する冷たい仕打ち、このあたりは「やはり入れ替わってる?」と思わせるような展開です。息子たちもアルバムから母と一緒に写っている、なんとなく似た感じの女性を発見し問い詰めたりもします。

やはり母親は双子で母親は事故で死んでしまい、もう一人がなりすましてやってきた? 目的は? これだけ大きな別荘を持っているのだから相当な金持ちの姉(妹?)に成り代わって生きようという魂胆? そんな風に見ている観客に思わせるのが前半でしょうか?

そして中盤以降は形勢逆転。息子たちが母親を縛り上げて監禁。母親だと証明してみせろと脅します。哀れな母親は口を瞬間接着剤で塞がれ、さらにそれを息子がはさみで開けてやるときに唇を切られて大出血。失禁までしてしまいます。一瞬の隙をついて脱走を試みるも息子たちが仕掛けたトラップに引っかかりまたしても気を失います。

気がつくと床に縛られています。そして息子たちはなおも母親と証明しろと脅し続け、カーテンに火を付けます。その火が家具を燃やし、身動きの取れない母親は生きたまま焼かれてしまいます。そしてラスト。火の手の上がる別荘に消防が駆けつけてきているところでエンディングです。

つまり、何? という疑問が残るかと思いますし、途中でほぼネタバレしている映画でもあります。つまり、双子の息子のうち一人は死者なのです。ルーカスとエリアスという双子ですが、たぶん母親が顔に大けがを負った事故の時でしょうね、ルーカスはその事故で死んでしまったようです。しかしエリアスはそれが信じられず、また自分のそばにはいつもルーカスがいるわけですから。

いつまでもルーカスが生きていると信じ込み、あたかもそこにいるかのように振る舞うエリアスを不憫に思った母親が、田舎にやってきて環境を変え、少しでもエリアスの心の傷を癒やせれば、と思ったのでしょうが、それが裏目に出てしまいました。しかし、大好きなお母さんに、こんなことまでしてしまうとは。最後は殺しちゃうわけですからね。

ホラーとしての怖さは、ないですね。母親の気持ちを思うと、結局、悲劇を乗り越えられない息子を助けられなかったわけですから、切ないです。

B級生物パニックを2本!

時々こういうのが見たくなります。まずは「スパイダー・シティ」です。

タイトルどおり、クモがウジャウジャ出てきます。地下の掘削で巣を壊されたとおぼしき新種のクモ、それも巨大なやつが地中から現われて人々を襲うというもの。とはいえ、クモのCGがショボいです。確かにあの大きさのクモが数匹向かってきたらちょっと怖いですが、パニック映画にするならもう少し大きい方がよくはないでしょうか?

ストーリーもやや陳腐ではありますが、親子の葛藤、反発と和解などを折り込んで、それなりに見せる映画にしようとしているところは感じられます。しかし、肝心のクモの退治の仕方が……

妹を助けるべく巣穴に潜った主人公が見たのは巨大な女王グモ。これがとうとう地上に出てきたから街はパニック。既に軍隊も出動していましたが、ロケット砲も役に立たず、オヤジの死によって心を入れ替えた主人公が、女王グモの体内に潜り込み、爆弾を仕掛けてくるという決死の方法。女王グモさえ倒せれば、他の数千、数万匹のクモも一緒にやっつけられるという、かなり強引かつ非科学的な理屈。

まあ、そこがB級のB級たる所以。この方法が成功し、女王グモの死と共に、他のクモもすべて死んでしまうのです。めでたし、めでたし。ありえないだろう、という突っ込みの声が聞こえます。

続いては「アクア・クリーチャーズ」、タイトルからはどんな動物かわかりにくいですが、ウミヤツメという鰻の一種のようです。日本ではヤツメウナギと呼ばれるものでしょうか? そのあたりはよくわかりません。

さて、先の「スパイダー・シティ」の方は地下の掘削によって地中に住む新種のクモが云々という発声原因がありましたが、こちらのウミヤツメは映画が始まると共に既に大発生しています。なぜなのかはわかりません。最後まで語られずじまいです。大量発生したのでエサがなくなり、飢えたウミヤツメは凶暴化し人を襲い出します。ちょっとの水があれば生きられるウミヤツメは湖から川、更には上下水道管を通って街中へと進入し、人を襲い出します。

ここで生物学が専門の主人公に、観光に打撃を与えてしまうので事を荒立てたくない愚かな町長という、ジョーズ以来の図式が健在です。なので、主人公はイライラ、町長は情けない死に様というところもお約束どおり。

さて、こちらはどうやって殺すのか。これだけの数が町中にウジャウジャいるわけですから、普通に考えると退治のしようがありません。水道管に殺虫剤、いや殺魚剤をまいたのでは、退治後の人々の生活にあまりにも支障が出そうですし、それで果たして全滅させることができるのか? 焼き殺すといっても、ウミヤツメをどうやって一か所に集めるのか? などなど問題山積です。

とにかく一か所に集めることが肝要なわけです。そこで主人公が採った方法はウミヤツメの死骸から肝臓を取り出すということです。その臭いに釣られて他のウミヤツメが集まってくるのです。ちなみに、死骸そのものの臭いは身の危険を察知するという理由でウミヤツメ除けになるようです。

そして主人公たちは発電所にウミヤツメを集め、発電所の電気で感電死させるという方法と採用します。まあ、肝臓をどれだけ集めれば、これほどの数に達したウミヤツメすべてが発電所に集まってくるのでしょう? そこが非常に非科学的というか、現実味を感じられないところです。映像上はかなりの数のウミヤツメが集まってきていましたが、街中に広がったウミヤツメがすべてあそこに集まったとはとても考えられません。なおかつ、発電所って、確かに危険な場所ですが、あんな簡単にスイッチを入れただけで内部に電気が通るものでしょうか?

それでも主人公たちは家族で力を合わせウミヤツメを退治し、街には平和が取り戻されます。夏の間だけ越してきていたという主人公一家は仕事をやり終えて街を後にするのです。が、まだ一匹ウミヤツメは生き残っていた、というエンディング。一回の産卵で10万個の卵を産むらしいので、この一匹からあっという間に大量発生になってしまうでしょうね。

ん~、ピエロ怖い~

WOWOWで放送された「クラウン」視聴。

 

アメリカではピエロの姿をした殺人鬼が犯行を繰り返しているというニュースもある中、こんな映画を見るなんて不謹慎かもしれませんが、これがWOWOWで放送されたのはそんな事件が起こる前でしたので、WOWOWもまさか実際に事件が起こるとは思ってもいなかったでしょう。

閑話休題。

ストーリーはなかなか物悲しいです。息子の誕生日に出張ピエロを頼んでいたのに、業者の都合でドタキャン。不動産販売の仕事をしている父親は、たまたま扱っていた物件のクローゼットにピエロの扮装があるのを発見し、それを着て、代わりのピエロに扮して息子の誕生日を盛り上げます。

ここまではよき父親。とても微笑ましいストーリーです。が、このピエロの扮装、実は曰く付きの代物で、主人公はカツラ、赤い鼻、衣裳が脱げなくなってしまったのです。どうやっても脱げず、物件の持ち主を調べてみると既に死亡。しかし、持ち主の弟を見つけ出し、窮状を説明します。

そこで主人公が聞かされたのは恐ろしい物語。その昔、ピエロは道化師などではなく、こどもを喰らう化け物、悪魔で、この衣裳は衣裳ではなく、悪魔の髪や皮膚であり、これを来たら最後、脱ぐことは出来ず、悪魔に変わってしまう、というもの。徐々に悪魔に変わっていく夫、それを何とか助けようとする妻。周囲の人は、そんな話をほとんど信じようとしません。

それでも妻は諦めず、衣裳の持ち主だった故人の弟を訪ねます。主人公は徐々に変わっていく自分が恐ろしくなって、妻の前から姿を消します。自殺を図ろうとするも、悪魔ですから死にません。お腹が空くとこどもを襲い食べてしまう主人公。このあたりの描写はなかなかグロテスクです。

さて、元の持ち主の弟もかつてこの衣裳を着てしまい脱げなくなり、悪魔に変身しかかったことがあったそうです。それがどうして助かったのか? 兄はどうやって弟を助けたのか? それは神話のとおり、こどもを五人、いけにえに差し出したからだったのです。そして、ようやく主人公を見つけ出した妻に対し、主人公(悪魔に魂を乗っ取られている!)は息子を提供することを要求します。

なんとか息子を助けたい、だけど夫も助けたいと悩む妻。ここで妻はちょっと気がふれたのか、たまたま車に乗り合わせた少女をいけにえに差し出そうと思います。魔が差したというのでしょうね。でも、こんな行動、周囲からみたら「夫が悪魔に乗っ取られた」と意味不明なことを言っているイカれた女にしか見えないでしょう。

そしてラスト。とうとう自分の息子を襲う夫。姿形は完全に白塗りのモンスター。妻も必死に闘います。衣裳の持ち主の弟が教えてくれていた解決方法は、こどもを5人いけにえに差し出すか、首を切り落とすか、二つに一つ。自分のこどもを差し出すわけにはいかないし、かといって他人のこどもを差し出すような余裕もないし、正気を取り戻した妻にそんな選択肢はありえません。かといって夫の首を切り落とすなんて……

と、心の中では葛藤しているのでしょうけど、目の前のモンスターは自分の息子を遠慮なく襲ってきます。このままでは愛する息子が喰われてしまう。狙ったのか、物の弾みなのか、乾坤一擲、妻の一撃で夫、というか悪魔の首が切り落とされ、ジ・エンド。が、この手のホラーの常道手段。悪魔は死んではおらず、モンスターの手が息子の足をつかみます。実は首が完全には切断されていなかったのです。まさに首の皮一枚で繋がっていたモンスターの首を、妻が最後の力を振り絞り完全に引きちぎって、こんどこそ本当にジ・エンド。モンスターの頭部は、ピエロの仮面が剥がれ、中から夫の顔がのぞきますが、首を切り落とされている以上、助かるわけはありません。

この映画、夫は何も悪いことはしていないんですよね。そりゃ悪魔に取り憑かれてからこどもを何人か食べていますが、あれは悪魔の仕業であって夫がやったわけではありません。ピエロの衣裳だって、息子を喜ばせたい一心で、扱う物件からちょっと借りただけで悪意も何もありません。基本的にはよき夫、よき父親の主人公が、何の因果か悪魔の衣裳を着てしまったために死ぬ(殺される)羽目に陥ったわけで、ちょっと救いがありません。

ちなみに、今回のタイトルは欅坂46の渡辺梨加の「ん~、カメラ、怖い~」というギャグ(?)をもじりました。

たまにはホラー以外も鑑賞

先日WOWOWで放送された「カンフー・ジャングル」を視聴。

 

タイトルどおり、カンフー映画です。往年のスターたちがちょこちょこ出ているようなのですが、カンフー映画をそれほど見ているわけではないあたしには、ブルース・リーとジャッキー・チェンくらいしかわかりませんでした(汗)。

さて、ストーリーはそれほど凝ったものではありません。若気の至りで対戦相手を殺してしまった香港警察の元武術教官。その服役中に、武術の達人ばかりを狙った殺人事件が起こります。さまざまなジャンルのカンフーの達人ばかりがターゲットになっていることから、元教官は捜査協力を申し出て釈放され、犯人を追います。

まあ、最初からカンフーのジャンルというか七名ほどの達人の名が明かされるので、この人たちが順番に殺されていって、最後は主人公である元教官と犯人が対決して終わるのだろう、という予想ができます。そしてほぼそのとおりの展開。達人が全員やられたのかはわかりませんが、たぶん5名くらいまでしかやられていないのでは?

で、元教官と犯人との死闘。もともと犯人がこの教官を最終目標に定めていることはなんとなくわかります。で、映画の展開上でも、実は犯人が服役中の元教官へ面会に来ていたという事実が明かされたり、犯人の犯行を示唆するような手紙が元教官に届いていたりと、実は元教官と犯人は最初から面識があったわけです。どこの誰ともわからない、謎の犯人を追いかけているわけではありません。

それにしても、犯人は各ジャンルの達人を倒すほどの武芸をどこで習得したのでしょう? 回想シーンで元教官が、自分が武術上達のコツを教えてしまったと後悔しているところがありますが、そんなことだけであのレベルに達するのでしょうか? それに愛する妻を亡くしてしまう(安楽死なのか、最後は自分で首を絞めて殺してしまったわけですが)というサイドストーリーがあるわけですから、それが連続殺人へ向かう何らかの伏線になっているのかと思えばそうではありません。このあたり、若干犯人にも感情移入できそうなところなのに活かし切れていなくてもったいないですね。